三頁目
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そこは朱い夕暮れの世界だった。木で出来た、素朴な小さな異国の家。バスローブのような不思議な衣服を身に着けた若く美しい女性が、体中を刃物か何かで切り裂かれて悲鳴を上げている。
「やめて……許して……!」
その懇願も悲鳴となって消えていく。必死の命乞いも空しく彼女は死んだ。その恐怖に見開かれた瞳に映っていたのは、無邪気な笑顔の中にDのよく見知った面影を宿した、白い髪の毛の幼子だった……。
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夢見る麗筆から流れ込んできた感情は、強い嫌悪と罪悪感。Dは彼の過去を知らない。出会ったときから彼女にとって麗筆は今の麗筆だったのだ。おそらく幼い彼は母親を、自分の力を使って殺してしまったのだろう。生まれつき魔力の大きい子どもにはありがちなことだ。
『力の使い方を間違っちゃったんだね、麗筆。そして今になってそれを悔やんでいるの?』
「うっ……ううっ……!」
『可哀想に……。気持ちの整理ができてなくって辛いんでしょう。でもそんなの、私が忘れさせてあげる。貴方が罪の意識に苦しむことなんてないんだよ、麗筆。大丈夫だから、全部忘れちゃお? 元の麗筆に戻って……』
触手がそっとおでこを撫でると、麗筆の表情から苦悶の色が薄れていく。再び安らかな寝息を立てるようになったのを見届けると、Dはそっと寝室を後にした。役に立てた満足感に浸りながら。
◇ ◆ ◇
次にその部屋のドアが開けられたのは、麗筆が出てくる時だった。しずしずとDに歩み寄ってきたのは、雪のように真っ白な髪の毛をハーフアップにした十三、四歳くらいの美少女だった。
白くて長い睫毛に縁取られたオニキスの瞳、つんと上向いた小さい鼻、薔薇の花弁のような唇。全体的にほっそりとした肢体を、薄紫色をしたサマーニットの長袖とフリルとリボンをたっぷりあしらった黒いワンピースで包んでいる。
細くしなやかな髪の毛は腰まで伸ばされ、顔と同じくらいの大きさがある深青のリボンが頭の後ろで揺れていた。白のソックスに青いエナメルのフラットシューズという、貴族令嬢とまではいかないが裕福なお嬢様のような「お出掛け」ファッションだ。
「いかがです?」
『ひゃ~! すごい、可愛い! でも、なんで髪の毛真っ白なの?』
「ぼくの髪の毛は白いので」
『クルクルしてないし~』
「ぼくは直毛なので」
『ぶ~~! おっぱいは~? おっぱいもな~い!!』
Dの不満げな声に、真顔だった少女は少し大人びた微笑を返した。性別が変わった麗筆は、いつもの、どこか尊大で嫌味ったらしい雰囲気ではなく、しっとりとした色気を漂わせている。その空気の変化にDは飲み込まれてしまいそうだった。
「さぁ、もう不満を言うのはよしてください。そんなことより……交換、しましょう」
『……うん』
麗筆に促され、Dは小さく返事をした。そして導かれるままに麗筆の寝室へと入り、ベッドの上に寝かされるのだった。
『ううっ、こんなの初めてだから緊張しちゃいます!』
「ゆっくり呼吸して。大丈夫、ぼくにすべて任せてください」
『わかりました……』
麗筆の細い指がDの表紙に触れていく。そしてゆるゆると逆五芒星をなぞり、そっとサファイアに触れた。
『んっ……!』
「小舟を繋げよ、舳先を合わせよ。我ら舟びと、今、手と手を取り合い互いの舟を乗り換えん。波よ荒れるなかれ、舟よ軋むなかれ。我らを安寧に運びたまえ……いさ! 【精神交錯】!」
『きゃっ!』
鈴を転がすような可愛らしい声で朗々と詠唱する麗筆。Dは触れられた先から熱く熱くなっていく体に戸惑っていたが、突然目の前が白く明滅し、体がぐにゃりと歪むような感覚に怯えた。
そして、次の瞬間、彼女はゆっくりと目を開いたのだった。
「あっ……!」
サファイアのような深い青の瞳がパチパチと瞬きに合わせて睫毛の間から見え隠れする。先程とは打って変わって無邪気で幼い雰囲気をまとった白い髪の少女は、小さな手を握ったり開いたりしたかと思うと、腰かけていたベッドから飛び跳ねるようにして立ち上がった。
立ち上がろうとする意思と立ち上がった体の間には何の齟齬もなかった。変わる視界と感じる重力、肉体というものの重み。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、それらすべてが解放されている、それらすべてに訴えかけてくる。
「すごい……私、人間になってる~!」
感動と興奮にきゃあきゃあと喜びの悲鳴を上げるD。くるりと回ったり跳ねたりしてはしゃぐ少女に、麗筆は遠慮がちに声を掛けた。
『え~、もしもし、D? そこに鏡がありますから、クルクル回ってないでそちらで確かめてはいかがです?』
「麗筆!」
ベッドの上の魔本は、ピンクだった革が真っ白に、そして逆五芒星の中心に嵌まっていた宝石がオニキスに変化していた。
「やだっ、私の色が変わってる!」
『ぼくの魂が入ったので、ぼくの色になったんでしょう。その体も、瞳の色が変わっています。貴女のサファイアに……綺麗ですよ、D』
「あ、ありがとう、麗筆……」
麗筆の言葉にDはほんのりと頬を染めた。これまで誰かの体を操ることはあっても、自分で体を使ったことなどないDだったが、微笑むことは難しくなかったらしい。初めてとは思えないほど可愛らしい笑みだった。
「麗筆の体、貸してくれてありがとう。大事にするね!」
『ええ、そうしてください。術を扱うのに不備もなし、すぐに出発できますよ、D』
「あ、じゃあ、リュックサックが必要だよ。麗筆を連れて行かなくっちゃだし、お財布も持って行かなきゃ」
『お金……要ります?』
「いりますよ! だって欲しいものはお金で買わなきゃ……なぁに、まさか、また人の心を操ってお金払わずに済ますつもりだったの?」
『そういうわけでは……』
「も~~、めっ、だよ!」
言葉を濁す麗筆を叱りつつ、支度を整えたDは玄関のドアを開けて叫んだ。
「よぉし、しゅっぱーつ!」
これから始まるとっておきの素敵な旅路。その一歩はここから……!
と、その瞬間。
ぐ~~~~きゅるるるる~~~!
「…………おなか、すいたぁ」
盛大に鳴るお腹の音と共に、新生・美少女Dちゃんはヘナヘナと座り込んでしまったのだった。





