7.夢魔
アカシアの香りが漂う境内は下手すると自分の部屋よりも落ち着く場所となっている。
すぅっと胸いっぱいに甘い香りを吸い込むと月花がそばに居るようで
何だか勇気が沸いてくるようだ。
そうだ、月花に相談してみるか・・・
でも女の子に泣き言いうのはちょっと恥ずかしいかな。
そんな事思いながら初めて月花と出会ったアカシアの大木の元に腰を掛けた。
「まーさーおーみーくぅん」
澄んだ月花の声。
僕はこの声が大好きだ。
声「も」かな、月花のお人形みたいな顔立ちも小悪魔のように悪戯っぽいのに
結構優しいその性格もさらさらとした髪も甘いアカシアの香りも全部大好きで
イヤなところが全く浮かばない。
「月花・・・・こんにちは」
「ふふ・・・雅臣くん、ちょっとお疲れ?」
僕の手を取って月花はアカシアの切り株まで促した。
「テスト期間だから・・・今日で終わったけれど・・・」
「てすと?ふふ・・・大変そう・・」
ぺろ、と赤い舌が艶のある唇を舐めて・・・
その仕草が何故かどきりとするほどに色っぽい。
何かを言おうと口を開きかけたとき、
「へぇ・・このコかぁ・・・」
二人しかいなかった境内に覚えのある声が響いた。
声の方に視線を向けると朝会った男が興味深そうにしげしげと月花を眺めていた。
「な・・何だよ!」
僕はいつになく語気を荒げた。
「はっ・・!」
月花は男を見るなり浴衣の袖で口元を隠しはっとした表情を見せる。
もしかして知り合い?
これが前言っていた僕と月花が仲良くすると怒る・・・月花の彼氏?
しかし彼氏と呼ぶには随分と年が離れているような・・
もしかしてロリコン?
「あ、突然ごめんね。俺は京介、岡見京介と申します。
今後お見知り置きを・・・ね、夢魔のお嬢さん」
む・・・ま・・?
京介と名乗った男はしっかりと月花を見据えてそう言った。
「悪いけれどねこのコは夢魔の一種なんだよね。
君の元気を吸い取って生きている悪い魔物(creature)なんだよ」
京介と名乗った男の説明が終わらないウチに異議を唱えた。
「なんだよっ月花が悪者のワケないだろっ!!」
「月花ちゃんっていうんだ・・・最近・・・君は疲れやすくない?」
昨日、電車でフラついた事を思い出したが
「・・・な・・ないよ・・そんなの・・」
言葉を濁らせた。
「まぁ、言いたくないならいいや。
男は強がりたいときもあるからねぇ。
でもね、死にたくないだろ?君だって。
普通の夢魔は死なない程度ってのが加減できるが彼女はできないんだよね。
彼女は夢魔としても半端モノ、幽霊としても半端で・・・
きっとアカシアの下に死体が埋まっているのかな?」
普段でも白い月花の顔色がみるみる間に青ざめてくる。
「な・・・なんでそれを・・・」
蒼白の月花はきっ、っと京介をにらみ付け
「貴方に邪魔はさせないわっ!!
ここは神聖な神社、吸血鬼風情が来る場所じゃないのよ!!」
きゅ・・・きゅうけつきぃ?
月花の口から思わぬ言葉が出た。
はいぃ?コレは何?ファンタジー?
そっか、アカシアの妖精だってファンタジーか?
あれ?夢魔だっけ?
もう何があっても驚かないぞ。
「へぇ・・じゃあどうするの?」
京介は飽くまで冷静だ。
「貴方を・・・殺す!」
月花の愛らしい口から恐ろしい言葉が吐かれた。
「ダメだよ!月花!」
そんな怖いことを彼女にはして欲しくないしさせちゃいけない。
ここは男である僕が彼女を守らなくちゃいけないんだ!
「彼女は・・・悪者なんかじゃない!僕の・・・僕の恋人だ!!」
月花の前で両手を広げ彼女を庇う。
「恋人・・ねぇ。そっかぁ・・じゃあ同意の上でいいのかなぁ・・・」
何やらぶつぶつと呟きながら京介は
「ねぇ、月花ちゃん。君はどうしたいの?
彼は恋人なんでしょ?そんな大事なヒトを食い物にしていいの?」
緊迫感のない声で聞いた。
「私は人間になって雅臣くんとお友達になりたいの!」
初めて聞いた月花の切ない声は僕の胸をぎゅっと締め付ける。
「友達になりたいって・・夢魔って人間になれるのかなぁ?
ってかねぇ。一緒にいるだけで精気吸っちゃうんだよ?
このまま精気吸い続けていたら君が人間になる頃には
雅臣君は死んじゃうよ?」
「そんな・・・」
「本末転倒だねぇ。
悪いけれど、俺は夢魔を人間にする方法は知らないなぁ」
なれるモンなら俺だって人間になりたいよ、と京介は笑いながら続けた。
「どうする?俺としては君を消滅させるのは簡単だけれど・・・
さすがに恋人の前でそれしたら俺が悪者だしねぇ・・」
「・・・・」
背中で制服の裾を月花がぎゅっと掴んだ。
いつもはどちらかと言えばお姉さん的な彼女が何だか守ってあげなくちゃ壊れちゃう
儚いお姫様に見える。
「俺としては・・・君に素直に身を引いて欲しいんだよね。
雅臣くんに偶然会った俺の知り合いが雅臣君の体調を心配していてね。
多分あと1,2週間で精気を吸い尽くされて殺されちゃうって・・・」
京介の知り合い?僕にこんな年上の知り合いなんて心当たりがない。
「僕が死ぬワケないだろ!!」
京介に殴りかかろうとしたが慣れない行動なので足が竦みもつれた。
そんなヤワな攻撃が当たるはずもなくひょいっと京介は身軽に交わし
「ふー、見た目によらず好戦的だね」
と僕の額に月花と同じくらい冷たい人差し指を当て
「ちょっと大人しくしていてね」
まるで催眠術でもかけられたかの様に僕はその場から動けなくなってしまった。
「な・・・な・・」
「あ、大丈夫。死んだりしないし。
ちょっと運動中枢にお休みしてもらっているだけだよ。
15分ほどちょっとそのまま固まっていてね?
明日筋肉痛になるかもしれないけれど」
これが・・・吸血鬼の力?
このまま月花は悪い吸血鬼に殺されちゃうのか?
「さて、月花ちゃん。ゆっくり話しましょう。
彼氏くんには申し訳ないけれどちょっと休戦してもらうよ?
俺としては契約をちゃんと結んで同意の上で彼の命を吸い取る分には
何の文句もないんだけれどね?どう?
でもそうすると彼は確実に死んじゃじゃうよ?
解ってやってる?」
「そんな・・・死んだりは・・・・」
「いや、彼の精気は彼くらいの年齢の平均の半分以下になっているね。
このまま彼が君の側に居たら生きてミイラになっちゃうよ?」
「そんなつもりは・・・」
「多分ね、無意識だね。だから怖いんだよ。
おそらく君の本体はもう数百年前に殺されてこの木の下に埋められている。
そしてそこで幽霊となっていた所に瀕死の下級夢魔が来て一体化したんだ。
数ヶ月前、罪を犯し追われていた手追いの夢魔がこの神社で消えてるし・・
君は幽霊でありながら人間の精気を吸うんだよ」
月花は僕の後ろから一歩前にでて、今度は僕を庇うように京介の前に立ちはだかった。
「・・・・・暗くて・・・怖くて・・・・・・
そうよ。私は昔ここで殺されたわ。
遊女として遊郭に売られそうになったところを逃げ出したら・・・
そしてここに埋められた・・・・・・怖くてずっと泣いていたら・・・
ここから出してくれた「ヒト」がいた・・」
「それがおそらくその夢魔だね」
「でも・・・そのヒトは親切に私を出してくれたのよ!?」
「親切かどうかは解らないよ。
夢魔は君の身体を使って彼の精気吸ってるんだから・・・」
「まさか・・」
「君が夢魔を信じるか俺を信じるかは自由だよ。
ただ確実にいえることはこのままだと彼の命はない・・・どうする?」
月花はちらりと僕を見た。
白地に真っ赤な彼岸花を大きく描いた浴衣が薄暗い境内のなかでぼんやりと
光を放っているようでとても綺麗だ。
やっぱり・・・月花はただの女の子じゃあなかったんだな・・・
月花が幽霊でも夢魔でも吸血鬼でもよかった。
月花は月花だ。
親よりも僕の事を知っている大事な友達・・・いや、恋人なんだ。
「彼を・・・雅臣君を殺したくない・・・」
「月花!」
声は掠れその声が月花に届いたか解らない。
彼女の白い頬に綺麗な雫が伝う。
まるで映画のワンシーンのようで僕はだただた見とれてしまった。
「じゃあ・・お別れできる?
君の中の夢魔は俺が吸い出してあげるから」
「・・・はい・・・・」
「そうすると君は・・・もう実体化出来ないよ?
もしかしたら成仏してもうこの世には居られないかもしれないよ?」
「・・・はい・・・」
「だめだよ!一緒に居ようよ!!月花!!!」
身体が自由に動かないのと同じように口も不自由さを感じる。
でもこれだけは言わなくては!
身体にこんなに力があるのかと自分で思うほど力強い声がでた。
「彼は君にならば殺されてもいいってさ・・・どうする?」
僕の生死に関わる事項を京介はさらりと言う。
この男・・・解らない・・・。
「私は・・・雅臣くんが好きだから・・・・」
小さく首を振りながら京介に向かい
「私を・・私の中の夢魔を・・・消してください」
とその首を差し出した。
「じゃあ・・・いいかな?でも彼氏の目の前じゃなぁ・・・
うーん、じゃあ雅臣君、ちょっとお休み」
僕はその言葉を聞くと今度は、すうっと意識が遠のいてしまった。