第一話
春っていう季節は、人の心を新たにするものだ。それが高校の新入学と重なれば尚更だ。
俺は桜並木の向こうに見える白い学び舎を見ながら、期待と不安に胸を震わせていた。
なぜ期待だけでなく不安も抱えているかと言えば、この私立王輪学園高校に中学からの同級生がほとんどいないからだ。中学の時からの親しい友人|(あまり多くはないが)たちは別の高校に行ってしまった。その上、俺は割と人見知りな方なので自分から友人を作ったり、みんなの輪の中に入って行ったりすることは正直言って得意ではない。
できることなら、気の良さそうな奴に話しかけてもらって、自然と友達が増えるのが理想なんだけど……実際問題、そんな都合のいいことは起こらないだろう。
他の生徒たちは大抵、中学からの友達と一緒に進学しているだろうし、入学前からある程度仲良しグループが出来上がっているはずだ。う~ん、そういう仲良しな連中の中にすんなりなじめればいいんだけど……俺ってそういう時、気が引けちゃうタイプなんだよなぁ……。
だからといって、一人でもじもじしていたら、ますます孤立を深めるだけだ。クラス内、いや学内で浮いた存在になってしまったら、楽しいスクールライフなんて夢のまた夢だ。
下手をすると、入学早々にクラス内で孤立してしまって高校三年間ボッチ確定……なんて恐ろしい未来まで予見してしまう。ううっ、怖い怖い……。
いや、いくら俺が人見知りと言ったって、ちょっと内気なくらいだから、そんなひどい未来には陥らないはずだ……多分だけど。
だが、高校に知り合いがいないっていうのは何も悪いことばっかりじゃない。高校に中学の同級生がいっぱいいると、どうしても中学の時と同じキャラクターを演じることになってしまう。昔からの自分を知っている連中の前で、イメージチェンジした自分を見られるのってすごく恥ずかしいもんだからな。「うわっ、あいつ高校デビューしちゃってるよ」なんて言われたりしたら、恥ずかしくってたまらないし。でも、繰り返しになるが、この学校には俺を知っている奴はほとんどいない。
つまり、俺は今までの自分とは違う自分になることができる! 俺はこの王輪学園で新たな一歩を踏み出すことができるのだ!
……いや、こんなこと言ってるけど、別に俺はそんなに暗黒の中学時代を送っていたわけじゃないんだよ? ま、平凡というか、地味な学生生活ではあったけど、そこまでひどい思い出があるわけでも……って、誰に言い訳をしてるんだろう、俺。
ともかく、あれやこれやと不安を抱えている俺だが、同時に高校生活に大きな期待もしているのだ。この王輪学園は部活動のとても活発な学校として有名だ。なんでも、体育会系から文化系、さらにはよその学校ではあまり聞いたことのないマイナーな部活に至るまで様々な部活が存在するのだという。そう言えば、新聞の地域欄とかスポーツ欄にも王輪学園の名前がよく載っている気がしたなぁ。新聞はテレビ欄と四コマ漫画以外はざっとしか見ないから、うろ覚えだけど……。
王輪学園の部活動以外の特徴としてもう一つ挙げられるのが、もともとは女子校だったということだ。現在は共学になってから何年も経っているので、一年から三年まで男子生徒もいるし、男女の生徒比率もおおよそ半々なのだが、それでも女子校だった頃の名残なのか、女子生徒の元気がとてもいいらしい。これは学校の雰囲気だけに留まるものではないようで、部活動においても好成績を残す生徒は軒並み女子なのだという。ま、それに加えて、男子中心の部活が創設してから歴史が浅いということも大きく関係しているのだろうけど。
ちなみに、これら王輪学園の噂はすべて俺の叔母さんから聞いたものだ。叔母さんはこの王輪学園のOGだということで、俺が自分の母校に入学すると知って、あれこれと学校に付いて教えてくれたのだが……考えてみれば、俺の叔母さんも元気がいい人なんだよなぁ。王輪学園の校風に影響されて元気になったのか、もともと元気な女子が王輪学園に吸い寄せられてくるのか……。王輪学園は女子が元気だって言うけど、学校中の女子が叔母さんみたいなタイプの子ばっかりだったらたまんないな……って、こんなこと考えてるのを叔母さんに知られたら、怒られそうだけど。
でも、叔母さんにはとても感謝している。なぜなら、叔母さんから色々話が聞けたおかげで、俺は王輪学園での目標を見つけることができたからだ。
それは、演劇部に入ること。
中学までの俺は外見も中身も平凡で、取り立てて目立った部分もなく、さらには少し引っ込み思案な性格も相まって、何の変哲もない生活を送っていた。そんな毎日は辛くはなかったけれど、決して満たされたものでもなかった。このままの生活を続けていけば、多分、俺は今までと変わり映えのしない毎日を過ごし、平凡でちょっと退屈な日々を送っていくことになるのだろう。それも悪くはないけど……やっぱり良くもない。
だから、俺はこの王輪学園で新たな一歩を踏み出し、自分を変えると決めたのだ!
そして、俺の引っ込み思案な性格と地味な生活を変えるためにもっとも最適な方法は……と考えた末、たどり着いた結論が演劇部入部なのである!
と言っても、演劇のことなんて何にも知らないし、なんとなく華々しいイメージがあるから、面白いことがありそうかなぁ……ってくらいのいい加減な動機なんだけど……。
でも、何事も始めなければ始まらない! まずはチャレンジすることが大切なはずだ!
待ってろ、王輪学園! 待ってろ、演劇部!
「……演劇部? う~ん、そんな部活、うちの学校にあったかしら……?」
演劇部は俺のことを待ってはいなかった。いや、そもそも存在すらしていなかった……。
入学式を終え、最初のホームルーム等、諸々のお約束事を済ませた俺は職員室に来ていた。
職員室に来たと言っても、もちろん入学初日から問題を起こして呼び出されたわけではなく、王輪学園の演劇部について担任の女性教諭に尋ねるためだったのだが……。
「あの……本当にないんですか? 演劇部?」
俺は信じられない思いで、先生に問い返した。
「ええ、私の知る限りでは聞いたことはないわね」
「でも、王輪学園って部活動が活発だって言うじゃないですか。たしか、色々な部活があるって噂を聞いたんですけど」
「そうね。部活は体育会系も文会系も盛んだし、同好会みたいな小さな部活もたくさんあるけど……ええっと、君は志藤君よね?」
「はい、志藤和輝です」
さすがに入学初日のせいか、先生も俺の名前はうろ覚えのようだ。と言っても、俺も先生の名前は今朝聞いたばかりだから、やっぱりうろ覚えなんだけど。名前はたしか、飯田……園子先生だったかな? 年齢は二十五歳と言っていたから、先生の中では若手の方のようだ。
「志藤君、もう入部する部活を決めたの? ずいぶん熱心ね。それも、演劇部だなんて……中学でもやっていたの? それとも、演劇に興味があるとか?」
「あ、いや、別にやっていたと言うわけじゃないんですけど、なんとなくいいかなって……」
「私もこの学校に赴任してからそんなに経ってないから、全部の部活を把握しているわけじゃないし、もしかしたら演劇部もあるかもしれないわね……待ってて。今、調べてみるから」
飯田先生はそう言うと、机の上のパソコンに向かって何やらパスワードを入力し、王輪学園の情報について調べ始めた。だが、思うような情報が得られなかったのか、今度は机の引き出しやら壁沿いの本棚やらにある分厚い書類を引っ張り出し、ペラペラとめくり始めた。その間、俺はすることもなく、先生の表情をうかがっていたのだが……俺の期待に反し、先生の顔色はどんどん曇っていく……。
あれ? あれあれ? 嘘だろ? 俺、演劇部に入れないの? でも、叔母さんは演劇部もあるって言ってたぜ? 大体、挫折ってのは物事を始めてから味わうものだろ? それは俺だって部活に入って挫折するかも、とは思っていたけど、それは仲間たちと切磋琢磨したり、ぶつかったり、先輩や先生に叱られたり、何度挑戦しても上手くいかないことがあったり……そんな諸々の中で味わうつもりだったんだ。なのに、そもそも部活に入れない、部活自体存在しないって……俺、挫折すらさせてもらえないじゃん……。
飯田先生は分厚い書類を閉じると、小さくため息をつきながら俺の方を向いた。
「……ごめんなさい。やっぱり、演劇部はないみたいだわ」
「そうですか……」
ダメとは知りつつも、一縷の望みを託しながら先生の言葉を待っていた俺だが、その答えはやはり想像を裏切ってはくれなかった。
「志藤君、よっぽど演劇部に入りたかったのね? 残念ね……でも、他にも部活はたくさんあるわよ? たとえば、私はテニス部を受け持っているんだけど、志藤君もよかったら入ってみない? まずは見学からでもいいから」
飯田先生は俺を気遣って声をかけてくれた。だが、呆然とした俺にはその言葉が頭に入ってこなかった。
正直言って、ショックだった。演劇部に入れない、演劇部そのものが存在しないことももちろんだが、何より俺が自ら下した決断、自ら踏み出そうとした一歩が挫かれてしまったことがショックだった。
俺は飯田先生に礼を言うと、職員室から退散することにした。さて、これからどうしようかな……? 演劇部に入ろう、なんてやたらに息巻いていたのが馬鹿みたいだ。だからと言って、他にやりたい部活もないし……せっかく先生に進められたんだから、テニス部に入ろうかな? それともいっそ、帰宅部でも別に構わないかな……?
「……ああ、ちょっと君ぃ……もしや、演劇部を探しているのかねぇ?」
その時、背後から声をかけられた。振り返ると、それは飯田先生の真向かいの席に座っている、白髪頭の男性教諭だった。初対面の俺に対しても優しげな頬笑みを絶やさない彼は、いかにも好々爺といった感じだったが、逆にベテラン教師にしてもずいぶん老けこんでいるような印象も受けた。
「あ、はい。でも、飯田先生に調べてもらったら、演劇部はないって……」
「いや、昔はあったよ。だが、なくなってから、もう何年になるかな……」
俺たちの会話を聞き、「海老沢先生、知ってるんですか?」と飯田先生が割って入ってくる。
「飯田先生は若いから、演劇部のことは知らないかもしれないねぇ。だけど、昔は放課後になると、職員室にも演劇部の生徒たちの大きな声が聞こえてきたもんだよぉ。とても活発な部活でね……今の子たちも元気だけど、あの頃の子たちも元気がよかったなぁ」
海老沢という老教諭は懐かしそうに演劇部の思い出を語り始めた。しかし、俺はその言葉を聞きながら一層失望感を覚えていた。……やはり、演劇部は存在しない。それが確定したのだ。
俺は海老沢先生の話に適当に相槌を打ち、その場から立ち去ろうとした。
すると、海老沢先生が去り際の俺にもう一言告げてきた。
「……もしよかったら、演劇部のあった場所、教えてあげようか?」