龍と人魔
龍。
大陸ユリスにおいて人類の歴史は数千年に及ぶと言われる。
過去から現代までの間に、人類の魔術や技術、学問は著しい進歩を遂げてきた。
人類の持つ知恵や勇気は数多の困難を退け、数々の不可能を可能に変え栄光の一途を辿って来た。
その数千年を経て、人類は名実ともに地上の支配者となったと言えよう。
だが、そんな現在に至っても尚、龍の強大さは未だ人類に忌避され畏れられ続けている。
龍の体躯は巨大の一言。
その四肢は、それぞれが樹齢千年を超える巨木のように太く逞しく、それらを従える胴は巨船に匹敵する程に大きく、長い尾まで含めたその全長は王城すらも超えると言われている。
そして、その全身は堅牢強固な鱗で覆われ、生半な武器では傷一つ付けることさえ出来ない。
更に特筆すべきはその知能だ。
彼らはその獰猛な容姿とは裏腹に高い知能を持ち、時には言語まで操ると言われている。
龍の巨躯が生み出す暴力は只ひたすらに圧倒的。
その身を降ろすだけで家屋を易々と押し潰し、剣のように鋭い牙や爪は、人間をいとも簡単にまるで紙屑の様に切り裂き肉片へと変える。
更に加えて、後天的に魔物と化した獣魔等とは違い、生まれながらにして超越した生物として誕生する龍は、生れ落ちた直後からその身体そのものに術式を宿し魔術まで行使する。
巨大な身体だけでも人類を脅かすに十分な生物が、人類と同等の知恵を持ち理論的に魔術を振るうのだからその脅威は計り知れない。
只一頭でも街が、二頭揃えば国が、三頭集まれば世界が滅びるとまで言われていた。
しかしここで疑問が生まれる。
そのような生ける災厄の如き龍を、人類は如何にして退けたのか?
龍が人類の敵として立ちはだかり、世界各地で熾烈な争いを起こしていたのは遠い過去のことだ。
今現在、龍は北方の痩せた大地にその身を寄せていると言われている。
人類と龍は、暗黙の了解でも在るかのように互いの生息域への不可侵を貫いているのだ。
否、恐らくは在るのだ。人類と龍の間で交わされた何らかの密約が。
その考えを証明するかのように大陸法では、北方を囲むザスール山脈への侵入を硬く禁じているのだ。
世界各地に龍との戦いの歴史を描いた文献は数あれど、何故か結末だけが統一された答えを持たずどれも曖昧に語られている。
王家の人間だけに受け継がれていると噂される真の歴史書の類。
もしそのような物が本当にあれば、この疑問の答えが得られるやもしれない。
しかし私個人の権限ではそれを読むことはおろか、その存在の有無を確かめることさえ出来ないのだ。
だが私は諦めない。
――龍は何故消えたのか?
その謎を解き明かす事が、私の人生に残された最後の命題である。
故シュタイン・ハーバース著 《人と龍》
紅い街。
その中から蜘蛛の子を散らすように際限なく逃げ出てくる人々。
皆一様に怯えた表情を浮かべていた。
誰かの名前を呼ぶ声や、泣き叫ぶ子供の声が耳に痛い。
「り、龍だ! ……い、家がッ!」
アリカさんが逃げ出てくる人を呼び止め事情を聞いていたが、極度に興奮しているようで要領を得ない。
龍? この世界には龍がいるのか?
「何よこれ……」
「これは……アリカさん」
「……悪いけど悠長に説明してる時間は無さそうだ。もし龍がいるんなら……とりあえず、君たちはここにいた方がいい」
アリカさんの顔は緊張で強張っている。
それを見ただけで推し量れてしまった。この世界で龍がどれだけ危険な存在なのかということを。
龍。ドラゴン。物語なんかに頻繁に出てくる強大な化物の代表格とも言える存在。
ここからは見えないが今、眼前の街の中にその龍がいるというのか。
「じゃ、私は行くよ。いい子にしててね」
「アリカさん!」
俺の言葉に振り向くこともなく、彼女は剣を抜き放ち燃える街の中へ駆けて行く。
俺と天使の二人が取り残されてしまった。
アリカさんを追いかけようとしたが思いとどまる。
街の惨状を目の当たりにし何かをしたい衝動に駆られたが、戦えない俺が行ったところで何も出来ないんだ。
それどころか足を引っ張ることになりかねない。
アリカさんはそれが判っていたからこそ、ここで待っていろと言ったんだ。
「私も行くね」
隣にいた天使が前に出る。
「お、おい。アリカさんは待ってろって言ってたろ?」
「戦いに行くわけじゃないよ。怪我したりして逃げそこなった人がいるかもしれないでしょ。そういう人を助けられるかもしれないから」
彼女の言葉にハっとさせられる。
この世界に来てから体験してきた出来事のせいで、戦うことに捕らわれすぎていた。
そうだ。何も戦うだけが全てじゃないんだ。
街の人の避難を手伝うくらいなら俺にも出来るかもしれない。
「……俺も行く。俺も何か手伝いたいんだ」
「ダメ」
「ダメじゃない」
「……はぁー。わかった。でも絶対に無茶しないでよ。火の付いた建物には絶対に入らないこと。路上を中心に逃げ遅れた人を探すこと。いい?」
「オッケー。お前も無茶するなよ」
「だからお前って……むぅ、言ってる場合じゃないか。とにかくホント無茶だけはしないでよ。じゃ!」
走り出した天使はエシュタートに入り、右手の道へ折れて進んで行った。
同じ場所を探して効果が薄い。俺はそれを受け彼女とは反対方面へ進んで行くことにした。
「お、これは使えるかも」
道中で手斧を見つけたので拾っておいた。救助の際に何かしらの役に立つかもしれないな。
しかし、もうかなりの時間走り回っているがまだ街人を一人として見つけられていない。
天使の忠告を無視し、家屋の中も探して見たが空振りだった。
……いや、落胆するようなことじゃないな。危険に晒されている人がいないというなら、むしろ喜ばしいことだろ。
でもそれだとすると、宛も無いのに火中に飛び込んで走り廻る俺は相当の馬鹿ってことになるけど。
もっと奥を探そうかと角を折れて進もうとした、その時だ。
その先で見たものに眼が釘付けになった。
そこには全身が炎に包まれている人型の何かがいた。
最初は、誰か逃げ遅れた人の服に火がついてしまい、それが燃え広がり炎に包まれてしまっているんだと思った。
だけど様子がおかしい。
逆か。全く様子がおかしくない。だからこそ異常なんだ。
炎に包まれた人間なんて見たことないけど、普通はきっと悶え苦しんだりするはずだ。
だがそんな素振りは少しも見えない。
炎に包まれていながらむしろ悠然と、まるで散歩でもしているかのように歩いている。
何より異質なのは燃焼の芯となるべきはずの身体が見えないこと。
さながら人間の形をした炎自身が意思を持って動いているかのようだった。
それだというのに顔であろう部位には、二つの眼球が浮かび、その下には広く裂けた口が見える。
なまじ人間と同じように表情を伺えるということが不気味さを増長させていた。
「……あれも魔物か?」
小さく呟く。
普通の生き物では無いのは確かだけど大事なのは敵意の有無。ここは慎重に様子を伺うべきだろう。
火男――中身がないから性別は判らないがこう呼ぼう――は辺りを見回しながらゆっくりと進んでいる。
俺は念のために、見つからないように身を潜ませながらそれを追っていく。
何かを探しているのか?
そんな疑問を抱いた直後、火男は片手を挙げ前方の木造の家屋に向ける。
そしてその手の先に現れる巨大な火球。
森の中で見たアリカさんの魔術を彷彿とさせる光景だった。だったらこの先に起こることは――
その直後、予想していた通りに、火球は見えない力で撃ち出され家屋に激突し爆散した。
……確定だ。魔物かどうかは知らないが火男は悪意を持って行動している。
さっきキョロキョロしていたのは手頃な獲物を探していただけってことか。
この街の惨状は、龍だけじゃなくこいつの仕業でもあるのかもしれない。
どうするべきだ? いや、そんなの決まっているか。
俺ではあんな化物をどうにも出来やしない。
アリカさんを探すなり、そうでなくてもあの火男の存在を誰かに知らせに行くべきだろう。
そう判断し、音を立てないように慎重にその場を離れようとした。
「ひっ」
その時に聞こえた小さな声。
振り向くと火男の目線が、路上の端でうずくまり震える小さな子供に注がれていた。
――最悪だ。
「やあ。ご両親はどうしたんだい? 見捨てられたのかな? それとももう燃えてしまったのかな? ああ、でも心配はいらない。どっちでも変わらないよ。君はどうせすぐに死ぬんだからさ。ふふ、そんなに怖がらないでよ。お兄さんとお話ししようよ」
「い、いやっ」
獲物をいたぶるような物言いに怯える幼い少女。
声色からも察するに実際に弄んでいるんだろう。
ここからは見えないが、その顔にはきっと愉悦の表情を浮かべていることが容易に想像出来る。
てか喋れるのか。その上どうやら人格もあるようだ。ということはやっぱり人間なのか?
……いや、よそう。今はそんなことを考えてる場合じゃない。何かにつけて考察ごっこをしてしまうのは悪い癖だ。
今は考えるより先に動け――
さっきまでは見つからないように離れて追っていたから距離がある。
火男が問答無用でさっきの魔術を少女に向けていたら、どうあがいても間に合わなかっただろう。
だから火男がサディスティックな性格であることは一種の幸運とも言えた。
火男はまだ少女に声をかけ恐怖を煽りなぶっている。その隙に俺は少しずつ距離を詰めて行った。
……俺があの化物に勝ち得るとしたら不意打ちしかない。手斧を握る手に汗が浮かぶ。
火男の気が変わって少女に手を出そうとしたら、躍り出て注意を逸らすくらいしか手が無くなる。そんなことをしたら俺はあの火球で丸焼きにされてしまうだろう。
絶対に見つからないように慎重に。でも慎重に進みながらも素早く、火男に不意打ちを出来る位置まで一秒でも早く。
「うーん、反応がイマイチ。泣いてばっかりだとつまらないよ」
火男はそう告げ。少女に向かい手を伸ばした。
くそ、まだ少し遠いがもう行くしかない。
走り出す。
火球が生まれる。
全力で走る。もう見つかったって構わない。
「じゃあね」
火男が囁くように少女に別れの言葉を告げる。
「おい!」
俺の声に火男が振り向く。
「むっ」
火球が俺に向けられる。
でも俺の方が、速い!
走ってきた勢いのまま、火男の顔面目掛けて手斧を振りぬく。
「げ――」
嫌な予感的中。
両腕で振りぬいた手斧に手ごたえは一切無く、バランスを崩したたらを踏む。
もし本当に火男が炎だけで形成されてるとしたら、物理的な攻撃なんて効かないかもしれない。
その予想が見事に当たってしまった。
一応それを見越して眼球や口のある頭部を狙ったが意味は無かったようだ。
つまり不意打ちは実質失敗。
その上、間近で火男とこんにちは。
かなりマズイ状況。
「逃げろ!」
うずくまっていた少女の身体がビクリと跳ねる。
少し間をおいて、俺の言葉の意味を理解した少女が立ち上がり駆け出す。
一先ずは安心。か?
「なるほど。君はあの子を助けに出てきたんだね。ふふ、カッコイイなぁ、たまらないよ。俺は君みたいな人が大好きなんだ。君みたいな人を見ると焼いてしまいたくなるね」
冷静でありながらおどけた、まるで役者の物言いだ。エセ紳士め。
とりあえず注意を逸らせたようだけど、ここからどう逃げればいいのか。
そんなことを考えていたとき、火男が唐突に背中を向ける。
――見逃してくれるのか? 一瞬そんな甘い考えが浮かんだが、火男の伸ばされた腕の先にあるものを見てその狙いに気付く。
そして三度現れた火球。
その先にはよろよろと拙く、それでも必死に逃げようと走っている少女がいた。
「君みたいな人には、こういう演出の方が楽しんでくれるんじゃないかな?」
――こいつ、本気で歪んでやがる。
「させる、かっ!」
咄嗟に手斧を振るう。
今度は切り裂くように刃を立てるのではなく、手斧の面の部分を叩きつけるように。
狙いは頭部にある眼球。
「くっ!」
狙いが外れ明後日の方向に飛んでいく火球。その火球は数メートル先の地面に衝突し爆ぜた。
爆発により地面が抉られ小さなクレーターが作成される。それは火球を生身で喰らえばただでは済まない威力があることを証明していた。
だけど今回は良い方の予想が当たった。
叩きつけるように振りぬかれた手斧を受けて、一瞬火男の頭部が消えた。だが炎が舞い上がるように広がり一瞬にして復元される。
やっぱり眼を狙ってもダメージは無い。だけど眼を一瞬でもその形を崩すことで目くらましくらいにはなったようだ。
目潰しは有効か。
「小賢しい!」
火男が振り向き様に燃え盛る右腕を振るう。だがそれは空を切ることになる。
火球が外れたのを確認した直後に、俺はもう火男から離れ距離を取っていたからだ。
「ハッ。何やってんだ? こっちだぞ?」
出来る限り最大限に嫌味ったらしいニュアンスで語りかける。
「クソがあ!」
「うおッ」
火球が向かってくるは予想出来ていたから、咄嗟に横道に逸れ何とか回避する。
紳士ぶった振る舞いだったが、己が欲望のままに子供を嬲る愉快犯のような行動から、逆に根っこのとこは感情に抑制の効かない直情型だと思ってたけど読み通りのようだ。
ならこのまま挑発しながら逃げ廻ればいい。
時間稼ぎをしていればきっと――
「なっ!?」
だけどそんな俺の思惑は簡単に打ち砕かれた。
「うぐッ!」
突如、真横の家屋が爆散し、その衝撃で身体ごと吹き飛ばされ壁に叩き付けれる。
あまりの衝撃に手足がもがれてしまったのかと錯覚してしまう。
ああ、しまった。
遮蔽物にしたつもりの建物ごと攻撃されるのは想像してなかった。
家屋や地面を爆散させるのを二度も見ていたのに余りにも迂闊だった。
炎に直接晒されることは無かったが、弾け飛んだ石材なんかをしこたまもらってしまったようだ。
壁に強くぶつけた後頭部が燃えているように熱い。熱とともに何かが流れ出ている感覚まである。
朦朧とする意識。身体中に痛みが走り立ち上がることさえ出来ない。すぐそこにはもう火男が迫って来ている。
何が『読み通り』だ。
向こうの方がよっぽど理性的だ。自分の能力をよく理解して効果的に使ってる。
注意を引き付けて、時間稼ぎくらいなら何とかなると思い上がってた俺とは大違いだ。
「うーん? 偉そうな事言ってた割にもう終わりなのか。つまんないなぁ、君も……よし、こうしよう。命乞いする時間をあげる。それで俺を満足させられたら見逃してあげてもいいよ?」
ははっ。ありがたいお言葉だな。
なんだ土下座でもすればいいのか? あ、でも土下座ってこっちでも通じるのかね。
それとも靴でも舐めるか。あ、こいつ靴履いてねえや。
じゃ、まあとりあえず。
ヒュンと風を切る音。続いてジュッっと鉄と木が蒸発して解ける音。
苦し紛れに手斧を投げつけてみたがやっぱり効果は無かった。
「……どういうつもりかな。俺は惨めに命乞いをしろと言ったはずだけど?」
ダメージは無くても、反抗されたことが気に入らないんだろう。
喋り方は変わらないが幾分か苛立ちを含んだ声色になっていた。
どうせ殺す気なのはわかってんだから、せめて精一杯イラつかせてやろう。
「痛々しい喋り方してんじゃねーよ。エセ野郎」
「な……に?」
あからさまに顔が歪んだのがわかった。
眼と口しか無いのに器用なもんだ。
「……くたばれ」
中指を立てながら最後の挑発。通じてるかわかんねーけど雰囲気で挑発行為だと読み取ってくれよ。
はは。こんなことで一矢報いたつもりになるなんて如何にも俺らしい。
でも森の化物に襲われた時と似たような状況なのに気分は大違いだ。
あの時は惨めで、只々恐ろしかっただけだったが今は違う。
例え一人でも、誰かを救えたことが誇らしく感じる。
もちろん死にたくなんて無いけど、こういう終わり方なら、まだマシに思えてしまうな。
もう気が済んだから一思いに焼けばいい……そうして覚悟を決めても、トドメの一撃が訪れることはなかった。
「……エセ? エセだと!? この俺が! この私が! ふざ、けるなッ! 俺が本物だ! 偽者はアイツだッ!」
火男は俺にトドメを刺すことも忘れて取り乱し続けている……想定以上の過剰な反応だった。
エセという単語が奴の深いところにある何かに触れたようだ。
本命だった『くたばれ』という言葉は耳に入ってる様子すら無い。
「違う! 違う違う違うッ! 僕だっ! 僕は偽者じゃねえ!」
芝居がかった物言いは完全に無くなり大声で喚き散らしている。激昂というよりもはや錯乱の域。
……直情型。承認欲求。それと――偽者、か。
もう少しこいつと話がしてみたくなった。
「がぁッ! もういい! お前は殺す! 即殺す!」
「……それでいいのか?」
「あぁ?! 今更命乞いか! 遅えんだよッ!」
火男が右手を掲げる。目の前で徐々に形成される火球。
額が熱い。前髪がチリチリと音を立てていた。
「……それで本物になれるのか?」
「なんだと……?」
出来る限り丁寧に、ゆっくりと言い聞かせるように語る。
「お前のその力で相手をねじ伏せれば、それが本物の証明になるか? お前が自分自身を偽者じゃないと言うなら、努力して、然るべき場所で主張して、認めさせないといけないんじゃないのか? 認めない相手を、一人ずつ排除して、その先に何がある? 誰がお前を本物と認めるんだ。それじゃあ結局、お前はずっと、本物だとは認められないままだ。お前を本物だと認めるのは、最後までお前一人だけだ。じゃあどうする? 自分以外の全てを叩き潰すか? それならもっと手っ取り早い方法を教えてやるよ。一人で、山に入るなり、海を越えるなりして、ずーっと一人で、誰とも関わらず引きこもってりゃいい。そしたらお前の世界にはお前しかいなくなる。そのたった一人の理解者を死ぬまで一生大事にしてりゃいい。簡単だろう?」
「戯言を……知った風な口を聞くなッ! お前に俺の何がわかるッ!?」
眼前の火球が霧散する。とりあえずすぐに殺そうという気は無くなったようだ。それなら言いたいことを全部言わせてもらおう。
「……同じなんだよ、俺も」
「な……に?」
「……俺も偽者なんだよ。俺には腹違いだけど5つ下の妹がいたんだ……そいつがすっげえ優秀でさあ。勉強の成績はもちろん、運動神経も良くて、社交性もあってさ。ホント絵に描いたような優等生だったよ。俺と違ってな。俺は頭のデキも良くない、社交性だって無くて友達なんて全然いねぇ……そんでもって俺は前妻の子供だったからな。子供が一番安心出来るはずの実家でさえ、居心地が悪いのなんのって。でも俺だって必死に努力したんだぜ? 寝る間も惜しんで勉強して、他人にはひたすら笑顔振りまいて、でも全然妹にゃ敵わないんだよ。そりゃあいつだって――あぁ、妹の名前、朝梨って言うんだけどさ。あいつが朝で、俺が夜。ガキの頃は単純な名付け方だと思ってたが、今思うと皮肉なもんだよなぁ。朝と夜。明と暗。朝梨が本物で、俺が偽者。それをしっかり現してるんだもんな。はは。そう、その朝梨だってそれなりに努力してたのは知ってたぜ? だけどそれは人並みなもので、俺ほど切羽詰ってやってるわけじゃなかった。それでも俺の全身全霊を、あいつは、朝梨は軽く超えて行くんだ。その時の俺の気持ち、わかるか? 朝梨は意識無意識関係なく、俺の全てを否定してしまうんだ。存在しているだけで、な。だけどそれでも、そんな朝梨でも俺はちゃんと家族として好きだったんだ」
「……お前は、自分の全てを奪う片割れを受け入れたというのか? 信じられん、己の居場所を奪った相手を大事に思うなどと」
好きだったという言葉に耳ざとく反応される。ベクトルが違うな。
「……ああ、そうだ……いや、どうだろうな。本当は違ったのかもしれない。あまりにも大きな壁だったから、嫌いなんだってことを認めて、自分の敵だと認識してしまうことが、怖かったのかもしれない。だけどもう今は答えなんか出ない、出ないんだよ……死んだんだから。朝梨は。5年前に。まだ13歳だったよ。最初はただの体調不良だと思ってて、医者に見せたら入院だって言われて、三日目だったよ。昼間に連絡があって、病院に着いた時には……」
「……だが、それならお前は本物になれたのではないのか」
「……そんな単純なもんじゃねえよ。むしろ、逆だった。両親はずっと沈みっぱなしでさ。朝梨の話ばっかりしてて。俺だって悲しかったけど、これからは俺が両親を支えるんだ、って。そんな幸せな勘違い、してたんだよ。でも両親の心に、俺が入る隙間なんて最初から無かったんだ。両親の眼が、言葉にこそしないだけで、俺を攻めるんだよ。『なんで朝利なんだ』って。『どうして朝梨の代わりにお前が死ななかったんだ』って。
『偽者のお前が死ねばよかったんだ』って! 耐えられなかった。あいつは、朝梨はいなくなってもずっと本物で! 俺はそこに確かにいるのに、ずっと偽者だった! ……それからすぐに家を出たよ」
「……逃げたのか」
思わず左に向かいかけた眼を右に、上に滑らせ、眼を静かに閉じる。
「……ああ、そうだ。だって仕方ないだろ! どうやっても本物になれないなら! 逃げるしか――無かった」
「違う! 貴様は闘うべきだったのだ! どんな手段を使おうとも! どんな犠牲を払おうとも! 貴様は……貴様は――」
「母さんのせいだよ」
「なにっ?」
「そうじゃないけど、そうかもしれなくて……だってほら――あそこにいるのが俺の本当の偽者の代わりなんだから。そう、朝梨だ」
右手をゆっくりと挙げ、道の右側。その先の突き当たりにある建物を指差す。
「き、貴様。何を言って……」
俺の言葉の意味を理解出来ず混乱したまま、火男は俺の指差した方向に眼をやる。
俺が指差した先には――もちろん誰もいない。こいつ、ちょろい。
「『冷たい――」
左側の道から火男の背後まで、一気に距離を詰めてきたアリカさんは火男を完全に間合いに捕らえていた。
「唄!』」
「くッ!?」
蒼く染まった刀身が一気に振りぬかれる。高く跳ね上がる火男の切断された両腕。
即座に回避行動を取っていた火男は後ろに跳んだものの完全に避けきることは出来なかった。
「なん、だ。これはッ」
大きく跳躍しアリカさんとの距離を取った両腕を失った火男は歯噛みをしている。
火男の切断された両腕は今までのように元に戻ることはなかった。
切断面を覆うように氷が張り付いているからだ。その氷は火男の身体の燃え盛る炎を浴び続けながらも、ほとんど解けている様子は見られなかった。
「あぁ、ダメダメ。私の氷はそう簡単に解けやしないよ?」
「アリカさん。助かりました」
「……私は入り口で待っててって言ったはずなんだけどなぁ。ヤトくん、後でお説教だね」
「ぐ……ぐううう。不意打ち……だと」
まるで耐え難い痛みを必死に噛み殺しているかのように火男が低く唸る。
しかしその憤怒の眼差しは、腕を切断せしめたアリカさんではなく俺の方に向けられている。
「きっ……さまぁ! 俺を、俺を騙したのかッ!? 仲間が来る時間を稼ぐ為にッ! 今までの話は全て偽りだったのかッ!」
「もちろん嘘だ! 俺は完全ナチュラル一人っ子だからな!」
立ち上がり胸を張りながら勝ち誇ったように答える。
「こッッッのゲスがぁ!」
助けが来た途端に威勢が良くなる俺はつくづく小物だと思う。
咄嗟に、誰かが助けに来てくれるまでの時間稼ぎを、逃走から会話に切り替えたがギリギリだった。
もう最後の方は自分でも何言ってるか判らなかったからな。
正直、いつ燃やされるか冷や冷やしてたが、終わり良ければ全て良し。生きてりゃ勝ちだ。
天国にいない妹よ。お兄ちゃんは今日も一生懸命生きたよ。
「何したんだい? とっても怒ってるけど?」
「ちょっとした妹談義ですよ」
「ふぅん。よくわかんないや。しかし……人魔とはね」
アリカさんが片手を真上に上げる。
その先にマッチの炎のような小さな火種が生まれ、高く上昇し破裂して火の粉を散らす。まるで花火だ。
「これでもうすぐここに王城の兵士や騎士がたくさんやって来ちゃうよ。どうする?」
どうやら今のは信号弾のようなものみたいだ。
「くっ……がぐぐ……貴様は絶対に殺す! 忘れるな! お前は私が引き裂いて、切り刻む! 必ずだッ!」
悔しげにお約束のようなセリフを叫び、崩れ落ちて穴の開いた街の外壁から火男が外へ逃げて行く。
あいつの言った『お前』は間違いなく俺のことだろう。
てことはじゃあ何か、俺はこれからあの火男に命狙われるのかよ。それは願い下げだぞ。
まあ、とにかく、今回は助かったから――
「あ、あれ?」
助かったと意識した途端、身体中の力が抜け崩れ落ちた。
手を付くことさえ出来ずそのまま倒れこんでしまう。
「……ヤトくん? ヤトくん!」
身体が重い。そういえば、頭も割れてたんだっけか。
すぐそばにいるはずのアリカさんの声が遠い。壊れかけのスピーカーから声が出てるみたいだ。
瞼が勝手に降りてくる。
ああ、この感覚は知ってる。二徹後の就寝の時の感覚だ。
布団を通り越えてもっと沈んでいくような。
沈み過ぎて逆に浮かんでると思えてしまうような。
あのふわふわした感覚だ。
もう無理。
意識が、止まる。