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二頁目

 「人間になってみたい」――それは彼女がいつも夢見ていたことだった。


「これまでみたいに誰かの体を操るだけじゃなく、ちゃんと自分で五感を使って世界を感じてみたいと、以前、そう言っていたじゃないですか。だから、いいですよ。ぼくの体をお貸しします。好きに使ってください」

『……麗筆。本気なの? だって、体を交換するんですよ? 私が逃げちゃったらとか、返さなかったらとか、不安じゃないの?』


 人間を発狂させると恐れられてきた魔本が言うのもおかしな話だが、まったくもってその通りなのだ。体を交換するなど、そもそもが正気の沙汰ではない。自分の体を勝手に使われ、どこで何をされるかも分かったものではないのだから。元に戻ったときにどんな厄介事に巻き込まれているかも分からないし、勝手に死なれたらそれこそどうなってしまうのか……。


 そういったリスクを思い浮かべないではないだろうに、麗筆はどうでも良さそうに首を振った。


「やれやれ、ぼくを誰だと思っているんです? 今は亡き大魔導にも迫る最高の魔導師(マギ)、麗筆ですよ。本に閉じ込められたからといって不自由なんてしません。飽きたら返してくれればいいだけの話ですよ」

『麗筆……ありがとう!』

「こちらこそ。さ、まずはこの髪の毛をなんとかしなくては。それに掃除もしないといけませんし、手紙も書かなくてはなりません。手伝ってもらいますよ、D」

『うん!』


 Dのありがとうには、一言では言い表せない様々な思いがこもっていた。「信じてくれてありがとう」「願いを叶えてくれてありがとう」……そして、「一緒にいてくれてありがとう」。


 それをわざわざ麗筆に伝えることは、きっとしない。だが、これから体を入れ換えて自由になったとして、Dは麗筆と離ればなれになるつもりはなかった。


 降ってわいた幸運にDの心が弾む。

ずっと「旅がしたい」と思っていたのだ。


(麗筆とふたり旅……ううん、ひとりと一冊だからやっぱりひとり旅? ふふ、楽しみ!)


 とはいえ、すぐに出発はできなかった。

 麗筆はたっぷりあった髪の毛を腰辺りでバッサリと切り落とし、次に前髪を適度に鋏で整えた。眠っていた四十年の間に何もかもがすっかり傷んでいて、どこかしら修理の必要があったし、他にもやることはいっぱいあった。


『ね~、いつ頃交代してくれるの、麗筆~?』

「準備ができてからですよ。そんなにすぐ明け渡すものですか」

『ちぇ~』


 にべもない答えにDがガッカリしたように言う。そちらには目もくれず、麗筆は分別の手を動かしながら言葉を続けた。


「貴女ではわからないものが多いでしょうから。それに、体を譲るにせよ性別を変えなくてはなりません、それには大体ひと巡りほどかかるでしょう。……少なくとも七日は欲しいですね」

『性別を変える? 女になるってこと!?』


 なんでなんでと煩く騒ぎ立てるDに辟易した表情を見せつつ、麗筆はそれでもちゃんと答えてやった。


「貴女のためですよ。たとえ体は本でも女の子でしょう? お洒落もしたいでしょうし、このまま譲り渡しては不便するでしょうから」

『本音は?』

「ぼくの見た目と声で女言葉を使ってほしくないからですよ」


 キッパリと言い切る麗筆にDは笑い転げた。

 元々中性的な顔立ちの麗筆である、このまま中身が入れ替わったって大した違いはなさそうだが、本人にとっては気になることのようだ。楽しそうにしているDに、しかめ面をして「笑いごとじゃありません」と噛みついていた。


『ね、ね、どんな風に変わるの? 私、金髪がいいなぁ~、くるくるの巻き毛でね。どうせなら、おっぱいも大きくしてくださいよ~』

「……せいぜい楽しみにしていてください。どうせひと月は後になるんですから」

『む~~。遅い遅いお~そ~い~~!』

「数年から数十年は自由に遊べるんです、ひと月くらい待ちなさい」

『ぶ~~~!!』


 そんなやり取りをしながら一ヶ月、あばら家のようだった麗筆の小さな家は何とか元の姿を取り戻した。庭を綺麗にしてもらい、ごみを片付け、方々へ手紙を書いた。貴重な蔵書を譲り渡す先へその目録と、しばらく家を空けるので取りに来てほしいという旨をしたためた。


「では、これからしばらく部屋にこもりますが……入ってこないでくださいね?」

『もっちろん! わかってますよ~』

「…………まぁ、いいでしょう。頼みますよ、D」

『は~い!』


 麗筆は白い眉をひそめて疑わしげな表情だったが、それでもそのまま部屋へと入っていった。Dはもちろん大人しく彼の帰りを……


『待つワケないじゃん!!』


 彼女の信条は「口約束なんて約束じゃない」である。


 麗筆は言った。性別転換の術は身体の内側から作り変えるために、ゆっくり時間をかけないと痛みを伴う。だから今回は余裕をもって臨みたい。完全に意識を絶って眠りながら行うので繊細な術の邪魔をされたくない。


(ふむふむ、なるほどなるほど。それで? それが私を遠ざけておける理由になるとでも?)


 麗筆ほどの使い手が、ちょっと覗かれたからといって魔術を失敗するとは思えない。つまり、覗かれたくない理由が他にあるのだ。


『なにを隠してるの~、麗筆~。このDちゃんに隠し事なんて許しませんよ~。きひひひひ、きひひひひひっ!』





◇ ◆ ◇





 忍び込むにしても、すぐに部屋に入っては麗筆が起きてしまう恐れがあるとDは考えた。そこで、麗筆が完全に寝入っていると思われる三日目の昼、Dはこっそり麗筆の部屋の前までやってきて、聞き耳を立てた。


『……なにも、聞こえない。これは完全に寝てるね!』


 魔本であるDには手がない。しかし、手の代わりになるものはある。Dは自分のページの隙間からニョキニョキと真っ黒い茨の蔓を伸ばした。そっとドアノブに触れ、そこに掛けられた【施錠(ロック)】の魔術を解除する。


『さて……【浮遊】! きひひひひ、お邪魔しま~す』


 Dは音もなくふわっと浮かび上がり、やはり同じく無音で開いたドアから寝室へと侵入した。窓には厚くカーテンが引かれていたが、ほんの隙間から差し込む光によって仄明るかった。そんな中に浮かび上がるのは白い裸体――まるで人形のように身動ぎせずに横たわっている麗筆だった。


『わ~お!』


 麗筆の体は変わっていた。いや、正確には変わっている途中だった。背は低い方とはいえ二十歳前後だった成人の体が、二次性徴が始まる頃くらいまでに縮んでいる。端整な、しかしあどけない寝顔ながら、体はまだ男の子のままだった。おそらくこれから時間をかけて女の子に変わっていくのだろう。


『か~わい~! イタズラしちゃいた~い! うっくくく、下のお毛々もまっ白~!』


 いたいけな少年の体にDの真っ黒な触手が触れようとしたとき、これまで安らかな寝顔を見せていた麗筆が眉をしかめて小さく呻き声を上げた。思わず隠れるD。しかし、様子を伺っているとその原因はDではないようだった。


「……かあ、さま」


 麗筆の口から漏れた言葉にDはきょとんとする。かあさま……母親のことか。呻き声はさらに大きくなる。こんなにうなされるなんて、いったいどんな悪夢を見ているんだろうか。


『ごめんね、麗筆。ちょっとだけ覗かせて……』


 Dは茨のようにトゲだらけでガサついた触手を麗筆の額に伸ばした。他者の記憶を読み取る術を知っている彼女は、麗筆の見ている夢をまるで目の前で起こっているかのように見ることができるのだ。


 Dの視界が切り替わる。

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Dちゃんが出演しているコラボです、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
この作品だけで独立して読めます。

『Trip quest to the fairytale world』
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