山門編-失われた天地の章(2)-夜色の少女
<これまでのあらすじ>
光と命が豊かな豊秋島。そこには天と地の八百万の神々と、呪いと鏡の力を駆使する人々とが暮らしていた。
俳優の少年、御統は、旅芸人一座の輪熊座と共に、山門の都へ向かっている。
陽気な夕餉を終えた輪熊座は眠りにつく。真夜中に眠りから覚めた御統は、誰かが輪熊座を訪れた痕跡を見つけた。
≪是非ご一読ください。よろしければ、ご感想、ご評価をお願いします!≫
<人物紹介>
御統
俳優の少年。輪熊座の有望株。軽業と戯馬の腕前は抜群。
輪熊
旅芸人一座、輪熊座の親方。山賊のような風貌で、胸に三日月型の傷痕がある。芸と儲けにはがめついが、面倒見はよい。
靫翁
輪熊座の座員。輪熊とは古い付き合い。老人だが肉体は強靭で、強い矢を放つ。
鹿高
妙齢の女性。美形だが口と態度は悪い。女性座員の頭領格で、年端のいかない者には分けへだてなく優しい。
旅人の朝は早い。朝まだきの寝ぼけた光が山々の輪郭をようやくなぞりはじめた頃には、旅人は朝食の炊煙を上げる。
御統は昨日の夕べに輪熊と腰掛けていた巨岩にのぼり、朝の光が彼の銅鏡にきらきらと反射するのを所在なげに見ていた。
輪熊一座の全員が野宿の片付けや朝食の支度に忙しいなかで、御統一人が遊んでいたわけではない。彼なりに役立とうとこころみたのだが、幕舎の支柱を二本折ったところで、どこかでじっと静かにしておいてほしいと懇請されたのだ。
輪熊一座は、今日は山門とよばれる天地を縁取る山をいよいよ下り、野宿をもう一泊重ねて、明日には斑鳩に入る。その予定を、副団長格の靫翁がやかましく発表すると、
「朝からがならんでくれ。頭にひびいてたまらん」
と、二日酔いらしい輪熊が弱々しい声で訴えたものだから、一座には苦笑やら失笑やらが広がり、鹿高が甕いっぱいに汲んできた山奥の清水を輪熊の頭からぶっかけるに及んで大爆笑となった。
今日も輪熊一座は平穏そのものだ。長い旅があと一日で終わるとなれば、自然、座員の心も浮き立つ。山門大宮での興業の成否と新しい生活とに不安はつきまとうが、ともかくも夜露に濡れて眠る生活が終わるのは待ち遠しいことだった。
そんなわけで、輪熊一座の上空には桃色の紗がかかっているかのような朗らかさだったが、御統は一人、その蚊帳の外にいた。といって、別に孤独を託っていたわけではなく、考え事をしていたのだ。
何かと面倒を起こすので、『御統の考え事』といえば何か不吉の前兆のように輪熊一座ではとらえられがちな今日だが、もちろん悪いことを考えているわけではない。昨晩の出会いのことを思い起こしているだけだ。
出会い、と御統は確信しているが、明確な人物像がその対象にあるわけではない。夜の闇の中で、ついぞその正体を突き止めることはできなかったが、あの落っこちた星のような輝く二つの眼の持ち主は、きっと自分にとって良いことを運んできてくれたと信じている。鹿高も良い出会いの前兆だと、理由もなく高鳴った御統の鼓動をそう分析したではないか。
「まったく、ひどい目に遭った」
不平と一緒に巨岩に登ってきたのは輪熊だ。全身、濡れそぼっている。
輪熊は先客の御統を尻で押し退けながら、巨岩のうえで身体を大の字にした。陽の光で、濡れそぼった体を天日干ししようというのだろう。なるほど、弱々しかった朝まだきの光は、いつのまにか強く大地を射すようになっている。
朝の光が降り注ぐと、同時に朝霧が立ち上がった。つまり、今日も晴れるということだ。
「急げば、今日中には着くんじゃないかな」
御統は思い付きを言ってみた。今は濃い朝霧の下に沈んでいるが、昨日の夕べに見た山門の大地は、広い盆地ではあるが、健脚ぞろいの輪熊一座が一日で踏破できない奥行きではないように思えた。
「そりゃおめぇ、高地から見下ろせば、なんでも近くにあるように見えるもんだ」
ところが実際に大地に足を下ろせば、掴めそうな近さにあった目的地は霞や陽炎の向こうに消える。翼を持たないものは、大地の広大さを、視覚ではなく、一歩ずつ歩を重ねる足の疲労で知るのだ。そうであるからこそ、人は、高みに立って大地を見晴るかしたとき、突き抜けるような爽快感を味わうのだ。
「山門には川が多いし、集落もある」
だから旅の足を急がせるわけにはいかない、と輪熊は言う。それで御統にとっては腑に落ちる話なのだが、補足すればこうだ。森羅万象に神々が宿ると信じられていたこの時代、旅路に酒をまいて浄めるように、川を渡るには河伯の許しを得なければならない。通常、宝物を川底に沈めることによって河泊の許しを請うのがしきたりだが、旅人が裕福であるとは限らず、輪熊一座のように高価な宝物を段取りできない場合には、鹿などの野の獣を捕らえて、生け贄として沈めることになる。野の獣にとってはまったく迷惑千万な風習だが、いちいち狩りをするうえに生け贄の儀式を行わなければならないので、渡河は、実際に川を渡る作業よりも時間がかかるのだ。
さらには集落だ。大概の場合、集落を営む人々は内と外との境を設ける。通常は濠や壕という土木作業で内と外の境を表現する。集落に暮らす人々にとって、境の外は穢れの世界だ。集落の外から来る者は、穢れを持ち運ぶ者に他ならない。だから穢れを集落に持ち込まれないために、境の外に呪いを施す。呪いを解かずに境を越えた集落部外者は苦しめられる、と信じられた。いつの時代も、呪いには霊験あらたかなものと、そうでもないものとが玉石混淆するのが常だ。とはいっても、どこの集落の呪いが当たりか外れかの見分けはつかず、当たりの呪いが施された境をうっかり踏み越えでもしたら、旅人にとっては迷惑なことこの上ない。ということで、旅人には呼見という作業が必須になる。目の周りに隈取りや文様を施して眼力を高めた巫女が、境を『見る』ことによって呪いを無効化するという作業だ。そのため、輪熊一座にも、巫女役を務める女座員がいる。ばからしい迷信と言い捨ててしまえばそれまでのことだが、御統の時代の人間は、皆、大まじめでそう考えていた。そして確かに、修行を重ねた者の呪いには効力があった時代だ。神々がまだ、天地の間に大いなる関心を持っていた時代なのだ。
さて、背景解説が長くなったが、ともかくも、輪熊一座は出立した。
まず輪熊が、甕の中の酒を径に振りまく。穢れを除き、地祇を寿ぐのだ。その後、花のように美しく着飾り、目の周りを隈取りした巫女役の女座員を先頭にして、輪熊一座は牛車の音も厳かに、今日の旅路についた。
春霞にけむる山径をおりていく。木蓮、辛夷、山桜などの花回廊をくぐっていく長閑な旅路だ。
座員はだれも、輪熊や鹿高も例外でなく、割り当てられた荷物を背負い、または牛車に付き添っている。御統は、青鹿毛の馬を牽いている。翠雨という名のその馬は、御統の戯馬の相棒だ。翠雨の背に乗って、御統は誰もが驚くような曲芸乗りを披露する。輪熊座自慢の演目だ。
ところで、青鹿毛の馬といえば、青い馬体を思いたくなるが、実際は限りなく黒に近い。ちなみに、青毛となれば、馬の中で最も黒い種類になる。馬の毛色定義の不思議なところだが、光降り注ぐ草原を駆け抜ける姿を脳裏に描けば、馬体に光が踊って輝く青に見えるという光景は、難しい想像ではない。そういうわけで、翠雨の馬体も、草原を馳せれば、翠い雨に濡れたような光を放つ。川石にとどまり、水しぶきに濡れた翡翠を思い浮かべてもいい。
御統は、翠雨の首の辺りをなでながら歩く。まだ若駒だ。御統の知った話ではないが、豊秋島の野生の馬は、西の海の果ての大陸の馬とくらべて、寸胴で脚が短い。だが翠雨は、豊秋島産馬系の家族的伝統を無視したように、脚も首も長く、牝鹿のような細身の身体に、牡鹿のような逞しい肉筋を浮かべている。大陸から連れてこられた種の末なのかもしれない。
それはともかく、御統と翠雨の前を、厳めしく護られた牛車が一台、車輪の音も重々しく進んでいる。荷台は幌をかけるかわりに堅い樫の木材で覆われており、ふらち者がうっかり中を覗きこまないように呪飾の文様が巡らせてある。
宝物を運んでいる。とはいっても、所詮は旅芸人一座の虎の子品で、貧乏人の一張羅とかわらず、せいぜいが舞台での輪熊の衣装や、芸道具のうちの多少値の張る類いのもので、盗賊の嗅覚を刺激するような代物は秘蔵されていない。ただし、それも芸道具の一種なのだが、数枚の銅鏡が、これも樫の木箱に納められており、曲がりなりにも宝物といえるものはそれくらいのしがなさだった。
山径を下るにしたがって朝霧が薄まり、日射しが強くなってきた。予想どおり、間もなく頭上に晴天が広がるだろう。
宝物を積んだ牛車が揺れる度にきらきらと光を放つように思えるのは、木箱の中に銅鏡が納められていることを知る者の錯覚だろうが、御統の腰にさげられた小さな銅鏡は現実の光を散らしている。
いつの時代にも、その時を生きる者のうち特殊な者だけが理解し、作り出すことのできる技術がある。御統の時代にあっては、銅鏡がそのひとつだ。
銅に錫を混ぜて鋳あげる銅鏡製作の技能は、豊秋島で生まれたのではなく、西の海の果ての大陸からの渡来人によって伝えられた。当然、庶民の日用品ではなく、貴人にとっても飛び出しすぎた目の玉が行方不明になるほど、値の張る代物だ。土地と人とを治める主やら首やらと称えられる畏き辺りがようやく保持し、人々を宗教的幻想にくるみ込んで自らの権威を認めさせる宗教儀礼に用いる財宝中の財宝だ。
その貴重さから、首領の墓などにひっそりと埋葬された銅鏡は、はるかな後世に青銅鏡として発掘されることがあるが、その名の由来である鈍い青色は錆の一種である緑青が浮き出たものであり、鋳あげられたばかりの銅鏡は白銀色もしくは黄金色に輝き、太陽にかざして放たれた光輝による宗教的演出は、治められる側の人々の目を眩ませるに十分な効果を発揮した。
要するに、銅鏡はこの時代の最高級品だということだが、いびつで雑な模倣品程度なら興業で一山当てたあたりの旅芸人一座が所有することがあるものの、精緻な浮き彫りが施され、酢漿草や石榴で磨きに磨かれたような真円の銅鏡は、庶民の手には一生ふれられることはない。そういう社会的常識の観点からみれば、御統の腰できらきら揺れる銅鏡は、どう考えても次元のずれた異様さの産物だった。
ところで、鏡に人の姿を映して身繕いに用いるようになるのはずっと後の時代のことで、御統の時代の銅鏡は人の姿などを映すものではない。神の姿を映すのだ。より正確には、神がこの世界に及ぼす不可思議で不可避、不可抗な現象を映すのだ。畏き辺りの人物が太陽の光を反射させるなどは、まさに本来用途といえる。荘厳で美しい光の放射に、人々は神の力をみるのである。
それがそうであるとして、社会的常識人から、それは異様なことだと面向かって指さされたとしても、御統としては鼻息であしらうほかはない。だれにどういわれようとも、腰に提げた銅鏡は御統のものだ。物心ついたときから、いや輪熊に言わせれば、生まれたときから御統はその銅鏡と一緒だったのだ。襁褓の柔らかさや温もりよりも、金属の固さや冷ややかさを先に体感したといえる。
もはや体の一部のような銅鏡を手に取り、眺めてみる。
小ぶりの銅鏡だ。背面の中央にひもを通す鈕があり、その周囲に、二人の仙人と二匹の獣が、鏡体から飛び出しそうな躍動感で浮き彫りされている。ものぐさな御統が手入れらしい手入れもしていないにもかかわらず、反射面は、目に映らない精霊が両手に酢漿草と石榴を持ってこっそり磨き続けているかのように澄みやかで、人がまだ知らない湖の水面のような静けさだった。
白銀色の御統の銅鏡。神の力を映すというのなら、この白銅鏡はいったい何を映すのか。それは御統も知らない。手首を微妙にひねれば、手の中の銅鏡が光をあちこちに投げかけるのを、ただ楽しむのみだ。
霧が晴れ、手足をうんと伸ばした日の光が御統の銅鏡に跳ね、後続の座員の目を眩ませた。その座員が径に張りでた木の根につまずくと、その後続の座員がつまずいた座員にぶつかり、その後続の座員がさらにぶつかり、その後続の座員がさらにぶつかり、だんご状態になっているところへ、その後続の牛車の牛の角がだんごの尻に刺さったものだから、だんごは悲鳴を上げて、径の左側の、さほど高低はないとはいえ茨だらけの谷へ転げ落ちた。
御統はあわてて銅鏡をこっそり上衣の裾に隠し、何も見なかったことにして先を急いだ。
さて、春の日の大気は山腹に居てこそ肌寒いが、盆地におりると、それもずっと歩き通しであれば、汗が衣服の色を変えるほどの暑さになる。だから、目の前に川の流れが現れたとき、一座の誰からともなく歓声があがった。水を浴びたいし、水筒も満たしたい。ただ、彼等はしばしの我慢を強いられる。待て、の状態だ。
河伯の許しを得なければならない。つまりは川の神の許しということだが、川の神になぜ伯という爵が贈られているのかは、最初にそう名付けた者に問いただすほかはない。
手際良く、靫翁が子鹿を仕留めていたが、安全に渡河するためとはいえ、若い命を川に沈める作業は、座員一同を無口にさせた。肉は喰らうくせに偽善を晒すな、と吼える人物は、人情の機微がわからない輩なのだろう。その後に食肉とするにしても、生命の最後の声には、心臓を握られた痛みを覚えさせる力がある。だからこそ、生きる尊さを知るのだ。
とにかくも、そんな人情の機微のわからない輩が近くにいなくてよかった、と御統は傷む心の隅のほうで思った。もしもいたならば、ここは河原だ、投げつける石に事欠かない。
厳かに神祝ぎを唱える輪熊の声が、川面を流れていく。祝者や巫などの神職にある者のなかには、言葉に宿る言霊の姿をみることのできる能力を備えた者がいるが、残念ながら御統には、川面に照る日の光と遊ぶ言霊の姿は見えなかった。
輪熊一座が浅瀬を選んで、川を渡り始めた。飲み水を補充する者もいる。堅苦しく物悲しい儀式から解放された子どもらは、おおはしゃぎで水しぶきを上げている。
浅瀬は膝上ほどの深さだが、翠雨は水を怖がった。首筋を撫でてやった御統は、馬体に風が巻き付いたような軽やかさで翠雨の背にまたがった。背に乗った方が、心が通じ合うということがある。
この川の、初瀬という名を御統が知るのはこの日の夜になるが、水の温度から優しさと生命を育む力強さを感じた。青垣のような山並みに囲まれた山門の盆地を、この川が潤しているのだと思えば、この大地の豊かさを想うことができる。生命も豊かで、人も多く、人の営みの集合体たる邑も多いに違いなく、したがって、その中心の山門大宮の繁栄ぶりにも、想いは自ずからたどり着く。
渡り終えると、翠雨は身震いして水滴を払った。その動きに合わせるように、これも去る風のような爽やかさで、御統は翠雨の背から舞い降りた。そのときに、つい二回ほど宙返りをしてしまったのは彼の職業病だが、醒めた座員なら、
「回らんでええねん」
と、寸言を入れたかもしれない。
うららかな春の野を、影を連ねて輪熊一座は行く。
野末まで平らかに思えていた盆地は、実は起伏に富んでおり、初瀬川ほどではない細流が幾すじも流れている。川の水畔の丘状の高地には、必ずといってよいほど集落がある。壕や濠を巡らし、邑の規模を備えた集落は御統の計数能力の範囲内だが、規模の大小にかかわらず、彼等が集落の境界と規定するところには、形代や邪視文が描かれた木片やら石柱やらが立っている。
わずらわしい話だが、形代とは罪や穢れの身代わりとする人形のことで、邪視文とは侵入者を見つめる切れ長の目の文様のことだ。こういった境の呪いを無視したり、侮ったりすれば、
「えらいことになる」
と、信じられた。呪いには即効性のあるものは少なく、本当にえらいことになるのかどうかの検証は難しいが、この時代、人は簡単に病にかかり、あっけなく死んだ。その不幸の要因に呪いの効力があるとまことしやかに指摘されれば、それを否定する自然科学根拠に人々はまだ乏しかった。
であるからして、輪熊一座の先頭を、目の周りを隈取りした巫女役の女座員が行く。呪いを眼力で斥ける呼見という作業がなければ、この時代、そんな文化の外にいる野蛮人以外は、野原を自由に走り回ることもできない。眼力に自信のない者は、身体に魔除けの文身を入れる。御統も実は、右頬に小さく、勾玉形の文様を入れている。
日が大きく西に傾き、山の端や野末に赤みが立ち上がる頃、輪熊一座は今日の旅程を終えた。
翠雨を近くの細流に連れていき、水を飲ませた。体を拭ってやり、木櫛で毛並みを整えてやる。御統は自分のことには無頓着だが、翠雨の面倒はしっかりとみた。まるで、弟と思っているかのようだ。毛並みの手入れが終われば、翠雨は放してやる。自分で食べる草には事欠かない草原だし、食事を終えればきちんと帰ってくる行儀のよい馬だ。
川の少し下手で、一座の女童たちが水を汲んでいる。彼女たちの決められた仕事なのだろう、小さな土器に水をすくっては、大きな甕に注いでいる。甕は荷車に乗せてあり、水が満ちれば、彼女たちは力を合わせて荷車を引いて帰るのだ。
小さな子どもにも割り当てられた仕事がある。御統にはない。相棒の馬を洗っているだけだ。もっとも、輪熊あたりが御統に仕事を割り当てると提案したところで、座員一同から丁重にお断りされることは必然だ。
草地から立ち上る夜の青さのなかで健気に水を汲む女童の様子を見つめる。楽しそうだ。仕事は誇りを生む。輪熊と鹿高のもとでなら、子どもたちは大らかに、しかし誇り高く成長していく。御統の、子どもと大人の中間の目は、彼女たちの背景にそんな未来図を見た。
年長の女童は御統と同じ年頃だろう。優しげな横顔をしている。女性を求める成長段階に御統はまだ達していないが、そういえば男童の友人もいないことを、ほのかな疎外感と一緒に気づいた。
女童たちが歌を歌いながら、甕を引いていく。青と黒の中間色の夜が、彼女たちを包み込む。その向こうで、焚き火の灯りがいくつか浮かんだ。
気分をあらためようと、御統は遠くに目をやった。
虎の目の方角に、あかね色の夕靄を貫いて、黒々とした影がそびえ立っている。山門大宮の高楼だ。今は夕闇に染められているが、その高楼は、実は目の覚めるような赤に塗り上げられている。その鮮やかな光彩を目の当たりにするのは、明日のことだ。
径を急げば、夜の内にたどり着けない遠さではない。だが、夜間に、穢れにまみれた旅一座を受けいれる邑などはどこにもない。斑鳩だけでなく、山門全体を影響下におき、山門主と称えられる人物の首邑であるならなおさらだ。首邑は首都と言い換えてもよく、天邑と表現されることもある。
ところで、径は、山門大宮を遠望できるこの辺りでは、すでに道となっている。径はこみちのことで、獣みちを人の足が踏みならした程度と思えばよく、道はある目的地に行くために意図して整備されたみちをいう。そこを通るのは当然に人であるから、穢れを受けないよう、また、境の呪いに邪魔されないよう、みちを清めるために異民族などの首を埋める。漢字の中に首があるのはそのためだ。
ここまでの道中のうち、どこで気の毒な首をふんずけたかはさておいて、大事なことは、山門主が首邑から四方に向かう道を整備するほどに、支配力、政治力を高めているということだ。
集落という社会現象は、半ば以上が自然発生的に誕生する。一人では生きる力に乏しい人間が、家族を持ち、親族を増やし、いくつかの親族集団が寄り添って、集落をつくっていく。人間という社会生物がたどる成長段階の一つだ。そこにあるのは必然で、計画ではない。集落が計画をもったときに邑へと成長し、その計画に支配の色が挿したとき、邑は外世界へ手足を伸ばしていく。道は、その手足の一つだ。
「饒速日はすでに、大真まで睨んでやがる」
と、輪熊は、夕食を喰らうついでの口で、御統に教えた。
焚き火が、火の粉を舞い上げている。今夜も星が騒がしい。
西の海の果ての大地のことを、豊秋島の人々は、大真と呼ぶ。そこは天から選ばれた天子が治める大地であることも知っている。しかし、豊秋島の人々にとって、天という言葉はまだまだ遠い概念だ。ただ、どうやらとてつもなく貴き存在であるらしいことは、なんとなく想像できる。そこに憧れが生まれる。その都にたどり着くだけで、生涯の幸せを得られるような幻想を、人々は大真という言葉から思い浮かべるのだ。
もちろん、そんな都合の良い場所など、この世のどこにもありはしない。だが、幻想の余光を受けて、大真からの渡来物も渡来人も、ただそこから着たというだけで、無条件の尊敬を得ることができた。豊秋島で少しの土地でも治める者は皆、心の目を大真に向けているといっても大げさではない。
とはいっても、誰もが大真の大地を目指せるわけではない。希望の前には必ず困難が憎らしげな顔で居座るのが世の常で、大真と豊秋島との間には、海という絶対の障害がある。海は、畏れるものには優しいが、挑むものにはかなり手厳しい。死を恐れないほどの夢を描けるもの以外は、その障害を前にして、回れ右をするか、障害を乗り越えるための工夫を重ねるかをしなければならない。その工夫を、饒速日はすでに持っている。
船だ。昨夕に輪熊が御統に教えたように、饒速日率いる斑鳩族は、空を飛ぶと称えられるほどの速さと堅牢さを備えた天磐船を持っている。斑鳩族が大真にたどり着き、天子の威光を授かる日は、そんなに遠い日のことではないだろう。
「だがな」
と、輪熊は語る口調を少し厳かにして、御統に聞かせた。
山門主となった饒速日が大真の威光を得れば、その支配力と政治力は山門の大地から溢れ出るだろう。山門を山門として成り立たせる形であり、外敵からの守護壁でもあった青垣の山々を越えて、山門主の権威は外界の天地に津波のように押し流れる。
ある一定枠内で崇められる権威は、そこから溢れ出たとき、その枠外に暮らす人々にとっては脅威という言葉にすり替わる。脅威にさらされたとき、人は、逃げるか、服従するか、さもなければ反抗するかの選択をせまられる。青垣山の向こうの人間が、逃げるか服従するかだけの人々とは限らない。
「いいか、人間なんてものはな、右手に良いものを持てば、左手にはやっかいなものを掴まされるものだ」
持つ者は持たざる者に劣る、という、人が何百年の歳月を掛けて得た真実の一つを、輪熊は彼なりの言葉で伝えたのだが、御統には謎の呪文のようにしか聞こえなかった。
「いずれわかる。だがな、それがわかったときは、おめえ、人生たいてい後半よ」
情けないような、戯けているような顔をして、輪熊は、御統を微笑ませた。最後の干肉をひときれ頬張った輪熊は、そのうまそうな顔はいつもの顔だが、ときおり、先ほど語っていたときのように別人の顔をみせることがある。そういうときには、御統は、このどこをどうみても野卑た山賊のような男に、気高さのようなものすら感じるのだ。輪熊の、不思議な魅力のひとつだ。
「いいか、男ども。山んなかと違って、ここいらにゃ人が多い。団栗の数が多けりゃ、腐った団栗の数も増えるってのが道理ってもんだ。夜のお客に十分注意して、順番に組をくんで見張りに立ちやがれ」
輪熊の訓告で夕食の時間は終わり、それぞれの幕舎で眠りにつく。だが、男どもの今夜の眠りは少ない。
夜のお客というのは、つまり盗人のことだ。輪熊座のようなしがない旅一座にも一張羅くらいはあるだろうと、夜目を光らせる不埒者がいないとは限らない。
輪熊がえらいのは、男どもに命じた見張りの順番に、しっかりと自分自身も入れていることだ。さらに、子どもたちと女座員の幕舎を中心にして男どもに護らせ、堅い木枠で荷台を覆った牛車などは、意外とぞんざいに扱わせていることだ。護るものがなにかを、輪熊はしっかりと分かっている。子どもや若い女をさらう人さらいも、夜のお客の類友だ。
もちろん、一座が野宿する地の周囲には、巫女役の女座員が呪いを施している。だが、夜のお客どもは用心しなければならない。輪熊一座でもっとも恐ろしいのは呪いの効力ではなく、輪熊と鹿高の怒りだ。もしも輪熊座の子どもを連れ去ったり、座員を傷つけたりした者がいれば、その者は地獄の果てまで追い詰められることになる。輪熊と鹿高は、人の身や心を傷つける者を許さない。ただ、二人はよく座員を殴ったり蹴飛ばしたりするし、口も悪い。人の振り見て我が振り直せという有り難い先哲の教えを早く身につけて欲しい、と実は座員は日々心待ちにしている。
さて、そんな願いを座員が夢にみるうちに、夜はどんどんと更けていく。
張り切って見張りに立ったはいいが、あっという間にいびきを掻きはじめた輪熊を、同じ順番組の男どもがあきれ顔で三重張りの幕舎に放り込むと、夜はたちまち静かになる。
御統も見張りに立った。同じ組になった男どもは眉をひそめた。今夜、何かよくないことが起るとして、そのよくない何かは、きっと御統目がけてやってくるに違いないと、彼等はささやきを交わした。できれば、御統には幕舎に戻ってほしいのだが、大人ともいえない年格好で健気に眠い目をこする御統に、そんな大人げない駄目出しをするのもどうかと、彼等は目と目で相談しあった。残念ながら、彼等の不安は的中する。
じっと立っているのも退屈なので、御統は辺りを見回ることにした。
虫の音が心地良い。季節がもっと暖かくなれば、虫の声はやかましいほどになるが、今は、虫の音が大地の子守歌のように聞こえる。
夜空を見上げる。
不思議な光景だ。何度も数えてみようとして諦めた、その数も知れないあの小さな輝きの群はなんなのだろう。星というその名は知っている。星と星を結ぶ象もいくつか教えてもらった。座員のうちの物知り顔は、星は人の運命を教えているのだという。それならば、あの数限りない光のうちに、自分に語りかけている星もあるのだろうか。星と話せるなら、話してみたい。そして、常世の原はどこにあるのか問いかけてみたい。耳を澄ませても、聞こえるのはやはり、ただ眠りに誘うような虫の音だけだ。
妙な感覚だが、虫の音は子守歌のように甘いのに、聞けば聞くほど、御統の目は冴えていく。一匹、やたらと近づいて鳴く虫がいるようだ。
もと居た場所に戻って、御統は咄嗟に帯に結んでいる小さな石刃を手探った。
焚き火が消えている。一緒に見張りに立っていた男性座員もいない。
細い煙を燻らせている焚き火の跡の周りに、黒い影が沈んでいる。男性座員たちだ。どうやら眠っているだけの様子に、御統はひとまず安心した。
身に刺さるような緊迫感は、夜気には含まれていない。夜の闇に、魔は潜んでいないということだ。虫の音もかわらない。ただ、身体のどこかの感覚が何かの変調を掴んでいる。まるで、御統の居場所だけが、次元をずらされたような感覚だ。
(…あいつだな)
御統は石刃に添わしていた指を離した。あいつなら、きっと危険はない。だれかが耳元で囁いているかのように、御統にはそう信じられた。
御統は息をひそめ、かわりに目に神経を集中させた。あいつなら、落ちてきた星屑のような輝く瞳をもっているはずだ。
焚き火が消えると、輪熊一座の野営地はとっぷりと夜の底に沈む。星明かりは騒がしいほどだが、月明かりは弱い。
闇には静かなものと動くものとがあり、その動くほうが、一座の宝物を納めた牛車の荷台に取りついた。樫の木枠に施された呪いを、動く闇はたちまちに解いた。するりと中に身を入れる。目的のものはすぐに見つけた。銅鏡を納めた樫の木箱だ。闇から伸びた意外に白い手が、木箱に触れた。
「それにさわると、親方が怒るよ」
御統の声に、闇はあきらかに驚いた。振り向いた二つの輝く瞳が揺れている。
「怒るほどの代物じゃないけどね。どこかの市で出回っていた投げ売りの鏡だよ」
そう教えてやった御統の目に、何やら奇妙なものが映った。それは落ち着きをとり戻した二つの輝く瞳の下の闇辺りから二すじ伸びてきて、妙に人なつっこい蛇のように、御統に巻き付いた。両足を巻き、腰の辺りを巻きはじめたところで、何かに驚いたように二すじのそれは逃げ戻った。輝く瞳の下闇に戻り、様子をうかがうように、少しだけ荷台の木枠から覗いている。それには愛嬌がある。
「おまえ、何を持っている」
きれいな声だ。ただ残念なことに、言葉はあまりきれいではない。
御統は腰の辺りをまさぐった。何といわれても、何というほどのものも持っていない。
「ああ、これかい」
御統は彼の銅鏡をかかげてみせた。二すじのそれは、あわてて闇の中に隠れた。
「白銅鏡」
声が驚きを散らした。その残響が夜の静けさに消えると、二つの輝く目の色が変わった。
「いいものを見つけた」
二つの輝く目を付けた闇が、するりと荷台を降りた。瞳と声の主は、本当に生きた夜のように真っ黒だ。しかし意外と白い手がそこから出て、何かを払いのけると、そこにも真白いものが浮かんだ。
少女の顔だ。黒い頭巾のようなかぶり物をしていたようだ。生きた夜のように思えたのは、彼女が夜に染めたような真っ黒な衣装を身につけているからだ。
星屑のような瞳が白い頬に映える。面差しには気品がある。思わず唾を飲むほどに美しいが、その美しさは薄く張った紗のような殺伐さの向こうにある。
「その鏡を、わたしに渡しなさい」
その声にも呪いが隠されているかのように刺々(とげとげ)しい。
「知ってるかい。この先に大きな邑があるんだ。なんていったっけ」
「山門大宮よ」
「そうそう、それだ。そこなら鏡の市くらい立ってるんじゃないかな。そこで贖えばいい」
「わたしが鏡を贖えるほどの富人に見えるのなら、光栄なことだけど」
夜色の少女が間合いを詰める。声の刺々しさが増したが、それよりも、御統は佳い香りをかいだことに気を取られた。
「わたしにその白銅鏡をお渡しいただけるかしら。あなたにふさわしいものではないことは、おわかりよね」
言葉に丁重さが加わるにつれ、危険度が増すということもある。例えば、このときの少女のように。ただ、御統は、空気を読むことが苦手だ。
「それでもこれは、おれっちのものだ。それに、そっちにふさわしいとも思えない」
「そう、ご同意いただけず、残念だわ」
それでは力づくで奪うしかない。少女は言葉でなく、細めた目でそう言った。
夜色の少女の両手には、いつのまにか輪熊一座の銅鏡が掴まれていた。
「親方にどやされるぞ」
警告は少女ではなく、自分に向けられるべきであることを御統は認識していない。
「あなたの親方は、鏡の正しい使い方をご存じかしら。芸の目くらましほどにしか考えていないんじゃなくって。こんな粗末な鏡でも、ほら、こんなことができるのよ」
少女が言い終わるよりも早く、彼女が手にした銅鏡が異様な煌めきを放った。かと見えるや間髪なく、煌めきは光矢となって御統に襲いかかり、激しい衝撃で彼を突き飛ばしておいて、無数の光粒となって消えた。しりもちをついた御統の頭の中で、疑問符と感嘆符とが踊り回った。
光矢が弾かれたことに夜色の少女は舌打ちしたが、その音色すら美しい。喉に鈴を置いているかのようだ。少女は、右手に持っていた銅鏡を、御統の足もとに無造作に放った。鈍い金属音を立てて転がった銅鏡の鏡面に激しい亀裂が走っている。
「わかってくれたかしら。鏡はね、神々や精霊の力を映し、反射させるものよ。さっきのはね、ここいらにいた若雷の雷光を反射させたのよ。粗末な模倣品では耐えられなかったようだけど」
ほら、と少女は、今度は左手の銅鏡を輝かせた。瞬く間に火矢が御統に降り注ぎ、衝撃だけを残して火の粉となって散った。
「いまのは火産霊よ。火をおこす時には便利なの。だれかにお灸をすえたいときにもね」
夜色の少女は、左手の銅鏡を御統の足もとに放った。やはり鏡面には深い亀裂が走っている。
「若雷と火産霊があなたに届かなかったのはね、あなたがその白銅鏡に護られているからなのよ」
でもね、と夜色の少女は、夜に浸したような黒衣の下から、冷ややかに光るものを取り出した。と思うがはやいか、御統に襲いかかり、その冷ややかに光るものを御統の喉元に押しつけた。
銅の短剣だった。少女が少し力をいれてそれを横に引けば、御統は永遠に明けぬ夜の底に沈むことになる。
「白銅鏡は呪いは防いでくれるけど、鋭利な刃を防ぐことはできないのよ」
御統は団栗眼をぱちくりさせている。そこに恐怖の色が全くないことに、夜色の少女は不審を感じた。
「ただ奪うだけでは心苦しいわ。一つだけなら、何か願いを聞いてあげてもよくってよ」
命を請う言葉を少女は想像した。
「名前を教えておくれよ」
「…!」
少女が目を見開いた。星屑のように輝く瞳が揺れた。
「…わたしの、なまえ…」
「うん。教えてほしいんだ。願いを聞いてくれるんだろ」
御統の喉元に短剣を押しつけていた少女の力が抜け、彼女は力なく立ち上がった。御統は草地に胡座をかいた。風がそよぎ、少女の佳い香りをふりまいた。御統は、夜色の少女の瞳をじっとみつめている。
「…わたしは、豊。豊というの」
「豊かぁ」
御統はやにわに立ち上がり、満面の笑顔で、少女の両肩を掴んだ。
「おれっちは御統。俳優の御統。よろしくな」
御統の団栗眼に見つめられて、何か温かいものが、少女の黒衣の下の心にするりと入った。侵入した温かさは、少女の頬も熱くした。これまでに感じたことのない心地よさ。だが、夜色の少女は、その心地よさに反発した。そういう心地よさに、彼女は慣れていなかった。
突き飛ばされた御統が面白いように草地を転がった。
「なにするんだよ」
唇を尖らせた御統はぎょっとした。闇よりも黒いものが、豊の身体から立ちのぼっている。それは彼女の逆立った髪であったり、黒衣であったりした。空気を読むのが苦手な御統でもはっきりとわかる。豊は怒っている。それもかなり危険な度合だ。
「…ふざけないで。わたし、ふざけられるの嫌いなの」
ふざけてないよと弁明したところで通じそうもなく、御統は舌を絡ませながら、
「そんな自己紹介はまだ聞いてなかったから。以後は気をつけようと思います」
と、言った。だが、豊から立ちのぼる黒さは危険さを鎮めなかった。むしろあおり立った。
「…以後はないわ。あなたは嫌い。昨夜みたときから、あなたは嫌いなのよ」
豊が再び襲いかかってくる前に、御統は逃げ出した。豊は、黒衣を猛禽類の羽のように羽ばたかせて追いかけた。
御統は軽業を得意にするだけあって、足が速い。逃げるときはなおさらだ。ただ、逃げた方角が悪かった。そこに低木の林があった。林に入って間もなく、樹陰の底にあった木の根に足を取られ、転がって、別の木の幹にぶつかった。慌てて振り向くと、豊は獲物を視界に捉えた木菟のように、冷ややかな殺気をまとって低木の梢に浮かんでいた。木菟の鋭い爪のような銅の短剣を持っている。
こんなときに限って、間の悪い月は煌々と照っている。
御統は、落ちていた木の枝を拾って立ち上がった。彼も男だ。相手がいかに美しい少女であろうとも、時には力を見せてやらなければならない、と意気込んだ。
だが、やはり怖い。豊が急降下してきた瞬間、御統は目をつむった。
風を切り裂く音がした。そして衝突音が二つ。
どの音も恐ろしげだったが、自分には向かってこないので、御統はおそるおそる目を開けた。
羽のような黒衣を矢で射貫かれた豊が、地面でもがいている。彼女を押さえつけているのは、鹿高の長い脚だ。そして、靫翁が弓を片手に走ってきた。
「だいじょうぶかい、御統」
豊を視線で地面に縫い付けたまま、鹿高が言った。御統は慌ててうなづいた。
「さて、うちの子にお悪した獣を、いったいどうしてくれようかねぇ」
豊を押さえつけていた足を、鹿高は緩やかに持ち上げた。鹿高の強靱な鞭のような脚は、少女の細い首くらい簡単にへし折ることを御統は知っている。その瞬間の光景から少年の瞳を護るように、靫翁は御統の前に静かに立った。
輪熊一座を狙った盗人の豊。御統は彼女との絆を結ぼうとする。御統を拒否した豊は、しかし自分の中の動揺に気がつく。その動揺をかなぐり捨てるように御統を傷つけようとするが、鹿高と靭翁に捕らえられる。きついお仕置きを受けそうになるが・・・。