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明日のために・その1

 金が無いってことがこんなに惨めなことだとは思わなかった。

 金ってのは極端に言えば余命だ。

 どれだけ若く健康な身体を持っていようと金が無ければ生きてはいけない。

 衣食住。一つでも欠ければ文化的な生活は出来ず、そしてそのどれもが金を消費しなければ手に入れることが出来ないからだ。

 子供は主婦なんかは本人が直接生活に金を使っていなくても、代わりに誰かが必ずその生活を金で買っている。

 つまり、ある程度発達した社会において金とは命そのものだと言っても過言では無い。

 その大切な金を得るためにみんな、時間を費やし、エネルギーを消費し、時には命の危険さえ天秤にかけ、更に場合によっては尊厳さえ失っていく。

 それほどまでに金ってのは大事なものなんだ。


 5000グェン。

 この街で一番安い宿の一泊の料金だ。

 10万グェン。

 俺とテシィがマオから前借りの給料として受け取った今の俺たちの総資金だ。

 この世界にも月という概念はあるらしく給料も月給制。一月は30日固定で12ヶ月で1年となるらしい。地球とは5日ほどの差があるが、長い時間が経つと季節がズレていったりしないんだろうか? 

 閑話休題。次の給料も前借りするとしても、それまであと30日あるということ。

 つまり住を確保するだけでも15万グェン必要で、それさえ既に足りてない状態が俺たちの現実だ。

 当然、寝床を確保しただけでは生きていけるわけがない。最低でもあと食にかける金がいる。

 働き口を見つけ多少金を手にしたとはいえ、圧倒的に金が足りていない。

 そこで俺は一つの決断を下し実行する。

 アリカさんにこう懇願する。『しばらく宿の一緒の部屋に泊めてもらえないか』と。

「いいよー。私もしばらくはこっちでゆっくりする予定だったし、知り合ったのも何かの縁だよ。君たちが二人でやっていけるまでお世話してあげよう。遠慮なんてしなくていいからね?」

 アリカさんは少しも嫌な顔をせず、そう答えてくれた。

 嬉しい反面、ひどく惨めな気持ちになってしまった。

 ただでさえアリカさんには何度も助けられているのに、彼女の厚意に更に甘えている現状。

 アリカさんに迷惑かけ続けているのも、俺が惨めな気持ちになってるのも全ては金が無いせいだ。向こうでは職に就けず学ぶことも出来なかった金を稼ぐということの大切さが重くのしかかる。


 で、だ。

 俺がそんな暗い気持ちでネガティブモードに突入していたというのに、いつの間にかいなくなり俺たちの元に戻ってきたテシィの手には大きな紙袋。そしてもう片方の手に握られた串焼きをおいしそうに頬張っている。

 今、俺たちは市場にいる。アリカさんに『請負屋をやっていくなら最低限の装備は必要だよ』という助言をもらったからだ。

「……テシィ。その串焼きと紙袋の中身はどうした? 拾ったのか? パクったのか?」

「買ったに決まってるでしょ?」

 当然のように答えるテシィの言葉に血管がブチ切れそうになった。

「アホかあああ! おまっ、今俺らがどんな状況だとっ。バカか! バカなのか!?」

 両手でテシィの頬をつねりあげる。くく、怒ってるのに頬をひっぱられたテシィの顔がマヌケすぎて笑いそうになる。

「いふぁひ! ふぁにふんのほ!」

「いでっ。串の先端で攻撃すんな。てか顔を狙うな! 危ないだろ!」

「あはは。君たちは本当に仲がいいねえ」

 呑気なアリカさんを他所に、俺はテシィに説教を続ける。

「なに初っ端から無駄遣いしてんだ。お前は。俺たちが今どんだけ金に逼迫してるかわかってんのかあああ」

 片手で串による凶器攻撃を防ぎ、頬をつねる手に更に力を込める。

「いふぁふぁ! ふぉのぉ!」

「ぐお。あっぶね」

 両手を封じられたテシィが足を使い始めやがった。股間を狙って繰り出された蹴りをかろうじて避ける。

 串では顔面を、蹴りで股間を、人体の急所を躊躇なく狙ってきやがる。なんてデンジャラスな女だ。

 たまらず手を離し距離を取る。くそ、もうちょっとつねってたかった。ひっぱりがいのあるよく伸びる頬だったのに。

「もう痛いなー。串焼きが欲しいからって女の子に手をあげるなんて最低よ。そんなにひもじかったの? それなら言ってくれれば一口くらいあげるのに。はい」

 見当違いな思い込みをしたテシィが串焼きを突き出す。だから先端を向けるなって。

「そうじゃねえよ。だから、今俺たちは金が……はぁ、もういい」

 こいつに経済観念を説こうとするのが間違いだったみたいだ。

 天界がどんな経済を築いているのかは知らないが、こいつに節約という概念は存在しないらしい。

 しかしこれ以上散財されてはたまらないと、テシィの金は俺が預かることにした。てっきりそれも抵抗されるかと思ったが、あまりにもあっさりと所持金を渡すテシィ。どうやら経済観念以前に金に対する執着が常識とは大きく異なっているらしい。

 テシィに渡された金額は39000グェン。こいつあの短い間にそんなに金使ってたのか、呆れを通り越して関心さえしてしまう。買い食いまでしやがって。

 串焼きは旨かったけど。


 旅人用品店。アリカさんに案内された店は冒険者用に武器、防具はもちろん、その他の細かい消耗品まで扱う大きな店舗だった。

 大通りとは違い、この周囲は昨日の事件での被害が少ないようで早くも店を開いているようだ

 店内には所狭しと様々な武具が並んでいる。刀剣や槍、果ては巨大な斧まで。現代日本では写真や絵以外では目にするようなことが出来なかった本物の武具だ。

 盾やプレートメイルまである。お、あの冑かっこいいな。

 落ち着きなく店内を物色していると妙なものを見つける。

 何故か店の奥に冑から脚甲まで完全装備させられた人形模型が槍を持って椅子に座らされていた。

「いらっしゃいませ。あ。アリカさんだ。お久しぶりです、今回の旅は長かったですね。しばらくこっちにいるんですか?」

「うわ」

 と思っていたら唐突に模型から高い声が聞こえてくる。

 声を出した全身甲冑はヨロヨロとしながら立ち上がり冑前面部のバイザーをあげる。その中から二つの目が現れた。

 人形模型だと思っていたのは中身の入った人間だったようだ。でもなんで室内でそんな完全装備してるんだ。強盗対策だろうか。

「久しぶりだね。マウ。相変わらずそんな格好で接客してるのかい?」

「自分の店の商品を身につけるのは当然です」

 マウと呼ばれた甲冑がふらつきながらおぼつかない足取りで、槍を杖のように使い歩み寄ってくる。その途中で店の商品に何度も身体をぶつけていた。あの冑、足元見えてないんじゃないのか?

「はぁ。はぁ。そ、それでお客様。き、今日は、何を、ご所望ですか? ふひー」

 立ち上がると思いの外、小さい甲冑店主はその高い声からも考えて若い女性だということが伺える。

 甲冑少女はほんの数メートル歩いただけだと言うのに肩を上下させ息をあらげていた。

 商品を身につけて宣伝するのはわかるが、何故わざわざそんな全身甲冑をチョイスしたんだ。この世界の住人の考えることはわからん。

「今日はこの二人の装備を買いに来たんだよ。駆け出しだから質は低くていいよ。予算も少ないから値段もオマケしてもらえると助かる」

「それはもう。初心者のうちにオマケしてご贔屓にしてもらうのはこの業界の基本戦略ですからね。ふむ、この方たちですか。余り鍛えられているように見えないですねぇ。そのへんも考えると初心者用にオススメできるのはあのへんかなぁ」

 甲冑少女が店の奥へひっこんでいく。

 待っている間に、店の中を見渡していると、馴染みのある造詣の武器を見つけた。

「……これ刀か。持ち手が洋風だけど他はほとんど日本刀のまんまだな」

「それは君たちの故郷にもあったの?」

「ええ、細部が違いますけど、かなり類似してるのがありましたよ」

「ふうん。でもそれは今はやめといた方がいいよ。そういう刃が薄く細いのは技術ないうちに使ってもすぐ折っちゃうからね。最初はもうちょっと丈夫な――」

「これなんかどうですか?」

 小さな店主が持ってきたのは一本の剣だった。アリカさんのそれに比べると随分短く、頼りなく感じる。

「ん。ショートソードか。やっぱり最初はそのへんが無難だろうね。そういえば先に聞いておくべきことだったけど君たちって得意な獲物とかある?」

「いえ。武器なんて持ったこともないですよ」

「じゃあとりあえずはこれでよさそうだね。テシィちゃんはどうする?」

「私はいらないですよ。物質には力を通せないんですよ、私」

「力? テシィちゃんの魔術かい?」

「えっと、まあそんなとこです」

 そういえば森でも素手で戦ってたな。あの時見た戦い方からして自己強化のような能力なんだろうか。

「そっか。じゃああとは耐斬施工のアンダーを二着買って。おっと、作業用にナイフも買っておかないとね」

「かしこまりですっ」

 マウが店の一角をごそごそと漁り、二着のアンダーとサバイバルナイフのように大きいナイフを持ってくる。

「鎧とかは買わないんですか?」

「重いからね。よほど鍛えてないと機動力が落ちすぎちゃうよ。マウを見てるとわかるだろ?」

 小さな身体に甲冑を着込んだマウは、直立してることさえ困難なようで、歩いてもいないのに左右にゆっくり揺れている。ハアハアと荒い息遣いがまた聞こえてくる。確かにこれでは戦うどころか、街を出ることさえ出来なさそうだ。

「機動力と防御力を両立されるなら術式施工された法衣なんかだけど、今の予算じゃちょっと手が届かないね」

 う、やっぱりここでも金か。貧乏が憎いっ。

「それに実力に見合わない装備を使うのはよした方がいい。装備の優秀さを自分の実力だと勘違いして無茶して痛い目に会うからね。ま、私の経験則だけど」

「あー、確かにそれは道理ですね」

 初めは廉価品で腕を磨けということか。

「ソードベルトも持ってらっしゃらないようなのでオマケしておきますね。では占めて、うーん、アリカさんの紹介ということで大奮発して13000グェンというところですかね」

 店主に代金を払う。この世界では紙幣は存在していないらしく、全て硬貨だ。

 く、必須な道具とはいえ13000は痛いなぁ。これで残り76000グェン、金を手にしてからまだ一時間も経っていないのに既に1/4も減ってしまった。テシィの無駄遣いを止められなかったのが一番きつい。

 試着用の部屋で早速アンダーを着込む。編みこまれた金属の糸の感触がひんやりと冷たかった。

「まいどありですっ」

 変な格好だったけど感じのいい店主だ。これからもちょくちょくお世話になるんだろうから自己紹介を済ませておいた。それから笑顔の店主に見送られ店を出る。


「くくく」

「うわ、きもっ」

 気分がいい。今はテシィの毒舌だってどこ吹く風だ。

 腰に下げた剣の重みに、否応にもテンションが上がっていく。

 俺だって小さい頃は、ゲームや物語に出てくる剣を持って戦う勇者や戦士に憧れたもんだ。

 その剣を実際に今、俺は手にしている。テンションが上がって笑みがこぼれるのも仕方ない。

 剣を抜き放つ。安物らしいが、よく磨かれた刀身は日光を反射し眩く輝いている。

 手にかかるずっしりとした重みがまたいい。ゆくゆくはこの剣で魔物をばっさばっさと倒していくんだと思うと更に体温が上がっていく。

 ああ、剣かっこいいよ剣。日本に住んでたらこんなものを持つ機会なんて無かったんだろうなぁ。異世界に来れたことにちょっと感謝。

「わ。ダメだよ。ヤトくん。こんなとこで抜刀しちゃったら警備兵が来ちゃうよ」

「ふふふ」

「刃物持って笑う男なんてむしろ警備兵に突き出した方がいいんじゃないですか?」

 何とでも言え、あー、何か斬ってみてー。

 でもさすがに本当に警備兵が来てアリカさんに迷惑をかけるわけにはいかないから収刀しておくか。

 慌てなくてもこれから使う機会は嫌でもはあるさ。

 

 さて、これからどうするか。

 マオには仕事を探してこいと言われたが、そう簡単に見つけられるものだろうか。

 職場の方は、毎日一度顔を出せばそれでいいと言われた。仕事が無い間の従業員は何処で何をしていてもいいそうだ。

 採用されたときのやり取りや、前借りを二つ返事で認めてくれたところと含めて考えてわかったが、マオはかなりいい加減なやつだとわかった。

 仕事を探さないのはやる気がないから。報酬折半もピンハネであくどく稼ごうと言うのではなく、適当に決めたもんなんだろう。

 真面目に考えればそんな職場には不安しか感じないが、今だけはありがたかった。いざとなれば自由時間の間に訓練したり、他の仕事をしたり出来るかもしれないからだ。

「装備はとりあえず揃った。あとは……」

 アリカさんが腕を組み考え込んでいる。

「やっぱり仕事探しですか? 酒場とかで受けられるものもあるんですよね」

「いや、それはまだ早いかな。依頼内容自体はただのお使いに近いものもあるけど、やっぱりわざわざ依頼するくらいだから普通の人じゃ危ないような場所に行くものが多い。だから君たちにまず必要なのは最低でも民間人を超えるだけの強さだ」

「私は結構強いですよ? こいつは弱っちいですけど」

 わざわざ俺を引き合いに出すなよ。確かに弱いけどさ。

「ふむ。じゃあそれを見るのも兼ねて魔術の訓練してみる?」

「おお、やりたいです」

「じゃあ宿に戻ろうか」

 剣に続いて魔術、だと。

 一体どこまで俺のテンションをあげてくれるんだ。


「ちょっと考えてたんですけど、適正が無ければ訓練しても魔術は使えないんですよね」

「それは大丈夫だよ。ヤトくんもテシィちゃんも魔術の適正がある」

「わかるんですか?」

 テシィが疑問の声をあげる。

「うん。身体に魔力が蓄積されてるのが見えるからね。ああ、見えるって言っても感覚的なもので実際に見えているわけじゃないけどね。初めて見たときは二人とも全然見えなかったから適正ないのかと思ってたけど杞憂だったよ」

 へぇ。今、俺の身体には魔粒だったか、それが溜まっているらしい。

「ただ最低限の適正があるのがわかるってだけで、他にも必要な適正があるからね。それをちょっと見てみよう」

 どこから取り出したのかアリカさんはおもむろにメガネをかける。

「それも魔術具ってやつですか?」

「ううん。ただの伊達メガネだよ。ほら、メガネしてたほうが先生っぽいじゃないか」

 アリカさんは形から入るタイプのようだ。

「じゃあ第一回アリカお姉さんによる魔術教室を始めます。授業の間は先生か師匠と呼んでくれたまえ」

「はい。ししょー」「はい。先生」

 メガネのお姉さん。うん、いい。

 

 魔術のプロセスは、作成、維持、射出となっている。射出は行使する魔術によっては必須ではない。

 まず体内にある魔粒を操作して想定した現象を起こす。これが作成。

 そして魔術によって作られた現象を世界に確立させ固定する。これが維持。

 最後に射出。これはそのまま維持した現象を対象に向け飛ばす行為だ。

 これらはあくまで理論であって、その全ての行為は完全に個人の感覚で行う。だからどれだけ言葉で説いても最終的には個人のセンスによって身につくかどうかが変わる。

 アリカさんが語った魔術の理論を脳内で反芻する。

 熟練の魔術士は複雑な魔術操作を行い、個人の特性を色濃く反映した固有の魔術を作る。これが今まで聞いた術式という言葉の解説だった。

 これはまだやっていない。魔粒の操作が未熟な者が複雑な術式を組もうとすると暴発する危険があると言われた。特に子供が思い上がって術式を暴発させる事故が年間何件もあったそうだ。そのせいで10歳未満の子供は魔術を使用することはおろか、学ぶことさえこの国では禁じられているとのこと。

 ただ火や光を発生させるだけなら術式を組まずに出来るようになるらしい、だが今俺たちがやってるのは更に初歩。ただ魔力を体外で形成するという行為だった。

 だけど、それだというのに俺とテシィは二人とも最初の作成の段階で大きく躓いてしまっている。

 魔術なんて縁のない生活をしていた身としては、まず体内の魔粒を操作するって感覚を掴むのが難しい。

 それでも何とか指先に弱い熱を持った小さな魔力の塊を形成出来たときには、もうすっかり日が暮れていた。

「お、やった。出来ましたよ。アリカさ――あ」

 気を抜いた途端に光が霧散して消えてしまった。なるほど、これを保つのが維持か。

「あれま。まあ作成出来ただけでも一歩前進だね」

「ぐぬう。先を越された」

 テシィの方はまだ苦戦していた。指先をこれでもかと睨み付けているが数時間経っても変化はない。

「うーん。テシィちゃんの指先に魔力が集まってはいるんだけどねえ。放出が苦手なのかな。そういえばテシィちゃんの魔術ってどんなものなの?」

「えっと、こう。身体に力を巡らせてそのまま叩いたり蹴ったりです」

 座ったまま拳を挙げ前に突き出す。

「……これは」

「はは、驚いたでしょう。こいつこんなナリですげえ豪快な戦い方するんですよ」

「いや、驚いたのはそこじゃない。テシィちゃん、ちょっと不愉快になるかもしれない質問をさせてもらうけど」

 珍しくアリカさんが真剣な表情を作る。

「君って人間?」

「なっ」

「え」

 突然核心をついたアリカさんの質問にたじろぐ。今のでバレたのか? もしかしてあまりにも迂闊なことをしてしまったんだろうか。

「いきなりこんなこと聞いてごめん。君のその力、魔術に近いけどそうじゃないね。何か違う別のものだ」

「えっと、アリカさんこれはですね、その」

「お願いだ」

「アリカさん?」

 今までとは違う必死とさえ言えそうなアリカさんの雰囲気に息を呑む。

 いきなり態度の変わったアリカさんの意図が読めない。

「君たちの事情を探るような真似はしたくなかったけど話が変わった。お願いだ。テシィちゃんのその力のことを教えてくれ。もしかしたらその力は私の旅の目的に関係してるかもしれないんだ」

 床に手を付き彼女は深々と頭をさげる。

「えっと、これは、ど、どうしよう」

「……いいよ。テシィ。話そう。俺たちは数え切れないほどアリカさんに助けられてる。そんな恩人にここまでされても隠すことなんてあるわけない」

 さすがに吹聴してまわるわけにはいかないが、アリカさんにはもう話していいだろう。

 アリカさんには既にそれだけの信頼が抱いている。逆にここで本当のことを話して俺たちの信用を失う危険もあったが、そんなことすらどうでもいい。

 何よりアリカさんに恩を返すチャンスがあれば何でもしたい気持ちだった。


「異世界に……天使、天界か」

 俺がテシィに会ってからこれまでの顛末を事細かく話した。

 俺たちの話を聞き終えたアリカさんが顎に手を当て考えこんでいる。

「はい。アリカさんからすれば荒唐無稽すぎて信じられないかもしれませんが……」

「ん。信じるよ」

 あまりにもあっけらかんと彼女は答える。そんなに簡単に信じられるのもなんだか妙な気分だ。

「何よりその説明なら、今までの君たちの行動や知識にも一番納得がいくからね。実際に見たことも無い力を自分の目で見ちゃったわけだし。本命の予想は外大陸人だったけど外れたか」

「う。やっぱりそんなに変でしたか。一応隠してたつもりだったんですけど」

「はは。あえてそこにダメ出しするなら魔術を知らないって言ったのが致命的だったね。魔術理論を知らなくても、子供のうちから感覚だけで魔術を使えちゃう子もいるからね。使えないならともかく、この大陸に住んでて知らないってのは考えにくいよ」

「そこでしたか。それで俺たちの話は役に立ちましたか?」

「正直に言うと私の期待とは違っていたけど、でも参考にはなったよ。ありがとう」

「いえ、少しでも恩返し出来たなら幸いですよ。そういえばアリカさんの目的って何なんですか?」

「ある物を探してるんだ。詳しくは言えないけど、それはあるかどうかすら判らないような物でね。だから私は信じがたい物でも、とにかく珍しい情報を頼りにずっと旅してるんだよ」

 意図的に少しぼかした回答。でもそれは深く聞かないでおく。アリカさんにだって知られたくことはあるだろうから。

「それと一つ君たちの話を聞いてわかったことがあるよ。森の中でテシィちゃんが急に戦えなくなった理由」

「わ、わかったんですか?」

「テシィちゃんの力。テシィちゃんの言葉を借りるなら天使の力か。私も長く生きてるけど初めてみた力だったよ。だからね、多分この世界にはほとんど存在しない力なんだと思う」

「ああ、つまりあれはガス欠だったってことですか」

「うん、たぶんね」

「あ、それなら羽と服のことも……」

 テシィが何か気付いたように呟き考え込む。

 今、羽って単語を聞いて気付いたが、テシィの背中の羽はいつのまにかなくなっていた。

 記憶を辿る。いつからだ? そうだ、森の中でテシィの服が消えていたときの背中には既に羽が無かった。

「もしかして羽や服もその力で作られてたのか?」

「さあ?」

「なんで知らねーんだよ。服はともかく羽は身体の一部じゃないか」

「あって当たり前だったから考えたことも無かっただけよ。でも天界から下界に落とされる時は力を全て奪われて人間になるって聞いたしそれで合ってるのかも。ハッ。じゃあ私は今、薄汚い人間に身を落としてるってこと? そんな……」

「おーい。アリカさんも人間だぞ。俺だけならともかくアリカさんを悪く言うと許さないぞ」

「あ、違うんです。アリカさんだけは別ですから、アリカさんは綺麗な人間ですよっ」

「……はは」

 慌てて取り繕うテシィに苦笑いで返すアリカさん。当然俺に対する謝罪なんてなかった。もう慣れたけど。

「そうだ。アリカさんなら何か心当たりありませんか? 世界の脅威について」

「んー。残念ながら無いなあ。テシィちゃんを疑うわけじゃないけど本当に来るの? それ」

「そういえば天使はどうやってばそれを知るんだ? 未来でも見えるのか?」

「は? 見えるわけないじゃん。そんなの」

 おいおい。じゃあどういう仕組みなんだよ。

「天界にはすっごい演算装置があるの。未来のことさえ予測しちゃうようなすっごいのがね。その名も『未来がわかルーン装置』よ! これが世界を観測して脅威を見つけるの。わかった?」

「おう。ネーミングセンスが壊滅してるのはテシィ個人じゃなく天使全体の問題だってことがよくわかった」

「んなっ。ネーミングセンスが無いのはあんたの方でしょ。アリカさんならわかりますよね? このハイセンス!」

 アリカさんに振るなよ。かわいそうだろ。どっからその自信が出てくるんだ。

「そ、そだね。すごく個性的でいいと思うよ」

「ほら!」

「はいはい。でも予測ってことは外れるってこともあるのか?」

 アリカさんの気遣いを真に受け、勝ち誇るテシィは無視して尋ねる。

「そりゃそういうこともあるけど、この装置の的中率はすごいんだよ! なんと……」

 無駄に溜めを作るな。さっさと言え。

「脅威の70%! すごいでしょ!」

「なんて半端な確率だよ……いや、待て待て。てことは1/3に近い確率で外れるんだよな。え? そんな確率で人を異世界に送ってんのか」

「何言ってんの。その倍近い確率で当たるんだから、手を打たないわけにはいかないでしょ」

 いや、確かにそれはそうだけど……外れたら空振り? ただの異世界旅行?

「時期もわかるのかい?」

「いえ、そこまでは……今までの平均から言って大体一年以内って言われてますけど」

「範囲広いな……」

「いや、むしろ逆だよ。一年以内に世界規模の危機に対応する下地を作らなきゃいけないんだからさ」

 アリカさんの指摘は鋭い。確かにそうだ。特に俺は特別な能力もなく来てるんだから更に状況は緊迫してると言える。

 脅威の詳細も知らない。特別な武力も知識も無い。何これ無理ゲーじゃん。

「まあこの世界の住人の私としては、外れていることを祈るけどね」

 そう話を切り上げアリカさんが立ち上がる。

「事情を知ったからには私も協力するよ。本当はもっと時間をかけて鍛えていくつもりだったけど時間がどれだけ残ってるか判らないからね。明日から本格的な訓練をしよう。ちょっときついかもしれないから覚悟しておいて」


 翌日からの訓練の過酷さは『ちょっと』なんてところでは無かった。

 早朝に起こされ、まず街の内周をひたすらマラソン。

 日が昇りきったところでマオのとこに顔を出す。

 当然依頼は無く、その日の仕事はそれで終了。

 その後もマラソン。

 終わったら街の外で筋トレとこの前買った剣でひたすら素振り。

 戦闘の基礎の出来ているテシィはその間、アリカさんと対人訓練。

 テシィの動きは決して悪くない。むしろ素人目に見てもかなり早い。

 それでもアリカさんには全く通用せず翻弄されていた。

 瞬発力は恐らくテシィのが上。それでもアリカさんの技術はそれを遥かに凌駕している。

 緩急をつけた動き。フェイントのかけ方。無駄のない体裁き。挙げればキリがないアリカさんの戦闘技術。

 それらが基礎能力の差を越えた戦果を出すことを学ばせられる。  

 テシィが休憩している間に俺もアリカさんと立ち会う。

 拙い俺の剣術は当然通用せず、短い時間の中で何度も打ちのめされた。

 午後からは魔術の訓練。

 テシィはこっちの世界の魔力を天使の力と合わせて体内強化に使う方向で行くそうだ。

 新技『天使ん魔拳』とか言ってたけどどうでもいい。

 アリカさん曰く、放出の苦手だという短所を伸ばすより、長所を伸ばして特化した方がいいとのこと。

 俺の特性も少しずつ見えてきた。

 見えてくるたびにへこんだ。

 致命的なのは、魔術の最初の手順である『作成』に適正があまりにも無いということ。

 そして適正があるのが『射出』だという皮肉。

 米粒サイズの氷を作るのにも数時間を要するが、射出能力だけはやけに高いらしくそれにはアリカさんも舌を巻いていた。

 いや、でも、射出だけ出来てどうしろと。

 座席が無く、タイヤも無いけど、エンジンだけ質のいい車みたいなもんだ。全く持って意味が無い。

 それでもなんとか長所を伸ばす方向に考えるならナイフとかを射出してみるくらいだろうか。

 投げた方が早いような気もする。


「今日で訓練を始めて一週間目だね。そろそろ試験をしようか」

 朝のマラソンを終えた俺たちにアリカさんはそう告げた。

 ちなみにこの一週間の間、マオのとこに依頼が来ることは一度も無かった。マジで大丈夫だろうか、あの職場。

「ハッ。ハッ。し、試験、です、か?」

「うぶ、ごめん。ちょっと私向こうで吐いてくる」

 テシィが木陰で盛大にリバースしているが見慣れた光景だ。俺もこの一週間で何度吐いたことか。

 俺、この一週間は人生の中で一番頑張ったと思う。中学の頃に陸上をやっていたが、ここまでハードな練習なんてしたことなかったぞ。

「テシィちゃんもそのまま聞いててね。試験内容だけど――」

 なんだろう。そろそろ実戦だろうか。順当に考えれば弱めの魔物を倒して来いとかそんなのかな?

 いやいや、これだけ厳しいトレーニングを課すアリカさんだ。油断しないほうがいい。


「クーアに挑戦して勝っておいで。彼女に『まいった』って言わせるまで宿には泊めてあげない」

 想像以上の無茶振りだった。

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