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窓の向こうから運営

作者: 憂木冷




 狼という固有名詞で呼ばれるカレは、一枚のボードを眺めている。

 畳一枚よりも少しだけ広い。ボードの左半分は窓のようになっていて、どこかの町を空から見た風景が切り出されている。右半分には、様々な強さで光る駒が置かれていた。

 狼は、隣でボードを広げている者に声を掛けた。

「なあ、天使。‘運営’に新人が入るってのは本当か」

「らしいね。‘管理’の奴が言ってたよ」

「確か運営って、完全に人数は固定だったよな」

「そうだよ。誰か入るときは、誰かが代わりにいなくなる。」

「俺のボードの駒、最近光り方が弱いのが多いんだ。やばいかもしれない」

「どれどれ。なんだ、それくらいならまだ一番酷くはないよ」

 天使と呼ばれた者のボードに比べると、全体的に駒の光は弱々しい。しかし、フォローするように、天使は付け加えた。

「それにまだ狼は一番の新入りだし、いきなり消されることはないよ」

「なんだ、そうなのか」

「もし、次に消えるとしたら、悪魔の番だろうね」

「そいつ、そんなに酷いのか」

「酷いなんてもんじゃない。カレの駒は、次々に真っ黒になる」

「真っ黒? それはやばいな」

「何を考えているのか分からない奴なんだ。普通に運営をしていれば、光が消えることなんてないはずなのに。あいつはわざわざ光を消しに行く」

「何か意味があるのかそれは」

「さあね。自分の首を絞めているだけにしか見えないけれど」

 自分のボードを見ながら話していた天使は、そこで話を区切ると、数秒前よりも少しだけ光の弱くなった駒に触れた。すると窓の先の景色が変わり、ひとりの人間が映し出される。

 その人間に向かって、天使は何かをつぶやいた。

 それはカレらの、一般的な駒への干渉方法だ。

 カレらは、自分の駒に自由に干渉することができる。

「さすがに天使と呼ばれるだけあって、親切な運営方法だ。本当に天使みたいだな」

 狼は僅かのあきれを含めてそういった。

 カレらは運営する。

 ボード上の駒で表された、人類の歴史を正常に進行させるために。




 運営の目的は、より効率よく、平均的に強く光り輝く駒を誕生させることだ。悪魔と呼ばれる運営の一員も、そのことはよく分かっていた。しかし、分かった上で、そんなことはどうでもいいと思っていた。

 カレは自分のやりたいように運営する。

 もちろん周囲から批判的な目で見られていることも自覚しているし、いつ自分の立場がなくなってしまうか分からない状況にあることも察していた。

 それでも、「全部どうでもいい」と、内心で思っていた。

 カレには正しく運営を行う気はない。

 悪魔のボードの上で、ひとつ駒が強く光った。

 すぐに悪魔はその駒に触れる。

 窓には、真剣な表情で軟式の野球ボールをブロック塀に白いチョークで書かれた四角い枠に投げ込む少年が映った。

 少年は一度投げて、壁に当たって跳ね返って来るボールをキャッチする度に不満そうな顔をした。時々小声でつぶやいている。それは、枠に対するコントロールだったり、肩の力み方だったり、重心のブレについて、自分の中のチェックシートを確認するように行われる、とても繊細なだめだしだった。

 悪魔は確認する。駒は少しずつ光り方を増している。微細な変化だが、カレにはその変化をしっかりと確認できた。

 運営が所持する駒は、その駒に対応する人間の脳活動に応じて強く光る。優れた人間ほど強く光り、何も考えないほどに光は失われてしまう。

 通常、運営は光が弱りすぎないように維持しつつ、できるだけ強い光の駒が生まれるよう、人類に干渉する。

 しかし悪魔は違った。

「おしっ、こいついいな」

 と溢れるような笑みを浮かべ、窓の中に飛び込んだ。

 一般的に、運営は言葉を使って、対象の人間の思考に干渉する。それがもっとも簡単で、もっとも効率的な方法だからだ。

 しかし悪魔は違う方法を好んで使う。

 運営は、窓に飛び込むことで、対象の人間の前に、疑似的に姿を現す。




 少年はボールをキャッチした。

 ボールを取ってから、一度自分の投球フォームを確認する。今、自分はどうやってボールを投げたのか。正解は分からない。けれど不正解はよく分かった。

 今まで自分が投げた中で、もっとも理想的なボールを思い出す。

 その一回だけは、すべてが完璧にはまっていた気がした。少なくとも、自分の能力を惜しみなく発揮できていたのだと思う。しかし、それを再現することができなかった。

 一度きりしかできないことは、実力じゃなく、ただの偶然だ。

 以降、少年は何度投げても、同じボールを投げることはできなかった。

 しかし、少年は考えた。

 自然に再現することはおそらくできない。それこそ、また偶然に頼るしかないのだろう。

 だったら、意図して、ひとつずつ、あのときのとずれを補正して行くしかない。偶然で起こったことを、今度は必然的に起こすために、その偶然と同じ条件を模索するしかない。

 夕飯を食べながら考えていた少年は、残りのご飯を流し込むように口に入れ、ボールとグラブを持って外に出た。

 それこそ、偶然だったのかもしれない。今日このときの少年は、おそらく普段と比べて、柔軟で緻密な脳の使い方ができた。古い屋敷を探検する子どものように、偶然、自分が上達するための階段を隠し扉の裏に見つけたのだ。あとその階段を上るのに必要なのは、単純な努力だ。

 少年の脳は活発に思考し、努力し、成長していた。

 しかし、ボールをブロック塀に白いチョークで書かれた四角い枠に投げ込み、帰ってきたボールをグラブでキャッチしたとき。瞬き一回分前まではいなかったはずの人間が目の前に現れた。

 ——人間?

 少年は疑問に思った。

 目の前には、単純に「成人男性」と表記される保険の教科書のイラストのような男が立っていた。どう見ても平均的な日本人の成人男性だ。しかし、人間と思えない何かがあった。

 どこがどう他のヒトと違うのか、説明することはできなかった。ただ、突然目の前に現れた驚きのせいで、常人離れした何かを感じてしまっているだけなのかもしれない。

「なあ」

 成人男性は口を開いた。甘いはちみつの香りをかがされているような気持ちになる声だ。

「今日はもうやめた方がいい。昼間も練習しただろう」

「今日は投球練習はしてないから投げても問題ないよ」

「でも疲れてはいる。布団に入って疲れをとった方が、効率がいいんじゃないか」

「それはもっともだけど、多分今の感覚は、今掴まないと、明日にはない気がする」

「大丈夫だよ。一度体験しているんだ、きっとまたわかるさ」

「そうかな」

 少年は自分の手を見つめた。ボールが握られている。ボールの重さが、今日はいつもよりリアルに手に伝わってくる気がした。きっと、かなり深く集中できている。

「それに明日も朝早いだろう。明日また練習すればいいじゃないか。自主練なんかしなくても、チームが練習メニューを作ってくれているんだ。任せておけばいいんだよ」

「だけど、それじゃチームの中で勝ち残れない」

「本当にそうか。おまえより速い球を投げる奴は、今部屋でマンガを読んでいる。おまえより足の速い奴はもう布団で寝ている。おまえより判断力が高い奴は今ペットの猫とじゃれ合っている。それなのにおまえだけ練習時間以外にもボールを投げているのはなぜだ」

 成人男性は何でも知っていた。けど、そのことを物理学の公式をそういうものなんだな、と飲み込むのと同じように、少年はごく自然に受け入れていた。

 成人男性はその後も、様々な話を少年にし、姿を消した。

 少年は意識半分でボールを見つめていた。さっきまでボールを投げていたはずなのに、いつのまにか頭がぼーっとしてらしい。よく考えれば、もうそろそろ眠らなければならない時間だった。まだ、自分の理想的な投球を再現するきっかけを掴み切れていなかったけど、そろそろ練習を切り上げようか。

 少年は、成人男性に会ったことはもう覚えていなかった。

 会話によって顕在化した、疲労感や眠気、怠惰な感情だけが残って渦巻いている。

 もう、考えるだけでも面倒な気分だった。






 悪魔は窓の中から戻ると、またボードの前で少年を見下ろした。しばらく、駒の光と窓を観察する。次第に駒の光は弱まり、一定の暗さで固定された。少年は布団に入って寝息を立てている。

「ははっ、くだらねえ。笑えるな」

 悪魔はそういうと、声を上げて笑った。

 ほかの運営たちの非難的な声が耳に入るが気にはしない。そんなことは全部どうでもよかった。自分はやりたいようにやる。






 天使は狼に言った。

「悪魔、また優秀な人間をだめにしてしまったらしいよ」

「その人間はどのくらい優秀だったんだ」

「高校野球の地区予選で、決勝に行くか行かないかくらいの高校のエースにはなれそうな器だった」

「なかなかじゃないか。もったいねえ。そのくらいの奴まで育てようと思ったら、結構苦労するぜ」

 天使と狼は同時に溜息をつく。

「悪魔の最高実績って、どのくらいなんだろうな」

 狼は気の抜けた声で言った。

「おそらく過去最低クラスだろうね。ちょっと調べて見ようか」

 そういうと、興味本位で天使は管理にアクセスした。

 天使も運営の中ではそれなりに古株だが、悪魔はそれよりもずっと以前から運営にいる。そう思うと不思議だ。今までだって、入れ替えはあったのに、どうして真っ先に悪魔は消されていないのだろう。

 何か、隠された事情があるのではないか。

 天使は疑心的な目でそっと悪魔を見た。






 悪魔は今日で運営を去ることになった。

 運営は完全に入れ替え制で、新入りが来れば、もっとも成績の悪いものが消えることとなる。それに悪魔が選ばれた。悪魔自身も含め、運営のものすべてが当然だと納得していた。

 それと同時に、悪魔が去ることを惜しむものもいた。

「悪魔。聞かせてくれ。どうして君は、駒の光を消すようなことばかりしていたんだ」

 天使は訴えるようにいった。

「どうして? 俺は自分のやりたいことをやっていただけだ」

「私は知っている。管理にアクセスして調べた。君は私が運営に来るよりも前に、歴史上もっとも輝く駒を作っている」

「それがどうした」

「そんなことをできるのに、どうしてずっとそれを続けなかったんだ」

「馬鹿なことをいうなよ」

 悪魔はせせら笑う。

「ずっとやっていたさ」

 天使は言葉を失った。回想するように悪魔の行動を思い出すが、その言葉と結びつかなかった。

「俺だって運営の一員だ。ここに来る奴は皆、強く輝く駒の美しさに心を奪われている。そういう風になってる」

「だけど君の駒は、光を失ってばかりだった」

「あんなもんは大したものじゃない。どうだっていいくだらない光だ。俺は本当の輝きを見たいんだ」

「どういう意味だい」

「自分で考えろよ。もしおまえの駒があるとしたら、大した光り方はしてねえだろうな」

 それは天使を馬鹿にする言葉だった。文字通り、頭が使えていない馬鹿だという意味で。

「まあ、いいさ。教えてやる。俺たちと違って人間は簡単にへこたれる。そんな人間の足を俺は何度だって何度だって、ごく愉快な気持ちで引っ張りに行く。邪魔をする。障害になる」

 運営は、悪魔に注目していた。

 多くはカレをさげすむように見ていた。

 悪魔は最低の運営だ。

 しかしそんなものはどうでもいい。自分の立場すらもどうでもいいと思う。その視線をすべてなかったことのように、悪魔は言う。

「俺が望んでいるのは、弱々しい駒の光が、俺に負けないで輝きを増し続けることなんだよ。本当の輝きは、いくら俺たちが窓からヒントを投げかけたって得られない。本人が人間の根本的な障害に勝たなければ無理なんだ」

 だから悪魔は、人間の成長に障害を作った。その障害は姿が見えない。しかし鋼や鉱石よりも遙かに強固だ。ほとんどの人間は、様々なことを考えて考え抜いた末に、障害に屈して考えることをやめてしまう。納得して、頭のいいフリをして、大人ぶった態度で、大切なことをあきらめる。

「本当に大切なことは傷つかないことや、苦労しないで生きることじゃない。傷ついたっていいし、いくらでも苦労すればいい。だけど、そんな体や心の苦しみに屈してたまるか、って言って、そうして人間は強い心を手に入れるんだろう」

 だからこそ障害を乗り越えたときが、本当に輝かしい。そういう姿が、本当に美しいと思う。

「俺は自分の立場なんかどうでもいい。下らなくてダサい奴ばかりでうんざりなんだよ。本当に輝かしい人間が生まれることだけが、俺の望みだ」

 それだけ言うと、悪魔は運営から姿を消した。

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