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『百億の欠落者(ロスト)』  作者: 紅月ヨルカ


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神皇(しんのう)討伐戦後編

神皇は、まるで泥を払うような無造作な動作でライムを見下ろした。

「まだ気を失っているのか。やれやれ、君は本当に手がかかるな」

その慈愛に満ちた笑顔こそが、究極の暴力だった。

強制的に覚醒させられたライムが瞼を持ち上げた瞬間、視界に飛び込んできたのは、世界の終わりを煮詰めたような光景だった。

「これは……一体……」

言葉が震える。かつてそこにあったはずの、活気に満ちた街並み。自分を讃えようと集まっていたはずの群衆。そのすべてが、炭化した肉の塊と、今なお燻り続ける黒い灰の山に変わっている。

「ああ、仕方ないから教えてあげるよ。これは、君が無意識にやったことだよ?」

神皇は、まるで子供の工作を褒める教師のように、嬉々として手を叩いた。

「君を讃えようと集まった住民たちを、最も効率的に、最も残酷に燃やし尽くす……。うん、見事だったよ、ライムくん」

「嘘だ……俺はそんな能力なんて……それに、こんなこと、するわけないじゃないか! おかしいよ、何かが!」

ライムはガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、崩れ落ちそうになる膝を叩いて立ち上がる。視界が涙で滲むのではない。あまりの光景に、瞳が拒絶反応を起こして乾ききっているのだ。

神皇は否定しなかった。ただ、ゴミを見るような、冷たく透き通った瞳で笑みを深めた。

「うん、おかしいね。だからダメなんだよ、君は」

突き放すような声が、ライムの鼓動を止める。

「全然期待に応えない。僕を超えることもない。わかるかい? 君は、僕が作った失敗作なんだよ」

冷たい銀光が走った。大剣の切っ先が、ライムの喉元を薄皮一枚でなぞる。

「このまま死なせちゃってもいいけど、それもつまらない。……逃げちゃいなよ、この世界からさ」

「逃げる? なんで、俺が……! そもそも俺は、妹を救いたいだけなんだ!」

悲鳴のような抗議。だが、神皇はやれやれと首を振る。

「じゃあ、逃げる意味モチベーションを与えてあげるよ。そうだなぁ……」

神皇は楽しげに指を鳴らした。

「ミリア、来てくれる? 緊急生放送だ。いいかい?」

「うん、いいよレオくん」

レンズを向けたミリアに、神皇は甘く、けれど拒絶を込めて訂正する。

「うーん、違うよ。僕はもうレオパルドではないんだ。この姿だし、アデルだよ。ちゃんと覚えておいてね?」

カメラの向こう側――全住民の視界に、アデルの「聖母のような笑顔」が映し出される。

「僕は神皇。この姿に違和感を持つだろうけど、ここにいるライムくんに、前の僕は消されちゃったんだ。……ついでに、罪のない一般人も大量虐殺してしまった。彼は世界を消す能力を持っている。この意味がわかるかな?」

アデルはカメラを覗き込み、極上の愉悦を浮かべて宣告した。

「――世界の敵、ってことさ」

大剣が天を指し、黄金の炎が噴き出す。それは破壊ではなく、残酷な「再生」だった。焼き払われた大地が、アデルの望む形に美しく修復されていく。

「僕は世界を修復する者。つまり、世界にとっての『主人公』だね。ライムくんは……まあ、ラスボスといったところかな」

アデルは、自分に縋りつこうとするライムを、まじまじと観察した。その視線は、もはや人間を対象としたものではない。

「僕を殺し、世界を消し、住民を焼き払う……。その大罪にふさわしい価値を与えよう。――ライム、君は今日から『100億の賞金首』だ。異論がある者はいるかい? いないなら、君は世界一の大罪人だ!」

その瞬間。

修復されたばかりの瓦礫の陰から、再生した街の隙間から、ドロリとした熱を帯びた「視線」がライムに突き刺さった。

「あいつだけで100億……?」「弱ってる、今なら俺でも!」「最初に首を獲った奴の総取りだ!」

「なんで……なんであんなことを! 取り消せ!」

ライムがアデルに詰め寄ろうとした瞬間、見えない衝撃が彼の体を後方へと弾き飛ばした。

「近づくなよ」

アデルの声には、もう興味すら残っていなかった。

「僕は神皇アデルとして、これからは楽しく生きていく。君は、せいぜい殺されないように頑張って生きてね?」

アデルが翻したマントから、猛烈な炎の奔流が溢れ出し、ライムの背後を焼き裂いていく。その先に現れたのは、次元の裂け目――異世界へと続く血塗られた道。

「あはは! そのまま炎の道を進めば異世界に行けるよ。せいぜい死なないように逃げてね。できたら……また会いたいからさ。さようなら」

「待てよ!」

ライムの叫びは、猛り狂う獣のような怒号にかき消された。

異世界の兵士、先ほどまで怯えていた住民、さらには名もなき異形の者たちまでもが、一つの「金」という名の獲物を囲い込むように、じりじりと包囲網を狭めていく。

「くそっ!」

ライムは弾かれたように走り出した。向かう先は、アデルが指し示した異世界への扉。

「逃がすかよ!」

背後から、横から、無数の刃が殺到する。だが、その刃がライムに届くより先に、金属音が火花を散らした。

「俺が先だ!」「どけ、その首は俺の懸賞金だ!」

欲望が理性を焼き切り、ライムを獲り合う「者たち」同士での共食いが始まった。血飛沫と罵声が飛び交う地獄絵図。その隙間を縫うように、ライムは指先を扉へ伸ばした。

――だが。触れる寸前、扉は陽炎のように揺らぎ、虚空へ消えた。

「あはは、ごめん。不安定だったみたいでさ」

アデルの軽薄な笑い声が頭上から降ってくる。

「今度はこっちね。頑張って?」

指し示されたのは、迷路のように入り組んだ細い路地の先。もはやこれは「逃げ道」ではない。ネズミを追い回すための「実験場」だ。

「くそっ……!」

心臓を握り潰されるような焦燥感に突き動かされ、ライムは再び駆け出す。

その瞬間、空気を裂く音と共に一本の矢が飛来した。

――ガッ!

本能に近い「強制回避」が発動し、体が勝手に捻じ曲がる。

「なんだ……ふざけるなよ……!」

息を切らし、路地へ踏み込もうとするが、そこにも既に兵士たちが立ち塞がっていた。

「もう観念しろよ。逃げ場なんてねえんだからよ」

下卑た笑みを浮かべ、男たちが槍を構える。万事休す――。

その時だった。

鼓膜を震わせる鋭い銃声。路地を満たしていた兵士たちが、血の霧を噴き出して次々と崩れ落ちた。

ライムが目を見開いて振り返った先にいたのは、壁に背を預け、ずるずると崩れ落ちるスパークの姿だった。

「スパーク、さん……!?」

その姿は、あまりに無惨だった。腹部を深く抉られ、押さえた指の間からはドロリとした鮮血が絶え間なく溢れ出している。顔色は土色に沈み、呼吸のたびに血の混じった喘鳴が漏れていた。

「どうして……そんな体で!」

駆け寄ろうとするライムを、スパークは濁った瞳で一喝した。

「今は……前だけを……向け……。大丈夫だ、少し寝れば……回復する、からさ……」

それが、取り返しのつかない嘘であることなど、誰の目にも明らかだった。スパークは力なく笑い、握っていた銃を地面に落とす。

「さっさと、行けって……お前は……」

言葉が途切れ、彼の体が完全に沈黙した。

(スパークさん……ッ!)

喉の奥まで込み上げた悲鳴を、ライムは血の味と共に飲み込んだ。

振り向かず、血に濡れた路地へ飛び込む。

そこにも待ち構えていた影があった。

「遅れてきたが、ラッキーだったな! 100億は俺が――」

歓喜に歪んだ男の顔。ライムの意識から「躊躇い」が消えた。

逆手に抜いたダガーが、吸い込まれるように男の首元へ突き刺さる。肉を断つ嫌な感触。それを引き抜きながら、ライムは返り血を浴びて、ただ前だけを見て突き進んだ。


前方から男達がわらわらと近寄ってきた時、路地の地面に突如として穿たれた巨大な陥穽かんせい。その底へと呑み込まれていく追手たちの悲鳴を背に、ココアは軽やかに、まるでピクニックにでも来たかのような足取りで這い出してきた。

「ああ、ライムくん! 良かった、無事だったんだね。道に迷っちゃってさ、君に会えるか心配だったんだぁ」

「エヘヘ」と漏れる、聞き覚えのある無邪気な笑い声。前作で共に戦った時のままの、あの温かな「日常」がそこにある。

「……助かった。ありがとう、ココアさん。もう、誰もいないかと思ったんだ」

ライムの強張っていた頬が、一瞬だけ緩んだ。縋るように彼女へ一歩を踏み出した、その刹那。

――ドッ!!

衝撃がライムの胸を貫いた。

ココアの手掌が、躊躇なくライムの肺を狙って放たれたのだ。

能力が強制発動し、ライムの体はコンマ数秒の時間を逆行して衝撃を無効化する。だが、その瞳に映ったのは、獲物を狙う「ハンター」の冷徹な眼差しだった。

「ココアさん……? どうして……?」

「えぇ〜? だって、ボクは賞金稼ぎだよ? 100億なんて、お宝じゃん!」

ココアは首を傾げ、困ったように笑ってみせる。その軽薄さが、今のライムにはどんな刃よりも鋭く刺さった。

「でも、悪いようにはしないよぉ。一回捕まってほしいだけなんだ。いいよね? 師匠のお願いくらい、聞いてよ。――嫌だったけどさ、君のお願いは聞いてあげたじゃん?」

ライムの思考が白濁する。あの時の絆は、彼女にとって「嫌なこと」だったのか。

「嫌だったって……そんな……」

狼狽えるライムの耳に、重厚な鉄の音が響いた。

「何を情けない声を出しているんだ?」

後方から迫っていた敵を、一閃のもとに切り捨てながら現れた女性。その凛とした立ち姿に、ライムは息を呑んだ。

「……アシュレイ……? 本当に、再会できた……」

「もちろんだ。私は何度でも蘇るよ?」

アシュレイはライムに視線すら向けず、剣先をココアへ固定した。

「弟が世話になったみたいだな。余計なことを、としか思えないがね」

「いえいえ、いいんだよぉ? 賞金さえくれればね!」

対峙する二人。だが、アシュレイは静かに告げた。

「……一応言っておく。ライム、お前が虐殺なんてしないことは分かっている。金にも興味はない。この女は私が止めておくから、さっさと逃げろ。残念だが、生きるにはそれが一番いいと――」

言いかけた瞬間、ココアの姿がブレた。

「さっきから、邪魔だって言ってるじゃん!」

速い。プロの「仕事人」の動きだ。ココアの細い指がアシュレイの喉を掴み、そのまま軽々と路地の壁へと投げ飛ばした。

「アシュレイ……!」

投げられながらも、アシュレイは空中で氷の礫を放つ。ココアはそれを嘲笑うように回避したが、氷の塊は着弾と同時に巨大な氷柱へと成長し、狭い路地を完全に塞ぎ止めた。ライムとココアを隔てる、青白い障壁。

「馬鹿、来るな! 前だけを見ろ! さっさと行きなさい……また、きっと会えるから……!」

氷の向こうから聞こえるアシュレイの叫び。それが今生の別れになると予感しながらも、ライムは溢れそうになる涙を振り切り、異世界の扉へ向かって走り出した。

だが。

ようやく辿り着いたその場所――扉の前に、一人の女が静かに佇んでいた。

アデルの炎も、ココアの殺気も届かない、不自然なほどの静寂を纏った「魔女」が、そこにはいた。


魔女は、陽炎のように揺らぐ扉を指先で弾いた。

「……無駄よ。その扉、本物じゃない。アデルの気まぐれに付き合って、その先で笑いものにされるだけ」

ライムの足元が崩れるような衝撃。彼女は追い打ちをかけるように、嫣然えんぜんと微笑む。

「本物の扉を開けてあげてもいいわよ? ……ただし。私もあなたの首にかかった『100億』には、目がなくてね」

彼女はライムの喉元に、白く細い指先を這わせた。

「さあ、選びなさい。ここでみんなに細切れにされるか。それとも、私に首を預けて、束の間の安らぎを買うか」


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