山門編-失われた天地の章(21)-真秀場ー
<これまでのあらすじ>
光と命が豊かな豊秋島。 そこには天地の八百万の神々と、呪 (まじな) いと鏡の力を駆使する人々とが暮らしていた。
輪熊座の俳優 の御統は、黒衣の美少女豊と、山門の御言持の大日、その嫡男の入彦に出会う。折しも登美族と春日族による神祝 ぎの馳射が催され、豊の呪いで紛れ込んだ御統の活躍により春日族は勝利する。馳射で破られた禁忌を巡って、誓約の鏡猟がことのまえさきで執り行われる。豊の呪術が春日族を勝利させるが、御統の白銅鏡から現れた天目一箇神が現れ、辞禍戸崎は恐慌に陥る。
天孫族の大軍を孔舎衛坂に迎え撃つこととなった大日は、昔日を回顧する。かつて、大彦、大日、安彦、陽姫の磯城族の四兄弟妹は、災の木の実と呼ばれる剋軸香果実を、磯城族の仇敵である斑鳩族の饒速日に手渡していた。そのときから、安彦は果実の魔力に取り憑かれる。
大日率いる山門諸族は、大彦の活躍もあって天孫族を打ち破る。磯城の三輪山への神奈備入りを命じられていた入彦は、大物主の幸魂の霊力を授かる。凱旋した大日は、登美族の登美彦として山門の持傾頭となっていた安彦に政変を起こされる。登美彦こと安彦は、斑鳩族の武力と大地から無数の土兵を生み出す埴土の術で大日と春日族を追い詰めるが、御統の求めに応じた天目一箇神が土兵を粉砕する。
登美彦の追撃を大日たちはなんとか躱すが、入彦の許婚である美茉姫がさらわれたことを知る。豊の提案により、美茉姫救出の応急措置をとった大日たちは、仇敵であるはずの磯城族の邑へ向かう。入彦の当惑をよそに、磯城族は失脚した大日たちを暖かく迎え入れる。入彦は自身の成長を感じるとともに、この先の不安を感じる。
大日は、磯城族を凶悪な呪術が襲った日のことを回顧する。あの日から、山門のすべてが夢幻の世界に沈んだ。その夢幻にただ一人立ち向かっていたのが、安彦であると大日は気づく。
饒速日の奸悪な呪いから唯一人逃れていた安彦は、山門を取り戻すため、愛する妹を凌辱した饒速日に復讐するため、そして果実の魔力を己がものとするため計画をすすめてゆく。登美族を手中にし、山門の実権を握った登美彦こと安彦は、果実の魔力に呑み込まれる。
≪是非ご一読ください。よろしければ、ご感想、ご評価をお願いします!≫
<人物紹介>
御統
俳優の少年。輪熊座の有望株。軽業と戯馬の腕前は抜群。
輪熊
旅芸人一座、輪熊座の親方。山賊のような風貌で、胸に三日月型の傷痕がある。芸と儲けにはがめついが、面倒見はよい。
靫翁
輪熊座の座員。輪熊とは古い付き合い。老人だが肉体は強靭で、強い矢を放つ。
鹿高
妙齢の女性。美形だが口と態度は悪い。女性座員の頭領格で、年端のいかない者には分けへだてなく優しい。
豊
夜色の黒衣の美少女。優れた言霊の術を使う。隠された企図を果たすため、大日に近づこうとする。
大日
山門の御言持にして春日族の氏上。貴人中の貴人だが、輪熊、鹿高、靭翁に一目置いている。清々しい人柄だが、少し好色。
大彦
大日の兄。輪熊たちとも古なじみ。鹿高に一方的に好意を抱いている。豪快な人柄。
入彦
大日の嫡男。豊からの第一印象は、好きになれそうにない人物。輪熊座関係者をどこか見下している。
美茉姫
大彦の娘で、入彦の言い名づけ。元気で小気味よくおしゃべりで少しおませな少女。
石飛
春日族の青年。優れた騎手。入彦を慕っている。
石火
石飛の父。大日の信頼厚い春日族の重臣。
登美彦
山門主の秘書官ともいうべき持傾頭にして、登美族の氏上。大日を敵視している。若き日の名は安彦。
吉備彦
登美彦の嫡男。父親に似ず明朗快活な性格。優れた騎手。
夜姫
呪能に秀でた祝部の長。登美彦に心酔している。若き日の名は陽姫。
御名方
登美彦と共に秘かな企みを進める。出雲族出身。
五百箇
磯城四兄弟妹の友人。優れた鍛冶の腕を持つ渡来人の子。
大真帝国の人々は、彼らにとっての絶遠地、東の海中の島々に暮らす人種を、一括りに倭人と呼んだ。
倭、という文字自体は、従順に従うさま、うねって遠いさまを表しているが、それは単に一つの生活文化圏を指す呼称ではなく、元々は高度な文明を開化させた真族が彼らの文化圏の外側に暮らす人種を指す漠然とした概念であった。倭の人々は、真族に逐われて西や東、そして南に移動し、その生活様式や文化は海をも渡った。高度な文明を誇る真族にとっての絶遠地で、海を中心とした生活を送っていた海中の島々の人々は、海を渡ってきた倭の文化を受け入れ、そして彼らも倭人の範疇に参入した。
海中の島々の一つ、もっとも大真帝国に近い島は筑紫洲で、四つの地方に分かたれていた。海を挟み大真に真向かっているのが白日。その東に豊日。その南に日向。日向の西と南を包むように建日がある。
白日で主導的立場を占めていた伊都族は、大真の冊封を受けることによって筑紫洲最大の勢力となった。建日にも強勢な一族があり、二つの勢力に挟まれる形の日向の高千穂族は、あるときは北に従い、あるときは西南に従うという苦しい状況に置かれていた。
日向の東には海があり、そこには海童と呼ばれる人々が暮らしていた。北と西南から圧迫をうけた高千穂族は、必然的に海童とは友好関係を結んだ。
高千穂族の祖先は、元々は建日の巨大な火山、火峯の麓に暮らす小さな集団で、東に高い峰を千も連ねるような山岳地帯に移動した。そこには山童と呼ばれる人々が暮らしており、高千穂族の祖先は彼らと血縁を結び、高千穂族を興した。
高千穂族の首長の子に、ある兄弟がいた。兄は海童を治め、弟は山童を治めることを父から命じられた。
父が亡くなったあと、海の生活に飽きていた兄は弟に呼びかけ、それぞれ治める場所を交換することにした。
穏やかで公平だった弟は山童にも海童にも愛されたが、傲慢で欲深だった兄は海童にも山童にも嫌われた。
山童も海童も自分に従わないことに苛立った兄は、弟を呼びつけ、食料や衣服、珠や玉などの宝物を納めるように厳しく命じた。弟は自分の持ち物をすべて兄に差し出したが、元々弟は欲がなかったため宝物というほどのものは持たず、貯蔵している食糧も僅かであったから、兄は激怒して受け取らなかった。
困り果てた弟は、兄に代わって治めていた海童の長の塩土に相談した。
塩土は山童とも連携し、ある日反乱を起こして兄を追放し、弟を高千穂族の首長につけた。
助ける者とてない兄は、しばらく山中をさまよった挙句、弟の前に降参した。弟は兄を許し、日向の湊の一つを治めさせた。自らの行いを恥じ、反省した兄は、良い領主となって湊を治めた。
高千穂族はさらに代を重ね、首長の血筋はあるとき三人の男児と一人の女児を得た。男児は五瀬、稲飯、入野と名付けられ、女児は狭野と名付けられた。狭野は兄たちとは年が離れ、長兄の五瀬とは親子ほどの年齢差があった。狭野は女児ながら産声は雄々しく、幼くして男勝りの性格だった。その気性とは正反対に、容姿は日輪のような美しさだった。鳥の羽を連ねた奇抜な出で立ちを好み、自らを男子として扱うよう周囲に強いたが、彼女は生育するにつれ美しくなるばかりであったから、周囲の者は扱いに難儀した。
四人の父は争いを好まない温厚な性格をしており、高千穂族の人々は心優しい首長のもとで安らかに生活できたが、白日と建日との外交においては弱腰を侮られ、ついには双方に服属する格好になり、結果として高千穂の人々に重い負担をかけることになった。それでも首長は矛を取らず、また人々も彼を見放さなかったが、四人の子の長兄である五瀬は現状を打破する志を抱いた。
十五歳になり、矛を持てるようになった五瀬は、壮年の男たちを鍛えて兵となし、白日と建日の横暴に敢然と立ち向かった。伊都族などと幾度となく干戈を交え、ときに勝利を収めることもあったが、長期的には劣勢を跳ね返せなかった。高千穂族は海童を通じて友好関係にあった吉備の支援を得て、辛うじて独立を保っていた。
五瀬は大伯父の血を引く吾田の吾平津媛を妃とし、一族の結束を強めて難局に当たると共に、長男である手研を得た。妹である狭野の誕生はこの後のことだ。
長じて、父から高千穂族の首長の座を譲られた五瀬は、治政の経験や周囲の勢力との外交を重ねてきた結果を分析し、日向の地での一族の発展は望めないことを悟った。そんな折、五瀬の耳に、遙か東にあるという豊葦瑞穂原の話が届いた。吉備の首長から海童を通じて得た情報の一部だが、目指すべき理想郷はそこにある、と五瀬は直感した。彼の心の風景に、光が降り注ぐ黄金色の葦原が投影された。
四十五歳になっていた五瀬は、高千穂族の人々を集めた。広場に築いた台に登り、五瀬は東への旅立ちを宣言した。
「吾らが御祖は、天照の子である天忍穂耳と、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫との間に生まれたもうた御子。高皇産霊の言依せにより豊葦原の主として高天原から降臨したもうた。御祖は、二子に日向を委ね、一子に遙か東の葦原を治めるようお命じになられた。いま、大海の御霊なる大綿津見は御歌召された。東の葦原はすでに切り拓かれたと。ここに我らはこの御祖の地を旅立ち、東の真秀場にこそ宮処を造るべきである」
多くの族人は奮い立った。彼らは五瀬に命じられるまでもなく、我がちに海原を渡るための船を作り始めた。
まだ存命であった父は従来から激しい変化を好まない性格であったことから、日向に残ることを希望した。母も父に従った。五瀬は彼の東征に懐疑的であった弟の入野と、妻の吾平津媛に父母の保護を命じ、豊葦瑞穂原を目指して出立した。
万里の航路の踏破に挑む族人を鼓舞するため、五瀬は高千穂族を天孫族と号し、自らの名を天津彦とした。このとき、八歳であった狭野姫は年長の兄に従い、船の舳先が蹴立てる白波の滴を浴びながら、日輪のような笑顔を輝かせていた。族人たちは、天津彦が東征宣言で語った天照が彼女に降臨しているのだと喜び勇んだ。
海原に乗り出した天孫族を引率する天津彦は、まずは吉備を目指した。東の真秀場、豊葦瑞穂原の話をもたらした吉備の首長から、より詳しい情報を得るためである。
吉備とは海童を通じて交流のあった天孫族だが、天津彦は正確な位置を把握しているわけではなかった。しかし、吉備の首長が豊葦瑞穂原を遙か東と示した以上、海を東に渡っていけば、まずは吉備にたどり着くはず、というのが天津彦の考えだった。
このとき、天津彦をはじめ天孫族の多くの人が脳裏に有していた地図は、大方、次のようなものである。
まずは海中に日向を乗せた筑紫洲があり、その陸地には他に白日、豊日、建日と呼ばれる地域がある。日向の東は海であり、その向こうに島影が見えている。その島を、海童の古老は、伊予洲と呼んだり、二名洲と呼んだりした。この二つの陸地を弓形で繋ぐように隆起しているのが豊秋津洲であるが、その洲は広大で、東の果ての姿を描くことはできない。
天津彦の想像では、豊秋津洲と二名洲とに挟まれた回廊のような海を東に行けば、その途中に吉備があり、さらに東に行けば目指すべき真秀場があるはずである。もしも吉備が西にあったとすれば、その地は伊都族が勢力を振るう白日に属するか、近くにあることになり、日向の高千穂族と友好を結ぶはずがない。
万里の航路の第一関門と言うべき速吸之門が近づいてきた。筑紫洲と二名洲からそれぞれ伸びた岬が両側に迫る海域だ。海中に伸ばされた二つの陸地は、まるで二つの島が手を携えようとしているかのように見え、その風景は微笑ましいが、そこの海流は激しく、気を抜けば操る舟がたちまち海中に吸い込まれそうな速さだった。
ここで天津彦は有能な先導者を得た。地元の海の漁民で、名を珍彦といった。
珍彦は天津彦に日に焼けた若い顔を向けた。
「あなた方は、もしや日向の方々ではございませぬか」
「確かにそうだが」
「やはり。風の噂で、日向の方々が大挙して東に向かうと聞きました。どうか、わたくしを御一行にお加えください。わたくしが先導致しますれば、この海峡の暗礁を避けることができます。それに困難な海峡はここ一つだけではないのです」
願ってもない申し出に、天津彦は諸手を挙げて珍彦を歓迎した。珍彦は、魚を捕るだけの生活に飽き、まだ知らぬ天地を見に行きたいということだった。
格好の先導役を得たが、それで海路の問題が全て解決したわけではない。航路の安全は珍彦によりある程度は確保されたものの、最も本質的な問題は、食料だった。
舟といっても、丸太舟を連ねたような構造だったから、食料を多く積み込むことが出来ない。なにしろ故郷に帰ることのない海路だ。生活道具も運ばなければならない。そのうえ、夜の航行はできない。一日行けば、一日陸地に上がって狩猟するという按配で、船足はまことに緩やかだった。しかしそれでも、天津彦は少々の脱落者を出したのみで、回廊のような海を進み、吉備の湊に天孫族をたどり着かせた。
吉備の首長である吉備主は、天孫族の一行を歓迎するには歓迎したが、感情の半分以上は困惑が占めていた。確かに、日向の海童に遙か東に豊葦瑞穂原があるという話はしたが、まさか一族を率いてそこを目指してくるとは想像していなかった。
吉備主に面会した天津彦は、まず武具を請うた。豊葦瑞穂原に無事にたどり着いたとして、そこが無人と決まっているわけではない。先住民族がいるとすれば、戦いもある。それを決して望みはしないが、一族を率いている以上、彼らの前途を護らなければならない。もちろん日向を出立するときに武具を積み込んでいたが、吉備にたどり着くまでに多くを鋳つぶし、狩猟の鏃や漁の釣り針に変えていた。
思案した吉備主は一計をひねり出した。武具を天孫族に供与する条件として、出雲との関係修復の仲介を天津彦に託したのだ。
吉備と出雲との位置関係は、吉備が豊秋津洲と二名洲とに挟まれた回廊のような海の中程に位置するのに対して、出雲はその西北に位置する。豊秋津洲の南面と北面にそれぞれ位置しており、出雲もまた海に面している。
出雲が面する海は大真帝国の大陸につながるため、先進の文物が届く。その文物を慕って、かつて吉備は出雲とは良好な関係にあったが、独自の文明を高めていくにつれ疎遠になった。それどころか、両勢力の境では、小競り合いも起こしている。
交換条件を突きつけられた天津彦は悩んだ。吉備彦の考えは分かっている。武具を与えず、体よく天孫族を追い払いたいのだ。
ここで天津彦は初めて弱気になったが、その兄を強く励ましたのが妹の狭野姫だった。
「何をためらっておいでですか、兄様。もともと万難を排する旅路であったはず。その難儀の一つに過ぎません。わたくしにお命じくださいますれば、出雲へ行って参ります」
親子ほどに年の離れた妹からそう励まされた天津彦は、まさか狭野を出雲に向かわせるわけにはいかなかったので、自分と弟である稲飯の二人で出雲に向かうことにした。
本来であれば天孫族を引き連れた方が出雲への圧力になるのだろうが、天津彦はこれまでの航路で疲れ果てた族人を休息させたかった。自給自足を条件に、吉備の勢力圏の一隅に仮の邑を作ることを請うて許された天津彦は、長子である手研に一族と狭野を託して出雲への旅路に出た。
天津彦と稲飯の旅は三年に及んだが、その間、天孫族は逃散することなく首長の帰りを待ち続けた。
三年もの間、天孫族の自給自足を支えたのは、彼らの優れた農業技術にあった。日向の高千穂で山童と呼ばれていた人々は、大真帝国から筑紫洲に伝わった水稲農法を取り入れていた。山童は天孫族の中に多くおり、彼らが主導して、吉備の一隅に水田を生み出したのだ。もちろん、元々の技術が未成熟であったし、たかだか三年では大規模な水田は営めない。彼らの水田は自然の低湿地に改良を加えただけの小規模なものだったが、それでも水稲農法を知らない吉備の人々の目を驚かせた。
さて、出雲に向かった天津彦は、極力、辞と腰を低くするつもりだった。吉備との関係修復を図るのだから、当然だ。そのため、筑紫洲でもまだ珍しかった鉄の剣を持ち、腕にも自信のあった稲飯を控えさせながらの折衝となった。
しかし、出雲主たる大国主には永らく無視された。ようやく謁見を許されたが、大国主は息子である事代主に問え、とだけ言い与え、再び姿を隠してしまった。
天津彦と稲飯は事代主の居所を探し、突き止め、面会を申し入れた。
事代主は天津彦よりも少し年上で、父主とは違い、遠来の客人の話を聞く耳を持っていた。
天津彦は天孫族の日向における境遇、果てしない航路への出立、真秀場での新しい天地の開拓のすべてを話した。
声に含まれた天津彦の誠実さ、果てしない壮途に就く勇ましさに感動した事代主は、たちまち天津彦と意気投合した。
吉備との関係修復を約した事代主は、その証として、長女である五十鈴媛を天津彦に娶した。天津彦にはすでに吾平津媛という妻があり、長子の手研を設けていたが、心の中で妻子に謝罪しながら、五十鈴媛を正室に迎えた。
出雲の次期首長と目される事代主の長女を正室として連れ帰った天津彦に、吉備主はさっそく武具と舟とを供与した。その対応のすばやさは、天津彦の吉備に与える影響の大きさを怖れたことによる。
天津彦が不在の三年間、天孫族が吉備の人々に見せた水稲農法はまさに魔術であった。自生する陸稲の実を収穫する程度の知識は吉備にもあったが、人の力で黄金色に輝く稲穂を生み出すのは、吉備の人にとっては理解を超えた神威であった。その神威に魅せられているうえに、このたびの天津彦の帰還である。吉備の長年の懸念であった出雲との関係修復を果たし、その証として事代主の長女を連れ帰った天津彦に、下手をすれば吉備を乗っ取られかねない。
吉備主の恐れは、天津彦が一目で満足する優れた武具と舟という形で現出された。
こうして天孫族は真新しい舟の舳先を並べ、豊葦瑞穂原への新たな航路に踏み出したのだが、彼らが目指す大地が無人であったわけではない。
天津彦と天孫族とが空想していた豊葦瑞穂原は、山門という名で実在していた。そこの大地は水が豊かで、生命を育む沃土が広がり、季節の移ろいとともに草花の彩りを替え、秋ともなると黄金色の海原のような葦原が細波を立てる。確かに、豊葦瑞穂原であった。
しかし天津彦と天孫族の空想を現実化させたのは、その麗しき大地ではなく、そこに人が住むという歴然たる事実であった。
山門に暮らす人々にとって遠霞に天地を画する雅やかな青垣山は、領域外の人間には進入を峻厳と拒む巍々(ぎぎ)たる山塊として立ちはだかる。斑鳩族を興した初代の饒速日も、巨大な大地の隆起に敢然と挑んだ。
饒速日は天磐船と呼ばれた堅牢な舟で川を遡ったが、天津彦は山を越えようとした。豊葦瑞穂原から海に流れ込む川、つまり山門川は流れが速く、遡って舟を進ませる操船技術が天孫族にはなかった。海路を先導してきた珍彦も、潮流を読み、海面に現れない暗礁を透かし見る術には優れていたが、川を遡る術は知らない。
天孫族は、海が陸地を大きく切り込んだ湾の奥まで舟で進み、白肩という地に上陸した。
上陸して初めて彼らの真秀場に先住民がいることを知ったわけではない。
天津彦が弟の稲飯とともに出雲に出向している間、天孫族を任されていた手研は、族人のうち目端の利く者を選び、事前に彼らの目的地の下調べをさせていた。
手研は天津彦の長子らしく指導力があり、また丁寧に族人に接していたので、人望は厚かった。だが彼は族人の前では叔母にあたる狭野を立てて、一歩引く姿勢を保っていた。手研の生来の謙虚さもあるが、彼は十ほども年下の叔母に、特別な力を見ていた。
天津彦が長い航路に出る族人を鼓舞するために、彼らの始祖として天照を持ち出したが、日を象徴するその天神は、筑紫洲の諸族が共通に崇める最上位の霊体であった。
天孫族の母体というべき日向の高千穂族は、もともと火峯を崇めていた。火と日は彼らにとって同義語で、火を通じて日を象徴する天照を崇めた。
手研は、狭野こそが天照にもっとも強く感応し、もっとも強くその力を具現化する人物ではないかと密かに考えており、狭野に潜在する力をもっとも早く見いだし、そしてその力の発露後は最後までそれを信奉した人物だ。
さて、手研が派遣した族人は、彼らの真秀場の先住民について、詳細な報告をもたらした。それにより、豊葦瑞穂原は未開の楽園ではなく、すでに高度な文明と整った政体があると判明した。その政体の中核となる斑鳩族の首長である饒速日が、絶対的な権力で諸族を服さしめていることも知った。
父の不在中に斑鳩族と交渉するのは越権行為であるため、手研は情報を集めながら、父の帰りを待った。
天津彦が出雲から帰ってくると、手研はさっそく集めた情報を報告した。その場で手研は、彼にとっては彼が集めた情報よりも重い報告を、父からもたらされることになった。
天津彦は出雲の事代主の娘である五十鈴姫を正妃に迎えたという。それはつまり、手研の母である吾平津媛が側室の立場に追いやられるということであり、手研自身が天津彦の嫡子ではなくなるということである。
足元が消えて無くなったような喪失感を味わった手研だが、彼は恨みがましいことはひと言も口にせず、ただ父が正妃を迎えたことを言祝いだ。そしてその言祝ぎに背かない態度で、実母に仕えるようにして五十鈴姫に仕えた。手研はそういう人物である。
真秀場の実情を知った天津彦は、さっそく使者を山門に送った。できれば共存したい。山門にもしもまだ人の住まぬ地があれば、狭くともそこを借り受けたい。
手研の集めた情報によれば、斑鳩族の首長である饒速日は山門主として諸族から崇められており、その身は隠身として人前に現れることは希だという。実際に山門の祭政を司っているのは御言持であるという。天津彦は御言持にあてて使者を送った。その使者を最初に迎えた生駒山の守人が登美族の男であったことが、山門の諸族と天孫族にとっての不幸だった。
天孫族の使者を生駒山に待たせた守人は、使者が会いたがっている御言持ではなく、登美族の主のもとへ走った。そうせよ、と予め強く命じられていたからだ。
守人から報告をうけた登美族の首長、つまり登美彦は、眼孔の奥に妖しい光を浮かべた。
天孫族の使者を登美族の本拠に導かせた登美彦は、密かに、使者を引見した。
山門主たる饒速日の最側近である、と自らの地位を示した登美彦は、使者に偽の情報を流し込んだ。
つまり、こうである。山門の宰相たる春日族の御言持は失政を続け、山門の諸族はそれを咎めて、政体はいまにも瓦解しそうであること。山門の諸族は互いに疑心暗鬼していること。山門主は現状に心を痛め、春日族に代わる強い勢力の出現を希望していること。天孫族がもしも強い指導力で山門を取りまとめてくれるのであれば、登美族は全面的に天孫族を支援すること。
偽の情報を抱えた使者は、喜び勇んで天津彦のもとへ走った。登美彦は、さらなる手土産を持たせるように、
「よろしいか。山門主に正式の使者を送られるときは、貴族の力が山門を凌駕することを十分に示されよ。山門は今、力あるものの出現を待ち望んでいます。尊大なほどに、ただ力だけを示されよ」
と、助言した。
使者から報告を受けた天津彦は、平時であれば、彼らにとっての美味い話を鵜呑みにはしなかっただろう。しかしこのとき天津彦は焦っていた。天津彦は、族人に約束した真秀場を彼らに与えなければならないのだ。無用の戦いがなく、堂々と山門に乗り込めるなら、それほど良いことはない。山門の有力氏族からの助力の申し出は、祖霊の加護のたまものだと天津彦は信じた。
山門の持傾頭の陥穽が待ち受けていることを知らず、天孫族は意気揚々と吉備を出立した。
白肩に天孫族を上陸させた天津彦は、さっそく二度目の使者を送った。登美彦から力を示せと助言されていたが、念のため大勢を差し向けず、使者とその従者のみとした。ただし、使者は武装しており、口上させるその内容には恫喝を含めさせた。天孫族の上陸時、その船団を遠目に見た山門の津の出先機関は、津令も渡子も、役人という役人はすべて脱兎を追い越すような速さで逃げている。脅威は十分に伝わっているはずであり、武張った使者の口上で、山門の諸族は戦意を喪失するのではないか。
しかし、天津彦の希望は打ち砕かれた。
ほうほうの体で逃げ帰ってきた使者は、自分の肩に首が乗っているのが不思議なくらいの山門の険悪さを天津彦に伝えた。使者によれば、山門の政体を実際に運営しているのは御言持という職にある人物で、彼は一戦も辞さない物言いであったという。一度目の使者を引見したという山門主の最側近は、ひと言も弁護をしてくれなかった。
天津彦は混乱した。状況が把握できない。かろうじて理解できたのは、事態を収拾しなければならない、ということだ。
「すみやかに無礼を詫びましょう」
手研は我を失いかけている父に助言した。
「謝罪は受け入れられるだろうか」
「わかりませんが、謝罪の姿勢を見せれば耳を傾ける者はいるはずです」
「それから、どうする」
「吉備と同じ手法を用いましょう」
天孫族の秘術ともいうべき水稲農法で、山門の怒りを喜びにかえる。手研はそう言った。ただし、水田を現出させている暇はないので、弁舌のすぐれた族人を派遣し、水稲農法の無限の可能性を語らせれば、我らに傾けられる耳の数はきっと増えるはずだ。手研は父を励ました。
「共存共栄こそ吾の望むところだ」
天津彦はさっそく弁舌の立つ族人を探すように指示しようとした。その父の指の前に、手研が立った。
「わたくしにお命じください」
手研は言った。天津彦はためらった。危険すぎるからだ。山門の怒りを買っている以上、次の使者は現れるなり殺される可能性がある。だが吉備での三年間、族人を指導して水田を切り拓き、吉備族を魅了したのは手研だ。三度目の使者に、彼以上に相応しい者はいない。
手研は出発した。従者が一人だけ同行した。
手研は武具の類いは一切身につけず、大真帝国風の緩やかな服装に身を包んだ。
山門を護る青垣山を越えると、手研は、まるで雨を含んだ黒雲に分け入るような圧迫感を、目に見えない空気に感じた。それは山門の朝廷で沸き返っているだろう怒りが空気を熱しているからかもしれないが、少し違うように手研には思えた。いずれにしろ気を張らねばならない、と手研は自分を戒めた。
山門の首邑である斑鳩の山門大宮に到着した手研は、その規模と壮麗さは、筑紫洲で大真の文化を輸入している伊都族や奴族の首邑にも引けを取らない、と圧倒された。
濠に架けられた橋から白砂の敷かれた斎庭に至るまで、手研は剣の刃の上を歩くような心地がした。
山門の貴人が整列し、その周りを銅矛を携えた衛士がぐるりと取り巻いている。
正面に千木を高くそびえさせた宮居があり、引橋が緩やかに斎庭まで下ろされている。ここが山門の中枢部である朝庭である。
引橋の上がり口に立つ人物が、手研の意識を惹いた。冷たい視線を手研に向ける貴人のなかで、彼だけが温和なまなざしをしていた。しかし手研は直感した。この人物こそが、天孫族にとっての最大の障壁であろうと。
その人物は自らを山門の御言持、彦大日日であると名乗った後、手研に口上を許した。
「貴国の地と川を見ると、土と水から無限の糧を生み出す水田に最も適しているようです。天孫族には優れたその技術があります。あなた方にもお伝えするので、共に力を合わせて豊かな生活を築こうではありませんか」
手研の望みは天津彦と同じだ。嘘偽りなく、この豊葦瑞穂原で、山門人と共存共栄したいと願っている。その思いを、真摯に言霊として発したつもりだ。
手研は水稲農法について説いた。実際に水田に実る黄金色の稲穂を見せるのが一番良いが、そんな時間も土地もない。それでも手研はできるだけ具体的な表現を用いながら、彼らの秘術のすばらしさを知らしめようとした。
しかし、手研が口を極めれば極めるほど、山門の貴人は生理的な嫌悪感を強くした。
「鹿や猪、川魚や木の実などは天地山川からの恵みであり、天神地祇の恩恵によるものだ。天地に人為を加え、人の都合により操作することは、とりもなおさず、天神地祇の恩恵の放棄を宣言するものではないか」
ある貴人が鋭く声を挙げた。
山門にも、原始的な農業はある。大宮の郊外に暮らす人々の中には、原生している陸稲や豆類の生育を手助けする程度の農法で収穫を得ている者もいる。山門はそこに税をかけ、不安定ながらも収入としている。
しかし一人の貴人の声が、山門朝廷の感情を表わしていた。
口をへの字にゆがめた貴人たちの目は針を含んだように手研にとって痛かったが、ただ御言持の大日だけは、真実を見極めようとするまなざしで手研を見つめていた。
「穀物の種は大地から育ち、日光や慈雨は天から降り注ぐ。農もまた、天神地祇の恩恵が不可欠だ。人為は、恩恵をあまねく人々に広げる工夫にすぎない。そうは考えられぬだろうか」
自己に問いかけるような大日の発言は、手研にとって天与の声だった。その声が少しでも広がるように、手研は祈るしかなかった。
大彦が大日の発言を大声で押し広げると、山門朝廷における朝議は紛糾し、手研へは、回答はおって伝えるという言葉が授けられた。
矛に脅かされることなく、手研は大宮をあとにした。
手研は父に首尾を報告した。
「そうか」
そうつぶやいて目を閉じた天津彦は、目を開くや行動を起こした。
天津彦は、山を越えて山門に進入するための道を探らせた。すでに主道というべき孔舎衛坂の存在は把握していたが、間道を探したのだ。
一朝、開戦となった場合、主道である孔舎衛坂を山門の主力が塞ぐことは明らかだ。山門からの吉凶の回答を待つ間、天津彦としては手をこまねいているつもりはない。
しかし、天津彦のもとへ帰ってきた族人たちは、揃って首を振った。
間道がないわけではない。むしろ山越えの道は無数にある。だが、武装した千を越える兵が通りうる道は限られており、そのいずれにも守塁が既に築かれていた。
ここにおいてようやく天津彦は、一度目の使者が対面した山門主の最側近を名乗る人物に、見事に踊らされたことに気がついた。
山門主の最側近は、最初から天孫族を追い払う腹づもりだったのだ。山門人を怒らせ、天孫族はその対応に追われているうちに、間道を全て塞いでしまった。
「吾もやはり父上の子か」
嘲るような、安堵するような、不可思議な笑みを天津彦は浮かべた。外交は巧くない、と自らを評価したのだ。
天津彦を名乗る前の五瀬は、日向を治める父の平和主義を軟弱と心中で詰っていた。父の平和主義は高千穂族を追い込んだが、自分もまた甘い観測で天孫族を追い込もうとしている。
山門からの回答がもたらされた。断固とした拒否である。
天津彦は決然と立った。
もはや干戈をもって押し進むしかない。天孫族に帰る場所はないのだ。
天津彦の感情が、天孫族に伝播した。男たちは、妻子が幸せに暮らせる大地を手にするため、武具を取った。
勝算はある。
地の利は山門に占められることになるが、天孫族の切り札は、なにも水稲農法だけではない。
天孫族には鉄の武具がある。製鉄は、大真から筑紫洲に伝わった最新の技術だ。吉備で三年を過ごしたとき、出雲の事代主の娘である五十鈴媛を天津彦は娶ったが、もともとその娘はたたら製鉄の一族に嫁ぐ予定だった。たたら製鉄の一族には妹の五十鈴依媛が嫁いだが、その関係で、天津彦は良質の鉄を手に入れていた。
鉄の剣は銅を断ち割り、鉄の矢は大岩を貫く。さらには吉備主が供与した良質の武具もある。
天津彦に従って海を渡り来たった天孫族は一万人を越えている。そのうちの半数の男を兵とすると、その数は五千となる。山門の兵力がどれほどか確たることは分からないが、複数の間道に守塁を築き兵を籠めている以上、主道の孔舎衛坂に立ち塞がるのはせいぜい二千から三千程度であろう、と天津彦は脳裏に軍立てを描いた。
敵は分散、こちらは一点突破。勝機はそこにある。天津彦はそう信じた。信じ切った方が勝つ。天津彦にはそう祈るしかなかった。
未明、暁暗から現れた鉄の兵団は、孔舎衛坂に押し寄せた。
山門の回答が至ってから軍を取りまとめ、出陣するまでの経過は速やかだった。天孫族の誰もが、この戦いが乾坤一擲であることを理解していた。
天津彦は、あるいは山門が孔舎衛坂の守りを固める前に突破できるのではないかと考えたが、予想通り、坂の頂に翻る山門の旗はわずかだった。
「およそ三百」
斥候はそう報告した。
突破できる。そう判断した天津彦は、兵たちに突撃を命じた。
天孫族にとっての最大の不幸は、坂の頂に陣取るわずか三百の兵が山門の精鋭である春日族の兵であり、それを率いているのが大彦であることだった。
大彦は春日の大磐と山門人に畏怖される勇者だったが、天孫の兵たちは、まさに転がり落ちる大磐に粉砕された。
天孫族は二度攻め上がり、二度とも蹴落とされた。
春日の大磐と共に天孫の兵を怖れさせたのが、春日の騎兵だった。馬の背に乗って駆け込んでくる戦法は、筑紫洲でも見られなかった。
大磐と騎兵に悩まされているうちに、山門の本隊が現れた。
「化け物どもめ」
罵るしかできない天津彦は、その後、矢合わせだけを行わせ、その日の戦いを終えた。
鉄の武具だけでは山門を凌駕できないことを知った天津彦は、日が暮れると、族人の中から鬼道を使う祝者や巫女を集めた。
鬼道、つまり呪術だ。巫術や占術をその中に含めることもあるが、要するに、霊なる存在に直接働きかけて、人の道理によらぬ現象を生じせしめる技だ。
天津彦は大真帝国の文化の香りが届く筑紫洲に産まれたため、人の理解が届く道理で物事を進めたい。しかし、人の道理で打ち破れぬ壁が目の前にある以上、それを打ち破る他の力に頼らざるを得なかった。
天津彦は集めた祝者、巫女に、敵陣を呪わせた。
効果はなかった。山門にも優れた呪術があることを知ったのみだ。大陸文化の風が吹かないぶん山門の空気はまだ素朴で、むしろ山門の呪術のほうが優れているかもしれない。天津彦はそう感じた。
翌日、天孫族は戦法を変えた。やみくもに突撃するのを止め、土嚢を担いで坂に拠点を作り、その拠点を少しずつ坂の上方へ移動させていった。
その戦法は一定の効果をみせた。山門の騎兵は土嚢により馬足を遮られ、速さを活かすことができない。前日、おそろしい暴威で天孫族を苦しめた山門の大男も、土嚢で取り囲み、あと少しで射殺せるところだった。
天孫族は勢いに乗りかけたが、山門も戦法を変えた。
戦闘巫女というべき媚の一隊が出てきた。彼女たちは眉に呪飾を施すことによって眼力を高め、呪力を増幅させている。
古来、戦は媚同士による呪術合戦で幕を開けた。しかし、彼女たちの多くは年若く、呪術合戦のあとの肉弾戦で必ず犠牲になった。戦いのあとの戦場は惨たらしいものだが、そこにうら若い女の亡骸が混じっているのは、惨さの上に無道を重ねるような光景だった。そのため、天津彦の時代の筑紫洲では、戦に媚を用いることはなくなっている。
山門にはまだその風習が残っているか、山門もなりふり構っていられない状況にあるかのどちらかだろう、と天津彦は考えた。
天孫族もなりふり構っていられない。
祝者に命じて巫女の眉に呪飾を施させると、急ごしらえの媚隊を前線に押し出した。
呪術合戦になった。
うなりを上げて、火霊や雷火が飛び交った。
火柱が人を焼き、稲妻が人を打った。
風が人を切り裂き、大地が人を飲み込んだ。
急ごしらえながら、天孫族の媚たちは善戦した。術には劣るが、数は天孫が多い。このまま呪術で押せるか、と天津彦は期待した。
しかし、山門の都督は、天津彦を上回っていた。彼は、呪術合戦によって、騎馬の進撃に邪魔な土嚢の壁を消滅させていた。
山全体を響めかすような地響きを立てて、山門の騎馬隊が孔舎衛坂を逆落としに駆け下ってきた。
天孫族の媚たちはあるいは矛に貫かれ、あるいは剣を受け、あるいは馬蹄にかけられた。古来の筑紫洲の人々が悲嘆した光景が再現されたのだ。
媚たちを蹂躙した山門の騎馬が天孫族に襲いかかる。
天孫族の男たちは死兵となって死力を尽くし、山門の騎馬に立ち向かった。
天津彦は生き残った弓兵を集め、水平射撃を命じた。味方の兵もろともに、山門の騎馬を撃ったのだ。
天津彦は、彼の周りを固めていた屈強の男たちを率い、その戦闘に立って阿鼻叫喚の場に押し出した。天津彦自身が死力を振り絞らなければならない戦況だった。
天津彦は無心で鉄剣を振るった。斬り伏せた山門兵の顔は覚えていない。
天津彦は無音の中にいた。喊声も断末魔も聞こえない。
無音の空間は、戦場を支配していた。
その無音の中を、一本の矢が飛来した。その矢は、山門の都督、御言持にして春日族の氏上、大日の勝軍木の弓から放たれた一矢だった。
無音を貫いた矢は、天津彦の胸に吸い込まれた。
この日の戦いは、それで終わった。
首長を射倒された天孫族は早急に戦意を喪ったが、山門も撤兵した。山門の兵たちも限界を超えていたのだ。
翌日、戦線に立つ天孫族の目は虚ろだった。
勝敗は前日に決していた。柱石を喪った天孫族は、瓦解の時を迎えるために戦わなければならない。
しかし、天孫族の人々はこの朝に知った。天孫族には柱石がもうひとつあったということを。この日、彼らの太陽は空になく、大地に、彼らの目の前にあった。
狭野姫である。天津彦とは父子ほどに年の離れた妹。数え僅かに十二歳の少女だ。日輪のように美しくありながら、男勝りに腕白で、周囲に男として扱うよう強制する風変わりな少女である。
「汝どもの真秀場はどこにあるのです。我が兄、天津彦の脳裏にあるのですか。汝どもの夢の中にあるのですか。そうではありません。我らの真秀場は、この坂の向こうにあるのです。汝どもの|愛する人≪いとこ≫が豊に暮らす大地は、この坂の向こうにあるのです。矛を構えなさい、兵。踏み出しなさい、兄弟。我らの真秀場所の在処を指し示す指は、まだここにあるのです」
狭野姫は今朝の日が射したばかりの孔舎衛坂の頂を指さした。
少女の可憐な指。しかし天孫族の兵たちの目には巨大な光の矢のように映った。
古昔、天孫族の前身である高千穂族は火峯を信奉し、火は日に通じることから、日を司る天照を崇めた。天津彦が万里の航路に旅立つ直前、妹に天照の降臨を見たように、天孫族は天照の化身に道を指し示されたのだ。
「さぁ、おれたちの家に帰るぞ」
大声を挙げて、最前線に立ったのは稲飯だ。天津彦の弟である。彼は当初、兄が企図した東征には懐疑的だったが、出雲にも同行して兄の事業を助けてきた。天孫族を奮い立たせたのは妹の狭野姫だが、実際に兵を率いるのは稲飯しかいない。
こうして三日目の戦いが始まった。
稲飯から後方に下がるよう命じられた狭野姫は、不満顔で珍彦を呼んだ。天孫族の旅立ちの当初、航路の案内人を買って出て、天津彦に臣従した若者だ。彼は上陸して以来、狭野姫の護衛を命じられていた。
「お呼びでございますか、日女」
参上した珍彦の左頬が軽快な音を立てて鳴った。狭野姫は、自分を日女と呼ぶ者をぶつことにしている。彼女はその美しい容姿とはうらはらに勇者に憧れ、周囲の人間には自分を日子と呼ぶよう強制している。彼女を女性扱いして許されるのは、父母と兄だけだ。
「生き残った祝者のうち、勇気ある者を選びなさい」
と、狭野姫は珍彦に命じた。
「どうなさるのです」
「決まっているではありませんか」
「どのように決まっているのでございますか」
「ぐずだこと。いい。坂の上の野蛮な土蜘蛛どもは、前方の兄の兵だけに気を取られています。きっと、愚かにも背後の備えを怠っていることでしょう。わたくしとあなた、そして勇気ある祝者たちは坂を迂回して、土蜘蛛どもの背後を衝くのです」
狭野姫は山門人を土蜘蛛と蔑む。彼女の考えでは、蔑まなければ剣を突き刺すべき敵として見れない。
狭野姫の呼びかけに応じた者は、死地に飛び込まなければならないにも関わらず、五十人もいた。風変わりではあるが、彼女が愛されているということだ。
狭野姫はその一団を引き連れて、坂を迂回し、急斜面の山をよじのぼって、山門軍の背後に出た。
背後からの奇襲は、山門を大いに動揺させた。山門の総大将である都督を討ち取る寸前まで追い込んだ。
しかし、突如として空から降ってきた妙な三人組によって、天孫族の絶対的な勝機は消滅した。それどころか、妙な三人組の一人が持つ白銅の鏡から現れた天神によって、天孫族は戦意を喪失した。
首長が倒れた現実と、山門側に立った天神の光り輝く姿の向こうに、天孫族は彼らの理想郷が夢と消えたことを知った。
さらに決定的な事態が天孫族を襲った。おびただしい数の舟が山門川を下り、白肩に停泊している天孫族の船団を襲う構えを見せている、と報告が入った。
天孫族の船団の停泊地には彼らの妻子がいる。天孫の男たちは、もはや戦線を維持するどころではなかった。
結局、山門川を下ってきた山門の水軍は、天孫族の家族を襲うことはなかった。それでも、天孫族は瓦解した。
夕まぐれである。
兵やその家族を収容した天孫族の船団は、散り散りばらばらの孤影となって海原を染める夕日に吸い込まれていった。
こうして孔舎衛坂の戦いは終わった。山門は故郷を護り、天孫族は故郷となるべき天地を失った。
次々と津を出て行く舟の最後の一艘は、一人の人物が乗り込むのを待っていた。その人は、夕日に照らされた山河を見つめている。
「日女、お早く」
そう言った珍彦の額が、軽く小突かれた。狭野姫だ。
「まだ終わりではありませんよ」
そう言って、狭野姫は最後の一艘に乗り込んだ。
山門への侵略者として現れた天孫族。しかし彼らには彼らの真実があった。
天孫族は彼らの柱石を孔舎衛坂の戦いで喪ったが、はからずもその悲劇が偉大なる指導者を産む。




