二十七頁目
「D?」
ハッと麗筆が顔を上げたまさにそのとき、大きな揺れが王都を襲った。遠くに見える建造物が軒並みひび割れ、崩れ、倒壊していく。子どもたちの悲鳴が上がった。
「ああっ、いけません……!」
麗筆は辛うじて「ぼくの標本が」という言葉を飲み込んだ。
浮浪児たちの自慢の城も、赤煉瓦の橋ごと潰れてしまっていた。あちこちから苦痛のうめき声、泣き声が聞こえる。
「……【浮遊】、【集めよ】、【活性領域】」
麗筆は白術を使い、大きな瓦礫を浮かせて取り除いた。そして、傷を癒やすため視界内の生き物たちの細胞を無差別に活性化させた。
驚きの声が上がる中、麗筆はキョロキョロと視線をさまよわせていた。探しているのはもちろん例の少年だ。だが、見つけたとき、その少年――クリスは、胸を廃材に貫かれ事切れていた。
「おやまぁ」
麗筆は特に落胆した様子もなく、少年の側に跪くと、廃材に手をかざして白術で引き抜いた。
「【結べ】、【繋げ】、【固定】せよ……」
血管を繋ぎ、綴じ合わせ、ひとまず接着していく。しかし、細胞を修復できるほどの体力がこの少年には残っていなかった。
ならばどうするか。
足りないのなら、余所から持ってくればいい。
麗筆は迷うことなく自分の左手首を掻き切った。
生命の雫が滴り落ちる。
都合の良いことに、魔力で出来たこの体には濃い魔力が流れている。だから、通常では癒やすことのできない傷も治すことができるのだ。
「【循環】せよ、【循環】せよ、【循環】せよ……。癒やせ、【活性】【最大化】!」
麗筆の魔力とクリスの血が混ざり合い、彼の体は新たな細胞を産み、増やした。それがまた朽ち、また産まれ、完全なる肉体をそこに作り出した。そう、完全な。
傷も塞がり、肌の色艶も良く。年齢相応に手足が伸び、肉がつき、成長した六歳の子どもがそこにいたのだ。
しかし……。
それは依然として息をしていなかった。
麗筆は息を飲み……
「失敗、しました……。どうして……。これじゃ治りすぎです。標本になりません……」
ガックシと頭を垂れた麗筆は、仕方がなくといった様子でクリスの胸に手を置くと、心臓を動かすべく白術を用いた。
「【雷撃】!」
「っ! がはっ!?」
クリスはまるで雷に打たれたようにビクンと体を跳ねさせると、目を見開いて思い切り咳き込み始めた。ひとしきりむせて苦しそうにしていたが、やがて息を整えて、クリスは麗筆に向き直った。
「せ……んせ、い……」
「命拾いしましたね。貴方の仲間もどうやら全員無事のようです」
「せんせいが、助けてくれたんでしょう? ありがとう、せんせい!」
「……どういたしまして。でも、ぼくはもう行かなくては。どうやらぼくの助けが必要なようですから」
「何が起きたの、せんせい。僕たちはどうしたらいいの?」
「ヴァイゼルが貴方がたのまとめ役ですよ。彼について行きなさい。大丈夫、この規模の地震ならほとんど皆テント暮らしになるでしょう。うまく役人に取り入って優先的に助けてもらうんですよ」
「はい、せんせい!」
「ほんとに手慣れてるな、あんた!?」
「おや」
噂をすれば影。
呆れた顔で立っていたのはヴァイゼルだった。その後ろでは彼らの母親的存在のウィンリアが、少ない持ち物の中から使える物を選んで鞄に詰めていた。
「もう行くのかよ」
「ええ、行きます。あ、そうだ、もし王さまの使いがぼくを探しに来たら、ちゃんと人命救助してましたって証言してくださいね」
「お? おう……」
「また縁があったらお会いしましょう。それでは」
「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
麗筆はピタリと手を止めた。
ヴァイゼルは照れくさそうに頭をガシガシ掻いていたが、麗筆に視線を合わせると己の胸に拳を当てた。
「本当に助かった。クリスのことも、他のことも。だから、俺の手が必要になったらいつでも呼んでくれ。駆けつけるから。ほら、お前らも一緒に礼を言え。
先生、ありがとうございました!」
「「ありがとうございました~!」」
「…………」
きょとんとした顔で感謝の言葉を受け取る麗筆。
彼としてはただ標本を得るために動き、面倒を避けるために場の空気に従っていただけ。橋の下敷きになっていた彼らを助けたのも、どうせ瓦礫を片づけるなら一気にした方が良いのと、「助けて」と泣きつかれるのが嫌だっただけなのだ。
だから、礼を言われる理由はない。
彼らにそんな目で見つめられるようなことはしていない。
だが。
「そんな風に言われると、照れてしまいますね。どういたしまして、ですよ。ぼくはぼくの目的のために動いていたに過ぎませんが、何かの助けになっていたなら良かったです」
麗筆はふっと優しく微笑んだ。
「君たちの未来に幸せがあるよう祈っていますよ。それでは今度こそお別れです。……【風化】!」
麗筆のローブの裾が翻る。
強い風が吹き抜けたと思うと、彼の姿は消えていた。
子どもたちがわっと叫んで辺りを見回す。輝く塵のような物が風に乗って運ばれていったのを見た子はいたのだろうか。
◇ ◆ ◇
『まったく、せっかく魔力で練った体を自分で塵に帰さねばならなくなるとは。これでもちょっとは痛いのですよ、ちょっとは』
「ああぁあぁあ~~~っ! 熱いぃ、くるしい! 助けて……!!」
『さて、最短で貴女のところに戻ってきたわけですが、これは、いったいぜんたいどういうことなのです?』
Dの背中に戻ってきた麗筆だったが、肝心のDは喋れそうにもない。半壊して空が見える屋敷の中で、下半身を瓦礫に潰された男が少女を求めて泣きわめいていた。
『こどもを治療する麗筆:水彩、デジタル加工』





