表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/126

一頁目

 カチ、コチ、カチ、コチ……

 振り子時計が正しく時を刻んでいる。長針が真上に差し掛かり、ボォーン、ボォーンと大きな音を鳴らす。揺り椅子に座り微睡んでいた青年の伏せられた白い睫毛が震えた。


 白いローブに身を包んだ、二十そこらの青年である。体格には恵まれていないが、そのために中性的で整った顔立ちとあいまってどこか貴公子然として見える。特に人目を引くのは、生まれついての白髪と額に嵌まった銀環、そしてそれに連なる色とりどりの貴石を連ねて鎖状にした飾りだった。


 彼の名は麗筆(れいひつ)、この世界最強の悪の魔術師である。





◇ ◆ ◇





 まばたきを繰り返し持ち上がった瞼。隠されていた瞳は夜闇の色をしていた。麗筆はぼんやりとした表情で額に手をやり、どれくらいうたた寝してしまっていたのだろうと考えた。時計の盤面は午後の四時を指している。ようやく動き出そうとしたそこへ、少女のかん高い声が降ってきた。


『きゃ~~っ! 麗筆麗筆れいひつ~! 良かった起きてるぅ!』

「……うっ、うるさいですねぇ、もう。起き抜けに騒がないでください、D!」


 バサバサと羽ばたくような音を立てて麗筆の頭上スレスレを飛び回り、ストンと膝の上におさまったのはピンク色の革で装丁された大きな本だった。その表には黄金色の銀で象られた(いびつ)な逆五芒星、その中心にはサファイアが嵌まっている。


 彼女(・ ・)はディーヴル、とある国の地下にある禁書庫で麗筆が見つけた意思ある物品インテリジェンスアイテムだ。なぜか少女の人格を宿しているこの魔本のただし書きには「所有者を狂気に陥れ魂を啜る物なり」とあった。


『も~う、お寝坊さん! ずっと起きないからどうしようかと思いましたよ~』


 まるで腕を振り回すように表紙と裏表紙がバタつく。麗筆はそれをなだめながら、辺りを見回した。遅い午後の飴色を帯びた斜陽が照らす室内は、主だった家具には白い布で覆いがされ、床には厚く埃が積もっていた。窓ガラスは所々にひび割れが、そして庭は草木が伸びて荒れ放題となっていた。


「……ぼくは、いったいどれぐらい寝ていたんです?」


 呆然としたまま麗筆は尋ねた。もとより、のんびりした口調の麗筆であるので、外側からは推し量れないながら大きなショックを受けていた。この荒れようはまるで廃屋だ、寝入っていたのは一年や二年ではきかないだろう。麗筆の胸の裡を知ってか知らずか、Dは明るい口調で答えた。


『んふふ、ざっと四十年ってとこですね!』

「四十年……。どうりで、頭が重いはずですね~」


 麗筆がゆっくりと天井を仰ぐと、さらりと絹糸のように見事な房が流れ落ちる。知らぬ間に過ぎ去っていた年月は、確かにその身に現れていたのだった。


『長い髪も似合いますよ、麗筆! ね、ね、ごはんにする? お風呂にする? それとも、ワ・タ・シ?』

「とりあえず、寝ます」

『ええっ、今起きたばっかりなのに!?』

「ちょっと考えごとをしたいんですよ」

『ベッドなら腐ってますよ?』

「…………」

『だってぇ~、私ひとりじゃ行き届かないんですも~ん。麗筆の本や標本を維持するだけで精一杯ですよぉ』


 麗筆の膝の上で、ピンク色の魔本は言い訳をしながら身をよじった。


「ふぅ……仕方がありませんねぇ。まぁ、持ち物が多すぎるのは認めます。少しずつ減らしていくべきなのかもしれませんねぇ、図書館に寄贈するなり何なり……」


 麗筆の口から殊勝な言葉が飛び出て、Dは雷に打たれたような衝撃を受けた。


『ど、どどど、どうしちゃったの、麗筆!? 今まで借家の床が抜けようが、一室ぜんぶ本で埋まろうがお構いなしだったのに! それどころか稀覯(きこう)本を返したくないあまり図書館から借りたまんまにしてドロボー扱いされてたっていうのに!!』

「失礼ですね、うっかり返し忘れてただけじゃないですか……十年くらい」

『それを借りパクって言うんですよ?』

「昔の、話ですよ……」


 残念なことに、この魔術師には常識というものが備わっていなかった。


「とにかく。また万が一このようなことが起こって今度こそ目を覚まさなかったら困ります。貴重な書物は預けるべきでしょう。……ふふ、どうやら、ぼくにも寿命というものがあったらしいですねぇ。まだまだ、先のことだと思っていましたが」

『えっ、えええええ~~~~っ!?』

「落ち着きなさい、D」

『だって、だってぇ! っていうか、麗筆も死ぬんだ? 死んじゃダメだよ、麗筆ぅ……』


 今にも泣き出しそうなDの声音に、麗筆は軽く笑んでため息を吐いた。


「別に今すぐ死ぬというわけじゃありませんよ。ただ、準備をしなくてはいけないと言っているだけです。……この先、貴女には寂しい思いをさせてしまうことも多くなるでしょうね」

『どういう、こと……?』


 麗筆の闇色の瞳に陰が差す。


「ぼくは少し、疲れてしまったんです。……長く、生きることに。だから、しばらく休みたいと思ってはいたんですよ、前からね」

『…………』

「今回のはうっかりですけど、脳を休ませるために年単位で眠るつもりではいたんですよ。ぼくは歳を取りません。だから、脳は記憶を溜め込み続けてしまう。お師匠は記憶の一部を捨てることで長く正気を保っていましたが、ぼくはそんなのごめんです。ぼくの記憶は、ぼくのものです」


 麗筆は師匠の生き様、そしてその最期を思って厳しい表情になった。麗筆には師と仰ぐ人物が二人いる。ひとりは名づけ親であり養母でもあった“黒衣の婦人”、そしてもうひとりは麗筆が越えようとして越えられなかった高い壁でもある“大魔導”だ。


 “黒衣の婦人”は晩年、ほとんどの時間を眠って過ごし、終には目覚めることなくこの世を去った。“大魔導”は活動的ではあったが記憶の混濁が激しく、ほんのわずかな時間だけしか元の明晰な自分を取り戻すことができなかった。どちらも自らの本当の名を明かすことなく逝った、このインキュナブラ大陸よりも(ふる)い魔術師であった。


『じゃあ、麗筆は……また、今回みたいに眠りたいってこと?』

「ええ、そうです」

『……私は? 私もどこかの図書館にあげちゃうの? また閉じ込められるなんて、嫌だよ!』


 Dの声が震えている。室内に突風が吹き荒れた。彼女の心の内と同じく。Dは恐怖していた。かつてのように暗く狭い所に閉じ込められ、自由もなく縛られ誰からも省みられない日々が続くかと思うと、何も考えられなくなる。きっと思い出すら霞んで消えていくような長い時間を経て、自分を喪うほどの眠りに就くことになるのだ……。


『嫌、いや、絶対いやぁっ!! そんなことになるくらいなら……!』

「ですから落ち着きなさいと言っているでしょう。そんなことしません。絶対に」

『……本当?』

「ええ」


 麗筆は柔らかく笑んでDを抱いた。その、薄くも温かい胸に彼女は安堵した。いつかこの性格の悪い魔術師に、「あの時の貴女は傑作でしたね。必死すぎて笑ってしまいましたよ」なんて揶揄われる日が来たとしても、笑って許せるくらいには。


「逆に、貴女に預かってほしいのです、D」

『なにを? このおうち?』

「いいえ。ぼくの体をです」

『へっ!?』


 いきなり訳の分からないことを言い出す麗筆に、Dは返す言葉がなかった。間抜けにも漏れた疑問符、Dに体があればきっと開いた口が塞がらなくなっていたところだ。


「ですから、ぼくの体を預かってください。貴女とぼくの精神を交換するんです。ぼくが貴女の中に、貴女がぼくの体の中に」

『ど、どうして……?』

「だって貴女、自分の足で歩いてみたいでしょう?」

『!!』


 Dはドキッとした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール

Dちゃんが出演しているコラボです、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
この作品だけで独立して読めます。

『Trip quest to the fairytale world』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ