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椎名葉子の過去

*『東京ジャーニー』、『砕』からの派生小説ですが、

 読んでいなくとも特に問題はありません。

 

「はい、あちらの橋を渡っていただきまして、地下鉄を利用して下さい。降りた先のホームから出る電車に乗っていただければ大丈夫ですので、お間違えの無いよう御乗車下さい」

 ワークパンツにニット素材のコートを羽織った女性が立体映像の女性に頭を下げて橋の方に歩いていく。その後ろ姿を見送る立体映像は、にっこりと微笑みながら手を降っている。

 JRの改札からは延々と大量の人間が吐き出されてくる。

「あー、もう、なんでこんなに人が多いんだろ」

 それぞれに目的地があるのだろうが、人の流れはけっこうな圧力を持っており、ぼけっとしていると通行人に突き飛ばされたり、肩がぶつかって舌打ちをされたり、とにかく凹む。

 どちらかと言えば小柄な彼女は人波に飲み込まれると周囲の様子があまり見えない。流れに身を任せてしまうと、土地勘のないところではどこに行くのだかわかったものではない。

 そのまま突っ立っていると危険極まりないので、案内映像に言われた通りに百メートルもないとは思われる橋を渡って、地下鉄のホームに続く階段を下りて行く。

 窓口で切符を買っている老人を横目に改札を通り抜ける。端末にJRのサービスを登録しておくと、改札を抜けるときに自動的に入場駅が端末に記録され、降車駅でも同様の記録がされるとともに料金が端末に記録される。リーダーに端末を近付ける必要がないので非常に便利だ。

 まもなくホームに滑り込んできた地下鉄に乗り込んで、椎名葉子は一つ小さなため息を吐いた。


 椎名は先月で二十歳になったばかりで世間からはまだまだ子供と括られるような可愛らしい印象を持った女性だ。「鯱」という組織に所属し、「霊長」と呼ばれる存在を処理する職に就いている。いや、正確には就いていた。

 彼女は先月「鯱」のリーダーである田崎と仲たがいをし、「鯱」を飛び出していた。幸いなことに給料は高くいくらか貯金があったため、勢いで東京までやってきたのだった。

 もちろん、特に目的もなくやってきたわけではない。

 彼女の目的地はパスティスというバーだった。



 ――かつて椎名は目の前で友人を亡くした。


 四年前、彼女の住居周辺では連続殺人事件が起こり、関連性については不明だったが行方不明になっている者も数名いた。

 事情を知る一部の人間の間では霊長による犯行だと思われていたものの、現場を目撃した者が一人として存在していないため、警察によるパトロール強化程度しか具体的な対策を取ることもできなかった。近隣の住民に対しては注意こそ呼びかけられてはいたが外出禁止令等は出されておらず、一般市民については不安を口にしても自分には関係のないことと認識している者が多数を占めていた。


 当時高校生だった椎名は仲の良い友人二人と水族館に出かけ、一日をたっぷりと満喫して地元の駅に帰ってきた。十月の第三日曜日で肌寒い日だった。

 彼女たちは特に理由もなく帰り道の途中にある小さな公園に立ち寄り、ブランコの周りでたわいもない話をしていた。その公園は三人が通っていた中学校の通学路の途中にあり、放課後よく立ち寄っては話をしていた場所だった。

 時刻は二十二時に迫っており、周囲を歩く人影は見当たらない。彼女たちが話しているすぐ脇に電灯が立ってはいたものの、それは申し訳程度の光量しかもっておらず、深い闇が重みを増してきていた。

 椎名は携帯で時間を確認すると、寒いのかガーディガンの二の腕を摩りながら浅野に言った。

「浩二、真由美を送っていってあげて」

「そだな、いいかげん帰るかあ」

 ブランコに座っていた浅野浩二が腰を上げ、椎名の隣に立っていた伊東真由美に声をかけたとき、椎名の視界の隅に何かが映った。

「あれ……?」

「どした?」

 眉を寄せて茂みに目を凝らしている椎名の様子を怪訝に思った浅野が後ろに振り返った瞬間。

 ヒュッ、という鋭い風切り音を椎名は聞いた。

 浅野が棒立ちのまま後ろに倒れるのと一緒に、液体が椎名に降りかかった。

 椎名は咄嗟に目をつぶる以外身動き一つ取ることができず、何が起こったかを理解することもできなかった。

 ただただ生温い液体が気持ち悪く。

 眼前にはつい先ほどまで話していた友人が仰向けに倒れている。ただしその首から上はなく。

 声を出すことすらできず、血を噴き出し続ける元友人の身体を見つめ、何気なくずらした視線の先に転がる彼の生首と目が合えば。

「……浩二?」

 答える声はなく、彼は目を見開いたまま。

 ――――――――あ、あ、あ。

 隣で、親友が意味のない音を発した。


 ――――――――ああ、あああ、あ……あああああああああっっっ


 伊東の叫び声に椎名は我を取り戻しかけた。次の瞬間――

 椎名の身体は後方にはじき飛ばされ、ざらざらとした砂地に転がっていた。

「………………い、ったあ」

 彼女が羽織っていたカーディガンはところどころ破れ、ストールが首にぐるぐるに巻き付いていた。動かせないような傷はなさそうだが腕にも脚にも擦り傷がいたるところにできている。何より咄嗟に受け身をとった右の掌は切れて血が何ヶ所も出ており、どくどくと脈打つ感覚を強くしていた。

「ま……ゆ、み」

 頭だけ起こして前方を見ると、椎名の目には伊東が宙に浮いているように映った。目の前で起きている現実に理解が追いついていなかった。

「……あ、う……あぁ」

 伊東真由美の体は、木の幹に串刺しにされていた。彼女を串刺しにしているものが何なのか、椎名にはわからなかった。

 ソイツが伊東の体を貫いていたモノを抜くと、彼女はずるずると崩れ落ちた。

 伊東にだけ集中していた視線をソイツに向けると、ちょうどソイツもこっちを見て。視線が交わって。――――にたり、と笑った。

 一部を除いては、ソイツはどこにでもいるような人間の女性のように見えた。むしろ一見したところでは比較的長身で、手足がスラリとしたスタイルの良い綺麗な女性だ。

 ただ、その髪は彼女の身長と同じくらいに伸びており、ぼんやりとした明かりの下赤黒く染まって、液体が滴り落ちていた。

 伊東を串刺しにしていたのは、女の髪の毛だった。そこにいたのは、人間の姿をした人間以外。

 椎名は目の前で友人二人を殺害され、経験したこともない種類の恐怖に体の震えを止めることができなかった。

 一歩、また一歩と近付いてくる女は椎名から一瞬たりとも視線を外さない。椎名もまた視線を外すことができなかった。視線を外せばその瞬間に殺されそうな気がしていた。

 女は目の前までやってくると、片膝をついて椎名の頬に手を伸ばした。椎名は涙を流しながらも女のことを睨み付けていた。それ以外は何もできなかったが、女を呪い殺すことさえできそうな強い視線をぶつけることで最後の抵抗を示していた。

 女はそんな椎名の頬を愛おしそうに撫で、親指で椎名の左目に触れた。少しでも力を加えれば、眼球を潰される。一層現実感を増してくる恐怖に歯をがちがちと鳴らす椎名を見て楽しんでいた女だったが、やがてそれにも飽きたのか、にっこり、と笑みを浮かべた。

 ――――殺される。

 覚悟を決めたとき、椎名と女の間を土を巻き上げて何かが通り抜けた。

「うううぅぅぅううううぅぅううっ?」

 椎名に触れていた女の手首から先が、宙に舞った。

 女はよろめきながら後退し、左方を睨みつける。


 公園の入口に、一人の男性が立っていた。

 年齢は二十代半ばを過ぎたくらいだろうか。濃い茶色のパンツにフード付きの黒いロングパーカーを羽織ったラフな格好をしている。

 男は伊東と浅野が倒れている方向を見ると、一瞬不快そうな表情をして目を細めたが、すぐに椎名たちの方に向き直る。

 そのまますたすたと歩み寄ってくる男を、女は恐れて後ずさっているように見えた。

「人形が……好き勝手に」

 怒りを含んだ声にも、女は様子をうかがうだけで何もしようとはしない。

 男は女を無視して椎名の前にしゃがむと彼女の髪を撫でて呟いた。

「遅くなって、すまなかった」

「え……?」

 頭を下げて発せられた謝罪の言葉に、椎名はなぜ彼が謝罪しているのかわからず戸惑いを見せ反応ができなかった。

「二人を救えなかった」

「……あ」

 その言葉に対しても椎名は咄嗟に何の反応もできなかった。ひどく混乱したまま、ただ男を見つめていた。

 でも、そうだ、二人は――

 涙ぐむ椎名の頭を何も言わずに撫でる男は、心の底から悲しんでくれているようだった。

 と、椎名が男に声をかけようとした瞬間。視界の端に髪を振り上げ、男の背中を狙う女の姿が目に入った。

「あぶな――」

「邪魔だ」

 襲いかかる髪に対して男は右腕を軽く振っただけだった。まるで人が目障りな虫を払うように。それを受けた女は、五メートルほど浮き上がって吹き飛ばされていた。

 目の前で何が起きているのか、椎名は理解できずに唖然としていた。先ほどもそうだったが、この男は手に何か持っているようには見えない。

 相手に触れもせずに何をしているのか。

 女が人外なら、この男も理解不能だ。

 ただ、何故か自然とこの男に恐怖は感じなかった。

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