包囲網
頭上では、魔女が書き換えた「復讐の花火」が、皮肉なほど美しく夜空を焦がしていた。
だが、その光が地上を照らし出すたびに浮き彫りになるのは、歓喜ではなく**「鋼鉄の包囲網」**だった。
「……あはは。静かに消えるつもりだったのに、随分と賑やかになっちゃったね」
ライムは十手の柄を握り直し、路地の奥から響く規則正しい足音を聞き取った。
都市防衛隊。最新鋭の強化外骨格に身を固めた、街の「掃除屋」たちが、獲物を追い詰める猟犬のように四方から迫っている。
「ここにいたらまずいわね。ひとまず、宿かどこかに身を隠しましょう」
魔女が冷然と告げ、防衛隊のライトが届かない暗がりへと歩き出す。だが、その背中にライムの乾いた声が投げかけられた。
「本当に宿なんて安全かな? 街全体がこれだけ過敏になってるんだ。名簿もカメラも筒抜けの場所は、僕らには逃げ場にならないと思うけど…」
暗殺者として生きてきたライムの直感は、この街がすでに「逃げ場」ではないことを察知していた。
魔女が足を止め、苛立ちを隠さぬように眉を寄せた、その時だった。
キィィィィィィンッ!
街中のビルに備え付けられた巨大スクリーンが一斉にノイズを走り、鼓膜を突き刺すような警報音が鳴り響いた。
『緊急速報です。市民の皆様は直ちに最寄りのシェルター、あるいは自宅へ避難してください』
画面に映し出されたのは、冷酷なまでに整った顔立ちをした防衛隊の広報官だった。
『先ほど、区外縁のクリーンエネルギーで水晶を製造している工場および関連住居が爆破されました。現在、空を舞っている花火は実行犯による示威行為と断定。犯人は現在、武装して逃走中です』
ライムは頭上の色彩を仰ぎ見た。魔女の「花火」が、皮肉にも最悪の目印として利用されている。
『本件は、数時間前に発生した中心街の洋館火災とも深い関連があると思われます。根拠として、現場付近で目撃された不審な男女の映像が、ライブ配信によって確認されました。……こちらをご覧下さい』
スクリーンに映し出されたのは、粗い画質の、しかし決定的な映像だった。
逃げ惑う群衆の中で、あまりにも場違いなほど冷静に歩くライムと魔女。
工場の爆破直前、悠然とボスの私邸へと向かう魔女の横顔。
そして――何より決定的なのは、自撮り棒を振り回す少女の背後に、はっきりと映り込んでしまった**魔女とライムの姿だった。
「……あはは。参ったな。あの子の配信、本当によく映るんだね」
ライムは苦笑いを浮かべた。
巨大スクリーンの光が、夜霧に濡れた路地裏を白々しく照らし出す。画面の中では、記者が割り込むようにマイクを突き出していた。
『……あの、失礼ですが。この映像だけで、なぜ彼らが犯人と断定できるのですか?』
問いかけに対し、隊員はレンズ越しに街全体を威圧するような、冷徹な笑みを浮かべて答える。
『正確には、現時点では重要参考人……という名目です。ですが、魔女については今更説明も不要でしょう。……問題は、その後ろに映るこの青年です。エコーリンクの情報に鋭い方なら既にご存知でしょうが、彼は100億の懸賞金を懸けられた大罪人。そんな男が魔女と結託し、この街の心臓部を襲撃した……。そう考えるのが自然でしょう。我々は、あくまで任意同行を求め、然るべき機関へ彼を引き渡すのが最善だと考えております!』
力強い宣言と共に、静まり返っていた街にドロリとした「熱」が伝播した。
「聴いたか? 100億だぞ。あいつが100億の賞金首だってさ」
「おい、もし捕まえたら一生……いや、一族全員働かなくて済むぞ」
「どこだ? どこにいる!?」
周囲の人間たちの目が、一瞬で「隣人」から「金」を探す捕食者のそれに変わる。
ライムは、十手を握る手に自然と力がこもるのを感じた。
「あはは……。みんな、何も知らないくせに……」
自嘲気味に呟いたライムに、魔女が冷たい、けれど真理を突く言葉を返す。
「何も知らないから怖いのよ。そして、何も知らないからお金目当てで騒ぎ出せる。私だって最初はそうだったわ。……そんなもんよ、人間なんて」
「……わかってる。でも、流石にこの顔でここにはいられないね。とりあえず、どこか安全な所に――」
ライムが焦燥を隠し、視線を巡らせる。魔女はそんな彼を試すように、少しだけ口角を上げた。
「ねえ、いっそこの世界から逃げちゃう? その方が、これ以上誰も傷つけなくて済む……なんて考えてるんでしょ? でも、あなたは正規のルートじゃ異世界を渡れない。そうでしょ? 私はこれ以上、面倒を見る気はないわ。……まあ、共犯者だし、私一人で逃げちゃおうかしらね?」
少し意地悪な笑みを浮かべる魔女。ライムは一瞬、寂しげに目を伏せたが、すぐにいつもの「あはは」と乾いた笑いを作った。
「あはは、確かに。僕と一緒にいたら君まで異世界に行けないし、別行動が良いかもね」
そのあまりに素直で「良い子」すぎる返答に、魔女は呆れたように深く溜息をついた。
「はぁー……。どこまでお人好しなのよ、アンタ。……冗談よ。私も正直、こんな状況を冗談で済ませるつもりはないわ。とりあえず移動しましょう」
魔女が歩き出した、その時。
不意に、ライムの背後から「誰か」の手が伸びた。ポン、と肩を叩かれる。
「ちょっと君、こんな所にいたら危ないぞ? ……ん? その手に持ってるのは武器――うっ!」
反射だった。
思考よりも早く、ライムの身体が「敵」を排除するために動いた。
振り返りざま、流れるような動作で十手の先端を背後の存在の鳩尾へ突き刺す。
ゴン、という鈍い音。空気が抜ける音。
ライムは相手の顔を確認することさえせず、小走りで魔女の後を追った。
その一部始終を見ていた魔女が、冷徹に、しかしどこか納得したように呟く。
「……本当に、ここには居られないわね」
ライムの身体に染み付いた「殺しの本能」が、平穏を拒絶している。
「この先を少し進んだ所に、貿易や乗り物で異世界へ向かう『ゲート』があるわ。そこで合流しましょう。一緒にいると目立ちすぎる」
魔女は影の差す脇道へと身を隠した。
対するライムは、手近なマフラーで口元を覆うと、あえて眩い光に満ちたメイン通りへと足を踏み出した。
降り注ぐネオンの光。欲望に燃える群衆の声。
そのど真ん中を、100億の賞金首は「普通」の青年を装い、淡々と歩き始める。
巨大スクリーンの下、群衆は血眼になって「路地裏」や「物陰」を走り回っていた。そのすぐ真横を、ライムは呼吸を整え、家路を急ぐ市民と全く同じ歩調で通り過ぎる。
(あはは。みんな、見たいものしか見ないんだね。助かるよ)
ゲート付近に辿り着くと、そこには既に都市防衛隊の重装甲車両が陣取っていた。浮遊船一台ごとに、ドローンが荷物スキャンを繰り返す厳しい検問が敷かれている。
脇道から合流した魔女が、ライムの顔を見るなり呆れたように吐き捨てた。
「……あなた、正気? まさかメインストリートを堂々と歩いてきたの?」
「至って冷静だよ。暗殺する時もそうだけど、普通の青年の顔なんて誰も見てないんだ。隠れるより、溶け込む方が怪しまれないんだよ」
ライムが自信をのぞかせると、魔女はさらに深く溜息をつく。
「……そう。だから私の方は何人も追っ手が来たのね。まあ、みんなアンタ目当てで、私はスルーだったけど。……それで、どうするの? あの検問を突破するのは、流石に難しそうだけど」
ライムは検問所に並ぶ浮遊船と、周囲を飛び交う監視ドローンを見つめた。
「もう一発、遠くで『花火』を打ち上げられるかな。僕らはあっちにいるって、思わせるために」
「ここから? 無茶言わないでよ。私の魔法は万能じゃないわ。遠隔地にそんな派手な魔法、撃てるわけないでしょ」
「空に上げなくてもいいんだ。……例えば、これとか」
ライムがポケットから取り出したのは、自分の**エコーリンク(通信端末)**だった。魔女が怪訝な顔をする。
「……何? その端末に花火でも映させるの?あいにくその端末、スクリーンには繋がってないわよ」
「ううん。ただの火の玉で包んで、メイン通りで派手に鳴らしてくれればいい。そうすれば、あの食いつきのいいドローンたちが、勝手に『100億の男の魔力反応だ!』って全世界に配信してくれるでしょ?」
ライムの不敵な笑みに、魔女もようやく意図を察した。
「……なるほど。システムの『目』を餌で釣るわけね」
魔女が端末を受け取り、指先で紅蓮の炎を編み上げる。次の瞬間、炎を纏った端末が流星のようにメインストリートへ飛来し、地面に触れた途端に爆発的な音と光を撒き散らした。
ドォォォォンッ!!
案の定、周囲を舞っていたドローンが一斉に反転し、光の源へと殺到する。巨大スクリーンには「犯人捕捉か!?」というテロップが踊り、検問所の隊員たちも我先にとバイクに跨り、群衆が騒ぎ出す現場へと急行した。
手薄になった検問所。残った一人の隊員が背後を振り返るより早く、ライムは音もなく距離を詰めていた。
ゴンッ!
十手の一撃が後頭部を捉え、隊員は声を出す暇もなく崩れ落ちる。
「……あはは。ごめんね、ちょっと寝てて」
ライムは素早く、発車直前の小型浮遊船の後部デッキに滑り込んだ。
船が重厚な蒸気を噴き出し、加速する。青白い光を放つゲートを潜り抜けた瞬間、全身を包んでいた「電気的な空気」が霧散した。
代わりに肺に飛び込んできたのは、湿った煤煙と、重たい機械油の匂い。
「……あはは。さっきとは全然、空気が違うね。なんだかドキドキするな」
視界が開ける。
そこは、夜霧の海に沈んだような、鉄の街だった。
至る所の煙突から黒煙が立ち上り、真鍮色の歯車が噛み合う音が、霧の奥から地鳴りのように響いてくる。街の中心にそびえ立つ巨大な時計塔が、ボォォォン……と重々しく午前零時を告げた。
「あら、そうかしら。蒸気と歯車、そして時計台で有名な鉄の街――『アイアン・ベイル』よ」
魔女の言葉を聞きながら、ライムは窓の外を流れる鉄骨の街並みを眺める。その瞳には、暗殺者としての冷徹さの奥に、職人としての純粋な輝きが宿っていた。
「鉄の街か……。あはは、武器の強化ができるかもね」
ライムはマフラーを直し、「鋼鉄」の匂いがする街へと、静かに足を踏み出した。




