13話「元康」
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凄く勉強になります。
展開などでご期待に沿えない部分も多々あると思いますが
今後もよろしくお願いします。
「ここまで来れば一安心。助かりましたぞ」
篝火が照らす中、武士や雑兵の一団が寺の境内に集まっている。ここは三河国の大樹寺、松平家の菩提寺だ。みな戦支度だが暗闇に浮かぶそのボロボロの格好から一目で負け戦の後なのが分かる。傷つき血を流している者も少なく無く、中には横たわり呻き声を上げている者もいる。有り様は酷いものだったがその多くはホッとした顔をしていた。
「何が助かったものか。今川は敗れ、大殿もお討たれになった。儂はもう駄目だ」
本堂の中で、家臣に囲まれた男が俯いて座り込んでいた。男の名は松平元康。幼い頃に織田に拐われ、人質交換で解放されたと思えば次は今川の人質となったという苦労人である。そのせいか十八歳と若いくせにやや丸い顔は大人びて見える。疲労とショックでその顔からは生気が失せていた。
義元の尾張侵攻のきっかけは大高城からの救援要請だった。守将の鵜殿長照から織田軍による包囲の連絡を受けた今川義元は、2万をゆうに超える大軍勢を引き連れて尾張に攻め入る。織田の動員可能兵力は5千弱と見られ、負ける訳の無い戦いだった。義元が氏真に今川の当主を譲ったのも自身が対織田戦線に集中する為であり、織田を討った後はそのまま京に上るとまで豪語していた。
松平勢は当初は今川軍の先鋒を務めていたが、大高城からの糧食不足の訴えにより義元から兵糧入れを命じられた。元康は大高城を囲む丸根砦を陥として城に無事兵糧を届け、義元の命でそのまま鵜殿長照に代わって大高城の守りに就いた。そこへ桶狭間での織田軍による本陣奇襲の知らせが入ったのが今日の午後。情報は錯綜し義元はすでに討たれたとも、深手を負って脱出したとも言われていた。そんな中で元康は大高城を放棄、三河への撤退を決断する。
撤退戦は困難を極めた。勢いに乗る織田軍は混乱する今川軍を追撃、四方八方から襲いかかってくる。松平勢はそれを粘り強く防いで国境を突破、傷つきながらも夜になってこの寺に辿り着いたのだった。
「まだ義元公が討たれたとは決まっておりませぬ。諦めるには早うござる」
「いいや、この今川の混乱ぶりと織田の勢いを見れば分かる。大殿は既にこの世におられぬに違いない。儂は潔うここで追い腹を切る」
「何をおっしゃるか。若は松平家の頭領にござるぞ。軽々に腹を召されるなどもっての外。まずは休まれ、後の事は仔細が分かり次第お考えになればよい」
「そうじゃそうじゃ。お亀、若は疲れておられる。奥の部屋にお連れしてお休み頂け」
「かしこまりました。さあ若殿、どうぞこちらへ」
元康はお亀と呼ばれた小姓に半ば無理やりのような形で連れて行かれた。元康を叱りつけたのは先代からの臣である酒井忠次と鳥居元忠。いずれも頑固と名高い三河武士を絵に描いたような男たちであった。
「平八郎、半蔵、織田の軍勢が襲ってこぬとも限らぬ。お主らは門を警護せい」
「ははっ」
本多忠勝と渡辺守綱という若い二人に門の警備を命じると、酒井忠次は深くため息をついた。
「……ああは言うたものの、まず間違うなく義元公は討たれておろうな」
「ああ、そうでなくてはあの大軍がここまでは崩れぬでしょう。間違いありますまい」
鳥居元忠もそれに同意してため息をつく。
「これは困った、若はあの性格じゃ。一度言い出したら聞かん。義元公がお亡くなりになったと分かればまたぞろ腹を切ると言い出されるに決まっとる。いったい誰に似たのだか」
自分たちの頑固ぶりはすっかり棚に置いて忠次がこぼした。元忠も頷いている。
「しかし、これはある意味好機と言えるかもしれません」
それまで黙っていた男が静かに話し出す。彼の名は石川家成、二十七歳。元康の母方の従兄に当たる。物静かだが思慮深く、若い臣の多い松平家中で重きを置かれていた。
「義元公ご存命とあらば松平が三河を治めるのは遠い先の話、武功を重ねてからの他はない。しかも確たる話ではありませぬ。だが義元公が亡くなられたとあらば話は変わる。今川の家中は混乱し、この三河を気に掛ける余裕はないはず」
「なんと、よもやここで旗を上げるべきと申されるか」
静かな口調とは裏腹な話の内容に、他の武将たちは一斉に驚いた。家成はそれに静かに頷いてみせる。
「し、しかし、混乱しているとはいえ今川は大国。反旗を掲げればすぐに押し寄せて参りましょう。まして尾張の織田と事を構えている最中とあってはまさに前門の虎、後門の狼。抗い様もありませぬぞ」
大久保兄弟の弟、大久保忠佐が反論するが、それに石川数正が左右に首を振った。彼は石川家成の一つ年上だが甥にあたる。知勇ともに優れ、松平家の頭脳とも言える存在だった。
「叔父御の言はごもっとも。織田は今川を退けたとはいえ、三河に攻め入る余裕はありますまい。そして今川の後を継ぐのはあの氏真公。果たしてすぐさま家中をまとめ我らを攻める事が出来ますかな」
数正の言葉に、皆がなるほどと関心のため息を漏らす。
「しかし岡崎の城には山田景隆らが居る。すんなり城に入れるとも思えぬが」
「……山田景隆……先年の屈辱、忘れる事は出来ませぬ」
大久保兄弟の兄、大久保忠世の言葉に怒りの形相を浮かべたのは蜂屋貞次、若き猛将である。彼の言う屈辱とは四年前に行われた先代の松平広忠の法要でのことだ。代々の主城である岡崎城で法要を行う為に城に入った元康たち松平家の一行は、本丸に山田景隆ら今川の家臣が入っている事に配慮して二の丸に入った。そこでさらに元康は諸々のことを全て景隆に伺いを立てて進めなければならなかったのだ。それは松平にとり今川の庇護がいかに重要であったかという証拠である。そのことで義元は元康が思慮深いことに感心して評価を高めたのだが、同時にこれが松平家臣たちの怒りを掻き立て、今川からの独立指向をより強めることになってもいた。
「その山田景隆ですが、ともすると既に岡崎には居らぬかもしれぬと思うてござる」
数正はそう言ってフッと笑った。
「何と、それは如何なることでござろうか」
「あの男は思慮は浅く、必要以上に用心深い小人でござる。義元公の敗死の報を受けてなお城に留まり織田を防ごうとするかといえば、甚だ疑問。あるいは岡崎はすでに捨て城となっておるやもしれませぬな」
数正の言葉に他の皆は考え込んでしまう。
「悩んでおっても埒が明かぬ。確かめるより他ない。七之助、岡崎の城が如何になっておるか調べて参れ」
「もはや七之助ではござりませぬ。親吉という名がござる」
忠次の言葉に頬を膨らませて答えたのは平岩親吉。二年前に元服するまでは七之助という名で元康の小姓をしていた。だが未だに皆が七之助という名で呼んでからかっているのだ。いわば松平のマスコット的キャラクターだった。
「では兎も角、行って参ります」
平岩親吉が馬に乗って走り出す頃には空が白み始めていた。夜明けはもうすぐだ。
いよいよ家康の登場です。
これから活躍してもらわないと。
今日も20時頃次の話を投稿します。