飛ぶ
亀山さんのお父さんは物理学の研究者だった。
時空間系の研究をしているようで、私の悩みを解決できるかもしれない。
亀山さんに相談してお父さんに取り次いでもらった。
もちろん彼には驚かれたし、困惑させたのだが、了承してもらった。
お父さんがノーベル賞取れるぐらいの有名な学者なので、ごくたまにいるらしい。
それと時空間関係のエージェントなのかと亀山さんにそれとなく聞いたら、困惑させてしまった。
この世界線では、彼はエージェントではない。
やっぱり私の裕樹とは違う。
研究室は第一時空間研究室と書かれたシャッターの中にあった。
倉庫と言った方が正しいと思う。
無骨で無機質な広い空間がそこにあった。
中には、何に使うかわからない見上げるほど巨大な装置ないくつもあり、博物館に似ているなと思った。
天井には吊り上げるためのクレーンが取り付けられている。
「なるほど、君が世界線を超えてみたいと言っていた子かねキミ」
亀山さんのお父さんは白髪で、白衣を着ている如何にも研究者らしい人だった。
腰が少し曲がっているがかなりエネルギッシュな人間だと思った。
若いのに毎日気だるそうなクラスメイトとは随分違う。
「そうですけど、あの、なんで私はこの装置に座らせられているんですか」
私が座っていたのは巨大な装置の中にある椅子だった。
私が研究室に入り、こちらに座ってくださいと促されたのだ。
怪訝に思ったものの、あまり疑いもせずに座ったのがいけなかったと思う。
既に後悔している。
椅子に取り付けられたジェットコースターのような安全バーが私の体を固定していた。
掴んで揺らしても安全バーはまったく動かない。
「わ、私に何をするの!?」
「もちろん世界線を超えるのじゃよキミ」
え、待って。
理解が追いつかないんだけど。
世界線を超える方法はもう確立されていて、その実験装置に私は乗せられたということなの?
「まだ実験段階じゃがなキミ」
「キミキミって……ええ? 安全性の保証はあるんですか……?」
「ほっほっほ」
笑顔で誤魔化された。
「こういうの人体実験って言うんですよね!? 然るべき何処かに訴えますよ!」
「学会も推奨してくれている」
「人体実験を推奨する学会なんてあるの!?」
「はっはっは。半分冗談じゃよ君」
「半分しか冗談がないの!?」
全部冗談であってほしかった。
私は亀山さんに視線を送る。
どう考えても異常だと思うのだけど、亀山さんは肩をすくめるだけだ。
「羽森さん。大丈夫だよ。一応俺も試したことだから、付き合ってやって」
「世界線を超えるってそんな軽いノリでやっちゃって言いわけ!?」
このおじいさん、自分の息子を人体実験に使ったってこと?
マッドサイエンティスト過ぎない?
ガコンと機械の駆動音がなって椅子が動き出す。
45度回転し、止まる。
目の前にレールのようなものが見えた。
ジェットコースターに似ている。なんとなく、このレールの上を通るんだろうなと直感で理解した。
レールの周囲には囲いがあり、内側はLEDライトで照らされている。トンネルのような装置だ。
「私まだ実験に協力するとか、言ってないんですけど! まだ自己紹介すらしてないんですよ私達」
「わしのことは博士と呼んでくれたまえ。世界線を超えるとはどういうことなのか、わかるかねキミ」
「え、こんな状態でご高説垂れるんですか?」
私が止める間もなく、博士はしゃべり始める。
私、裕樹と結婚するつもりだったけど、親戚関係が不安になってきた。
「あるとき、蝶の夢を見た男がいた。それはあまりにリアルな夢じゃった。目を覚ましたとき自分は蝶の夢を見ていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか。わからなくなったのじゃキミ」
「あの、夢の話じゃなくて現実の話をしませんか?」
「馬鹿者オオ!!!」
「うるさっ!」
私は耳を塞いだ。
安全バーが邪魔になって、とっさに塞げなかったので耳の奥に穴が開いたと思った。
「わしは重要なことを話とるんじゃキミ!」
「この状況でまったく話が頭に入ってこないんですけど?」
「世界線を超えるというのは、即ち見ている夢を新たに選ぶということに他ならないのじゃ」
「ん……?」
どうやら本当に重要な話をしているらしい。
「もちろん時間移動は空間を移動することであるが、それを観測、認識するのは個人の脳だ。そして個人の脳はよく歪みやズレが起きる。それを正すのが人間社会なのじゃ」
「は、はぁ……」
重要そうな話をしているのはわかったが、何を言っているのかよくわからない。
「ならばこう考えることもできる。夢を現実たらしめているのは、人間社会か? わしは違うと思う」
博士は言い放つ。
「執着じゃよ。夢と現実は本来同じもの。より執着が強いものを現実という名前にしておるのじゃ」
そこだけはちょっとだけ意味がわかった。
私は初めてのキスに、かなり執着していた。
この先、一生忘れられないものとして見ていた。
一年経ってもあの感触が消えなくて。ずっと覚えている。
だから世界線なんてものを超えようとしていたのだ。
私にとっての現実は向こう側にある。
そういうことなのだろうか……?
「その椅子はより執着のある場所へと行く」
「執着……」
ピピピピと博士が操作している機器から警報がなる。
「どうやら時間がないようじゃ」
「勝手に起動しておいて時間がないってどういうこと?」
「一年周期で起動できるタイミングが限定されておるんじゃ。自転公転の関係で座標を合わせねばならん」
「……ちょっと待って、ちゃんと戻ってこれるの?」
起動できるタイミングが限定されているのなら、装置が戻ってくるときも起動していないといけない。
博士は笑顔で答えた。
「学会も推奨してくれている」
「やっぱり降ろして!」
戻れる確証がないものに初対面の人間を乗せるって頭おかしいんじゃないのこの人。
「最悪死ぬことになるかもしれん」
「うわうわ、やっぱりそうなの!?」
「しかし、この未来ある若者はどうしても別の世界線に飛びたいらしい」
「うっ……」
確かにその通りだ。
私は裕樹に会いたい。裕樹に会うためだったらなんだってする。
恋人になるためならなんだってする。
その思いは今でも変わっていない。
「さあ執着のあるものを叫べ!」
「ええっ!? なんでそんなことしないといけないわけ!?」
「言ったであろう。この時空間転移装置は人の執着するものに飛ぶのだ。言葉にすれば、おぬしの中でも執着が確定し、強くなる。だから叫ばねばならぬ」
「な、なにそれ、すっごく恥ずかしいんですけど!」
どうしてこうなったの。もう。
でも、やらなければならないなら、やってやる。
大丈夫だ。私の気持ちは本物だ。噓なんてない。
この世界線に取り残されて、裕樹とずっと会えない状態になることがどれだけ苦しいことか。一年間でわかっているんだ私は。
取り残されている。
そうだ、私はここにいるべきじゃないと思っているんだ。
会いたい。今すぐに会いたい。
この想いだけで何処までも進んでいける。
「本当にダメなら、今ここで降ろすこともできるのじゃが」
「いや、行きます。行かせてください」
私は大きく息を吸い込んだ。
胸いっぱいに空気を取り込んで、人生で一番大きく叫んだ。
「私、裕樹が好きいいいい!!!」
「実験開始ィ!」
ガンッと大きな音を立てて、椅子が前方に急加速していく。
頭と背中が椅子の背もたれに打ち付けられ、全身が抑えられる。
「ぃぃ!」
トンネルの中を加速していく実験装置は、あっという間に本来の研究室の間取りを超えた。
眼前の光景が狂い始める。
トンネルの白く光るLEDライトは虹色になり、視界の端に見える安全バーの色も、サイケデリックなおかしな色になっている。
「と、止めてえ……」
加速はまだ続いていく。
声を出すのがやっとだったが、その声は誰に届いているわけでもない。空気中に霧散していくだけだ。
もっとも、その空気もここではあるかどうかも怪しい。
宇宙服みたいなもの着せるべきじゃないの?
Gっていうんだっけ。重力加速度に耐えられる服とか、着せるべきじゃないの?
私はもっと猫型ロボットのタイムマシンみたいな、ゆったり行く感じを想定していた。
実際はジェットコースターの急加速が止まらない。そんな感じだった。
今もどんどん加速している。
意識が朦朧とし始める。
下半身に血液が行って、脳への酸素供給が足りていないのだ。
息を吸うけど、吸えているのかわからない。
どうしても浅くなってしまう。
「ゆ、裕樹……」
最後に思ったのは裕樹の顔だった。
〇
気が付くと学校の廊下に私は寝そべっていた。
「んんっ……」
リノリウムの床が私の頬を冷やしていた。
周囲には誰もいない。
夕陽が窓から差し込んでいて、私の体を照らしている。
窓を見ながらぼーっと寝ぼけた頭で何をしていたのか考える。
なんだか結構長めの夢を見ていた気がするけど、何を見ていたのだったか。
それより、私こんなところで寝るってどういうことなの。
不意にすっと夢の内容を思い出す。
果たしてあれは夢だったのか、現実だったのか……。
同時に意識が覚醒した。
「わ、私、何時にいるの?」
近くの教室を覗き、カレンダーを見る。
黒板に書かれた日付は一年前。裕樹とキスをしたあの日だ。
ドッと心臓が跳ねる。
私は帰ってきたのだ。
「裕樹……っ!」
思わず走り出した。
やっと会える。
そう考えるだけで胸がいっぱいになりそうだった。
廊下を端まで走っても、誰もいない。
あのキスをしたときの場所は何処だったっけ。
見た目は教室だったけど、異空間みたいな、この世とは思えないぐらい不思議な場所だった。
窓の外をちらりと見る。
瓦礫が空に落ちていくのが見えた。
あのときと同じ光景だ。
高鳴る胸が抑えられない。
私の教室の扉を開けようとして止まった。
三年生の教室だから、この時点では私の教室ではないのだけど。
ぐしゃぐしゃになっていた髪を手櫛でできるだけ直す。
ガラスの向こうから中を覗き見る。
教室には待っている人がいた。
窓を見ている後ろ姿。
ずっと目で追いかけていた彼。会いたかった彼がそこにいた。
扉を開ける。
「「亀山くん……!」」
違和感が私を襲う。
声が重なったのだ。
自分の声がもう一つ、何処からか発されているような違和感。
声のする方へ自然と目がいく。
もう一人の、私がいた。彼女も私を見つめていた。
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