49話「指南書」
背後に居る黒幕が誰かはともかく、怪文書を流している奴らと周りを嗅ぎ回っているという甲賀の忍びは同じか少なくとも近い存在であることは間違いないだろう。それがわかっただけでも一歩前進だ。今のところ誰の指示かもその目的も分からない以上、城主たちの不平不満が暴発しないように説得するしか手のうちようがない。佐奈と服部正成にはひき続き警戒を怠らないように頼んでおいた。佐奈ちゃんの話では俺の周りには二人以外にも俺を陰ながら守ってくれている忍びがいるそうだ。誰がそうなのかは警備の秘密を守るために俺にも明かせないらしい。姿を見せずにボディーガードするってカッコイイな。
怪文書の存在が明らかになってからしばらく経つが、今のところ動きはない。安倍元真によるシャベルやツルハシの生産も徐々に軌道に乗ってきたようで、新田及び綿花畑の開発も進んできているようだ。あと佐奈が入れてくれたお茶を飲みながら気付いたんだけど、静岡といえば茶畑じゃね? ってことで三浦元真に聞いてみたら、遠江の山名って辺りでお茶の栽培は行われているそうだ。これも名産になって現金収入につながることは確実だから、オッチャンにお茶の栽培を振興するように頼んでおいた。
「お邪魔致しまする。昼間から寝ておられるとは流石に良いご身分ですな」
「信置か。ちょっと考え事していただけだ。それで例のアレはどうなってる?」
部屋で寝っ転がりながらあれこれ考えていたら朝比奈信置が入ってきた。開口一番嫌味を言う所がコイツらしいが、今はそれより頼んでおいた仕事の進捗状況が気になる。
「塩田ならまだですぞ。工作奉行より『ぽんぷ』とやらがまだ届いておりませんからな」
「そんなことは分かってる。そうじゃない、例のアレだ」
「ああ、例の服部保長達の移住の件ですな。そちらはつつがなく済みましたぞ。知行として与える新田の開発もある程度は目処が付いて来ております」
コイツ、絶対分かってて言ってるだろ。もったいぶりやがって。
「違う違う、別に頼んだ例のアレだ」
「ああ、ひょっとしてこれの事でございますかな」
そう言いながらイヤミは懐から一冊の本を取り出した。俺はそれを奪うように受け取って中身を確認する。おお、なかなか良く出来てる。挿絵も入って分かりやすい。
「いかがですかな」
「これは良く出来てるじゃないか。思った以上の出来だ」
「かなり苦労いたしましたのでね。お気に召したようでよかったですな」
信置はいかにも自慢げな感じで胸を張った。いやこれは自慢するだけのことはあるぞ。信置が意外にもイラストの才能があると知って頼んでみたんだが期待以上だ。
「これがあれば話は早い。感謝する」
「これは殿への貸しという事にしておきましょう」
「これを印刷して配りたいんだが出来るか?」
「いんさつ、とは聞きなれぬ言葉でございますが要は木版にして刷り上げるという事ですかな」
「そうそう、木版だ。出来るか?」
信置の話ではこの時代、活字を組み合わせて刷る活版印刷の技術は一応あるらしい。だが字の種類が多く縦書きの日本語には向かない為、昔ながらの木版印刷が主流だという事だ。どうせ挿し絵は活版では無理だし、数もそう必要なわけじゃないから木版で十分だろう。信置に木版職人に伝手があるという事なので頼んだ。
信置に頼んでたのはサッカーの解説書だ。題名は『蹴球指南書』。基本的なルールや戦い方が書いてある。蹴鞠しか知らないこの時代の武士たちにサッカーを広めるためのガイドブックだ。苦労したのはまず信置に蹴球というスポーツ用語を理解させることと、サッカー用語をどう和訳するか。例えばドリブルは「蹴り走り」ハンドは「手業」トラップは「球受け」シュートは「蹴り込み」ゴールは「得点」ゴールマウスは「得点駕籠」などなど。オフサイドはどうやっても信置に理解させられなかったので今回は省いた。
俺の狙いはこうだ。この時代、これから武士の間で茶道が流行して茶器が大きな価値を持つ。それに並ぶ武士のたしなみとして蹴球を広めようという訳だ。サッカーを流行させて俺はファンタジスタ、絶対王者として君臨する。日本中の女子の目をハートマークにさせてやる。これはその為の第一歩だ。まずは今川家中の連中に指南書を配ってサッカーチームを作る。ボールだけじゃなくてユニフォーム作りとか他の用具とかチームのマークも考えないと。忙しくなってきたぞ。
そう考えるとだんだん腹が立ってくる。こんな時に怪文書なんか配りやがって。俺はこれから忙しいっていうのにホント迷惑。一刻も早く犯人を捜し出してきつく叱ってやらないと。ハットリくんに捜査に励むようにはっぱ掛けないといけないな。新田や綿花畑、茶畑の開発の方も急がせよう。面倒な事はさっさと終わらせて、とにかく俺は早くサッカーに専念したいんだよ! ……なんかちょっと元の氏真君と考えてる事が変わらない気がしたけど気にしないでおこう。