どうしようもない私
私は混乱していた。
私が私を見ている。驚き、困惑した様子だ。
私も彼女と同じ表情をしていると思う。
二人いる。
これってどういうこと?
亀山くんは私の知らない亀山くんになったのと同じで、私は私の知らない私が居るってこと?
わかった。
可能性の私だ。
未来のあるかもしれない私だ。
何処で分岐した私だろう。
それともまったく同じ私なのかな。
「なるほど、こうなったか……」
教室にいた裕樹が振り返る。
亀山さんと姿は全く変わらない。表情も、姿勢や動き方の何一つ変わらない。
ああっ。
こんなにも会いたかった人なのに。
衝撃的な展開にぶつかって、私は喜びたかった自分の感情が置き去りになってどうすればいいのかわからない。
でも。まずは目の前の裕樹が、亀山さんでないことの確認。
私のファーストキス相手だということの確認から入らなければ、話が進まない。
「亀山くんは、私とキスした亀山くんで合ってる……?」
もう一人の私が彼を見て、質問する。
私も聞こうとしていたところだった。彼女は私だ。だから思考回路が似ているのだ。
裕樹は頷いた。
「そうだよ。どっちも、俺と初めてのキスをした相手だ」
初めてに二回目はない。
「今頃、下の階では少し前の俺と羽森さんがキスをしているところだね」
裕樹に言われて気づいた。
去年、二年の教室で私は時間を潰していた。
お父さんの居る家に極力帰りたくなかったからだ。
しかし行くところも、お金もないので、毎日戸締りぎりぎりまで小説を書いて待っている。それが私の一年前だった。
ここは三年の教室だ。
私は今の今まで、三年の教室で裕樹が消えたことに、疑問を持たなかった。
「今の裕樹は、どの時点の裕樹なの?」
私は混乱しながら質問する。
口にしてから、随分と答えにくい質問をしたなと思った。
「俺は羽森さんとキスをしてから、一年後の未来に戻ってきて、三年生の教室からここにやってきた。俺からしたら羽森さんとキスをしてすぐ後だ」
今までの裕樹の動きをシンプルに説明してくれた。
昇降口から戻ってきて消えた裕樹は、既に私とキスをした裕樹だったのだ。
あのとき私は隠れてしまったけど、姿を現していれば何事もなく終わっていたのだ。
目の前の裕樹が私のずっと追いかけてきた裕樹だっていうことは分かった。
次だ。次が問題だ。
「じゃあ、あなたは私……ってことで良いよね?」
「そう、みたい」
もう一人の私だ。
一挙手一投足、私に見える。鏡写しでない私を見るのは新鮮だった。
私の横顔ってあんな感じなんだ。
「私なら、もう前振りとか要らないのわかってるでしょ? 本題に入らない?」
彼女は私を真っすぐ見て、言い放つ。
私も同じ気持ちだ。
「どっちが、裕樹の恋人になるかってこと?」
「そう」
三角関係。
今までいろんな恋愛漫画や小説で見てきた鉄板ネタ。
それを私が現実に直面するとは思わなかったし、ましてや相手が自分だなんて思いもしなかった。
私は裕樹が好きで、彼女も裕樹が好き。
そして裕樹とのファーストキスをどっちも経験している。
「俺、下でキスしてるとき恋人になるかどうかはまた別って言われてるんだけど」
「一年前はそうだったけど、もう私達一年間待ちぼうけくらって、我慢できなくなってるからそれは無効でお願い。ちなみに裕樹がどっちも取るとかはナシね」
私が言ったことに、彼女も同意した。
彼女も一年間待ってたんだ。
私は何をしてでも裕樹を取るつもりだ。彼女も同じなのだ。
そして、裕樹と生活するなら同じ私がいるのは不可能だ。
必ずどちらか一方を取るしかない。
私は深呼吸をする。
きちんと自分の感じたことを言うことが大切だ。
「私は裕樹が好き」
「私の方が裕樹を好きだと思うけど」
私の言葉に彼女はかぶせてきた。私は言い返す。
「私の方が絶対好き!」
「絶対っ絶対っ、私の方が好き!」
こんな問答に意味はない。
でも押し負けたら終わりな気がする。
「絶対に、ぜええええったいに私の方が好き!!!」
「いーーやっ、絶対に私の方が好きだからね。ずっと待ってたしっ!」
「それ以上は待った」
この場において絶対的権限を持つ裕樹が口を挟む。
私達は口をつぐんだ。
彼の選択でどっちが恋人になるか決まるのだ。
「……」
裕樹は私達を見比べている。
誰かと見比べられるというのは、どうしようもなく私を不安にさせた。
今すぐ近づいてボディタッチとか、耳元で甘い言葉を囁いたりとかすれば良いんじゃないかと思って近づこうとすると、裕樹に目線で静止された。
それは彼女も同じようで、動きたいけど動けずにいる。
彼は何を基準に選ぶのだろう。
私は裕樹と亀山さんをキスしたか、してないかで選んだ。
でも今回はどっちもファーストキスをしている。
絵描きで養われた洞察力を持つ眼が、私達を貫いている。
そのまま、三人は沈黙を保ったまま数分経った。
数分間はまるで裁判所で被告人の証言台に立たされているような、そんな気分だった。
苦しい時ほど長く時間が過ぎる。
好きってなんだろう。
私はそんなことを考えていた。
お父さんが嫌い。
他のみんなは許されても、私の場合は社会が許さないであろう感情。
私はそんな感情を持ってはいけないと思っていた。
でも裕樹のキスによって、この感情を持って良いんだと許された。
今ではお父さんのこと、考えたくないし、考えないようにしている。
反対に好きってなんだろう。
裕樹に惹かれているのは間違いないと思う。
今すぐ抱き着きたいし、話したいし、キスだってしたい。
亀山さんと裕樹を区別したのはファーストキスをしたか、してないか。
私の小説を読んでいるか、いないか。
そのぐらいの違いだ。
時空間を飛び回るエージェントなんて違いもあるけど、あまり関係ないと思う。
今回は違いがあるわけじゃない。
私達は客観的に見て同じだ。
彼女は何処かで分岐した私だけど、まったく同じと言って良い。
違いは私自身の意識の違いだ。
私がここにいる。考えることができる。大好きな裕樹を見ている。
でも彼女のことは、もう一人の私のことは、他人としてしか考えられない。
同じ人物ではない。
「ううむ……」
裕樹は迷っている。
何故そんなに迷っているんだろう。
裕樹は好きと思ったら好きだと真っすぐ言う人だ。
そこに理由はあまり求めない。
直感的に好きだと思った方へ進む人だ。
「あ……」
わかった。
裕樹は私と付き合うために、私を見捨てないといけないんだ。
客観的に見て、どちらも同じ。
だけど一人は恋人になって、一人は振られて二度と会わない。
そういう状態なんだ。
裕樹は私のことが好きだ。
そりゃもう馬鹿でもわかる。世界をかなぐり捨ててでも、私のことを大事に思っている。
でも私を振らなければならないのだ。そうしないと恋人になれないし、同じ世界線で生活ができない。
酷い。なんて酷なんだろう。
どうしてこんな展開になっちゃったんだろう。
最初からそうだった。
いきなりキスしないと世界が崩壊するとか言われる。
この世界ってそういうものなんだ。
いつだっていきなりで、いつだって無茶な要求をする。
備える時間なんてあるわけない。予測なんて出来るわけがない。
でもやってくる。その時々で苦しい選択をしなくちゃならない。
沈黙が続く。何分経ったのだろう。
この不思議な空間で、通常通りの時間が流れているのかもわからない。
でも男女の時間ってこういうものなんだと思う。
私は決めた。
身を引こう。
私は私に裕樹を託そう。
好きな人を振るなんてことを裕樹にさせたくない。
私はとびっきりの嬉しい思い出を貰った。
それだけで充分なんだ。これから先、この思い出があれば生きていけると思う。
「私、やめるわ」
その言葉を口にしたのは、私ではなかった。
もう一人の私だった。
彼女は表情を出さないようにして、言い放った。
「私、裕樹と恋人にならない」
震える声だった。隠そうとして、抑えきれていない。
目線も裕樹を見ているようで、違う場所を見ている。
裕樹を見ることに耐えられないのだ。
彼女が私だからなのか、痛いほど気持ちがわかる。
見ているだけで胸を刺す苦しさが伝わってくる。
あの立場になったことを想像しただけで冷や汗が止まらない。
彼女の宣言が数秒遅れたら、私があの立場だったというのに。
彼女は呼吸が浅くなり、立っているのもギリギリで、表情だけは必死に取り繕っている。
「二人で幸せになって」
「待って!」
走り出した彼女の腕を私は急いで駆け寄り、掴んで引き留めた。
距離的にも間に合わないと思ったけど、空間が歪んでいるのかすぐに近づくことができた。
引き留められたことに驚く彼女。瞳には涙。
それを見て私は怒りが込み上げてきた。
「それは傲慢だよ!」
「え?」
「相手のことを想うのは良い! でも身を引くのはなんか違う!」
私は叫びながら疑問に思っていた。
なんで違うって思うんだろう。
私だってさっき身を引こうと思っていた。
私は裕樹の負担になりたくない。
一緒に幸せになれるか不安だし、今すぐ投げ捨てたい気持ちがある。
「ここに来る前、私、裕樹と恋人になるならなんだってするって思ってたじゃん!」
私は叫んでから、ああ、これかと納得した。
世界線を超える直前、死ぬかもしれない。戻って来られないかもと言われても結局飛ぶことを選んだ。
裕樹と会いたいと思ったから。
恋人になりたいと思ったから。
結ばれたかったから。
彼女もそのことを思い出したのか、表情が歪む。
「私が私の決意を無かったことにしないでよ!」
「じゃあどうすればいいの!?」
「わかんないよ! でも、身を引くことだけは間違ってる!」
「そんな……」
彼女は張り詰めた糸が切れるように足から崩れた。
私は叫んでから気づいた。
今、彼女の決意を無かったことにした。
身を引くという決意を無為にしたのだ。
自分で言っておいて、なんて自分勝手なんだろう。
自分が自分勝手に振り回されている。
私ってなんてどうしようもないんだろう。
「私……なんてわがままなんだろう」
彼女が涙を流しながらひとりごちる。私も泣いていた。
こんなどうしようもない私。
自分に振り回されて。
自分じゃどうにもできなくて。
勇気を出すのも怖くて。
諦めることすら出来なくて。
動こうとしたって、結局私が引き留める。
裕樹はそんな私を好きだと言ってくれた。
それがどれだけ嬉しい気持ちになったか。
心が荒れ狂って、飛び回っていた。
あんなに私を心を突き動かせるのは、彼しかいない。
でも同時に、申し訳ない気持ちがあった。
自分のことですら自分でコントロール出来ない私を、裕樹に付き合わせるなんて恥ずかしい。
だから私は部屋を出ようとして。
だから私はこうして引き留める。
堂々巡りで何処にも行けないままだ。
「羽森さん」
裕樹が私たちに近づき、二人同時に手を取った。
「俺は二人と恋人になる」
「え?」
「そんなの無理でしょ……?」
同じ人が二人いる。
どういう生活になるのだろう。
私にだって家族がいる。
お母さんにはどう話せばいいのか。戸籍だってそんな簡単に増やせるとは思えない。
学校はどうなるの。
学生証や学籍番号だって一人分しか作れないはずだ。
「まあ、何とかするよ」
「そっか、時空間飛び回るエージェントだもんね」
私は納得した。
裕樹の立場はよく知らないが、時空間を司る機関なら何か対策でも知っていそうだ。
「……いや、俺は時空調査官の任を解かれることになると思う」
「え、どうして?」
彼女は心配そうに裕樹の顔を覗いた。
「違反行為になるからだ」
「ちょっと」
「待て待て待て」
私達は二人で裕樹の頬をぐいっと手のひらで潰した。
「それはダメでしょうが」
「こちとら裕樹のためにどうしたら良いか悩んで泣いてるのに、裕樹が犠牲になるのは許さないからね」
「犠牲になるわけじゃないよ。こんな悲劇を引き起こしたのは俺の責任だ。だから責任を取って二人とも幸せにするって言ってるんだ。もうこんなことが起こるのは勘弁だから、やめようと思ったんだ」
私達は目を合わせた。
裕樹はこんなことを言ってるけど、どうするよと目線で相談する。数秒も掛からなかった。
「「それはダメ。どっちかを選んで」」
「俺がどっちを選んでも客観的には同じなんだよ……っ! 選択肢が『YES』か『はい』しかない」
裕樹の言う通りだ。
どちらを選んでも振るハメになるし、付き合うハメになる。
他者から見たら変わらない。
違うのは私の意識があるか、ないかだけ。主観でしか測れない部分なんだ。
裕樹はそれを想ってくれているから、迷っている。
決断を先延ばしにして、なんとか犠牲を出さない方法を模索しているのだ。
でもそんな方法なんてない。
何かを犠牲にしなくちゃいけない。
ああああっ!
またこの話なの!?
ファーストキスのときと同じじゃん!
犠牲、犠牲、犠牲!!!
世界の大バカヤロー!
みんなが幸せになる方法を作れよ!
何勝手に私を分岐しちゃってんのさ!
アホじゃないの!
そんなの困るに決まってるじゃん!
「じゃんけんにするか?」
「「それは絶対イヤッ!」」
裕樹の提案を私達は蹴った。
これだけ運が悪くて理不尽な目にあっているのに、自分で決められる部分まで運に頼るなんて絶対にしたくなかった。
「じゃあどっちとも付き合わない」
「「それも絶対イヤッ!」」
「じゃあどうすれば良いんだよ……俺も嫌だけどさ」
それがわかったら苦労しない。
私だってどうしたらいいのかわからないのだ。
裕樹と恋人になりたいし、誰にも犠牲になって欲しくない。
「やっぱり武士たるもの、決闘なんじゃない?」
「それだ……! 最後に頼るのは己の拳ッ!」
「そんなことで俺の彼女を決めるな! 君達は武士じゃないだろ!」
「「じゃあどっちか決めてよ!」」
「ぐっ……」
裕樹は押し黙る。
この男、私に対して優しすぎるのが問題なのだ。
私が一人だった場合は何も問題ないけど、二人のときはこんな弊害が起きるなんて。
これが別人だったのなら不誠実もいいところだが、こちらが同一人物なので責めることができない。
「やっぱり、俺に出来るのはこれしかないか……」
裕樹は私達二人から少し距離を取った。
私は絵を描き始めるのだと思った。
ここで裕樹に集中されたら、話し合いが進まなくなる。
だから止めようとした。けど違った。
「頼む、二人の責任を取らせてくれ」
裕樹が取った行動は土下座だった。
額を床にこすりつけて、これでもかってぐらいに姿勢を低くして、私達に謝っていた。
「えっと……」
「お願いだ。俺は二人とも失いたくない。どちらも大切にする。どんな将来になっても二人が生きていけるようにする。だから、頼む……」
私は顔に水をぶちまけられたような気分だった。
頭が急激に冷えていく。
私は、私達は今まで何をしていたのだろう。
何処かで聞いたことがある。
愛は姿勢だ、と。
他者の人格を尊重する態度が姿勢に現れる。
これが彼の、私に対する姿勢なのだ。
そういえば最初にキスをしてくれと頼まれたときも、直角に腰を曲げて頭を下げていた。
そんな人、ずっと私の周りに居なかったから、わからなかった。
私はどうなのか。
ずっと自分勝手なわがままを言っていただけだ。
「ごめん、私達……間違ってた」
彼にこんな姿勢をさせたくてここに来たわけじゃない。
謝らせたくて選択を迫ったわけじゃない。
でも恋ってそういうものなんだ。
私達二人は、裕樹の手を取った。
裕樹が顔を上げる。
「これから、よろしくお願いします」
私達は頭を下げた。
感想、高評価よろしくお願いします!




