神皇(しんのう)討伐戦中編
ライムが屋根の向こうへ消えた直後、スパークの背後の空間が、澱んだように揺らめいた。
「お久しぶりですね」
かけられた声に、スパークは一切の躊躇なく、振り向きざまに引き金を引いた。
――ガツンッ!
弾丸は何もない空間で弾かれ、火花を散らす。
「…助けた相手にする行為ではないですね?」
そこには、貼り付いたような笑みを浮かべる可憐な女性、白衣を着た医者のラグナが立っていた。
「ラグナ……。感謝はしてるさ。だがな、お前を見るとどうも義眼が疼いて仕方ねえんだ。……悪いが、消えてくれないか」
スパークが吐き捨てるのと同時に、空からポツリ、ポツリと、鉛色の雨が降り始めた。
「祝福の雨ですよ。……分かりました、失礼しますね」
ラグナが優雅に一礼して背を向けた、その刹那。
「ガハッ……!?」
スパークの口から、どす黒い血が溢れ出した。肺が内側から腐食していくような、焼けるような激痛。
(何が立ち去るだ……。きっちりと、毒を浴びせやがって……)
視界が急速に狭まり、スパークの巨体が石畳に沈む。意識が闇に落ちる寸前、いつの間にか雨は止み、湿った土の匂いだけが残されていた。
一方、ライムは迷路のような狭い路地を、獣のごとき速度で駆け抜けていた。
突如、前方から心臓を素手で掴まれるような強烈な圧力が押し寄せる。一瞬、膝が笑いそうになるが、ライムはリヴォルダガーのチャージを解かずに突き進んだ。
その時、暗がりから閃光のような刃がライムの喉元を襲う。
「――ッ!」
死の直前、ライムの脳裏に数秒後の光景が過る。未来予知による『強制回避』が発動。ライムの体は重力を無視した軌道で上空へと跳ね、兵士たちの頭上を飛び越えて壁を蹴った。
着地と同時に、限界までチャージされたダガーを突き出す。
放たれたのは、電熱を纏い、赤黒く濁った破壊の奔流。
それは盾を構えた五人の兵士を、鎧ごとバターのように溶かし、貫通した。断末魔を上げる暇すら与えず、熱波が彼らの肉体を蒸発させ、最後に小規模な爆発が路地を揺らす。
爆風に煽られ、ライムは穴の空いた民家の中へと転がり込んだ。
そこには、逃げ遅れたであろう住人たちの「残骸」が、無造作に散らばっていた。
(……すまない)
足の裏に伝わる、かつて人間だったものの感触。ライムは短く心の中で詫び、熱でボロボロになったリヴォルダガーの使い捨てパーツをその場に投げ捨てた。
残された時間は、もうない。ライムは硝煙を切り裂き、神殿の門へと再び走り出した。
轟音の余韻が残る路地で、ココアは泥水に沈むスパークを見つけた。
「あれ、スパークじゃない? ラッキー、10億ゲット~」
いつもの軽い口調で歩み寄るが、数歩手前でぴたりと足を止める。
「……吐血してる。外傷はないのに、毒? 近づかないでアカリちゃん。毒ガスだったらまずいし」
ココアは即座に警戒し、スパークをその場に残して隣接する民家の壁を拳一つでぶち抜いた。最短距離で爆心地へと向かう。
穴を抜けた先には、地獄が広がっていた。
「……嘘でしょ? なに、これ」
アカリの声が震える。
路地は巨大な熱線に抉られたように赤黒く焼け爛れ、民家の壁には無残な風穴が空いていた。転がっている五人の兵士は、重厚な鎧ごと「溶けて」いた。バターを熱したナイフで断ったような、滑らかで残酷な断面。立ち込めるのは、蒸発した肉と石材の粉塵が混ざり合った、鼻を突く異臭だ。
アカリは瓦礫の中に落ちた「残骸」を拾い上げる。
「リヴォルダガーの、使い捨てパーツ……」
熱でひび割れ、煤けた金属片。それは彼女がライムに託した最新の強化パーツだった。
「チャージショット特化なんてレベルじゃない。ライムくん、一体どんな出力を出したの……?」
「……あはは、ちょっと見てよこの兜。こいつ団長だよ」
ココアが転がる死体の一部を蹴り、感心したように笑った。
「防御の基本だけ鍛えて攻撃はいらないなんて言ってたのに、やるねぇ。行きましょう、ライムくんはもう神殿の前に向かってる」
そう言ってココアは神殿とは全く違う方角へ歩き出し、アカリが慌ててその腕を引く。
「そっちじゃないって! ライムくんを追いかけるんでしょ!」
――神殿。
周囲の喧騒や魔法の爆鳴が遠く霞むほど、そこには異様な「静寂」があった。
広場の中央、大剣を地面に突き立て、神皇レオパルド・ヴァルヘルムは苛立ちを露わにしていた。
「また兵士共が、私の邪魔をしているのではないだろうな?」
黄金の瞳で隣の女を睨みつける。ミリアは表情一つ変えず、花が咲くような笑みを浮かべた。
「レオくん、大丈夫だよ。兵士たちはバラバラに配置したし、ほら、この広場の周りには誰もいないでしょ?」
「つまり、またアイツは来ていないのか。強者もいないのか。いつからこれほど軟弱な世界になったのだ?」
神皇が深く嘆息した、その時。ミリアが楽しげに指を差した。
「強者はともかく、レオくんが待ってるあの子なら来てるみたいよ。ほら、あそこに」
爆煙の向こうから、一人の青年が駆けてくる。
「そうか。やっと来たか。少しは『叛逆の閃光』も使えているといいがな。一年も待たせたのだ」
神皇の声から感情が消える。ミリアは何かを察し、神皇の頬に軽く唇を寄せた。
「私は配信したいし、ちょっと離れたとこに行くね。また後で」
彼女は軽やかに、幽霊のようにその場を後にした。
広場に踏み込んだライムは、佇む神皇の姿を捉えた。険しい表情でボロボロのリヴォルダガーを構え、一気に距離を詰める。
だが、その決死の突進を、神皇は冷ややかに見つめていた。
(遅い。遅すぎる)
神皇の内心にあるのは、敵意ではなく、期待を裏切られたことへの深い落胆だった。
ライムは広場に躍り出ると、立ち塞がる兵士をリヴォルダガーで貫いた。手応えと共に刃が折れるが、迷いはない。予備のダガーを抜き放ち、一直線に神皇へと肉薄する。
無言。ただ衝動のままに、ライムは神皇の胸元へ滅多刺しに刃を叩き込んだ。
神皇は、防御すらしない。
回避も、反撃もせず、ただなすがままに刺され続けながら、無機質な瞳でライムを見つめている。その異常な「静止」に、刺している側のライムが底知れぬ恐怖に支配されていく。
ガリ、と嫌な音がしてダガーの刃がボロボロに砕けた。
「……はぁ、はぁ、っ……!」
荒い息を吐き、膝を突きそうになるライムを、神皇はゴミを見るような目で見下ろした。
「……それが、お前か?」
氷のように冷たい、失望の声。
「……そうだ、お前を倒す者だ。久しぶりだな」
生唾を飲み込み、精一杯の虚勢を張る。だが、神皇はゆっくりと歩を進めた。
「受け身のままか」
突如、神皇は大剣を横一文字に薙いだ。
「邪魔だ」
一閃。広場に侵入しようとした挑戦者たちが、噴き出した業火に呑まれ、一瞬で消炭に変わる。
「今ではない。この稚児が来る前に来れば、相手をしてやったものを」
神皇は別の方向から近づく気配を察し、大剣を無造作に投げ飛ばした。
――ドシュッ!!
咄嗟にハンマーで防ごうとしたが、大剣は鉄塊を紙のように貫通し、その者の首を鮮やかに跳ね飛ばした。
しばらく静寂が流れたが。
「アカリちゃぁぁぁん!!」
ココアの悲鳴が静寂を切り裂く。彼女は『アカリだった肉塊』を抱きしめ、狂ったように広場から離脱していく。
「……今のは、アカリさんか?」
ライムの声が、怒りと悲しみで震えた。
「知らんな。関心がない」
「お前だけは、許さないッ!!」
逆上したライムの拳が神皇の頬を打つ。だが、神皇はそれを嘲笑うように、ライムの細い首を掴み上げた。
「なるほど、怒りか。……ならば、手伝ってやろう」
神皇の手から溢れ出した業火がライムを包囲し、魂の回路を無理やり焼き切る。
「さあ、これからが面白い。……そうだろ?」
ドサリと投げ捨てられたライムから、異質な「白」の閃光が噴き出した。
白目を剥き、意識が飛んだまま、ライムの体が物理法則を無視して加速する。
何かが砕ける音だけが、遠くで何度も響いていた。
――ドォォッ!!
神皇の顔面に、音速を超えた一撃がめり込んだ。
「……それでいい。そこまで辿り着けてないがな」
吹き飛ぶ神皇を、覚醒したライムが追撃する。上空へ蹴り上げ、肉眼では捉えきれない数百発の連撃が神皇の全身を砕く。
ライムの全身が限界を超えて発光し、一筋の巨大な閃光が、神皇の体を一点に貫いた。
「そうだ、それでいい……。ありがとう」
神皇の背後の空間に亀裂が走り、その身体を飲み込んで消えた。
静寂が戻り、ライムはその場に崩れ落ちる。
広場に集まってきた群衆から、爆発的な歓声が上がった。
「神皇を倒したぞ!」「新たな英雄だ!」
誰もが熱狂し、ライムを称賛しようと駆け寄る――その瞬間だった。
――ゴォォォォォッ!!
天を衝く業火が、広場のすべてを舐め尽くした。
歓喜していた群衆は、叫ぶ暇もなく跡形もなく燃え尽きた。残されたのは、無意識の未来視で直撃を避けたライム、ただ一人。
「へぇ~。あの程度で誰が負けたって?」
炎の向こうから現れたのは、先ほどまでの巨漢ではない。
銀色の髪をなびかせた、神々しくも華奢な青年。威圧感すら感じさせないその姿は、ただ笑っているだけで、絶対的な「虚無」を感じさせた。
青年は片手で、自分の身の丈ほどもある大剣をヒョイと持ち上げ、冷徹に微笑む。
「まったく。しょうもないな」




