51話「密談」
このままサッカー小説へ?
そうは問屋がおろしません。
「影信、口を慎め。仮にも主君に向かって暗愚とはあまりに不敬だ」
声を潜めながらも強い口調でたしなめる飯尾連竜に対し、天野影信は尚も言いつのった。
「そのような建前は良い。連竜、お主がいかにこの国の民を大切に思い、その将来を憂いておるかを儂は知っておる。若き頃から夜を明かして話し合った仲だからな。儂とて悲しいのだ。義元公さえご健在であればこのような事で悩まずに済んだ。あの御方であればこの戦国の世を終わらせることも出来るやもしれぬと期待しておったのだ。だがあの織田のうつけのお陰でこのような事に成り果てた。義元公の唯一の間違いは我が子可愛さに能無しを後継ぎとしたことだ。あの氏真が主では今川は程なく滅びよう。そうは思わぬか」
「知らぬ。そのような話は聞きとうない」
「今川が滅ぶ、それは仕方あるまい。盛者必衰は世の習いじゃ。だがこの遠州が織田、武田、北条の草刈り場となり、戦で民草が犠牲になる事は防がねばならぬ。その為には一刻でも早く力のある主を戴かねばならんのだ。儂は義元公のお命を奪った織田の下には付けぬ。となれば選ぶ道は一つしかない」
「だから武田を引き入れようと言うのか。お主は自分が何を言うているのか分かっておるのか」
「無論のこと。既に高天神の小笠原氏興とも話はついておる。儂と小笠原、それにお主が反旗を掲げれば遠州、東三河で今川の先行きに不安を感じる城主や国人共もそれに続く事は必定。それらを抑えるために出てきたところを背後より井伊が突く。挟み撃ちにすれば氏真の首は取れぬまでもこの遠州を今川の頸木から解き放つ事は出来よう。あとは信玄公を主としてお迎えすればよい」
「そのような話は絵空事じゃ、馬鹿な事を考えるのは止せ。そもそもこれはお主の考えた事ではなかろう。その絵図を書いた者の意図が何かもわからぬのだぞ。上手く行く訳がない」
連竜は友を止めたが影信は頑として聞く耳を持たず、逆に血相を変えて説得に掛かった。
「いや、出来る。やらねばならぬ。愚かな氏真を廃し、優れた主の下で民を護らねばならぬ。かつてお主も言うておったではないか。我らが刀を持つは民草の生活を護るためでなければならぬと」
「それとこれとは話は別じゃ。家臣が主を裏切って政道を語るなぞあってはならぬこと。考え直せ」
「いや、お主にはわかっておるはずじゃ。今川氏真は大名の器ではない。平時ならばこそ、この戦国の世に生まれた事が彼の身の不幸、国の不幸よ。儂は立つぞ。後の世の誰になんと言われようとも構わぬ。だが悲しいかな、我らだけでは力が足りぬ。だからここへ参ったのじゃ。連竜、主の知恵と武勇が必要じゃ。儂の為ではない。この遠州の民草の為、力を貸してくれ」
そう言って影信は涙を流しながら頭を床に擦り付けて頼み込んだ。
「出来る訳が無かろう。我が室は今川の一門ぞ。この話は聞かなんだことにしておこう。帰れ」
影信は苦悩の表情で断る連竜の手を両手で包み込んだ。
「連竜、儂はお主を信じておる。この遠州を思う心根を信じておる。我らは間もなく旗を上げる。もし本当に儂が間違うておると思うならば、自ら儂を討ちに来るがよい。さすれば儂はその場で潔く腹を召して見せよう。だがもし思いが少しでも伝わるならば力を貸してくれ。この通りじゃ」
そう言って連竜の手を握りしめ、繰り返し頭を下げて影信は部屋を出ていった。残された連竜はじっと目を閉じ、身動ぎもせず物思いにふけっている。そこへそっと戸を開けて妻のお田鶴の方が入ってきた。
「――聞いておったのか」
「不作法で申し訳ございませぬ。お悩みでいらっしゃいますね」
「何を思い悩むことがあろう。そなたの母は義元公の妹。そなたと氏真公は従兄妹同士だ。このような話に乗れるわけがない」
「では天野影信殿に謀反の意志有りと訴え出られますか」
思いがけぬ妻の言葉に、連竜は思わず怒りの表情を浮かべた。
「何を言うか。影信はわが友、我を信じた友を裏切れと申すか。それこそ武士の名折れじゃ」
「そう言われると思うておりました。では私の出自など下らぬことに気をお使いになられますな」
そう言ってお田鶴の方はそっと微笑むと連竜の腕にそっと手を置いた。
「殿は私のような男勝りな大女を大切にしてくださいました。田鶴はそれで充分、他に望むことは御座いませぬ。お心のままになされませ。田鶴はそれをどこまでも御支え致しまする」
「儂にそのような気は毛頭ない。そもそも今の武田には遠州に手を差し伸べる余裕はなかろう。今川に反旗を翻したとしても孤立無援、上手く行く訳がない。儂が乗らねば影信も無茶はすまい。田鶴は余計な事に気を回すな。それより腹が減った、何か用意してくれるか」
そう言って連竜は笑顔を浮かべて見せた。だがその笑顔はどことなく弱々しかった。
――甲斐、髑髏ヶ崎館。
「勘助、今川の件はどうなっておる」
「つつがなく。間もなく遠州に火の手が上がりましょう」
坊主頭の男は武田信玄。甲斐と信濃の大半を領している戦国大名である。実の父を追放して跡目を継ぎ、現在は北信濃の領有権を巡って長尾景虎と激しく争っている最中だ。話し掛けられている男は山本勘助。顔は醜く隻眼、足は不自由という異形であるがその知恵は並ぶ者なしと言われる信玄の軍師であった。
「良いか、くれぐれも我らが関わっておるという証を残すな。長尾との戦が終わらぬ今、今川と正面から事を構えるは得策ではない。あくまで盟友という体は崩すなよ」
「承知しておりまする。全ては今川家中での揉め事、我らは与り知らぬ事にございまする」
「今は今川がまとまらねば其れで良い。駿河遠江に手を出すは長尾との戦に片がついてからじゃ」
「さようですな。それまではせいぜい派手に揺れて貰うと致しましょう」
そう言って勘助は低い声で笑った。
明日は本編は更新せず、外伝の方を更新する予定です。
よろしければ「『戦国のファンタジスタ(外伝)』〜伊賀忍伝」もよろしくお願いします。