たった一つの
「……ここは?」
仰向けに倒れていたらしい身体を半分起こす。
高い天井。そこからぶら下がった豪奢なシャンデリア。
部屋じゃない。ホールのようなだだっぴろい空間。
シャンデリアに灯された火がゆらゆらと俺がいる空間を照らしている。
硬い床の上には、無数の布が布団のように敷かれていた。
この空間にいるのは俺一人じゃ無かった。ざっと見て数十人はいるだろう。
布の上で寝込んでいる人。一つの布の上に集まり寄り添っている家族らしき人たち。壁に寄りかかり話し込んでいる人たち。頻繁に出入りを繰り返し、水や布を運んでいる人たち。
まるでニュースで見た災害時の避難所のような光景が目の前にあった。
……霞がかっていた頭が動き出すに連れ、目が覚める前のことを思い出してきた。
俺は燃え盛る街の中で、炎の塊みたいな化物に襲われて……そうだ。アリカさんに助けもらえたけど,その前に怪我をしてた俺はそこで倒れて……
「良かった! 目を覚ましたのね!」
背後からの声と共に、背中に重い衝撃。背中から回された手が俺を強く抱きすくめる。
……誰だろう? アリカさんだろうか。あ、いや、違うな。背中に伝わる柔らかさのサイズがそれを否定している。
このサイズ……天使のやつか。そうだとわかると思わず顔が綻ぶ。
なんだよ。こんなに心配してくれていたのか。人間嫌いで口は悪いだけのやつかと思ってたけど、かわいいところもあるじゃないか。
「……おう、心配かけたな」
胸の前に回された手に、俺の手を重ねる。その手の触れてみて初めて気付く。思っていたより小さい、こんなにも華奢だったのか。
なんだかんだ言ってもこいつは優しいんだ。知り合って数日しか立っていないくても、おあいこだとしても、こいつからすれば俺なんて厄介事に巻き込んだ張本人なのに、これだけ身を案じてくれていたんだ。それが今、俺は嬉しい。天使の評価を見直さなくちゃな。
「……何してんの。あんた」
「え?」
ほんのり暖かい気持ちに浸っていた俺の目の前に現れたのは、天使だった。両手に毛布を何枚も抱えている。
「え? え? お前、分身できんの?」
俺の後ろに天使がいる。俺の前にも天使がいる。どういうことだ。む、そうか目の前の天使はきっと偽者――
「はぁ? 何言ってんのバカじゃないの? バカなの? あ、そっかバカなんだね」
ぐ、この口の悪さは間違いなく本物の天使だ。じゃあ後ろのが偽者?
振り向くとそこには、見知らぬ女の子がいた。
「……誰?」
「お兄ちゃん! 私、心配したんだよ!」
振り向いた俺に、今度は正面から抱きつく見知らぬ女の子。
お兄ちゃん?! いやいや、俺には妹なんていないぞ。火男に語った朝梨は架空の人物であり、実在の人物、団体とは関係ありませんのはずだぞ。
ん、でもこの子、どっかで見たような覚えが……?
「そうだ、お兄ちゃんに言いたいことがあったの。あの時は助けてくれてありがとう!」
「……あー、あぁ、あの時の」
思い出した。あの時、火男から助けた子供だ。
あの時は、うずくまってるとこと遠くの後姿しか見てなかったから、もっと小さな子共だと思ってたけどパっと見、11歳って前後ってところか。
「お、ヤトくん起きたんだね……って、うわぁ……」
振り向いた先には、水の入った桶を持ったアリカさんがいた。引きつった笑顔を浮かべている。
アリカさんの表情の理由に気付く。幼女とも言えそうなほど小さな女の子と抱き合う18歳男子。この構図は自分で見ても犯罪の香りがする。
「ち、ちがっ! これは誤解なんです!」
「ちょ、ちょっと、ヤトくんってそういう系の人だったの?」
「わ、私も始めて知りましたよ。まさか、ロリコンだなんて」
声を潜め、ひそひそと話し合う二人。全部丸聞こえだ。
やばい、このままだと変態の烙印を押されてしまう。何とかしないと……!
「え、えーっと、これはですね……」
「お兄ちゃん。あのね! 私、助けてもらったお礼にお兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!」
ぐほぉ! この子何言っちゃってんの!
……いや、まあでも悪い気はしないけど。決してロリコン的な意味じゃなくて、妹とかいたらこんな感じなのかなぁ。思わずが顔がほっこりしてしまうな……ハッ!
「ひっ。み、見ましたアリカさん? あの緩んだいやらしいかおっ。本物ですよ。きもちわるっ!」
「い、いや、これは」
天使が嫌悪感を少しも隠そうともせず前面に顔に出す。
「あ、あはは。うーん。あまり人の色恋に口を挟むのは好きじゃないけどヤトくん。彼女が成人するまではちゃんと我慢するんだよ?」
「やったね。お兄ちゃん! お姉さんも認めてくれたよ! んー」
二人の会話の意味を何故か都合良く受け取った少女が顔を近づけ、その唇が頬に触れる。
幼女にほっぺにちゅーされてる俺を見て、二人は更に顔を引きつらせる。
あ、もう無理っぽい。二人の中で俺=ロリコンの公式が確立されたっぽい。
「アリカ」
聞きなれない女性の声が響く。その声は決して大きくは無いはずなのに、遠くまでも響き渡るような力強さを秘めていた。
「クーア」
アリカさんがその声に答える。お互いの名前を知ってるということはアリカさんの知り合いか何かなのか。
クーアと呼ばれた女性が歩み寄ってくる。彼女は背が高く、ブロンドの長い髪を後ろで束ね一纏めにしている。その髪型は、引き締まった表情と凛々しい眼も相まって、ポニーテールというよりむしろ侍の後ろ髪ようだ。
額当てに、胸当て。更に手甲に脚甲を付け、装飾のあしらわれた鞘に収められた幅広の剣を腰から下げている彼女の出で立ちはまるで騎士だ。
てか、実際に騎士か何かなんだろうけど、まだ向こうの常識に囚われてる俺には、極端に質の高い衣装を着たコスプレイヤーさんにしか見えない。
「あ、あの、私、そろそろ行くね。またね、お兄ちゃん」
今の今までベッタリだった少女が、唐突に身体を離し走り去る。どうしたんだろう? この国での騎士は子供に怖がられてでもいるんだろうか。
「アリカ、人魔と相見えた少年はまだ意識を……む、どうやら起きているみたいだな。丁度良かった。」
クーア、さんがこちらに眼を向ける。そんなつもりは無いんだろうが、その鋭い眼つきは睨まれているようで身体が竦む思いだった。
「クーア、その子起きたばっかりだからお手柔らかにね」
「心得た」
傍まで寄ってきたクーアさんが身を屈め片膝を付く。
「起きたばかりで悪いが、少し聞きたいことがある。話せるか?」
「あ、はい」
「ありがとう。ではまず自己紹介を。私はクーア・サイリ・レント。このルウォンで一等騎士をやっている。以後、お見知りおきを」
やっぱり騎士だった。国に仕え、民を守る騎士。向こうで言えば警察とかそんなとこだろう。
つまり、国家権力。
ただでさえ彼女の鋭い眼光の怯んでいるのに、そう考えると更に緊張する。ここで変な対応したら公務執行妨害みたいな罪状をでっち上げられて連行されちゃうんだろうか。
「はい。あ、俺は」
「いや、いい。あなたのことはアリカから聞いている。省ける手間は省こう。聞きたいのは人魔の事だ」
人魔? そういえば気を失う前にもアリカさんがそんなことを言ってたっけ。
「えっと、すいません。人魔というのは?」
「む、人魔を知らないのか……アリカから余り物を知らないとは聞いていたが……」
「君が襲われていた炎の人型のことだよ。ヤトくん」
アリカさんが助け船を出してくれる。
「あれが、人魔」
「そうだ。獣が魔物化した獣魔、植物が魔物化した樹魔のように、魔物化した人間を人魔と言う。赤龍襲撃の際に君が出会った魔物がそうだ」
「人間が、魔物に……」
「ああ。通常、人魔の自然発生はまずあり得ないくらいの確率と言われているが……意思を持ち、言語を使う魔物は人魔と、龍だけだ」
「龍……そういえば龍はどうなったんですか?」
「……逃げられたよ。城から兵は派遣された時には既に逃げた後だったようだ。民を守るはずの私達が、その一大事に間に合う事も出来なかったとはな……」
クーアさんは悔しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「それは仕方無いよ。私はたまたま事件発生初期に街に入れたけど、それでも龍はもういなかった。たぶんいくつかの建物を破壊してすぐ逃げたんだろう。龍は人化も出来ると言うからね。それをされたらあの混乱の中で見つけるのは不可能だ……ただ何故そんなことをしたのかが判らないけどね」
アリカさんがクーアさんを気遣いフォローを入れる。その行動や話し方の気安さからすると、ただの知り合いでなんかではなく、深い親交があると読み取れる。
「確かにそれは疑問だ。地上最強と謳われる龍が何故そのような腰の引けた襲撃を行ったのか。3年前に討伐された固体は一つの国を滅ぼしてを尚、その猛威を奮い続けていた。それこそルウォンからの討伐隊が到着しても逃げる様子など微塵も無かったと言うのに。それを基準に考えるならどうしても辻褄が合わない……まるでそこに何かの意図が合ったようだ……いや、済まない。今は人魔の話だったな。ヤトよ、今、この国は建国以来最大の分岐点に立たされている。此処での対処をしくじればそれこそ国が滅びる程の脅威に見舞われるだろう。だから、何でもいい。人魔と交戦して何か得た情報、何か気付いた事は無いか? どんなに小さな事でも構わないから教えてくれ」
クーアさんの眼差しは真剣そのものだ。少なくとも彼女の中では、国が滅びるというのは決して大げさでも何でもないんだろう。
「でも交戦って言っても俺はほとんど逃げ回ってただけで……それでも判ってる範囲だと、斧は通用しなかったことと、手の先から火の弾を飛ばして家屋を吹き飛ばしていたことくらいしか」
「なるほど。やはり大方の予想通りその人魔は炎に特化した術式を扱うのか。恐らく自らの身体にも術式を組んで炎と化していたんだろう。だから、ただの武器での攻撃は通らなかった」
「魔術ってそんなことも出来るんですか?」
「いや、普通は出来ん。攻撃を無効化するならせいぜい魔術障壁を作る程度だよ。術式で自らの身体を作り変えるなど、膨大な魔力保有量を持つと言われる人魔にか出来ない芸当だ」
「そうなんですか……あ! そういえばもう一つありました。俺、あの人魔と少し話をしたんです。まあただの時間稼ぎだったんですけど、その時に人魔が『偽者』って言葉にすごい反応をしてて」
「ふむ。『偽者』か」
「はい。もうそりゃ人格が崩れちゃうくらいに。『俺が本物でアイツが偽者』だ、みたいなことも言ってました……俺が判るのはこれくらいです。これがお役に立つか判りませんが」
「いや、ありがとう。参考になったよ。怪我をしてるのに無理させて済まなかった」
深々と頭を下げるクーアさん。そこまで丁寧な対応されると小市民な俺は逆に緊張してしまうって。
「それはそうとヤトくん。君たちこれからどうするんだい?」
俺とクーアさんの話が一段落したのを見て、アリカさんが話を切り出す。
「え? どういう意味ですか?」
「いや、君たち旅の途中だったんだよね。蒼霧の森にいたってことは、この街、エシュタートが目的だったんだろ? これからどうするのかなって。ずっとこの屋敷にはいられないだろう?」
「そういえば、ここってどこなんですか?」
その疑問にはクーアさんが答えてくれた。
「元貴族の邸宅だ。今は国が保有している。有事の際の緊急避難場所という名目はあったが、まさか本当に使用されることがあるとはな」
貴族の家か、通りで豪華だと思った。こんなの写真やTVでしか見たことなかった。どこの世界にも金持ちはいるんだなぁ、妬ましいぞ。
「これからどうするかは天――あいつと相談しないとって、あれ? あいつは?」
「ああ、あの子なら毛布を配ってるよ。襲撃の時の非難の誘導から、その後もけが人の世話やらで動きっぱなしだよ。頭が下がるね」
「へぇ……」
人間なんてどうなっても構わないくらいに考えてるのかと思ってたけど、結構面倒見がいいんだな。そういえば、最初に街の人を助けに行くって言ったのもあいつだった。
「ちょっと話してきますね」
「動いて大丈夫かい? なんなら呼んでくるよ」
「いえ、大丈夫ですよ。まだ少し身体の節々は痛いですけど、あいつがあんなに働いてるのに俺ばっか寝てられないです」
「そ、わかった。でもあんまり無理しちゃダメだよ? 私たちも少しここで話をしてるから何かあったら呼んでね」
「はい。ありがとうございます」
そう言って立ち上がる。うお、少し立ちくらみ。
心配そうな顔を向けるアリカさんに、苦笑して誤魔化す。
「よぉ、今いいか?」
歩き回ってる天使を見つけ声をかける。
「ん、まあ丁度毛布配り終わったとこだし、いいけど」
「ここじゃ何だし、どっか人少ないとこで話すか」
「なっ!? 人気の少ないとこ連れってって何するつもりよ! ヘンタイ!」
あぁ、そういえばこいつの中で俺は、森の中で気絶してるこいつを裸にひん剥いた変態ってことになってるんだったな。
「そういうんじゃねーよ。これからのことの相談とかあるだろ?」
「あ、そっか。こっち来てから落ち着いて二人で話す暇なかったもんね。それなら最初からそう言いなさいよ。紛らわしい」
勝手な妄想で俺をなじったことは棚上げか。
「あーはいはい。全部俺が悪いよ」
「何その言い方。すごいムカつくっ」
「いいから来いって」
不満げに頬を膨らませた天使を置いて先に歩き出す。
てか人の少ないとこってもどっかあるのかな。まあ適当に歩きまわってみるか。ホールの階段登って上に言っても部屋は人で埋まってるだろうから外に行くか。
適当に手近にあった扉を開き、その先の細い通路を進む。
一応振り向いて確かめてみるが、天使もちゃんと着いて来ていた。顔は膨れたままだけど。
「おー」
通路の先にあった扉は屋外に通じていた。もう夜になっていたことに外に出て初めて気付く。
広い庭の真ん中に噴水がある。それを囲むように規則的に植えられた様々な植物。噴水を中心に左右対称になるように木も立てられている。
その人為的な配置からこっちの世界にも造園文化があったことを伺わせるが、今は手入れする人間がないようで枝葉は乱雑に伸びていて、噴水の水も枯れていた。
出てきた扉の上に備え付けられた灯りが、その風景を幻想的に照らしている。
アリカさんから聞いた情報によると、この世界に電気は無いみたいだ。
だが術具士と呼ばれる特定の魔術を持った人たちは、簡単な術式なら物質に術式を組み込むことが出来るとも聞いた。
この灯りもその魔術具と呼ばれる物の一種なんだろう。きっと噴水もそうだ。
「すごいな。こんなの初めて生で見た」
「何はしゃいでんのよ。みっともない」
素直に感嘆をもらす俺に水を差す天使。
「……なぁ。お前、俺のこと心配したか?」
「はぁ? 何それそんなのするわけ……むぅ、まあ少しはしたかな。うん、してあげた。だから感謝しなさいよ。あと何回も言ってるけどお前って言うな」
はいはい。ありがとうございますよっと。
「それなんだけどさ。名前ホントに無いのか?」
「B-64163」
「は?」
「だから名前よ。厳密には名前っていうよりコードだけど。Bはランク、数字は個別番号よ」
そういえば森で通信してたときもそんな風に呼ばれてたっけか。
「呼びにくいな」
「そうでしょ? それにこんなのを名前って言っても変に思われるだけだからアリカさんには言わなかったのよ」
「うーん、でも名前無いと不便だな。なんか適当に付ければ?」
「それならあんたが考えてよ。なんか自分の名前を自分で付けるのって恥ずかしい」
まあ気持ちはわからんでもない。しかし、名前ねえ。
「じゃあ、テシィで」
「はやっ! 絶対適当でしょ。もうちょっとちゃんと考えなさいよ。いくら仮名でも名前って大事でしょ」
「えー、めんどい」
「めんどいって、さりげにひどい……ていうか、これもしかして『てんし』が元?」
「おう」
「なんて安直な……あんた絶対ペットに『シロ』とか『クロ』とか付けるタイプでしょ」
「自分の技に『天使ん拳』なんて付けてるやつに安直とは言われたくねえよ」
「んなっ。あのハイセンスが理解出来ないの? これだから人間は……」
そんなセンス理解出来なくても全然恥ずかしくねえ。
「いいだろ、テシィで。嫌なら自分で考えろよ」
「むぅうう……もう、いいよそれで、我慢してあげる」
テシィで納得するか、自分で考えるかで悩んでいたが、自分で付ける恥ずかしさの方が勝ったようだ。
「じゃあテシィ」
「……な、なによ」
頬を赤らめながらそっぽを向く天使、じゃなくてテシィ。まだ慣れない名前を呼ばれるのは抵抗があるみたいだ。
「これからどうする?」
「どうするって言われても、私たちが帰るためにはこっちの世界を救わなきゃなんだし、危機を探すしかないじゃない」
「いや、もっと細かいことだよ。どこを探すとか、どうやって情報を集めるとか」
「あー、そっか。あてが全然無いもんね。まあここは一番大きな国らしいからここで情報を集めて……あ」
「どうした? なんか良い方法でも思いついたか?」
「……むしろ逆。よく考えたら私たちこっちの世界のお金、全く持ってない」
「げ」
そうだった。何をするにもまず金だ。今まで見てきた文化レベルからしてここにも金、もしくはそれに準じる物があるだろう。まさか物々交換してるわけじゃあるまい。
どこかへ旅立つにしろ、この国に滞在するにしろ、まず金がいる。
つまり、世界どうこう以前にまずやることは、仕事探し。
異世界まで来てまた仕事探しかよ。浪漫の欠片もないな。
「……まずこの国で仕事探すしかないか」
「ああっ。こんなことなら火事の時に金目の物パクってればよかったっ」
テシィが頭を抱えて悶えている。
「それが天使の言うことかよ」
「…………冗談よ」
ホントかよ。返答に間があったぞ。
「簡単で、安全で、即、大金になる仕事を探しましょう!」
さも名案と言わんばかりにドヤ顔を披露されてしまった。
「あるわけねーだろ」
仮にあっても、何の実績もコネも無い俺たちにはそんな仕事回ってこないだろう。
うまい話はどこかにある。でも何もしない、出来ないやつにそんな話が回ってくるわけがないことは向こうに十分に学んだ。
なんかテシィって向こうの世界にいたら簡単に詐欺に引っかかりそうだ。
「アリカさんに聞いてみよう。俺たちでも出来そうな仕事」
「……そうね。これ以上アリカさんに迷惑かけたくないけど、そう言えるような状況じゃないもんね」
「おかえりぃ」
「ただいまっす」
ホールに戻ると、さっきと同じ場所にアリカさんとクーアさんはいた。どうやら話し込んでたようだ。
「聞いたよ? 街で小さな子を助けたんだってね」
「え? ああ、たまたま成り行きですよ」
「謙遜することないのに。さっきの子がそうだったんだね。随分なついてたみたいだし」
「え? そうなの? 私てっきり……」
テシィが驚きの声をあげる。
「てっきり何だよ。ほんとに俺が小さな子にちょっかいかけてたと思ってたのかよ」
「うん」
「私もそう思ってたよ。起きてすぐ女の子を口説くなんて手が早いなーって」
俺の信用って……
「あの、アリカさん。ちょっとそうだ――」
「ヤト。あなたは魔術を使えないと聞いたが本当か」
クーアさんの質問に俺の言葉が遮られる。
「え、はい。使えません」
クーアさんが俺を真っ直ぐ見つめる。うう、この真っ直ぐな眼の威圧感がきつい。
「しかもアリカと出会った時には丸腰だったと聞く……つまりヤトは魔術を扱えない身でありながら、武器も持たずに、見知らぬ幼子を助けるために、人魔に立ち向かったというのか!?」
「そ、そうですっ」
ひっ、なんだかすごい興奮していらっしゃる……
「無謀だ! 無謀に過ぎるぞ! 今回はアリカが間に合ったからいいが、それは何かが一つ違っていれば無為に死体を一つ増やすだけの愚行に過ぎん!」
「す、すいません!」
興奮しきったクーアさんの腕がこちらに伸びてくる。な、殴られるッ?
「だが素晴らしい! まさに英雄的所業! 私はそういうのが大好きだ!」
「えっ?」
ガシっと力強く、両手で俺の手を取るクーアさん。
「あぁ、クーアは昔から英雄譚とか大好きでね。弱い者を命がけでーとか、不利を承知で信念のためにーとか、そういうのが大好物なんだよ。子供の頃の寝物語の騎士のお話を聞いて、そのまま本当に騎士になっちゃう猪突猛進なおバカさんだからね」
「何を言うアリカ。どれだけ無力でも、どれだけ敵が強大でも、幼子を守るために、わが身を省みず、立ち向かう! そういうのって、なんかこう、熱いじゃないか!」
アリカさんの言う通りだ。眼がすげえキラキラしてる。夢見る乙女の瞳だ。
……なんか最初の印象から随分キャラが崩れてる。多分こっちが地だろう。意外と脳筋タイプなのかもしれない。
「それでだな! ヤトよ! 聞けば何やら事情のある旅をしてるというではないか!? どうだ?この国で暮らしてみないか! そして是非我が騎士団へ入団して欲しい! いや、しろ! あなたのような熱い人材をこの国は求めている! 共に英雄になろう!」
テンションたけえ。暑苦しいって。褒められるのは悪い気はしないが。
ん、いやでも、騎士団ってことは言うなれば国家公務員みたいなもんだよ。不況を物ともしない、あの憧れの職に俺がつけるってのか?
「お、俺が入れるんですか?」
「ああ、もちろんだ! 私の推薦があれば多少身元が不明だろうと問題無い! 試験はあるが私の立場を使って融通しよう! 合格は簡単だ!」
国に仕える人間が人前でこんなことを言っていいんだろうか。こういうの裏口雇用とでも言えばいいのか。
でも今はそんなことを言えるような状況でも無い。使えるものはコネでも何でも使うべきだ。
「……入ります。俺、騎士団に」
「おぉ! そうか! なら早速明日試験をしよう! 夜までなら、いつでもいいから城へ来てくれ! 兵には話を通しておく! そうとなれば忙しくなる。私はこれで!」
そう言うや否や、クーアさんは身を翻し駆けていった。
「いいのかい? 旅の途中だったんじゃないの?」
「いえ、しばらく、この国にいようと思うんです。アリカさんに仕事のことを聞こうとしてた矢先だったんで、むしろ渡りに船でしたよ」
「へぇ、それは丁度良かったね。危ない場面で私に会えたことと言い、ヤトくんは幸運に恵まれてるのかもしれないね」
確かにアリカさんの言う通りだ。この世界に来てしまった根本を除けば、俺は幸運に恵まれている。でもそれは今までの話だ。
この先も同じような幸運に恵まれるなんて保障はどこにもない。だから最低限の生活力に加えて、この世界で生きて行くには力もいる。騎士団への誘いを理由にはそこにもある。
国を守る騎士になってそこで鍛えてもらえば、俺でも少しはマシになれるだろうと考えたからだ。
「ところで、この子は私の宿に行くとして、ヤトくんはどうする? 無理を言えばまだ1日くらいはここにおいてもらえるかもしれないけど、よければ一緒にくるかい?」
「そうですね。俺は結構元気ですし、ここの寝床を使うのも忍びないです。お言葉に甘えさせて下さい」
「うん。じゃあ早速行こうか」
「はい。あ、そうだ。こいつの名前なんですけど」
アリカさんにもテシィの名前を教えておかないと。そんなことは無いだろうけど、信用してないからあの時、テシィは名前を教えなかったんだと思われて気を悪くしてるかもしれないから。
「テシィです。事情があって名前が無かったんですけど、不便だったんでさっき決めました」
「そっか。うん、じゃあテシィちゃん。これからよろしくね」
「は、はい。こちらこそお願いします。アリカさん」
名前が無かった事情に触れないアリカさんのさりげない気遣いがありががたい。
天使の名前も決まった。この世界で生きる術にも功名が見えた。
少し明るい未来が見えてきた。
そう、この屋敷を出るまでは気楽にそんなことを思えてたんだ。
「……少し、外を見てきます」
「……もう夜も遅いから、ほどほどにね」
そうしてアリカの泊まっている宿から外に出てあても無く歩きだす。
テシィはもう寝入っていた。今日は一日ずっと動きっぱなしだったから疲れていたんだろう。
ここへの道中、俺が目を覚ました屋敷から宿に来るまでずっと、三人の間に会話は無かった。
未来への期待に浮き立っていた気持ちは、屋敷を一歩外に出た時点で打ち砕かれた。
そこにあったのは燃え落ちた家屋。完全に倒壊した石造りの建物。散乱する雑多な生活用品らしき物。壁や路上に時々見える、飛び散り、もう既に黒くなった何かの染み。
エシュタートの街は散々たる有様だった。
何を浮かれてたんだ、俺は。
今回の事件でこの街の人たちは多くのものを失った。家や店。職。金品。いや、きっともっと取り返しの付かないものを失った人もたくさんいるはずだ。
それなのに俺はたった一人を救っただけで、英雄だなんて言われて思い上がって、とんだ勘違いだ。
もし俺にもっと力があれば――
「君が気に病むことじゃないよ」
「アリカさん」
いつの間にか、アリカさんが傍に立っていた。俺を心配して追いかけて来てくれたんだろう。
「……でも」
「でもじゃないよ。今日のことは、言うまでもなく君のせいじゃないし、君が無力感を抱く必要なんてない。それに、そもそも君はあの子を助けられたじゃないか」
「たった一人ですよ」
「……たった、か」
アリカさんが俺の前に回りこむ。その顔にはいつも通りの笑顔があった。
「知ってるかい? ヤトくん。人間の命って一つしか無いんだよ?」
「そんなこと、知ってますよ」
なんで俺はこんな八つ当たりのような物言いをアリカさんにしてしまっているんだ。
アリカさんは俺を気遣ってくれてるっていうのに。
「確かに人間はたくさんいる。空に見える星みたいに無数にいるよ」
両手を広げ、彼女は空を仰ぐ。
「でもね。そんな数多いる人間のそれぞれ一人。つまり、自分。その自分の命はたった一つ、なんだよ。とっても大事で、かけがえの無い一つの命。一つだけどそれが自分の全てを支えてる」
アリカさんが目線を下げ、俺の目を見つめる。蒼い月明かりに照らされた彼女は、ひどく儚げに見えた。
「君はそれを救ったよ。たった一つかもしれないけど、それでもあの子の全てを救った。それを否定してしまえば、あの子の全てを否定しまうよ。だから君は誇っていい。ううん、誇らなきゃいけないんだ。だから――」
アリカさんが歩み寄ってくる。俺はそのまま正面から抱きしめられる。
「だから胸を張って生きればいいんだよ。ね?」
「……はい」
面と向かって抱きしめられるなんて何年振りだろう。少なくとも記憶にはないくらい遠く。
アリカさんに腕に抱かれ、まるで母親に抱かれてるような安心感が生まれる。
アリカさんは笑顔を見せてくれているけど、本当に落ち込みたいのはアリカさんの方のはずなのに。クーアさんを小さい頃から知っていたってことは、この街にもそれだけ思い出があるはずなんだから。
それでもアリカさんは俺を気遣って慰めてくれている。励ましてくれている。
そんな彼女の体が、心が、温かかった。