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こんな内定いらなかった

「ぱんぱかぱーん。おめでとうございまーす。あなたは異世界の救世主様に選ばれましたー」

 俺はこの時受けた衝撃をきっと一生忘れないだろう。


 

 時は少し遡る。

 この不況の時代。良いとこ出の大卒生ですら就職出来ないまま卒業してしまうケースも多々あると言われてるこのご時勢に、高卒の俺は幸運に恵まれることもなく見事に就職浪人になってしまった……

 実際には幸運どうのこうのではなく『テキトーにやっても何とかなるっしょ』という舐めきった姿勢で就職活動を行っていたせいだが。

 結局自業自得なわけだ。

 そんな行動の当然の帰結として卒業直後から公共職業安定所へ通い詰めるハメになってしまった。

 もう五月になるが内定はまだ一度ももらえていない。未来が見えない。

 そしてその日も。もはや日課と化した求人漁りをするために職安へ来ていた。

 その時に、おかしなものを見つけることになる。


『 職種:異世界の救世主様!

  仕事の内容:救世、又それに伴う雑務(※未経験者歓迎!)

  雇用形態:派遣社員

  賃金(税込):完全歩合制

  備考:誰もが憧れる異世界で救世主になってみませんか? 性別年齢学歴資格一切不問です!

     未経験者でも安心して働いて頂ける手厚いサポート体制を敷いています! 

     アットホームな異世界で働きやすい職場です! 

     あなたの「がんばり」がダイレクトに業績に影響! 

     業績次第では一国の王になるのも夢ではないかも!?                 』


「……何だこれ」

 いやいやいやいや。何これ? イタズラ? でもそれにしてはやけに手が込んでる。

 書式とか他の正規の求人シートまんまだし。

 ていうか救世主って派遣社員なのかよ。それに勧誘文句のブラック企業臭が半端ないぞ。

 手の込んだイタズラするもんだ。

 職安に子供なんて来ないだろうからここに仕事探しに来てる誰かがやったんだろうが……その、なんだ、就活ってストレス溜まるもんなんだな、としみじみ実感させてくれるぜ

 ……俺もこのままどこにも就職出来ないままだと、こんな感じに病んでいくんだろうかと想像すると陰鬱な気分になる。

 沈んだ気分のまま何気なくその求人シートに手を伸ばし指先が触れた瞬間。

 チクリ、と首筋に痛みが走る。

「あだだだ!」

 前言撤回! チクリとする程度だと思った痛みはすぐに鋭い痛みへ変わり思わず声をあげてしまう。

 建物の中に入り込んだハチにでも刺されたのかと思い、首筋を抑えながら振り返ると――


 奇妙な衣装に身を包み満面の笑みを浮かべている少女がいた……その右手に握られていたのは、注射器。


 そこで冒頭の言葉を聞かされたわけだ。そのとき俺が受けた衝撃を何と形容すればいいだろう。

 鳩が豆鉄砲を食らったような? いや、違うな。

 在るとは知っていた事。

 でも自分の人生にそんな事が起こるわけが無いと思っていた事象。

 それが本当に自分の身に降りかかってしまった驚愕。つまりは――


「さっ! 救世主さま! こちらへどうぞ!」

「いや待て」

「わかってます! いきなりこんなこと言われてもビックリしますよね! でも詐欺とかじゃ無いんです。お金は一切頂きません! だから、ね? ちょっとお話を聞いて頂くだけでもいいですから! さあ今こそ勇気を出して一歩を踏み出す時なのですよ!」

「そうじゃなくて。今。注射器。刺した? 今。俺の首に?」

「え? はい、そうですけど?」


「ひぃぃああああ! キチガイだぁああああ!」


 世の中に頭のおかしなやつが存在するのは知っていたけど。

 最近増えてるってニュースとかでも言われてるけど。

 怖いなと思いつつも、それでもそんなやつらと関わることなんて無いって心のどこかで思ってたのに。

 現実にそのおかしなやつが目の前に現れて、実際に危害を加えられたというこの衝撃。

 この後どんなことが起ころうともきっと俺はこの事を忘れることは出来ないだろう。


 どこで手に入れたかも判らないような注射器を。

 見ず知らずの人間に。

 よりによって首に!


 やべえよ。半端じゃねえよ。

 頭のネジが一本どころか全部抜け落ちてるような、常識どころか非常識すら飛び越えてしまってるようなキチガイの極みにいるようなやつに関わられてしまうなんて……


「なっ! こんなに美しく可愛く慈愛に溢れた気高い天使様に向かって人間風情が何てことをほざきやがりますか!」

 更に天使とまで言い始めやがったよぉ。

 やべえ要素がてんこ盛りだよぉ。

 キチガイのロイヤルストレートフラッシュだよぉ。

「う、うわ」

 余りのキチガイっぷりに気おされ思わずへたり込む。

 無駄に刺激しちゃダメだ。ここは冷静に対応しないと。

「ま、待て。落ち着け!」

「はぁー!? 人間ごときがこの天使様に舐めた口をきいてただで済むはずが……ハッ!」

 何かに気づいたように言葉を止める天使を名乗るキティさん。

 すると怒りに満ちていた表情が唐突に最初に見たときと同じ満面の笑みに変わる。逆に怖い……!

「ふ、ふふふ……失礼しました。さっきのことは忘れろ。じゃなくて忘れて下さいな。うふふ」

 この時にやっと違和感に気づいた。静かすぎるんだ。

 俺たちがこれだけ騒いでるのに周りに何人もいるはずの求職戦士たちはおろか、職員でさえ何の介入もしてこないのはおかしい。

 それを訝しがり周りを見渡す。

「なんだ……これ」

 そこで見たものは、目の前の少女に感じている異常性すらも超えた俺の常識では計り得ない光景だった。

 全てが止まっていた。


 半開きのままの自動ドア。

 真剣な顔で求人票とにらめっこするおじさん。

 職員のお姉さんと相談していた様子の若いにーちゃん。

 受付に立って案内をする職員のおばさん。

 鉛筆を落としそれを拾うために身を屈めたお姉さん。


 その全てがまるで静止画であるように不自然に止まっていた。

「時間が止まってる……?」

「うーん、似たようなものですが少し違います。時間軸への直接的な干渉は私たち天使にも出来ません。三次元人のあなたにも判りやすい言葉と概念で説明するならば、私たちは今時間軸が影響しない位相にその身をズラしている。とい言ったところでしょうか。その証拠に、そうですね。適当にそのへんにあるものを何でもいいので動かしてみてください」

 その言葉に従い俺は座り込んだ体勢のまま近くにあったパイプ椅子を手元に引き寄せる。

 いや引き寄せようとした。だがそれは出来なかった。

 どれだけ力を込めて引こうと押そうとピクリともしない。

 試しにクッション部分を指で押してみると、それはまるで鉄で出来ているかのように硬く1ミリたりともへこむことはなかった。

「ね? 異なる位相に立つ私たちは時間軸の存在する本来の位相への干渉が不可能なのです。つまり世界の時間が止まっているのですはなく、私たち二人だけが、時間から外れている。ということです」

 ふむ、全然わからん。だがわかった。

 時間や位相うんぬんではなくこの少女がその人格だけでなく存在そのものが異常に過ぎるということがよくわかった。

 にわかには信じがたいがこの少女は自ら名乗るように本当に天使、そうでなくともそれに近い力を持つ存在なんだろう。

 だがそれならば逆に開き直れる。

 それだけ訳判らん現象を起こせる超常相手に、ただの人間の俺が喚こうが抵抗しようがこいつがその気になればどうとでも出来るだろう。

 つまりビビるだけ無駄ってこと。


「とりあえずお前が尋常じゃないってのはわかった。それで結局俺に何の」

「お前って言うな」

「い、いや、そんなことより説明を」

「お前って言うな。人間の分際で」

「……貴方様がゴイスーなのは理解しました。この卑しい人間めに貴方様の目的を教えて頂けないでしょうか」

「うふふ。よろしい」

 うわ、すげー嬉しそう。天使か何かしらんが性格クソ悪いなこいつ。

「おほん。ですから先程から申し上げているように貴方は異世界の救世主に選ばれたのです。詳しい説明をしたいのでこちらへいらして下さい――浅倉夜人(あさくらやと)さん?」

「っ!? ……わかった」

 名前まで把握されている。納得はしてないがここは着いて行くしかないだろう。

 拒否したら何をされるかわからない。そもそもこいつの力無しじゃこのズレた位相とやらからの帰り方すら判らないんだから。

 正直に言えば異世界や救世主なんかにも少し興味がある。なるかどうかは別として。


 天使に着いて行くとそこには扉があった。

 いや、おかしい。この職安には何度も来ているが今までこんなところに扉なんて無かった。

 それ以前にこんな場所に扉を作る意味がない。

 その扉はフロアの真ん中に扉単体で存在していた。そして天使がその扉を開く。

 だけどその扉の向こうに見えるはずの光景は想像と全く違っていた。

 扉の向こうは本来見えるはずの職安のフロアの光景ではなく、全く知らない部屋のようなものが見える。

 これじゃあまるで――

「どこでもド――」

「この国の人はこれを見ると必ずと言っていいほどその言葉を吐きますね。何かそういうしきたりでもあるのですか?」

 聞き飽きたといわんばかりに呆れた表情を見せ彼女は扉をくぐる。

 俺もそれに続いて恐る恐る扉の中に足を踏み入れた。


 そこはまるで何かの事務所のような一室だった。

 二つのソファに挟まれたガラス張りの低いテーブル。

 壁を埋め尽くすように並ぶ本棚。そこに陳列されている大量のファイル。

 ソファと少し離れた場所に置かれた黒塗りの大きなオフィス机。その上に山のように詰まれた書類。

 入ってきた扉と真逆に位置するように扉があった。まだ奥にスペースがあるのかもしれない。

「ソファにお掛けになってお待ち下さいな」

 そう言って彼女は奥の扉の中へ入っていく。俺は大人しくソファに座り待つことにする。

 数分後、扉を開け彼女が戻ってきた。両手にトレイ、その上には2つのカップがある。

「どうぞ」

「ど、どうも」

 俺とは反対側のソファに座りカップを差し出しながら彼女は言った。

 カップを受け取る。湯気と甘い香りを漂わせた黒い液体はどうやらココアのようだ。

 天使のくせに庶民的なもん飲んでるんだな。

「それでは早速ご説明をさせていただきます。おめでとうございます! 朝倉夜人様! 世界一幸運なあなたは異世界の救世主に選ばれたました!」

 いや、そんなことドヤ顔で言われてもな。

「それはさっき2回聞いた。急にそんなこと言われて意味わからないって」

「はい。では詳細を説明させていただきます。あなたにはこれから異世界に行ってもらいそこで世界を救ってもらいます」

 そこまで言うと彼女はカップを持ち上げ一口飲んで『ふぅ』と息をつき満足気な表情を見せる。

「え? それだけ?」

「はい! たったそれだけです! 世界を救うだけの簡単なお仕事です!」

「いや、そうじゃなくてもっと説明すべきことあるだろう」

「はい。ご質問は何でも受け付けます。遠慮なくお聞き下さい」

「じゃあまず一個。最初会ったとき俺に注射器刺したよな。あれ何だ? 天使は初対面の人間に注射器ぶっ刺すしきたりでもあんのか」

 とりあえずさっきから一番気になっていた疑問を皮肉混じりに投げかける。

「ああ、その際は失礼しました。確かに急にあんなことされては驚きますよね。心配しないで下さい。あれは人体への悪影響は一切無いお薬ですので」

「く、くすり!?」

 注射器で刺すだけじゃなく薬品まで打ち込んでたのか!

 その事実に怖気を感じる。

 悪影響は無いと言われようが得体の知れない薬品を体内に打ち込まれたという事実に生理的な嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

「ええ、もう一度言いますが人体への悪影響はございません。私たちが会話出来ることに疑問を抱かれませんでしたか? 本来天使の使う言語と下界の言語は異なり言葉での意思疎通は出来ません。先程打たせてもらったのはそれを解消しお互いの言葉を理解出来るようになる便利なお薬なのです。いわば翻訳な蒟蒻なのです」

 天使のくせにすげー庶民的な例えを使ったぞ。てか結局こいつもあのアニメ知ってんのかよ。

「完全には納得いかないけどわかった。どうせ俺には真偽を確かめる方法なんて無いし」

「では異世界へ行って頂けるのですね?」

「飛躍させすぎ。まだまだ聞きたいことはある」

「ええ。いくつでもどうぞ」

 聞きたいことはたくさんある。だがまず何から聞くべきか。

 就活で培った求人探しの知識を思い出す。まず賃金、いわば最大のメリットを聞くべきだろう。

「給料が完全歩合制ってあるけどこれは?」

「はい。夜人様があちらの世界で手に入れたものは全て夜人様の財産となります。特定の企業のようにピンハネは一切行いませんので安心してお金を稼ぐことが出来ます」

 さっきから思ってたけどセールストークがすごい俗っぽい。とりあえず給料面の疑問は解消した。次に聞くことは。

「作業内容、っていうか救世って何するんだ?」

「はい。救世主を必要とする世界には『世界の危機』が迫っています。それをその世界に住む人間だけでは取り除けない場合に限り、他の世界から救世主を選び出しその世界へ行って頂くのが私たち天使の仕事です。ですからあなたの業務は『世界の危機』を取り除くこと。ということになります」 

「曖昧だな。その『世界の危機』とやらの具体的にどんなことなんだ?」

「それは様々です。それぞれの世界が抱える事情が要因となり世界それぞれの『世界の危機』が生まれます。具体例を少し挙げさせてもらいますと」

 彼女はそこで一度言葉を区切りまたココアを口に含む。

「ご、ごはっ! の、のどにつまっ!?」

 そんでむせた。

「だ、大丈夫か」

「ぐふっ。だ、大丈夫です。実はわたくし今回の仕事が初仕事でして。少々緊張しているようです。申し訳ありませんでした」

「そ、そうか。大変だな」

「んっ。では気を取り直しまして……『世界の危機』の具体例の話でしたね」

「お、おう」

「宇宙人の襲来。地底人の襲来。危険生物の誕生。突出しすぎた戦力を持った人間による大量殺戮。卓越しすぎた技術による大量破壊兵器で行われる終末戦争。魔性――あなたの知識で言うところの怪物や魔物のいる世界などでの、人間勢力と魔物勢力のバランス崩壊。異世界人による侵攻。あとは何らかの要因によって起こる世界そのものの物理的な破壊などです」

「待て待て。俺は普通の人間だ。おま――あんたみたいに変な能力があるわけでもない。そんな俺が怪物だのなんだの相手に出来るわけないだろ。いや、そもそもそれを言うなら天使とやらが直接乗り込んでその『世界の危機』をどうかすればいいんじゃないのか?」

「良い質問です。その疑問にお答えするためにまず私たち天使の事情をお話しましょう。私たちの済む天界は数多ある世界に住む人間の祈りによって支えられています。ですから『世界の危機』が生まれ人間が絶滅、もしくは著しくその数を減らしてしまう事態は不利益を生みます。そのような事態がいくつも重なってしまうとそれこそ天界そのもの存亡の危機となるのです。それを避けるために私たち天使は数多ある世界の運営、管理をしています。ですから本当であれば天使自らが危機を抱える世界へ出向き、それを取り除きたいのは山々なのですがそれを出来ない事情があるのです。それは天使自身が定めた法です。その法により各世界への直接的な干渉が禁止されているのです。私たち天使の強大すぎる力は些細な行動でも世界に莫大な影響を与えかねません。それに加えて世界を救うのはその世界の住人であるべきだ。という思想もあります。これは救世主を送るという行為と矛盾しているようですがそうではありません。如何に救世主と言えど単身で世界規模の危険を取り除くことなど不可能です。必ず現地の世界人の協力を必要とします。つまり救世主の存在と合わせて現地の世界人にも救世に携わって欲しいのです。その原則に則り必要以上の影響を与えないために、同時に別世界から送ることの出来る救世主は一人だけというルールもあります」

 一気にまくしたてまたココアに口を付ける。今度はむせなかった。

「それにあなたに力が無い。という懸念にも心配はありません。何の力も持たない人間をただ別の世界に送るなどという遠まわしな殺人行為のようなことは決していたしません。救世主になると了承して頂いた方には、救世の支援オプションとして様々な力を与えられます。お選び頂けるオプションはこちらにまとめてありますがご覧になりますか?」

「……まだいい。俺はまだ救世主になるとは決めてない。疑ってるわけじゃないが、それを見たから了承したってことだ。とか後で言われるのは嫌だからな」

「ちっ」

 舌打ちした! 本当にそうするつもりだったのかよ!

「……それにまた疑問が出てきた。さっきあんたは初仕事だと言ったよな。でもその前にどこぞの不思議道具みたいな扉を通る時にこうも言った。『この扉を見た人はみんなそう言う』って。これ矛盾してないか?」

「その疑問の答えは簡単です。私が担当になって救世する異世界が初めて与えられたお仕事でして、ご紹介するのは初めてではあり……ま……せん」

「つまり俺の前に何人か紹介してたわけだ。そして『送れる救世主は一人だけ』って原則があるってことは」

 しまった。という表情を浮かべているがもう遅い。

「紹介実績が知りたい。それに加えて救世とやらを失敗した人間はどうなる」

「ぐ……いいじゃないですか。そんなこと。もう思い切って行っちゃいましょうよ! 異世界!」

「隠すってことは相当不利益な情報なんだと断定してしまうが?」

「くぅ……判りました。言います。今まで19人の方にお仕事を紹介して8人の方はお話を聞いた時点で辞退されてしまいました。11人の方には了承を頂いた上で救世に向かってもらったのですが、えーっと、その、ね?」

「ね? じゃねーよ。はっきり言え」

「そ、その、全員お亡くなりになりました」

「よし断る」

「ええええー!? いいじゃないですか! 最悪死ぬだけですって! ね? せっかくだから行っちゃいましょうよ!」

「せっかくだからで命賭けれるかっ! 俺は帰る!」

 立ち上がり入ってきた扉から帰ろうとしたが、立ち上がった体勢で思わず動きを止めてしまう。

 

 無い。

 ここにあったはずの扉が無い。場所を勘違いしてるのかと周りを見回すがやっぱり無い。

 ここへ入ってきたときに通った不思議ドアは跡形も無く消えうせていた。

「帰る? んふふ。どうやって帰るんですか?」

 口角を上げ天使が憎たらしい笑顔を作る。

「扉……どうした」

「消しました」

 身も蓋も無い簡潔な物言いに目の前が真っ暗になる。じゃあ俺は帰れないってことか。嘘だろ。

「話を聞くだけでいい。って言ったよな……?」

「えー? 知らないなぁ。私そんなこと言ってませんよぉ。証拠ありますー? 証人はー? 何時何分何秒。地球が何回まわったときー?」

 取り繕う必要が無くなったからからだろうか。完全に地が出ている。すんごいムカつきます。

「順調に交渉が進んですんなり異世界へ行ってくれるのが理想だったんだけどねー。まっ、こうなった以上あんたは異世界に行くって選択肢しか無いよ? 諦めれば?」

「くっ」

 歯噛みしてソファへ腰を下ろす。

 どうすればいい。

 こいつの思惑通りに異世界に行くしかないのか?

 いやいや、それは無い。死亡率100%だぞ?

 その11人がどんなやつだったのかは知らないが、特筆するような才能の無い俺が同じ条件で生き残れるわけがないだろ。

「……えーと、これマジ? 本気? マジバナ? あれだろ。異世界とか冗談なんだよな? 今なら俺怒らないよ? だから冗談って言ってくれ」

「わお、ビックリ。今更それ言っちゃうんですか? あんたの常識外の現象何個も見たでしょ? あー、あれかー。教科書に載ってないことは信じられないタイプなのかなー? 自分の目で見たことすら信じられないなんて素晴らしいマニュアル人間なんですねー。うんえらいえらーい」

 ム・カ・つ・くうううううううううう!

 思わず殴りかかりそうになるのを堪える。

 天使だろうが性根が腐りきってようがこいつは女だ。手をあげるわけにはいかない。

 てか反撃されるのが怖い。

「……あそ。じゃあいいや、帰らなくて」

「え! じゃあ異世界行ってくれるの!? やった! これでノルマ達成!」

「いやー、残念だけどノルマは未達成だな。俺異世界には行かないし。だからここで住むことにするわ。こんな俺だけどこれからよろしくな」

「……はぁ!? 冗談じゃないっ! 私がこの事務所を手に入れられる立場になるのにどんだけ苦労したと思ってんのよ! ウザい上司にペコって嫌な先輩相手にもニコりまくってすんごい大変だったんだから! そこに薄汚い人間なんかを住ませるわけがないでしょ! そもそも必要以上に人間を天界に滞在させたら私の立場が危ないじゃない!」

「いや、知らんし。帰れないんじゃ仕様が無いよねー」

「くぅ。このぉ!」

 激昂した性悪天使が真っ赤な顔をしながら、身を乗り出しガラステーブル越しに俺の身体を掴む。

 ココアの入ったカップが倒れ中身がぶちまけられる。

 それと同時に俺の真横にブラックホールのような大きな黒い渦が現れた。禍々しさが半端ない。

 その渦に向けて無理矢理俺の身体を押しやろうとする性悪天使。

 この渦が何だか判らないがここに入れられるのはマズい気がする。てか嫌な予感しかしない。


「うぉ! なんだ! 離せ! それになんだこの黒いの!」

「『異世界の門』よ! こうなったら実力行使であんたをそこに叩き込む! そしたらあんたは晴れて異世界デビューよ。おめでとう!」

「ぐぐぐ。やめろっ。天使がこんな強引なことしていいのかよっ」

 渦の前で取っ組み合いになる。

 全力で抵抗するがジリジリと渦へ押しやられて行く。なんだこいつ腕力おかしい。

「うっさい! こっちは失敗続きで今度勧誘失敗したら減給するって言われてんのよ! だから私のお給料のために異世界へいけぇえええ」

「知るか! 減給されろ! むしろクビになれぇえええ」

「ふざけないで! 天使をクビになったら人間界へ落とされんのよ。私みたいな箱入りセレブっ娘が汚らしい人間界で生きていけるわけないじゃなぃいいい」

「お前がふざけんなっ! 勝手にのたれ死ねっ! てかじゃあお前が異世界にいけえええ」

 真正面から抵抗しては適わない。逆に性悪天使を渦の方に押しやる。

 力は強いとはいえ体重の軽い彼女は思ったより簡単に渦に近づいていく。

「ひっ! 天使は行けないっつったでしょ! 大人しく落ちろぉおおお」


「ぐぐぐ……」

「ふぬぅう……」

 渦の前で押し合い、均衡が生まれる。このままじゃ埒が開かない。

 こうなったら、と素早く彼女の足を払う。

「なっ」

 予想外の反撃に虚をつかれる性悪。その隙を突いて全力で彼女を渦に向けて投げ飛ばす!

 ――勝った!

 そう思ったときだった。

「ま、まけるかぁあああ!」

 叫びながら床を蹴り抜かんとするほどの勢いで足を着く性悪。

「はぁ!?」

 傾ききった身体を足一本で支えるという人類には到底出来ないような体勢で踏みとどまる彼女を目にし、今度は俺に隙が生まれる。

「どっせい!」

 しくじった。と思う間もなく一瞬の隙を捉えた彼女が今度は逆に投げ技をしかける。

 俺には足一本で全身を縫い止めるような真似なんて出来るわけもなくそのまま渦へ投げ込まれてしまう。

「くそぉおおお」

 

 結局、必死の抵抗空しく俺は『異世界の門』に叩きこまれ黒くて暗い闇の中を落ちて行く。


 腕を掴んだままだった天使と一緒に。

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