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そらみつ!~鏡と呪いの物語~  作者: 三星尚太郎
3/35

山門編-失われた天地の章(3)-夜色の少女(2)

 <これまでのあらすじ>


  光と命が豊かな豊秋島とよあきしま。そこには天と地の八百万やおよろずの神々と、まじないと鏡の力を駆使する人々とが暮らしていた。

  俳優わざをきの少年、御統みすまるは、旅芸人一座の輪熊座と共に、山門の都へ向かっている。

  眠りについた輪熊座に、夜色の衣をまとったあやしい美しさの少女、とよが忍び込む。優れた言霊使いの豊は御統みすまる白銅鏡ますみのかがみを奪おうとするが、 鹿高しかたか靭翁うつぼのおきなに捕まってしまう。御統は豊を逃がそうとするが、豊は逃げなかった。

 ≪是非ご一読ください。よろしければ、ご感想、ご評価をお願いします!≫


 <人物紹介>


 御統みすまる

 俳優わざおきの少年。輪熊座の有望株。軽業かるわざ戯馬たぶれうまの腕前は抜群。


 輪熊わくま

 旅芸人一座、輪熊座の親方。山賊のような風貌で、胸に三日月型の傷痕がある。芸と儲けにはがめついが、面倒見はよい。


 靫翁うつぼのおきな

 輪熊座の座員。輪熊とは古い付き合い。老人だが肉体は強靭で、強い矢を放つ。


 鹿高しかたか

 妙齢の女性。美形だが口と態度は悪い。女性座員の頭領格で、年端のいかない者には分けへだてなく優しい。


 とよ

 夜色の黒衣の美少女。優れた言霊の術を使う。御統の白銅鏡を奪おうとしている。

 この日も快晴だ。のどかに流れていく白雲を見上げれば、何もかもがうまくいくような予感がする。


 輪熊一座の朝には、しかし一騒動があった。


 春の快眠から目覚めた輪熊わくまは、三重に張られた幕舎を出て、思い切り身体を伸ばした。


「よく寝たもんだ」


 春の朝の空気を胸一杯に吸い込もうとする輪熊の大きな口は、突如とつじょとして落ちてきた脳天への激しい衝撃で、むりやり閉じられた。


「よく寝てんじゃねぇよ」


 輪熊へかかと落としをらわせた鹿高しかたかは、改心の一撃を放った長い脚の痺れを振り払った。脳天から細い残煙を立ちのぼらせた輪熊は、


「…以後は気をつけようと思います」


 と、身長の短縮を強要するような朝っぱらの災厄さいやくを耐え忍んだ。憮然ぶぜんとした表情で脳天をなでながら、


「…それで、いったい何事だってんだ」


 と、輪熊は涙目をこすった。舌打ちした鹿高は、後ろの靫翁うつぼのおきなを振り返った。


「教えてやってくれよ翁、この呑気熊のんきぐまに」 


 話を放り投げられた靫翁は、左目で鹿高をなだめ、右目で輪熊をなぐさめるような顔をした。


「まぁ、こういうことだ」


 靫翁は、昨夜の出来事の要点をかいつまんで輪熊に語った。


 輪熊は興味うすげに聞いていたが、


「つまりはあれか、あやしげな女童めわらべがおれの鏡を二枚割っちまったって話だな」


 と、理解した。もうけにがめつい輪熊らしく、話の要約から御統みすまるに関する筋が見事に捨てられてあった。


「それで、そのおいたな女童はどうなった」


「わたしが退治してやろうと思ったんだが、御統がどうしてもって言うんで、ひょうおりに閉じ込めてある」


「おいおい、大丈夫か」


「それが薄気味悪い子でね、豹のほうが怖がっちまって、すみっこで震えてる始末しまつさ」


 鹿高は悔しそうに地を蹴った。


「ほほう、豹が怖がる女はお前だけじゃなかったんだな」


 と、余計な口を滑らせた輪熊は、地を蹴りつけたついでの鹿高の脚に、顔面を蹴られた。


「ともかくだ。あの子はどうやらとてつもない呪力を持っているようだ。言葉遣いにも品格があるし、どこかの豪族のいつきではないか。まぁ、いでたちを見るかぎりは、巫術者ふじゅつしゃ呪術者じゅじゅつしゃといったところだが」


 輪熊と鹿高の痴話げんかは見飽きている靫翁が話を進めようとすると、鹿高が食いついてきた。


「言葉遣いだって。あんた、あの子と話したのかい」


 ずっとだんまりを決め込まれていた鹿高には意外なことだった。


「いや、わしじゃない。御統と話しているのを聞いたのだ」


 そうであったとしても、あの薄気味悪い少女は御統には多少は心を開いているということで、そこが鹿高にはに落ちない。御統も御統だ。もしあの時、鹿高が助けに入らなければ、御統は傷つけられたに違いないというのに。


「まぁ、その娘の正体が何であれ、今は、わしの鏡を壊した女童にはちがいねぇというわけだ」


 鼻血を拭いた輪熊がのっそりと立ち上がった。


「で、その女童は、今どうしてる」


「縄でしばってある。わしの破魔矢はまやを一緒にしばりつけてあるので、悪さはできんはずだ」


 弓の名手の靫翁は、野山で跳梁跋扈ちょうりょうばっこする悪霊を退しりぞけるための破魔矢はまやを何本か持っている。


「御統はどうしてる」


「豹の檻の横で見張ってる」


 そう聞くと、輪熊は豹の檻まで歩いて行った。檻の前では、御統が頑固な岩のような顔で座り込んでいる。


「ありゃ、見張ってるんじゃなくて、護衛してるんじゃねぇか」


 輪熊は腕を組んで鼻を鳴らした。


「護衛ってどういうことだい。だれから護ってるというのさ」


 そういう鹿高の顔を、輪熊と靫翁が同時に見た。


「あたしかい。やめとくれよ。捕まえちまった子に手を上げるわけないじゃないか」


 鹿高は憤慨したが、輪熊と靫翁は一言ありそうな顔を見せ合った。手癖よりも足癖が悪い。そう言いたいところだが、ここは余計な口を滑らさなかった輪熊である。


 ともかく、輪熊の言うとおり、御統としては、豹の檻に閉じ込められた夜色の少女を護っている認識が濃厚だった。鹿高から護っているわけではない。では何から護っているのかと問われたなら漠然ばくぜんとした話になるが、少女を自分から引き離そうとする運命の展開から護っているということになる。少女と自分は離れるべきではない、と御統に胸底きょうていに信念に似たものが芽生え始めている。


 翠雨あおさめ鼻面はなづらをすり寄せてきた。


「お前も一緒にあの子を護りたいんだな」


 御統は翠雨の鼻面を優しく掻いた。翠雨がいなかったら、夜色の少女は、夜の底にけ消えていたかもしれない。


 昨夜の続きは、こうだ。


 少女の細首を目がけて振り下ろされた鹿高の脚を止めたのは、翠雨のいななきだった。それが鹿高の脚を止め、氷結したような御統を解かした。御統は鹿高と少女との間に、身体を滑り込ませた。


「どきな、御統。その子はね、懲らしめないといけないんだよ」


 鹿高は眼光で翠雨を居竦いすくませている。その手綱を取って落ち着かせたのは靫翁だ。


「いやだ。どかない」


 普段は飄々(ひょうひょう)としている御統だ。それが両目にかたくなな光を灯している。御統のそんな目を初めて見た鹿高は戸惑った。それ以上に戸惑ったのは、豊だ。彼女の呪力をやすやすと破った二人組の出現にも驚かされたが、危害を及ぼそうとした少年にかばわれるのも思い掛けないことだった。夜と仲の良さそうな出で立ちをした豊だが、この夜は彼女の知っている夜ではなかった。


「それで、どうするつもりだい」


 振り上げていた脚を下ろした鹿高が尋ねた。目付きはけわしくしたままだ。どうするかの計画は、御統にはない。


「…話をしてみるよ」


 曖昧な答えだが、今はそう返すしかない御統だった。しばらくじっと御統を見下ろしていた鹿高は、やがて表情をくつろげた。


「…そうかい。それなら、話してみるといい」


 くるりと背を向けた鹿高は、靫翁に目で合図した。


「その矢を引き抜くのなら、注意しろよ」


 靫翁はそう言い残し、鹿高と肩を並べて共に歩き去った。


 とよの黒衣を貫いているのは、靫翁の破魔矢だ。豊は、それを引き抜こうともがいている。


「いいかい、今からこの矢を抜くけど、乱暴しないでくれよ」


 御統はそろりと破魔矢を抜き取った。木菟みみずくの羽のように変化していた黒衣が元の形に戻って、豊の白い皮膚を隠した。豊は放心したように、星空を見上げている。


「大丈夫かい」


 御統の声に我に返った豊は、弾かれたように起き上がり、身構えて、御統を睨み付けた。


「恩を着せたと思わないで」


 豊は落としていた短剣を拾い上げ、切っ先を御統に向けた。鋭利な短剣と柔らかげな御統の喉との距離はそう離れていないが、夜色の少女の心はずっと遠くにある。何とか招き寄せる手はないかと、御統は知恵を絞った。 


「きみのむらで、それを何と言うのかは知らないけど、おれっちがきみを助けたことはまちがいないと思うけどな」


「それがどうしたというの。わたしが、いつそれを求めたの」


 豊は手強い。


「それなら、短剣の向きが逆だろ。生きるのが嫌だったのなら、その短剣で自分を刺せばいい」


「生きるのが嫌なんていってないわ。わたしはなにも求めていないといったのよ」


 御統はわざと大げさに笑った。


「なにも求めていない奴が、こんな夜中に何を探してたんだ」


「笑うことは許さない。わたしには成さなければならないことがあるのよ」


 豊の瞳の光が強くなった。その光の底にある悲しみの色に気がつくほど、このときの御統は感受性を高めていた。


「それならおれっちは、その成さなければならないことに一役買ったわけだ。それを、きみの邑では何と言うのさ」


 豊は口ごもった。瞳の色がますます強くなる。迂闊うかつをいえば、この田舎びた男児の術中にはまりそうなことが忌々(いまいま)しい。


「…お節介せっかい、そうお節介というわ」


「お節介か」


 御統は、今度は本当に楽しそうに笑った。かたくなも、ここまでくれば清々しい。


「お節介は嫌いかい」


「お節介の内容によるわ」


「たとえばそうだな、草木も寝静まる真夜中の悪戯いたずらがばれて、きついお仕置しおきを受けそうなところを助けるようなお節介」


 豊が苦しげに表情をゆがめるのを、御統はにこにこと見ていた。


「…いったい何が望みなの。さっさと言いなさいよ。この田舎者、生意気、お気楽、お調子者、無神経、まぬけ面、唐変木とうへんぼく


 助けたのに、えらい言われようだと苦笑しながら、御統は翠雨を手招いた。


「こいつは翠雨。こいつもお節介者だ。こいつも望みを言っていいのかい」


 そう言って、御統は翠雨の背にひらりと乗った。


「馬が話すというの」


「きみにはきっとそんなことも不思議じゃないんだろうけど、残念ながらこいつは話さない。でも、こいつの思っていることはわかる」


「それで、お馬さんはなにが望みなの」


「きみを乗せて走りたいってさ」


 豊はきょとんとした。豆を投げつけられた鳩がよくする表情だ。御統は軽く笑った。


「おれっちもそうだ。きみを乗せて走りたい。まだ一人前じゃないけど、翠雨は速いんだぜ」


 御統が手を差しのばすと、何か怖い物でも見たように、豊は後じさりした。だが、気持ちが揺らいでいることは、御統には見て取れた。


「ほら、早くしなよ。それとも抱き上げてほしいかい。何しろおれっちはお節介だからね」


 御統がまた笑うと、豊は短剣の切っ先に込めていた鋭気をえさせた。豊が一歩、御統に歩み寄ったしるしだ。短剣を黒衣の中にしまった豊は、


「乗るだけね。それで、ちゃらよ」


 そう言って馬上の御統を見上げる豊の瞳に好奇心の色が浮かんでいる。大人びていてもまだ少女。実は楽しそうなことには興味がある。それを知った御統はうれしくなった。


 差しのばしていた御統の手に、温かさが触れた。と思うと、豊はもう御統の後ろで翠雨の背に乗っていた。


「しっかり掴まるんだぞ。こっそりおれっちの鏡をくすねようとしたら、落っこちるぞ」


「馬鹿いわないで。そんな盗人のような真似まね、するもんですか」


「よくいうよ」


 そう言うかわりに、御統は高く笑った。その拍子ひょうしに、林冠りんかんから、月光をまとった葉が数枚、ひらひらと落ちた。


 翠雨が走りだす。林を抜けると、それは疾駆しっくにかわった。さっきまでの林は、たちまち置き去りにされた。


 銀色の原だった。心得たもので、月も星も、ここぞとばかりに輝いている。


 ずいぶん走り、名を知らない川の水辺で、御統は翠雨の足を止めた。


 途中で幾つか境の呪いを馬蹄ばていにかけたかもしれないが、そんなことはいっこうに気にならない高揚感に、御統は包まれていた。


 遠くに、うっすらと山並みの輪郭が浮かんだ。夜明けが近い。御統は手綱たづなを引いて、翠雨を反転させた。戻らなければならないからだ。


「どこの邑に住んでるんだい」


 御統は尋ねたが、豊からの返答はなかった。やがて、風の音かと聞き違えるほどの細さで、


「…わたしに、帰るべき邑はないわ」


 と、豊が言った。


「そうか。それなら、ずっとおれっちたちと一緒にいればいい。鹿高も、靫翁も怒らせると怖いけど、ふだんは優しいんだ」


 帰るべき邑がない理由を聞いてもしかたがない。それよりも、これからのことを御統は提案してみた。そもそも、御統にも邑はない。輪熊一座が彼の移動する邑だ。


「あんな安っぽい劇団で道化おどけでもしろというの。勘弁して」


 予想できた豊の反応だ。


 あの林が見えてきた。もうすぐ輪熊一座の野営地だ。


「すきなところで、降りていいんだよ」


 気持ちとは正反対のことを、御統は言った。その御統の背中で、豊は瞳を驚かせた。遠乗りに誘った真意はこれなのか、と豊の胸の内に涼やかな風が吹いた。


「…馬鹿をいわないで。その白銅鏡ますみのかがみはわたしのものよ」


 御統の腰に回していた両腕に、御統に気づかれないほどの微かさで、豊は力をこめた。


 輪熊一座の幕舎が見えてきた頃には、山の頂から今朝の光が放たれていた。とうとうそこまで、豊は翠雨の背を降りなかった。


 野営地に戻ってきたとき、朝当番の座員はもう起き出して朝食の支度に取りかかっていた。彼らは当然、御統が連れてきた黒衣の少女に奇異きいな目を向けた。御統が連れ回している騒動の精霊が、とうとう目に映るようになったのかとおののいた者もいた。


 鹿高と靫翁は小岩に腰を下ろし、にがなせんじたものを飲んでいた。御統は豊を二人のところへ連れていった。鹿高は、しばらく二人を静かに見てから、湯気をたゆたわせる土器かわらけに目を戻した。


「…それで、話はできたのかい」


 御統はうなづいた。


「この子は、豊って名前なんだ」


 御統が紹介すると、鹿高はほがらかに笑った。


「そうか。で、御統はその豊ちゃんをどうするんだ」


「どうもしない。でも、豊はおれっちの鏡が必要で、狙っているんだ。理由はしらない。だから、自由にしてやりたいんだ」


 鹿高は思わず茶の汁を吐き出した。


「自分の大切なものを狙っているのに、自由にしてやるのかい」


 御統はまた頷いた。鹿高にはよほど愉快ゆかいだったようで、ひとしきり笑ったあと、


「おい、こんな小咄こばなし挙歌あげうたに仕上げたらどうだい」


 と、劇団員らしいこともいった。挙歌とは、この時代の歌謡曲と思えばいい。鹿高の発想を微笑で受けた靫翁は、その微笑を御統へ向けた。


「…友だちになったんだな」


 靫翁は、御統の気持ちを一言で代弁した。御統は頷いた。


「そうか、友だちは自由にしてやりたいよな。でもな」


 靫翁は微笑を厳しさにかえた。


「昨夜のことは、悪くすれば、けが人がでたかもしれない。おまえの友だちは輪熊一座の結界に侵入し、まじないをいて、一座の大切なものを盗み出そうとした。あまつさえ、鏡を二枚も壊し、おまえをも傷つけようとした。いいか、御統。鏡も、おまえも、輪熊一座のものだ。一座のものを傷つけたり、傷つけようとした者は、一座の長が裁かなくてはならない。わかるな」


 御統は頷かざるをえなかった。心配そうに、豊を振り返る。ほんの一瞬、瞳に微笑みを湛えた豊は、しかし次の瞬間には挑戦的な顔で、ずいと前に出た。


「自由にしてもらわおうとは思わない。自力で抜け出すわ。こんな田舎くさい劇団だもの、どうせろくな呪者もいないんでしょ」


 そう言って、豊はずいっとあごをあげた。


「そうか。さすがに御統の友だちだな」


 苦笑した靫翁は、座員の一人に縄を持ってこさせた。事情のわからない座員だが、年端としはのいかぬ娘をあわれんで、荒縄あらなわではなく、麻で織った平帯ひらおびを持ってきた。


「わしの破魔矢の力は分かっているな。おまえさんの呪力もなかなかのものだ。悪いが、一緒にわせてもらうぞ」


 靫翁が平帯で身体と破魔矢を縛り付ける間、豊は瞳を閉じて、おとなしくしていた。


 そういった次第しだいで豊は豹の檻の中におり、そのかたわらで、御統みすまる監視者かんししゃのような、護衛者ごえいしゃのような顔をしているのである。


 そこへ輪熊がずかずかとやってきた。額の上にたんこぶができており、鼻の周りには血をいたあとがある。それを見ただけで、御統には輪熊と鹿高のやりとりが想像できた。


「わしの朝っぱらからの厄災まがごとの原因がお嬢ちゃんかい」


 いつの間にか問題点がすり替わっていたが、ともかく、豹の檻の前で、輪熊はしゃがみ込んだ。無精髭ぶしょうひげに埋もれた口元は穏やかにしてあるが、目の奥の光は厳しい。一見いっけん可憐かれんな少女の、正体を見極めようとする目だ。その目のはしに捉えられた豹は震えあがり、彼は早朝からあやしい雰囲気をまとった少女と同室にされたりで散々(さんざん)だったが、当の豊は涼しい顔で輪熊の眼光を受け止めていた。少女ながら、相当に心胆しんたんを鍛え込んでいる。花も恥じらう年頃で、そうならざるを得なかった要因は知りようがないが、その哀しさを目に映しとることは輪熊にはできる。


「お嬢ちゃんが壊しちまった鏡は、確かに投げ売り品だが、しがない一座にはそれでも大層たいそう代物しろものでな、これから山門大宮で一旗揚げようというんだが、自慢の演目をいくつか諦めなくちゃならねぇ。わしらには大損だ」


「あんな模造品でどんな奇術をしようというの。どのみち、目の肥えた大宮の観客にはつまらない演目よ。これをしおに、一座を解散したら」


 この豊の盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しさには、輪熊も頭を掻くしかない。


「ありがてぇご忠告だが、あいにく養っていかねぇとならねぇやつらが多いもんで、一座を解散するわけにゃぁいかねぇのよ。お嬢ちゃん、あんた、かなり腕のいい呪者らしいじゃねぇか。どうだい、今度の興業を手伝ってくれるってことで、今回の話をつけようじゃねぇか」


 馬鹿馬鹿しいとばかりに、豊は横をむいた。そのまま無言を続ける。まだ朝飯を食っていない輪熊は、そろそろ腹が空いてきた。


「気が変わるまで好きなだけその檻にいてくれりゃいいが、その破魔矢をくっつけたままじゃお嬢ちゃんも具合ぐあいが悪かろう。ま、好きにしな。ところで、あっちで震えてるやつは如虎にょこって名でな、舞台じゃいい声でえてくれるんだが、実際は見てのとおりの臆病おくびょうもんだ。この檻じゃお嬢ちゃんの先輩なんだから、仲良くしてやってくれ」


 輪熊は立ち去ろうとした。もう頭の中は朝飯のことしかない。その輪熊の獣衣を、豊は声で引っ張った。


「まって。いいわ。手伝ってあげる。でもわたしの言霊ことだまの術は最高よ。あんな模造品の鏡二枚じゃ割に合わないわ。あの男の子の白銅鏡と交換ならやってあげる。どう。山門大宮一番の歓声を浴びさせてあげるわ。そうすればどこか有力な豪族のとして召し抱えられるかも。悪い話じゃないでしょ」


 輪熊は溜息ためいきを落とした。


「あのな、お嬢ちゃん。この一座のものは、座員も、獣も、食い物も一切合切いっさいがっさいがわしのもんだ。だがな、あの鏡だけは御統のものなのよ。飛びつきてぇ申し出だが、そいつは御統と話をつけてもらうしかねぇ。だがどうだい、お嬢ちゃんがわしらの興業を手伝ってくれるなら、御統と交渉する時間もたっぷりできるってもんだ。悪い話じゃねぇはずだぜ」


 言い残して、朝飯の炊煙すいえん目がけて、輪熊はもう大股で歩き始めた。ついでに、石像のように突っ立ている御統の襟首えりくびを引っ掴んで、


「おまえも飯だ」


 と、力任せに連れていった。


 豊は檻に残された。忌々(いまいま)しいが、破魔矢の力で、言霊がつむぎ出せない。様子をうかがっていた如虎は、彼には人の話はわからないが、それでも新しい同室者の気分が沈んでいることはわかったらしく、彼は、彼なりの気遣いで、優しく喉をならして近寄ろうとしたが、豊に一にらみされて飛び上がり、そのまま檻の上部へしがみついた。これはこれで新しい見世物技だと、遠くで見ていた座員は思った。


 ところで、如虎とは、発音が近いことから推測がつくと思うが、猫のことだ。今朝は踏んだり蹴ったりの如虎だが、彼は豹と呼ぶにはあまりにも臆病なので、猫を意味する如虎という名を付けられた。ということは、この豊秋津島には、野生の獣として猫も虎も豹も棲息しているということになる。だが実は後世、豊秋津島を旅行した海の果ての大陸の真人しんひとが見聞録をまとめ、そこには虎や豹の獣は棲息しないと書かれることになる。これは、その旅行者の観察眼がよほど雑だったが、豹や虎が巧みに彼の背後に回り込み続けたかのどちらかだろう。


 それはともかく、親方の腹の虫がおさまった輪熊一座は、出発の儀式を滞りなく終えて、春の陽気の下を出立しゅったつした。


 日光に照り輝く山門大宮やまとおおみやいらかは、すぐに見えてきた。一座のだれもが驚きの声をあげた。想像を軽くはみ出るおおきさだ。


 山門を支配する山門主が宮殿を構える首邑しゅゆうだ。山門主たる饒速日にぎはやひが直接率いる斑鳩族いかるがぞくの住むむらで、元々は斑鳩大宮いかるがおおみやと言った。饒速日が率いる斑鳩族の勢力が山門一体に広がるにおよんで、山門大宮となったのだ。


 五重の濠が巡らされ、もっとも外側の濠には近くを流れる川が引き込まれており、その水が内側の濠に順次送られ、循環してまた川に戻る仕組みになっている。大宮の中心部には壮麗な高殿たかどのが建ち並んでおり、御統が見たことのない石の壁と、もっとも内側の濠に護られている。次には中心部ほどではないが、大きな建物が並んでおり、土のるいと木柵そして二巡目の濠に護られている。順次、同じような区画が続き、外側にいくにつれて、建物は小さく粗雑になり、五巡目の濠の外側には、御統がかつて暮らしていたのとあまり変わらないいえが雑然と密集して、木柵だけで護られていた。そこに暮らす人の身分によって、住処すみかが区画されていることは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 輪熊一座は道を一度離れ、大宮に引き込まれることになる川の辺で、停止した。川で水浴びし、旅の道中の汚れや、微少な悪霊、病魔を落とすためだ。儀礼的な水浴びを沐浴もくよくというが、これをしていない者は、大宮の一番外の木柵を通ることも許されない。


 春の陽気の中を旅して火照ほてった体には、冷たい川の水が心地良い。子ども達は歓声をあげたが、大人達も負けないくらいの声を出した。


 翠雨の手綱を持ったままの御統は、あいかわらず豹の檻の傍に立ったままである。翠雨は川の水が飲みたいようで、ほとりではしゃぐ子ども達をうらやましそうに見ていた。御統は川よりも、大宮の、その構造に興味津々だった。特に、大宮の中心部を護る石の壁のことが知りたかった。


「あれは、城、というのよ」


 御統の気持ちを読み取った豊がいった。


「城というのかい」


「そうよ。石の壁のようにみえるけど、本当は土よ。版築はんちくといって、土を突き固めたものを積み上げているのよ」


 と、豊は教えた。版築は煉瓦れんがを想像すれば近い。土で作られているが強度はなかなかのもので、海の果ての大陸では、邑の中で首領が暮らす領域は、たいてい版築の防壁で護られている。城を、土で成る、と書くのはそのためだ。ちなみに、首領の生活領域以外はかくという。城郭とは、つまりそういうことだ。その辺りの知識を豊はどのように仕入れたのか、御統に丁寧に教えた。


「お友達は、川のほうが気になるみたいよ」


 長い首をさらに長くして川面に伸ばしている翠雨を、微笑みながら豊は見た。


「ちょっと水を飲ませてくるよ。城のこと、教えてくれてありがとう」


 少しはにかみながら御統は礼を言った。


「いいのよ」


「豊も、喉がかわいてないか」


「そうね、わたしも、水を一杯、いただきたいわ」


 嬉しそうに御統は頷いて、川辺へ小走った。早く来いと急かされた翠雨は、心外そうな顔でついていった。


 ところで、水浴びをして小ぎれいになった輪熊一座に、荒々しく土煙をぶっ掛ける一団がいた。二十騎ばかりの騎馬だ。彼らが登美族とみぞくと呼ばれる集団であることは、輪熊から教えられていた御統にはすぐにわかった。


 座員はみな驚いた。急に馬という獣が二十頭も道から飛び出してくれば、それも当然だ。泣き出す童子もいた。しかし彼らに害意がないことは、大慌てする輪熊一座をなだめようとする彼らの口ぶり、手ぶりでわかる。


 その騎馬団の長らしき男は、おおきな男で、他の男よりも頭一つ以上飛び出している。どことなく、輪熊と雰囲気が似ている。つまり、山賊風だということだ。その男が、馬を進めてきた。あまりの体の巨きさに、御統には馬が気の毒に思える。


 山賊男は、だれかを探している様子だったが、やがて見つかったのか、大きな声を挙げて馬を降りた。山賊男の呼びかけにこたえたのは、輪熊だ。二人は喧嘩相手を見つけたときのような嬉しそうな顔をして、互いに肩を抱き合った。荒っぽく、卑猥ひわいだが、当人にとっては友好的らしい会話を交わしている。山賊男は再び気の毒な馬にまたがり、他の騎馬を引き連れて、土煙を黄色い霧のように巻き上げて、駆け去って行った。


 呆然とする座員を見渡した輪熊は、


「なんだお前ら、その姿なりは。まるっきりほこりまみれじゃねぇか。さっさと水浴びしやがれ。日が暮れちまうぞ」


 と、怒鳴りあげ、一言二言口の中に含んだような座員を尻目に、ざぶんと川に飛び込んだ。


 川辺で翠雨を放った御統は、土器かわらけに水を汲んで、豊のいる豹の檻に戻った。土器を受け取った豊は、礼を言うかわりに目で問いかけた。豊の問いかけを目で受け止めた御統は、その目を他の座員に向けた。古株のその座員は、事情を飲み込んでいるという顔で、


「あれは春日族の族長の兄貴だ。わけはしらねぇが、うちの親方とは古い馴染みらしい。二人で山賊でもやってたんじゃねぇか」


 そんなこともありそうだ、と座員は高笑いした。


「登美族じゃないの」


「よくはしらねぇが、春日族ってのは、どうやら登美族から別れた集団らしい。いろんな奴らがこの辺りにはいやがるってことだ」


 座員は訳知り顔でうなづきながら立ち去った。これ以上突っ込まれても、答えられないからだろう。


「御統」


 鋭い声で呼ばれた御統が、声の主を振り返って、ぎょっとした。豊が、物怪もののけでも見つけたような顔を檻に押しつけている。大きな瞳が見開かれ、うかうかするとそこから何か飛び出してきそうな緊迫感が光っている。


「あなたの親方を呼んできて。いますぐに」


 ただならない豊の剣幕に突き飛ばされるようにして、御統は駆けていった。


 豊との距離を少しずつ縮めてゆく御統。輪熊一座は山門大宮に到着し、御統は壮麗な山門の首邑に目を見張る。

 突如として現れた騎馬集団を見た豊は、血相を変えて輪熊を呼ぶよう御統に求める。




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