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夕暮れと炎天下

作者: 社畜総大将

野球もの。

短編です。


 右腕が大きく弧を描き、指先から放たれた白球は減速する事なくまっすぐに───




 ぱすっ、と気の抜けるような軽い音。

 球を受ける捕手(キャッチャー)はおらず、ホームベースの後ろに立てられた等身大のネットの中に、ボールは吸い込まれた。


 ころころと転がるボールに目もくれず、マウンドのすぐ横に置いたカゴから次のボールを取り出した。

 グローブの中で握りを確かめながら、同時に意識をネットへと向ける。等身大のネットに貼り付けられたアーチェリーの練習に使われるような的と、その真ん中に書かれた『ストライク!』の文字。


 ちょうどその文字の部分が、ほぼ全ての打者(バッター)のど真ん中にあたる。


「ふぅ───」


 目を閉じて、小さく、静かに息を吐く。


 そして、目を開けるとそこは───




        ◇   ◇   ◇




『バッター、四番ファースト、────くん』



 熱気溢れる白昼の球場に変貌していた。



 長年に渡る経験により培われた、リアルさえも上回る圧倒的な妄想(イメージ)


 ウグイス嬢のアナウンスが響き、一人の打者がバッターボックスに立った。

 この蒸し返す夏の暑さの所為か、相手の顔はおぼろげで、よく見えない。

 どんな顔をしているのか、何を考えているのか。


 ……いや、今はそんなことどうでもいい。


 投手がボールを握り、捕手が座り、打者がバッターボックスに立った瞬間に、勝負は始まったのだ。

 ならば今、自分がやることはただひとつだけだ。


 アンパイアの開始の合図を受け、打者はバットを構え、捕手は空いた右手を下に下げる。

 捕手からのサインは、人差し指、一本。


 すなわち───ストレート。


 すぐさま体勢を変え、キャッチャーミットをこちらに向けてボールを受ける構えをとる。

 少し動いたと思えば、ミットはある場所──ホームベース上、打者の膝上で止まった。


 内角低め、ギリギリストライクゾーンだ。


 首を縦に振り、肯定を示す。

 再度、グローブの中で握りを確かめる。

 二本の指をしっかりと縫い目にかけ、射抜くような目でミットを見る。


 大丈夫だ。まっすぐには自信がある。



 ───大丈夫だ。



「ふぅ───」


 もう一度、息を小さく吐いて、それで準備は整った。

 ツーアウト、ランナー無し。


 ゆえに大きく振りかぶる、ワインドアップモーション。

 片足を上げ、腰を捻り、残った軸足に全体重が掛かるが、それも一瞬。


 捻った腰の戻りと連動し、身体全体が正面へと向けられていく。

 その流れの中で、右腕がまるで投石機のように大きく弧を描く。

 

 右腕が最高到達点に至った時には、既に体重は軸足から、再び大地を噛み締めた左足に移動を始めている。

 後は、このまま───


「おおぁっ───!!」


 右足で大地を蹴り上げ、それで完全に全体重が左足に集中する。それと同時に、最高点から一気に振り下ろされた右腕から、その指先から、ボールが放たれた。

 

 放出された白球は、見えない空気の壁を容易く切り裂き、マウンドからホームベースまでの十八メートル弱を白い軌跡を残し、ただまっすぐに奔る。


 その着弾までの時間は、一秒を下回る。


 それが投手と打者の闘いだ。一秒にも満たない、コンマの世界の攻防。

 その瞬きの一瞬で、打者はボールかストライクか、振るべきか否かを判断しなければならない。


 考えるよりも早く、身体を反応させ迎え撃つ打者と。

 その思考も、肉体の反応すらも切って捨てる投手。


 その闘い、第一ラウンドは、


「───!」


 きぃん、という甲高い衝突音と共に終わりを迎えた。


 初球、内角低めに向けて放たれた速球を見事に迎撃した打者は、白球の結末を当然知っているとばかりにバットを放り捨て、ゆっくりと走り出す。


 見惚れるような放物線を描き、白球はライトスタンドへと吸い込まれていった。

 ピッチャーマウンドから白球の行方を追いかけ、スタンドに運び込まれる様子を呆然と眺めていたが、


「───ファール!!」


 三塁線の審判の大声に、はっ、と意識を取り戻す。


 どうやら入る瞬間、僅かに切れていたようだ。

 打者は何も言わず、表情を変えず、黙々と淡々と再びバッターボックスに向かう。


 その姿をただただ見つめる。


 何てことだ。

 自慢のストレートを、ファールではあるがスタンドに運ばれた。そのことに怒り、焦り、乱れることもなく。



 まだ、コイツと闘うことができるなんて。



 名前も顔も知らない男。

 だが今の、たった一度のフルスイングで、この男が紛れもなく強打者だと理解した。

 そんな男と勝負できることが、こんなにも嬉しいなんて。


 男はゆっくりとボックスに入り、再びバットを構えた。その表情は依然として見えないが、猛禽類を思わせる、敵を射殺すような目を向けられた。


 ごくり、と唾液を飲み込む。心臓さえも鷲掴みにされたように錯覚し、身体も少し震えている気がする。


 恐怖だろうか、それとも武者震いか。


「……はは」


 小さく笑い、乾いた唇を舌で舐める。見れば、捕手も既に座り、こちらの様子を伺っている。


 あとは、俺だけだ。


「いいぜ───やってやるよ」


 口元が大きく歪んだ、と感じた。

 笑っているのか。ああ、笑っているのだろう。


 捕手のサインを確認する。人差し指と中指の二本、カーブ。

 首を振り拒否を示す。続くサインは横に向けられた親指、スライダー。


 ───拒否。


 次のサイン───拒否。


 次のサイン───拒否。


 違う。違う。違う違う違う。



 困惑した目で俺を見つめるキャッチャーが、ゆっくりと、サインを出した。



 人差し指一本───ストレート。



 首を縦に振る。

 諦めたような顔をしたのも一瞬、目付きを変えて、まっすぐに俺を睨むキャッチャー。


 まるで、敵が二人いるようだ。

 それも良い。精々、期待に応えるとしよう。


 初球と同じく、大きく振りかぶったワインドアップモーション。

 全てが最初と同じだ。捻る身体も、ボールを握る指も、流動する全体重と踏み込む左足、直角九十度まで到達した右手。


 違いがあるとするならば、構えられたミットの位置。

 コースは、ど真ん中。


 その意味は、正々堂々の真っ向勝負。



 ───食らいやがれ、強打者(スラッガー)



 体重移動が終わる瞬間、残された右足を蹴り上げ、その爆発的な推進力をもって右腕を振り降ろす。


 再度射出される、時速百五十キロの豪速球。

 人の肉体のみで飛ばされたそれは、まさに正真正銘の弾丸だ。

 頭部に直撃でもすれば、運が悪ければ命を落とすこともあるだろう。


 だが、今この瞬間に、そんなミスなどしない。


 回転数を増したボールは、一直線にミット目掛けて突き進む。

 

 打者は球種もコースも狙い通りだったのだろう。ジャストタイミングでバットを振る。

 すべてがスローに流れ、ボールとバットが今まさに衝突しようとする瞬間までもが見てとれる。




 そして、一瞬の後───




        ◇   ◇   ◇




『ストライク!』


 そう書かれた的の中心にボールがぶつかり、地面に落ちてころころと転がる。

 世界は熱狂する灼熱の球場などではなく、夕日が照らす、オレンジ色のグラウンドだった。


 休日の部活が終わりぞろぞろと帰るチームメイトに、練習を続けると言ってこの場に残って投げこんでいたことを思い出す。

 そんなことを忘れていたほど、イメージに没頭していたとは。


「……何がストライクだ。間違いなくホームランだろ、さっきのは」


 転がるボールを睨み付けて、一人ごちる。


 屈辱だ。イメージの中でさえ、完敗するなんて。

 最強の相手を想像し、最強の自分で迎え撃った。それで、敗北。


 カゴに手を伸ばし、ボールをまたひとつ握る。

 手の中でそれを転がし、


「甲子園、か……」


 また呟く。


 ───甲子園。

 

 高校野球最大の大会。その年代最強の称号を求めんと、全国から集まった数多の強豪校と死闘を演じる。

 もちろん、出場する為にも長い戦いがあり、そのすべてに勝たなければならない。


 頂きは遥か遠く、道はあまりに細く険しい。



「まだまだ練習が足りないな……」


 今のままでは、絶対に叶わない夢。


 だが、まだ時間はある。残りすべての時間を野球に費やし、その最強の称号を手に入れる。

 三年生になった自分には、今年の大会が最後だ。

 一日だって無駄にできない。


 そう思い、投球体勢に入る。

 徐々に暗くなってきたが、練習を止めるにはまだ早い。


 ぱすっ、と気の抜けるような音が、完全に暗くなるまで何度もグラウンドで響いていた。

 

終わりです。

ありがとうございました。

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