表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪が降るまで  作者: 知世
4/7

触れられない

 月曜日の朝。教室に入った瞬間、俺は、無意識に視線を探していた。窓際の席。そこに、水無月澪の姿があった。日差しを背中に受けて、机に頬杖をつきながら、ぼんやりと外を見ている。休日の私服姿よりも、制服姿のほうが、少しだけ現実感が薄い。学校という場所に、完全には馴染んでいない感じがする。


 ……あ。その瞬間、妙なことに気づいた。俺、今、無意識で探してたな。


 席に着くと、澪がこちらを見て、小さく手を振った。その仕草が、あまりにも自然で、心臓が、ほんの少し跳ねる。……何やってんだ、俺。


 授業が始まっても、どうにも集中できなかった。黒板の文字をノートに写しながら、時々、視線が澪の方に流れる。彼女は、相変わらず外を見ていたり、ノートに何かを書いていたりするけれど、どこか、元気がないようにも見えた。気のせいだろうか。そう思おうとしても、どうしても、視線を外せない。


 昼休み。購買に行こうと席を立ったとき、澪が、少し遅れてこちらに近づいてきた。


「透くん」


「……ん?」


「今日、一緒に食べよ」


 それは、昨日までの流れを考えれば、自然な提案だった。なのに、なぜか、少しだけ緊張する。


「……いいけど」


 俺たちは、校舎裏のベンチに向かった。いつもの場所。風が通って、静かで、人が少なくて、一人になるにはちょうどいい場所。……だったはずの場所。二人で来ると、こんなにも違う空気になるんだな、と、歩きながら思う。


 ベンチに座って、パンを取り出す。澪も、紙袋からサンドイッチを出した。


「何それ」


「卵」


「……意外と普通だな」


「透くんに言われたくない」


 そう言いながら、澪は、小さく笑った。……けど。その笑顔が、どこか、無理しているように見えた。


「……澪」


「ん?」


「……疲れてるのか?」


 思わず、そう聞いていた。澪は、一瞬だけ、きょとんとした顔をして、それから、視線を逸らす。


「……別に」


「本当に?」


「うん」


 その返事は、少しだけ、早すぎた。俺は、パンの袋をくしゃっと握りしめながら、続ける。


「……なんか、元気ない気がして」


「気のせい」


 澪は、そう言い切った。でも、その声は、どこか、硬かった。踏み込みすぎたか。そう思って、それ以上、何も言えなくなる。


 沈黙が流れる。風が、木の葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえる。しばらくして、澪が、ぽつりと言った。


「……透くんってさ」


「……ん?」


「私のこと、心配してる?」


「……そりゃ」


「どうして」


「……恋人だから」


 そう答えながら、自分の言葉に、少しだけ違和感を覚えた。恋人だから、心配する。それは、正しい理由のはずなのに、どこか、嘘っぽく聞こえた。本当は、もっと別の理由がある気がして。でも、それを言語化する勇気はなかった。


「……ふーん」


 澪は、頷く。


「それなら、いいや」


「……何が」


「心配されるの、嫌いじゃない」


 ……嫌いじゃない、か。肯定とも、拒否とも言い切れない、曖昧な距離感。それが、今の俺たちには、ちょうどよかった。


 午後の授業。数学の時間、黒板の前に立つ教師の声が、やけに遠く聞こえる。ノートを取りながら、俺は、斜め前の澪の背中を見ていた。背中。肩。首筋。細い。細すぎないか?そんな考えが、ふと、頭をよぎる。制服の上からでも分かるくらい、澪は、華奢だった。前からそうだったのか、それとも、最近、そう見えるようになっただけなのか、分からない。


  気にしすぎだろ。自分にそう言い聞かせながらも、視線を逸らせない。授業中、澪は、何度か、ペンを落とした。それを拾う仕草も、どこか、鈍い。本当に、大丈夫なのか。


 放課後。帰り支度をしていると、澪が、俺の机の横に立った。


「透くん」


「……ん?」


「今日、一緒に帰れる?」


「……ああ」


 その返事を聞いて、澪は、少しだけ安心したみたいに、息を吐いた。そんなに、不安だったのか?その反応が、妙な引っかかりを残す。


 校門を出て、駅へ向かう道。夕方の空は、薄く曇っていて、どこか、冬の気配が混じっている。


「寒くなってきたな」


 俺が言うと、澪は、小さく頷く。


「……うん」


「上着、ちゃんと着ろよ」


「……うん」


 返事は、ある。けれど、どこか、上の空だ。俺は、少しだけ迷ってから、澪の手を取った。昨日と同じように。澪は、一瞬だけ驚いた顔をして、それから、そっと、握り返してくる。手のひらは、相変わらず冷たい。いや、昨日よりも、冷たい気がする。


「……澪、冷えてる」


「そう?」


「……手」


「ああ」


 澪は、軽く笑う。


「体温、低いんだよね」


 昨日も、同じことを言っていた。でも、今日は、その言葉が、なぜか、引っかかる。


「……本当に、それだけか?」


「え?」


「……何でもない」


 問いかけてから、後悔した。これ以上、踏み込んだら、何かが壊れる気がしたからだ。澪は、俺の顔を見て、少しだけ、困ったように笑う。


「……心配性だね、透くん」


「……悪いかよ」


「悪くない」


 そう言って、澪は、俺の手を、ぎゅっと握り直す。その力が、少しだけ、強かった。離されるのが、怖いみたいだ。そんな考えが、頭をよぎる。


 駅前の人混みで、俺たちは、少しだけ、距離を縮める。澪は、無意識のうちに、俺の袖を掴んでいた。「……はぐれるのが、嫌。」デートの時に言っていた言葉が、頭の中で、再生される。その理由が、ただの人混みの問題じゃないことを、俺は、なんとなく、察していた。


 改札の前で、立ち止まる。


「じゃあ、また明日」


「……ああ」


 澪は、そう言いながらも、すぐには、手を離さなかった。数秒。ほんの数秒。でも、その時間が、やけに長く感じられる。


「……澪?」


「……ん」


「……何か、言いたいことあるなら」


 そう言いかけた瞬間。澪は、急に、俺の胸に、額を押しつけてきた。


「……っ」


 声が詰まる。人目のある場所で、そんなことをされるとは思っていなかった。


「……澪?」


 周囲の視線が、気になる。でも、澪は、動かなかった。俺の制服の胸元に、額を預けたまま、じっとしている。


「……ごめん」


 澪は、小さく言った。


「……どうした」


「……なんでもない」


「……なんでもなくないだろ」


 そう言うと、澪は、ようやく、顔を上げた。目が、少しだけ潤んでいる。泣いてる?いや、泣いてはいない。でも、その一歩手前みたいな、ぎりぎりの表情だった。


「……澪」


「……大丈夫」


 澪は、そう言って、無理に笑う。でも、その笑顔が、あまりにも苦しそうだった。


「……大丈夫じゃないだろ」


「……大丈夫」


 繰り返す。まるで、自分に言い聞かせるみたいに。俺は、言葉に詰まった。ここで、踏み込むべきなのか。それとも、踏み込まないほうがいいのか。分からない。 でも、一つだけ、確かなことがあった。このまま、何も聞かずに離れるのは、嫌だった。


「……澪」


 俺は、できるだけ、静かな声で言う。


「……何かあったなら」


「……」


「……言わなくてもいい。でも」


「……」


「……一人で抱えなくていい」


 それは、恋人として言うには、少しだけ重い言葉だったかもしれない。でも、嘘じゃなかった。


 澪は、しばらく、俺の顔を見ていた。その視線は、迷っている人のものだった。何かを言うか、言わないか。 頼るか、頼らないか。 その境界線の上で、揺れているような目。やがて、彼女は、ゆっくりと、視線を逸らす。


「……ありがとう」


 それだけ。……それだけだった。でも、それ以上、追及することは、できなかった。


 改札の向こうで、澪は、振り返って、小さく手を振った。その笑顔は、いつもより、少しだけ弱々しかった。俺は、その背中を見送りながら、違和感のようなものを覚える。……何かが、確実に、ずれてきている。そんな感覚が、離れなかった。


 家に帰ってからも、澪の表情が、頭から離れなかった。駅前での、あの一瞬。 胸に顔を埋めてきた、あの仕草。あれは、ただの甘えだったのか。それとも。考え始めると、止まらなくなる。


 俺は、ベッドに横になりながら、スマホを手に取った。連絡先。そういえば、まだ交換していなかった。恋人なのに。今さらすぎる事実に、少しだけ、自分でも呆れる。でも、その理由が、なんとなく、分かる気もした。番号を知ったら、連絡を取るのが当たり前になる。当たり前になったら、依存してしまいそうで。……もう、片足突っ込んでる気もするけど。


 俺は、天井を見上げながら、ぼんやりと思った。この関係は、どこまで行くんだろう。 俺は、どこまで踏み込んでしまうんだろう。澪は、何かを隠している。それは、確実だった。でも、それ以上に、確実なのは、俺が、すでに、水無月澪という存在を、“失うかもしれないもの”として、意識し始めている、という事実だった。失う前提で始めたはずなのに。失うことを、できるだけ、考えないようにしていたはずなのに。それでも、心は、勝手に、彼女の存在を、日常の中心に押し上げ始めている。それが、何よりも、怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ