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そらみつ!~鏡と呪いの物語~  作者: 三星尚太郎
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山門編-失われた天地の章(12)-昔日(2)ー

<これまでのあらすじ>


 光と命が豊かな豊秋島(とよあきしま)。 そこには天地(あめつち)の八百万の神々と、呪 (まじな) いと鏡の力を駆使する人々とが暮らしていた。


 輪熊座の少年、俳優(わざをき)御統(みすまる) は、山門大宮への道中で黒衣の美少女、豊と出会う。剣呑としていた豊は、やがて純朴な御統との距離を縮める。山門大宮では、輪熊座は御言持(みこともち)の大日の歓迎を受ける。豊は秘した宿願を果たすため、輪熊座の親方である輪熊を介して大日に接近する。大日は豊を嫡男の入彦に仕えさせる。


 豊を追って、御統は入彦の邸に向かう。そのとき、御統の白銅鏡(ますみのかがみ)が光を奔出させ、巨人の姿となって暴走する。御統は土牢 (ひとや)に捕らえられる。


 神祝(かみほ) ぎの馳射(はやあて)が挙行され、春日族の旗頭となった入彦は重任に苦しむが、御統の解放を条件に豊からの助力を得る。馳射には持傾頭きさりもちの登美彦の秘かな狙いがあった。豊の幻術で御統を身代わりに立てるつもりだった入彦は、父である大日の期待に応えるべく出場を決意する。御統も春日族の他の族人になりすまして出場し、彼の活躍によって登美族との勝負は互角となる。馳射では禁忌であるはずの実刃の鏃が用いられ、その凶矢から入彦を守った石飛は重傷を負う。勝敗は両族からの代表者による矢馳馬(やばさめ)に委ねられ、戯馬 (たぶれうま)を大得意とする御統が吉備彦との矢馳馬を制する。神祝ぎの馬合せは春日族の勝利となるが、御統の軽はずみの言動から、春日族は不正を疑われる。


 山門の朝庭では、神祝ぎの馳射での不正が審議される。春日族は実刃の鏃こそ禁忌を犯すものと訴える。神意を問うため、誓約うけひの鏡猟が挙行されることになる。美茉姫と共に鏡猟のいつきに選ばれた豊は、春日族の族人となるため、入彦のみめとなる。輪熊座から豊になついている黒豹の如虎を譲られ、いつのまにか大切な友人が増えていた豊は、彼女の宿願と一族の恨みの闇に思いをはせる。そんな豊の前に黒々とした影が現れ、一族の恨みと苦しみをささやく。


 一日、山門大宮の郊外で、御統は登美彦と邂逅する。短い時間とわずかな会話に、二人は余人には知れない感傷を抱く。


 鏡猟では、美茉姫と豊の春日族と、登美族を中核とした諸族連合の斎たちが花衣を着込み、美しくも激しい攻防を繰り広げる。登美族の夜姫は凄まじい呪力を発揮して、春日族を追い詰めるが、豊の機転の幻術に誑かされ、勝利を春日族に奪われる。怒りのあまり呪力を暴走させた夜姫は、凶暴な焔の化身となって会場を炎に呑み込もうとする。会場が大混乱となるなか、豊が御統から借り受けていた白銅鏡から光の奔流と共に天目一箇神あめのまひとつのかみが現れ、大槌の打擲で焔の化身を消し去る。


 前代未聞の鏡猟が新たな山門の火種となることを懸念した大日だが、それを遥かに上回る脅威が山門に迫っていた。くろがねで武装し、天孫あめみまを号する天孫族が山門への玄関口である日下くさか楯津たてつに上陸する。居丈高な天孫族の使人に憤慨し、退けた大日だが、天孫族が提唱する水稲稲作に魅力を感じる。山門朝庭は交戦か和平かで紛糾するが、山門主饒速日により交戦に決せられる。大日はその決断が本当に饒速日によるものかどうかを疑う。入彦は決戦への参陣を覚悟していたが、大日から全く見当違いと思われる磯城族への神奈備入かんなびいりを命じらせる。


 大日の巧みな軍立いくさだてにより、天孫族の大軍を孔舎衛坂に誘導した大日は、決戦に向かう道中で昔日を想う。


  ≪是非ご一読ください。よろしければ、ご感想、ご評価をお願いします!≫



<人物紹介>


 御統みすまる

 俳優わざおきの少年。輪熊座の有望株。軽業かるわざ戯馬たぶれうまの腕前は抜群。


 輪熊わくま

 旅芸人一座、輪熊座の親方。山賊のような風貌で、胸に三日月型の傷痕がある。芸と儲けにはがめついが、面倒見はよい。


 靫翁うつぼのおきな

 輪熊座の座員。輪熊とは古い付き合い。老人だが肉体は強靭で、強い矢を放つ。


 鹿高しかたか

 妙齢の女性。美形だが口と態度は悪い。女性座員の頭領格で、年端のいかない者には分けへだてなく優しい。


 とよ

 夜色の黒衣の美少女。優れた言霊の術を使う。隠された企図を果たすため、大日に近づこうとする。


 大日おおひ

 山門の御言持にして春日族の氏上このかみ。貴人中の貴人だが、輪熊、鹿高、靭翁に一目置いている。清々しい人柄だが、少し好色。


 大彦おおひこ

 大日の兄。輪熊たちとも古なじみ。鹿高に一方的に好意を抱いている。豪快な人柄。


 入彦いりひこ

 大日の嫡男。豊からの第一印象は、好きになれそうにない人物。輪熊座関係者をどこか見下している。


 美茉姫みまつひめ

 大彦の娘で、入彦の言い名づけ。元気で小気味よくおしゃべりで少しおませな少女。


 石飛いわたか

 春日族の青年。優れた騎手のりて。入彦を慕っている。


 石火いわほ

 石飛の父。大日の信頼厚い春日族の重臣。


 登美彦とみひこ

 山門主やまとぬしの秘書官ともいうべき持傾頭にして、登美族の氏上。大日を敵視している。


 吉備彦きびひこ

 登美彦の嫡男。父親に似ず明朗快活な性格。優れた騎手。


 夜姫やひめ

 呪能に秀でた祝部はふりべの長。登美彦に心酔している。


 御名方みなかた

 登美彦と共に秘かな企みを進める。出雲族出身。

 およそ二十年前の山門。


 山門盆地の東南方、三輪山を神奈備かんなびとする磯城しき族には、大彦おおひこ大日おおひ安彦やすひこ、そして陽姫やひめという元気で仲の良い兄弟妹けいていまいが暮らしていた。


 彼らは、磯城族の氏上このかみである大物主おおものぬしの子供らで、長兄の大彦を中心に、磯城族を背負っていく期待を掛けられていた。


 大柄で力の強い大彦は山と、柔和でありながら人と人とをうまく調和させる大日は川と、人の豊かさを育むことに一生懸命な安彦は野と、美しい黒髪を持ち人を安らがせる陽姫は夜と、磯城の人々は四人の人柄をそう表現した。


 また四人は、大彦は武術に優れ、大日は機略に優れ、安彦は呪術に優れ、陽姫は占術に優れていた。特に安彦は、大地から土人形の兵士を無限に生み出す術を駆使することから、武埴たけはにの安彦とも呼ばれていた。


 この頃の山門は、まだ統一されておらず、磯城族のほか、平群族へぐりぞく巨勢族こせぞく葛城族かつらぎぞくなどが割拠し、最大勢力の斑鳩族が戦闘力に長けた登美族を取り込んだことで、いよいよ饒速日にぎはやひの覇業が始まろうとしていた。磯城族は、その斑鳩登美連合と激しく戦っていた。


 磯城族は、山門では珍しい農耕の民族であった。彼らが、神が息づく聖地として崇める神奈備の三輪山は自然の宝庫で、鳥獣はもちろん、木の実や果実、山菜が豊富に取れた。しかし磯城族は三輪山を神域として立ち入らず、ふもとに網を張って鳥獣を捕まえたり、自生する木の実や陸稲おかぼひえ等の種籾たねもみを集め、き、育て、収穫するという原始農法で日々の糧を得ていた。


 三輪山の深い森の中には、天津神あまつかみが降臨する磐座いわくらが三つあり、祝者はふりいつきが祭りを行う以外では、そこに近づくことは許されていなかった。しかし、怖いもの知らずの兄弟妹は、ときどき大人たちの目をかすめて山に入り、麓から一番近い辺津磐座へついわくらくらいまでは侵入して、山桃や葡萄葛えびかずら胡桃くるみなどを採って、食べながら談笑することがあった。平たい大岩の辺津磐座へついわくらは、丁度いいテーブル代わりになった。


「ところで、兄上、先日の戦の話を聞かせてくれないか」


 大日が切り出した。子どもの時間は終わりだという顔をしている。


 大彦はためらった。大日はともかく、安彦と陽姫にして良い話かどうか迷ったのだ。四人のなかで、長兄の大彦だけが、もう戦に出る歳になっていた。


「おれたちの親父はさすがだった。敵は千人を超えていたが、親父が百人ほどと一緒に飛び出すと、斑鳩のやつらは石をぶつけられた石榴ざくろみたいにつぶれたよ。でも、人がたくさん死んだよ。敵も、味方もな」


 大彦は大きい山桃にかじりつくことで、口を止めた。初めて戦場に立ったときの興奮が大彦を雄弁にしようとしたが、彼は自制した。砕けた石榴と人の死の想像を重ねたのだろう、安彦と陽姫はうつむいてしまっている。


「兄上は、敵を倒したのか」


 大日は戦に興味がある。人を殺したいからではなく、殺したくないからだ。


「おれは逆茂木さかもぎの後ろから石矢を放っていただけさ。当たったかどうかはわからない」


 豪快な大彦でも、初めての戦場では我を忘れた。


「どうして、そんなことをするの。鳥や鹿は仲良く暮らしているわ。どうして人は戦をするの」


 陽姫が泣き出しそうな声をあげた。美しい黒髪の妹は、森の栗鼠リスや蝶が自然と周りに集まってくるほど、優しい心根をしている。 


饒速日にぎはやひさ。あいつが強欲なんだ。この大地をすべてを支配しようとしている」


 安彦は、妹の黒髪をかき上げるように撫で、泣きべそをかきそうな陽姫を慰めた。


 陽姫は三人の兄から愛されていたが、すぐ上の安彦は特に妹を愛していた。大日から見れば、すこし危うさを感じるほどの溺愛だった。


「みんなが協力して、この青垣山の大地で豊かに暮らすことはできないのかしら。饒速日という人も、みんなが協力してくれれば、戦なんかしないかも」


 陽姫が、彼女らしい意見を述べた。まるっきり子どもの提案だが、安彦は妹の願いは決して軽々しく扱わないことにしている。


「彦兄さん、日兄さん、なんとか饒速日と話せないかな」


 大彦と大日は腕を組んだ顔を見合わせた。何を馬鹿なことを、とは二人の兄は言わない。弟と妹は平和を求めているのだ。その意見を無視することはできない。特に大彦は実際に戦に出ただけに、より深刻に将来を考えざるをえない。


 四人の父である大物主が率いる礒城族の男達は強い。だが、斑鳩登美連合は圧倒的な兵力を持っている。いずれ、礒城は飲み込まれてしまう。そのときに、弟たちがどのような目に遭わされるか。それを思えば、腕力に秀でる大彦でも、願えるものなら平和を願いたい。


「父上に話してみるか」


 大日も、大彦と同じように考えていた。礒城族の強さを見せつけた今なら、饒速日も聞く耳を持つかもしれない。


 四人は、長兄の大彦でさえようやく半人前になった程度の子どもたちだったが、普通の子どもと違うのは、圧倒的な行動力だった。辺津磐座で話し合ったその夕方には、集落の氏上の殿舎で、もう父親の大物主をつかまえていた。


「ほう、辺津磐座で話し合ったとな」


 大物主は太い腕を組んでいる。その前に座った四人は真剣な眼をして頷いた。


 突然、大物主の口から雷鳴が轟いた。怒鳴りつけたのだ。


「ばかもん!磐座に近づいてはならんと、何度言えばわかるのだ」


 大物主が床を殴りつけると、四人は座ったままの姿勢で飛び上がった。弁明を一言も発する余裕も与えられない間に、四人は高床倉庫に閉じ込められ、外からかんぬきを掛けられた。


 夕食が抜かれるという、世の大半の子ども達が恐れる罰も受けたが、やはり四人は普通ではない。この程度ではへこたれないのだ。


 安彦は衣嚢ポケットから土色に汚れた小さな麻袋を取り出した。袋の口を開けて逆さにすると、一塊の土が床に落ちた。その側にしゃがんだ安彦が言霊ことだまを吹き込むと、土は自分で起き上がり、たちまち小さな人形になった。安彦の得意とする埴土はにつちの術だ。


 安彦の手のひらに乗って、明かり取りの小窓から外へ出された人形は、果敢にもそこから飛び降りた。


 地面に落ちた人形は一度潰れたが、またすぐに人型に戻って、すたこらと走っていった。


 夜の虫が鳴き始めた頃、倉庫の戸が薄く開いた。ひとすじの月明かりと一緒に、ささやき声が滑り込んできた。


「おい、はやく出てこい。見張りはいない」


 片肘を枕に寝そべっていた大彦は、その声で体を起こした。


「そう急かすな。まず、お前が入ってこい」


 しばらくして、倉庫の中に人影が入ってきた。人影は、良い匂いのする袋と一緒だった。匂いにつられて、他の三人も体を起こした。


「さすがに五百箇いおつだ。よく気がく」


 そういって安彦は袋を受け取り、袋を開いた。中には団栗どんぐり麺麭パンと鹿肉が入っていた。


 五百箇は四人の友人だ。氏上である大物主の子供たちである四人とは、いわば身分が違うが、彼の一家は、特殊技能のおかげで磯城族で一目置かれていた。鍛冶の技能を持っているのだ。金属器は貴重であったが、それを加工できる人材はより貴重であった。生粋の磯城人ではなく、何代か前の先祖は、海の果ての大陸の大真から海を渡ってきた。いわゆる渡来人とらいじんである。


「いまから饒速日にぎはやひのところへ行くって、本気か」


 信じられないものを見るような目で五百箇は言った。話のあらましは、安彦の埴土の人形から聞いている。その人形は、もう安彦の麻袋に戻っている。


「本気だ」


 鹿肉を頬張ったついでに、大彦がそう答えた。


「無茶だろう」


 という忠告がこの四人には無駄なことは知っている五百箇だが、言わずにはおれなかった。


「だが、饒速日が斑鳩いかるがに帰ってしまえば不可能になる。無茶なうちに試しておく」


 と言ったのは大日だ。先日、磯城族と戦ったばかりの饒速日は、まだ近くに営塁を築いて留まっているらしい。四人の思考方法についていくのは難しいが、友人である限り、五百箇も行動を共にするつもりだ。


 倉庫を抜け出し、閂も元通りにした五つの人影は、こっそりと磯城邑も抜け出した。


 邑を守るまじないの結界の外は、夜行性の獣が徘徊する原野だ。ただでも危険だが、悪霊に出くわすかもしれないし、他の族が施した禁呪に触れるおそれもある。つまり、常識人は、夜は出歩かないということだ。五百箇のその訴えは、倉庫の中ですでに却下されている。


 陽姫が衣嚢から取り出した麻袋には、いくつもの貝殻が入っている。一つ一つの貝殻には、なにやら意味深な記号が描かれている。陽姫は、この貝殻をつかって占うのだ。その占いによれば、この夜行に害はない、ということだった。


 五人は、夜の原野を走った。


 しばらく走ると、予想したとおり、篝火に照らされた土塁が見えてきた。


 五人は、木立の陰に入って、朝を待った。夜の訪問者は、どこの邑だろうと忌み嫌われるからだ。


 朝食を終えた饒速日は報告を聞いて、ほくそ笑んだ。今日、これからもう一戦してやろうと企図していたところに、磯城族の氏上の子供らが自らこちらの懐に飛び込んできた。饒速日はほくそ笑んだままの顔でしばらく考え、磯城族の子供らを丁重に通すよう配下に命じた。


 大彦ら五人は大きな幕舎に案内された。彼らを迎えた饒速日は、大げさな手振りで訪問を歓迎した。


「磯城の大物主の長男、大彦です。後ろに控えるのは、わが弟妹と友人です」


 大彦は堂々とした声量で名乗った。ゆったりとした素振りで頷いた饒速日は、顎先を摘まんで、五人を値踏みした。長男はいかにも武勇に優れていそうだ。得物は腰の銅剣一本だが、暴れさせては、ちょっと面倒なことになりそうだ。次男は切れ者のようだ。要注意である。三男は呪術に優れているようだが、自分ほどではない。妹はまだ幼いが美貌である。巫女に相応しい。最後の友人は渡来人であるらしい。


 五人の来意が平和協定であることを聞いた饒速日は、大いに感心して見せた。五人の平和を求める心、父の反対を押し切る行動力、夜の原野をものともしない冒険心を誉め称えた。子供じみた自尊心をくすぐっておいて、饒速日は表情を一転させて、深い憂いを表わしてみせた。


「我とて、戦を好んでいるわけではない。だが、この豊秋津島とよあきつしまを滅ぼしかねぬ災いがあると知れば、我も人の主である以上、兵を進めぬわけにはいかぬのだ」


 五人は顔を見合わせた。饒速日の話の筋が見えない。大日は一歩進み出た。


「その災いというのは、亀の目で見える高志こし族のことでしょうか」


 亀の目で見える方角は、北である。つまり、北に一大勢力を築いていると聞く高志族の脅威を、饒速日は災いと呼んでいるのかと大日は思った。ただ、そうであった場合、磯城族と干戈を交える意味がわからない。


「高志ではない。災いは五十茸山いぶきやまにある」


 その方角を力強く指さし、饒速日は言った。五人は指された方角を振り返ったが、当然、そこには幕舎の白い厚布があるだけだ。五人は五十茸山を知らない。


 五十茸山は磯城の東北方向、折り重なる深い山々を抜けた先にある霊山である。そう説明を受けても、五人の表情はすっきりしない。


「そこに、天地あめつちが分かたれて以来、立ち続ける古木があり、そこに災いを呼ぶ木の実が成るのだ。いや、すでに成っている」


 天地が分かたれて以来、という時間感覚が、五人には分からなかった。百七十九万年という時の経過を教えられても、頭に乗っかった疑問符が重くなっただけだ。饒速日の語りが続く。


 剋軸香果実ときじくのかぐのこのみ。それが災いの木の実の名前だ。天地開闢以来、百七十九万年分の霊力を大地から吸い上げ続けた果実である。その蓄えられた霊力の強さは、天地を原初の混沌に戻し、有を無に帰すことができる。つまり、世界を消滅させることができるのだ。この恐るべき果実を、もしや高志の主が手に入れれば、斑鳩族はもちろん、豊秋津島のすべての人々が高志の奴隷として屈しなくてはならなくなる。それを阻止しなければならない。そのため、磯城族の領域を抜け、五十茸山へ兵を差し向けたいのだが、磯城族氏上の大物主が理解を示さない。磯城族が神奈備山として崇める三輪山を荒らされると疑っている。話し合って誤解を解きたいが、大物主は頑固で話し合いに応じない。かくて、武力に訴えるほか仕方がない。それが饒速日の主張である。


 五人の磯城の子らは、そのような恐ろしいものが磯城族の背後にあることをはじめて知って、戦慄した。饒速日の意図は分かったが、釈然としないところもある。大彦らの父である大物主が人の世に災いをもたらす存在に無知であるとは考えられないし、豊秋津島全体の危機と知りながら、協力を惜しむような狭量であるとも思えない。ただ、頑固者というところは、妙に説得力を持っていた。


「我らの父は、剋軸香果実の存在を知らぬのでしょうか。それとも、知ってあなた方との協力を拒んでいるのでしょうか」


 大日が尋ねた。


「剋軸香果実の存在は、高天原たかまがはらから降り立った一族にしか知らされておらぬ秘中の中の秘中だ。大物主が知らぬのも無理はない」


 饒速日を氏上とする斑鳩族は、空高くの別世界、高天原から天磐船あめのいわふねに乗って降り来たった一族だと宣伝している。


「もしも、もしも我々がその災いの木の実を封じることができればどうでしょうか」


 それは安彦の声だった。呪術に自信を持つ安彦は、計り知れない霊力を持つという木の実に興味をいだくと同時に、自分ならばその霊力に打ち勝てるのではないかという白日夢のような自信もあった。表情には出さないが、その声こそ、饒速日が待っていたものだった。


 饒速日は、わざと大声で笑った。安彦の自尊心を刺激したのだ。


「さすがに大物主の子らである。勇ましいことだ。だが、この我とて、千を越える兵と共に赴こうというのだ。汝らだけではどうにもなるまい」


「ですから、もしものことと申し上げています」


 安彦の声に、子供じみた反発心がにじんだ。


「もしもであったとしても、人の持つ呪力程度では封じることなどできぬ」


「では、あなた様は、千人の兵を連れて五十茸山に赴き、どうしようというのですか。千人の呪力であれば封じることが可能なのですか」


 今度は大日が突っかかった。


「木の実をもぎとり、悪人の手に渡らぬよう、斑鳩の邑に運ぶ」


「それでは、高志族はもちろん、豊秋津島のすべての人々が斑鳩の奴隷として屈しなくてはならなくなるのではないですか」


 大日の舌鋒は理屈くさいが、急所を突いているように思えた。だが、饒速日は痛くもなさげな余裕を表情に浮かべた。


「高天原から降り来たった者は、災いの木の実を恐ろしさを十分に承知している。消滅を望みこそすれ、利用しようなどとは、つゆ思わぬ。だが、この美しき豊秋津島を滅亡させかねないものが五十茸山にあると分かった以上、手をこまねいてはおれぬ。ゆえに我は歳月をかけ、斑鳩邑の地下深くに、災いの木の実を封印するための石槨いわきを作った。我は幽宮かくれみやと呼んでいるがね」


 石槨とは棺を納めるための石造りの部屋のことで、幽宮とは神霊が永久とこしえに鎮まる宮のことだ。つまり饒速日は、邑の地下に、災いの木の実を永久に眠らせる墓を作ったということである。そして話の分からぬ無知な磯城族を力で排除し、剋軸香果実を確保するため、はるか五十茸山を目指す計画の途上にいるというわけだ。


「あなたがその幽宮を作り、災いの木の実を永久に封印する意図を持っていることを誓約うけひすることができますか」


 大日は食い下がった。


「誓約するまでもない。我が邑へゆき、幽宮を目の当たりに見てくればよい」


 饒速日は突き放すように言った。そうした方が信憑性が増す。


「我は幾たびもそなたらの父、大物主へ使者を立てた。平和裏に三輪山の麓を通らせてもらいたかったからだ。だが、残念ながら理解は得られなかった」


 使者の往来は事実であった。だが、斑鳩族の朝庭に参与する資格のない大彦らは、使者の告げた内容までは知り得なかった。だからといって、饒速日の言葉に嘘があるとは言い切れない。


 五人は乗り込んできた当初の勢いを失った。饒速日の主張が正しいとすれば、非は磯城族にある。その様子を眺める饒速日は愉快だった。手のひらで思い通りに踊る小人の舞を見るようだった。


「これは、もしもの話だが。もしも勇者がおり、姦鬼の跋扈する山野をゆき、万難を排して災いの木の実を得てくる者がおれば、我はあえて磯城族と戦わず、斑鳩の幽宮の前で、勇者の到来を待つであろう」


 ここが饒速日の脚本の山場である。五人の子らは見事に飛びついた。


「では、我らがその木の実を手に入れると約束すれば、これ以上、磯城とは戦わぬとおっしゃるのですね」


 大日が言った。


「いや、今のは言葉の綾じゃ。そなたらのような年端のゆかぬ子らに危険を冒させるわけにはいかぬ。忘れてくれ」


「いえ、我ら未熟といえども、磯城の氏上たる大物主の血を引いています。力を合わせれば、成し遂げられぬことはございますまい」


 これは大彦。


「いや、しかし。まぁ、落ち着け」


「我らの行動次第で、戦が奪う命を救えるやもしれぬとあれば、躊躇する理由はありません」


 これは安彦だ。彼の、戦で失われる命を救いたいという気持ちに嘘はないが、実はより濃厚に安彦の心にあったのは、無尽蔵の霊力を秘めるという剋軸香果実を見てみたい、この手に取ってみたい、という欲望だった。その欲望の存在は、安彦自身もこのときには気づかないほどの秘めやかさだった。


 こうして五人の旅立ちが決定した。子供相手とはいえ、饒速日の狂言回しとしての実力は高い。


 五人といったが、一人だけ、他の四人とは意見の異なる者がいた。五百箇だ。


「大物主の子らが勇敢にも冒険に旅立つのには反対はしないが、子でないものは帰らせてもらうよ」


 若干の後ろめたさは感じるものの、五百箇としてはこの無謀な旅路から抜け出ることを明言しておかなければならない。山野を跋扈するのは姦鬼だけではなく、どんな悪霊や山賊やらがいるか知れたものではない。それよりなにより、五百箇には鍛冶の仕事がある。氏上の一族として暇を持て余している大彦らとは違うのだ。


 四人は、仕方がないという顔を見合わせた。


 子供らが退室した後、饒速日はしばし満悦の顔をしていたが、やがてその顔を、幕舎の隅で存在を消していた男に向けた。斑鳩族の御言持みこともちだ。御言持はもともと斑鳩族の役職で、斑鳩族が後に山門全土を支配下に置くことにより、山門の役職となる。


「…という次第になった。兵たちに朝飯をとらせたら、すぐにこの陣をはらって斑鳩に帰るぞ」


 饒速日は上機嫌だ。


「よろしいのですかな」


 年配の御言持は、一応、饒速日に再考を促してみた。主君の性格は把握しているが、今回は遊びの度が過ぎる。


「かまわぬ。磯城が予想以上に手強いので、陣を払う理由を探しておったところだ。斑鳩に戻り、高志への対策を整えるとともに、磯城族以外の諸族の調略を進めることにしよう。剋軸香果実を取りに行くという話は、あながち嘘でもないのだ。もしあの五人が本当に災いの木の実を運んできたとしたら、それこそ天の恵み。座して地を治められるのだから、これ以上の策はあるまいよ」


「しかし、我らの退却の隙を大物主に突かれることはありませんかな」


「ふふふ、なれは大物主の子煩悩ぶりを知らぬのか。子らが五十茸山へ旅立ったと知れば、呼び戻すために全力を使うだろう。我らの尻を追っている暇はあるまい。まさに親の心子知らずというやつよ」


 幕舎を吹き飛ばすほどの声で、饒速日は大笑いした。


「うまい具合に礒城のやんちゃ坊主どもを神奈備入りさせたわけですな」


 年配の御言持の薄ら笑いが饒速日の哄笑に調和した。


 その笑い声が届かぬところへ来ていた五人は、夜明けと共に磯城邑に着いた。四人は邑外れの木立に留まり、五百箇だけが邑に入った。しばらくして、大きな麻袋を抱えて五百箇が戻ってきた。


「言われたものはできるだけ揃えて袋にいれておいた。おれがった鏡も入れておいた。役に立つことがあればいいが」


 大きな麻袋から、小分けした麻袋を取り出し、四人に渡しつつ、五百箇は申し訳なさげな顔で言った。空いた大麻袋へ、今度は安彦が大量の土を注ぎ入れた。


「埴土の呪いを施しておいた。その辺りの土だから言霊ことだまの染みが悪いだろうが、しばらくは親父の目をごまかすことができるだろう」


 安彦は五百箇に呪いの言葉を教えた。四人が泣きべそをかいているはずの倉庫にこの土を運び、呪いをかければ、土は四人の姿に化けるというわけだ。


 五百箇が安彦に教わった呪いをつぶやいている頃、大彦ら四人は三輪山の裾野を走っていた。


 磯城邑から五十茸山までの距離は、大人の足で約十二日かかる。大彦や大日は健脚だったが、妹の陽姫の歩幅に合わせざるをえないため、実際の行程は倍ほどかかった。


 道はもちろん、みちすらもない原野だ。鬱蒼たる樹林、険しい山肌、深い渓谷を、獣に径を尋ねるような具合で四人は進んだ。


 朝昼晩と陽姫が占って進む方向を選択し、安彦が祓除ふつじょの呪いを唱えて行く先を清めた。二人とも優秀な占者、術者であったから、たいていの悪霊や姦鬼は追い払ったが、たまに結界を乗り越えてくるような悪霊などは、大彦と大日が勝軍木ぬりでの剣で切り払った。


 勝軍木は霊木だ。この木で作った刀は邪気を払う。生身の相手なら銅剣や石剣がよいが、霊や精が相手ならこれが効く。勝軍木の剣は五百箇がくれた麻袋に入っていたから、彼が製作したのだろう。


 熊や狼が襲ってくることもあったが、それらは大彦の棍棒が撃退した。雉や鹿は大日の矢に射貫かれて、四人の糧となった。棍棒も弓矢も五百箇作である。彼の作る武器は扱いやすい。


 さて四人は、彼らの父の大物主が慌てて発した捜索隊に発見されることなく、五十茸山の麓にたどりついた。


 四人にとっては未知の世界だ。どんな悪霊が潜んでいるかもしれないし、饒速日の主張によれば勢力拡大を図り災いの木の実の獲得を目指しているやもしれない高志族の兵と遭遇するかもしれない。そもそも、五十茸山の麓に、どんな一族が暮らしているのかも知らないのだ。磯城族が三輪山を神奈備山として崇めるように、五十茸山を神奈備山として崇める一族がいるはずだ。磯城族が聖域を汚す者には呪いと矛をもって対処するように、彼らも同じ手法を用いることは十分に考えられる。そして何より、五十茸山に鎮座する天神地祇あまつかみくにつかみの怒りに触れないようにしなければならない。


 つまり、用心に用心を重ねなければならない、ということだ。


 五十茸山の山容は厳威そのものだ。大地が拳を突き上げたようにも見えるし、大きな獣がうずくまった姿にもたとえられる。いかにも霊峰だ。


 頂の高さは三輪山の三倍はありそうだ。裾野もそれに比例して広い。三輪山が母性的であるのに対して、五十茸山は父性を感じさせる。厳しさの中に優しさを内包した山だ。


 安彦は陽姫と並んで立ち、しばらくとろけたような表情で五十茸山の山容を仰ぎ見ていた。呪術と占術に優れて二人には、常人が感じる以上の霊力を五十茸山から感応かんおうしている。二人はやがて地に膝をつき、ぬかずいて、五十茸山に礼意を示した。それは、二人にとっては極めて自然な行動だった。二人の心の視野に映っているのは土と岩の巨大な塊ではなく、天神地祇そのものの姿なのだ。


 大彦と大日も、弟と妹にならって膝をつき、額ずいた。兄二人には、弟妹ほどの霊異の感受性は備わっていなかったが、信心深さは並以上であったし、五十茸山は、確かに仰ぎ見るだけで下半身の力が抜けていくような荘厳な姿をしている。


 この日は、朝から半日、五十茸山への祈りに費やした。


 午後になって、ようやく膝の土をはらった四人は、用心しながら五十茸山へ近づいた。


 五十茸山の裾野の懐は想像以上に広く、日が暮れるまで歩き続けても、まだ山肌に踏み入ったという感触はなかった。


 ずいぶん歩いてきたが、人の姿も、邑の形もまだ見えない。五十茸山は孤峰ではなく大小の山並みを従えているし、豊かな水量の川が裾野を流れている。鳥獣の数は多いと思われ、人が住んでいないということは、ちょっと想像しにくい。


 しかし山肌に近づくにつれ、人が住んでいないのではなく、人が住めない環境であるらしいことが分かってきた。


「おい、兄者、あれは何だ」


 安彦が指さす先で、巨大な影がうごめいている。大地はもう夕景色になっているが、黄昏が見せる幻影ではなさそうだ。陽姫は安彦の背の後ろに隠れた。


 大彦は目を細めた。四人の中で一番視力がいいのは大彦だ。視力だけでなく、こと身体能力に関することでは大彦は飛び抜けた才能を持っている。


「あれは熊やら鹿やら猪だな。だがおい、ちょっと待て。なんだあの大きさは。普通の三倍はあるぞ」


 大彦は素っ頓狂すっとんきょうな声をあげた。


「見たことのない獣もいるぞ。なんだあれは。四つ足の獣だが、頭に角が二本ある。鹿じゃない。猪みたいだ」


「それはきっと、牛だな」


 大日はそう答えながら、半身になった大彦を不思議そうにみた。


「おい、あのでかい影。こっちに向かってないか」


 安彦も半身になった。地響きが近づいてくる。


「正解だ。牛だかなんだかしらないが、こっちに突進してくるぞ」


 大彦が絶叫するより早く、安彦は陽姫を抱えて走り出した。続いて大彦が逃げ出した。


「おい。牛ってのはおとなしい生き物なんだ。海の果ての大陸では、牛を飼い慣らしているそうだ。草食だし、よほど怒ってない限り、人に危害を及ぼすことはない」


 と、大日は博識を披露したが、牛の姿はどんどん大きくなってくるし、地響きもどんどん近づいてくる。どうやら、よほど怒っているらしい。


 大日は弓を構えかけたが、すぐに思い直して三人のあとを追って逃げ出した。


 理由はわからないが、とにかく牛は怒っていた。走りながら大日が理解したのは、こんなに怒りっぽい巨大な牛が生息しているのなら、人が邑を作ることは不可能だということだ。


 大日が危うく巨大な牛の巨大な角にかけられそうになった瞬間、牛は大空に飛翔していった。


 転げながら飛び上がっていく牛を見上げた大日は、開いた口がふさがらなかった。巨大な牛は、超巨大な怪鳥に連れ去られたのだ。


 超巨大な怪鳥は、小丘程度なら覆ってしまいそうな翼の影を黒々と大地に描きながら、夕日に向かって飛び去っていった。


 奇妙に静まりかえった夕景色の中で、四人は呆然としていた。ここは、四人がこれまで暮らしてきた世界とは異なっていた。


 ふらりと立ち上がった大日は、ともかくも他の三人のところへ歩いてきた。四人は、どっと疲れが出た。


「ともかく、日が暮れる。どこかで休もう」


 大彦の指示に従い、四人は少し離れたところにある木立の中に入った。


 張り出した根っこが丁度いい背もたれになりそうな大木の陰を、四人は今夜の宿にすることにした。安彦は周囲に破邪の結界を張ったが、ここでそれが役に立つのかどうか心許なかった。姿は見えないが、獣の歩く地響きや、鳥の奇怪な鳴き声が遠くに聞こえる。


「おい、いいものがあるぞ」


 五百箇にもらった麻袋を覗いていた大日が、一枚の鏡を取り出した。裏面に一匹の犬のような霊獣の意匠が彫り込まれている。


「この意匠は山彦やまびこだな」


 大日から鏡を受け取った安彦がいった。山彦は、『繰り返す』という能力を持った木霊こだまの一種だ。高い山から谷へ向かって声を発すると、その声が反響して返ってくるのは山彦のしわざだといわれている。よく知られる現象は音の反響だが、山彦の能力を鏡に宿せばどうなるか。安彦にはすぐにこの鏡の使い方がわかった。


 安彦は鏡の山彦の意匠に手を添えて呪いを唱えてから、大木の幹に鏡を立てかけた。すると鏡に映った一本の木立が何本にも反映されて、四人のいる空間をぐるりと取り囲んだ。鏡が生み出した繰り返された木立の姿が、四人をすっぽりと隠したのだ。


「人の目は誤魔化せるだろうが、獣はどうかな。やつらは本能で動くからな」


 と、大彦は言ったが、ともかくもすこしは安心して夜を過ごせそうだった。


 火の子と呼ばれる火産霊ひむすひの子分のような小さな火の雑霊の力をまとめて写し取った鏡で焚き火を起こし、昨日獲っていた兎の肉を焼いた。


 食事を終えた四人は、思い思いの根っこを背もたれにして、体を横たえた。


 大彦と大日はすぐに眠りについたが、安彦は寝つけなかった。恐ろしい獣に怯えたわけではない。五十茸山のすばらしい霊力に興奮していたのだ。この山の奥になら、饒速日の言う災いの木の実が本当にありそうだった。


 陽姫も寝てはいなかった。彼女は、意味深な意匠が彫られた貝殻で占っていたのだ。


 数個の貝殻を土の上に広げては手の中に戻し、また広げる。それを何度も繰り返した。


「なにをしているんだ」


 妹の肩越しに、安彦がのぞき込んだ。


が読み取れないの」


 卦とは、将来の吉凶を告げる様々なかたちのことだ。陽姫はこの大木の根元で憩いはじめてから何度も占ったのだが、その都度、象は支離滅裂だった。こんなことは初めての経験で、陽姫は不安に抱きすくめられたような心細げな顔ですぐ上の兄を見た。安彦は妹の黒髪をなで、微笑んだ。


「五十茸山の霊力が邪魔をしているのさ。ここから先は、もう占いは必要ない。朝になったら山に入って、災いの木の実を見つけて帰るだけさ」


「そんなに簡単に見つかるかしら」


「見つかるさ。おれにはもう、木の実の場所が分かっている」


 これはあながち嘘ではない。木の実は大地から霊力を吸い込んでいると饒速日は言った。安彦には、その霊力の流れが見える気がした。それは微妙な感覚としかいえないが、感覚を追っていけばいい。


「でも、おおきな獣がたくさんいるわ」


「今日はいきなりで面食らっただけさ。大きくたって獣は獣。人の知恵には適わない。それに」


 安彦は、離れた場所で眠りこける二人の兄を指さした。大彦の寝息はとくにうるさく、さっきまで聞こえていた奇怪な鳥の鳴き声が恋しくなるほどだった。


「あの二人を見習わなきゃな」


 安彦がそういうと、陽姫はやっと微笑んだ。


 陽姫は安彦の腕を抱いたまま瞼を閉じた。


 安彦は空を見上げた。本物の木立と、幻影の木立の梢に切り取られた星空が見える。


 饒速日、高志、悪霊、姦鬼。恐ろしいものはたくさんある。それらの脅威から妹を、兄を、家族を、磯城族の人々を守ってやれる力があればいい。そう思いながら安彦は空いている方の手を空に伸ばした。もちろん、星はつかめない。だが、無尽蔵の霊力を持つという災いの木の実はこの手につかめるかもしれない。自分なら、災いを福に転じさせることができるはずだ。そう信じながら、安彦はずっと星空を眺め続けた。


 星に吸い込まれたのか、夢に吸い込まれたのかはっきりとしない微睡まどろみを、大地の突然の鳴動が破った。山彦の鏡が倒れ、幻影の木立が消えた。


 安彦は跳ね起きた。他の三人も同じだ。


「なんだ、一体」


 大彦と大日はとっさに勝軍木の剣を構えたが、揺れがひどく立っていられない。転げそうになった陽姫を支えた安彦も踏ん張れず、大木にすがりついた。


 鳴動はますます大きくなり、雷鳴のような獣の咆吼が幾重にも鳴り響いた。


「戦だ」


 その場に立ったことのある大彦にはわかった。この大地の揺れと咆吼は戦場にしかない現象だ。


 四人は這うようにして、なんとか木立を抜けて外の様子をうかがい、絶句した。


 どれほどの獣が結集しているのだろう。


 五十茸山の広い裾野を舞台に、何千という獣が戦いを繰り広げている。熊、牛、猪、鹿、山犬、鷲、鷹。どれもが通常の二倍も三倍もある巨大さだ。


 これは天神地祇の戦いなのだろうか。四人にはそう考えるしかなかった。人は陽光の下で戦うが、神は月光の下で戦うものなのか。


「ここを早く離れよう。すぐに巻き込まれるぞ」


 大日は他の三人をき立てたが、すでに遅かった。


 獣の両軍の戦いはますます激しさを増し、向かって右手の陣営が別働隊を放って、敵の側面を突こうとした。巨大な猪の集団が黒い土石流のように迫ってくる。その集団に襲われては、木立など踏みにじられてしまう。


 揺れる大地の上を四人は懸命に走ったが、猪の土石流にみ込まれた。


 折れ飛ぶ木の梢が見えた。天地が逆さまになり、星が落ちてきそうな衝撃に四人はもみくちゃにされた。


 てっきり、怒濤の猪の足でぺらぺらに踏み潰されるか、岩や木と一緒に挽肉にされるかと思ったが、四人は、気がつけば月夜に浮かんでいた。


 足の下で、獣たちが戦っている。さっきまで四人がいた木立は跡形もなくなっており、猪の突撃隊は敵の横っ腹を食い破っていた。


 薄い膜に四人は包まれていた。月光の当たり具合によっては、膜は七色に一瞬輝いた。


 四人は戦場の上空を移動していく。


 五十茸山の裾野に連なる小山の鬱蒼とした森の中へ、四人は降りていった。


非永ひとごときが、あんなところで何してやがった」


 四人はいきなり怒鳴られた。ちなみに、非永とは人のことだ。限られた命を持つ生命の総称でもある。なお、神は隠身かみのことで、物理の目で実体をみることはできないが永久とこしえに存在する命のことである。


 怒鳴りつけたのは、巨大な熊だ。周りのどの樹木の梢よりも頭が上にある。後ろの月が迷惑しているように見えた。


 胸のところに三日月型の白い斑紋がある。つまり、月の輪熊だということだ。それはそれとしても、なぜこんなにも巨大なのか、四人にはかいもく見当がつかなかった。


「まぁいい。てめぇらは後回しだ。おい、土竜もぐらどもはやつらのどてっ腹に穴開けやがったか」


 ここはどうやら、獣たちの一方の本陣らしい。この巨大な月の輪熊が総大将のようだ。土竜というのは、先ほどの巨大猪の集団のことだろう。


 四人は逃げだそうとしたが、たまに七色に輝く薄い膜は、殴っても、蹴っても破れなかった。


 大きな羽音がして、四人が見上げると、一羽の怪鳥がゆっくりとした動きで、月の輪熊の肩に乗った。


「いいとこまではいったけど、だめだね。鹿屋野姫かやのひめに蹴散らされちまったよ」


 怪鳥は斥候うかみらしい。


「役に立たねぇやつらだ」


 月の輪熊は舌を鳴らした。その音は、四人には落雷の轟きに近かった。


 たまに七色に輝く薄い膜から脱出しようと四人は懸命になった。だが、大彦が棍棒でいくら殴りつけても、大日が勝軍木の剣で切りつけても、安彦が破邪の呪いを投げつけても、薄い膜は素知らぬ顔をしていた。そのうち、一匹の熊があがく四人を見て、にやりと笑った。それで四人はあがくのを止めた。何をしようと無駄らしいことが分かったからだ。


「けっ!こうなりゃ俺様がじきじきにお出まししてやらぁ。あの、すれっからし女の尻を蹴り上げて、しつけてやるぜ」


 月の輪熊は、森の木々が吹き飛んで、星が落ちてきそうな咆吼を上げた。


「最初っからそうすりゃいいんだ。めんどくせぇことさせやがって」


 と、悪態をついたのは、さっき四人を笑った熊だ。彼はこっそり愚痴ったつもりらしかったが、総大将の耳は地獄耳のようで、蹴飛ばされて星空に消えていった。 


 本陣の熊たちがざわめいたのは、仲間の一人が星になったからではない。総大将の癇癪かんしゃくに触れて遠い旅路に放り出される仲間は、彼らには珍しいことではないのだ。


 最初、星が近づいてくるのかと四人には思えた。やがて光球であることが分かり、その光球はどんどん近づいてきた。月の輪熊は上下の牙を噛みしめて唸っている。


 その光球は、四人が隔離されている薄い膜と同じようなものらしかったが、もっと巨大で、もっと輝いていた。


 光球の中には、これも巨大な一頭の鹿がいた。角はないから牝鹿めじかである。優美な姿をしているが、四肢は強靱な力を秘めているようで、見るからに神々しかった。


 牝鹿は、緑色の雲のような、草の塊に乗っている。怪鳥が話していた鹿屋野姫がこの牝鹿なのだろう。鹿屋野とは、萱野かやの、つまり草原のことだろう。草原をべる鹿の女王なのだ。であるとすれば、月の輪熊は山を統べる王なのかもしれない。

 大日はそんなふうに考えた。

 斑鳩族との戦争を止めるため五十茸山へ向かった磯城族の四兄弟妹は、そこで神々の戦いに巻き込まれる。

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