五頁目
「麗筆麗筆~、あっちの方から女の子の悲鳴が聞こえるよ~」
『…………馬車でも襲われているんでしょう。反対方向ですから、放っておきましょう』
「ええ~っ!」
麗筆のいかにも「めんどくさい」感が滲み出ている言い様に、Dは大きな声を上げて抗議した。
「町まで歩かなくて済むかもしれないのに? やだやだ、もう歩きたくない~! 私も馬車に乗りた~い!」
Dはとうとう、お尻をぺったんして手足をジタバタし始めた。黒紫のフレアスカートから覗く下着はアダルティな黒のレースの紐パンなのに、これではただの駄々っ子である。麗筆は深く溜め息を吐くと、とても嫌そうにDに賛同した。
『はぁ~~。……はいはい、わかりましたよ。行けば良いんでしょう、行けば。ついでに乗せていって差し上げますから、さっさと片付けるんですよ?』
「えっ、いいの? やったぁ~!」
『せめて馬が死ぬ前に辿り着きませんと、助けに行く意味がありませんからねぇ。さて。何かその辺の枝でも拾って支えにしましょう』
「そんなものないよ。麗筆に乗ってもいい?」
『やですよ』
別に何かに乗らなければ飛べないというわけでもないのだが、立ったまま宙に浮かぶとぱんつが丸見えなので、何かに座った方が見栄えが良い。「乗せて」「いやだ」の応酬の後、結局はDが妥協した。
「ちぇ~、けち!」
『はいはい。行きますよ』
地上より高さ十フィート、メートルに直せば三メートルと少しといったところに二人は浮いていた。この高さからなら例の襲撃現場が見える。そのまま真っ直ぐ、すいーっと移動していく。
「ここからだいたい八百メートルくらいかな。数は……入り乱れててわからないや~」
『すみません、メートルじゃなくてフィートかヤードで教えてくれませんか?』
「んもう、お爺ちゃんてば! いい加減、メートル表記にも慣れたらどう?」
『ぼくはメートル法なんか大嫌いです。元のままで充分使いやすいんですよ。まったく、変なものばかり持ち込んで……』
「麗筆ったら~! うっふふふふ!」
麗筆の愚痴をDは笑って聞き流した。
道にはでんっと大倒しになって中身をぶち撒けている四頭立ての幌馬車と、立ち往生している二頭立ての馬車があった。二頭立ての方は立派なもので、装飾のついた車だけでも価値がありそうだ。
馬車の周囲には十二、三人ほどの人間が固まって、未だ戦闘中のようだった。すでに倒れている人間もちらほら見える。そして何より、襲われている立派な馬車を牽く馬は、斬り殺されて転がっていた。
「やだぁ、もう馬が死んでる~!」
真下の惨状を見てDが唇を尖らせたのと、襲われている馬車の入り口をひとり守る男が絶叫したのとは、ほぼ同時だった。
「くそったれどもがぁああっ! 確かに我は落ちるとこまで落ちちまったが、よってたかって女を輪姦すほど腐りきっちゃいねえんだよっ! 殺すなら殺せ、全員道連れにしてやるぁあ!!」
よくよく見れば、その男は人間ではなかった。全身を濃い藍色の獣毛に覆われた狼男――シン族だ。この尻尾のない二足歩行の狼人間は、優れた敏捷性とでたらめな膂力、強靭な肉体を持っている。その凝縮された筋肉はよく詰まって、並の刃物で切りつけても傷をつけることはできない。彼らの武器は生来の爪と牙で、引き締まった細身の腕から繰り出すパンチは、人間を麦か何かのように薙ぎ倒すのだ。
だが六対一、多勢に無勢だった。しかも人狼は背に令嬢の乗った馬車を守って、持ち前の素早い動きを封じられている。それに取り囲む彼らを倒してもまだ、さらに六人の暴漢が待ち構えている。
両の拳を握り締め、人狼は天を仰いで吠えた。彼を囲む男たちは鼓膜を聾する雄叫びに怯みながらも、得物を突き入れ降り下ろす。
彼とって必ず避けなければならない攻撃は鉈の降り下ろしよりも、突き入れられる槍だ。人狼であっても刺突による一撃は傷を受けてしまう可能性がある。まずないだろうが、銀製の武器であれば尚更だ。
「があぁっ!!」
「うおっ!」
「へぶっ!」
人狼は突き出された槍の柄を引き敵同士をぶつけさせ、その隙にもう片手で鉈と共に踏み込んできた男の顎を砕いた。鉈の刃は人狼の獣毛をひと掻きしただけでかすり傷すらつけられなかった。人狼は男の顎を粉砕したその手でさらにもうひとりの喉に爪を走らせる。ざあっと赤い雨が獣毛を濡らした。
槍を取られて二人がバランスを崩し、その間に二人が死んだ。一瞬にして四人の動きを奪う人狼だったが、その後の攻撃をしのぎきることは出来なかった。頭を狙った連接棍の一撃を何とか首を捻ることで避けた。が、そのまま肩口にめり込む金属塊。人狼は呻いた。
死んだ二人によって空いた穴は増援ですぐに埋まり、またもや六対一だ。鈍器が効くと分かり男たちは剣すら鈍器のように使って人狼を攻め始めた。
「麗筆ぅ、どっちが勝つと思う~?」
『さぁ? 興味ないです。そんなことより、声を出すと彼らに見つかりますよ』
「あ、ほんとだ、こっち見た~」
「んだぁ、あいつぁ!? おい、降りてきやがれぁ!」
高みの見物と洒落こんでいたDに向かい、汚い言葉と共に矢が射かけられた。真っ直ぐに迫る短弓の一射、しかしそれはDの眼前で何かにぶつかったように跳ね返り、矢じりだけを残して木製の矢柄も羽根も砕け散った。
「んなっ!? なんだぁっ!?」
「きゃ~お!」
『危ないですねぇ。ほら、D、自分で【障壁】くらい張りなさい。一枚ぐらいは何事もなくても張っておくのが常識ですよ』
「え~、そんなの知らない。教えてもらってないも~ん!」
『ほら、賊がまた矢をつがえていますよ』
「えっ、どうしよう。どうすればい~い? 氷柱とか降らせてもいい?」
そう言っている間にも新たな矢がDの耳許をかすめた。
「あぁん、私じゃ【浮遊】を動かしながら戦えないよ~。麗筆ぅ」
『やれるところまでは自分でどうぞ。ぼくがついていてあげるのも、ショコラを手に入れるまでなんですから』
「そんな~~!」





