神皇(しんのう)討伐戦
空は、凝固した血のような鈍色に淀んでいた。
自らを討伐せよと世界に嘯き、幾度となく開催されてきた「神皇討伐戦」。しかし、その玉座に指一本触れられた者はいない。挑戦者たちは、神皇――レオパルドヴァルヘルムに届く前に、物言わぬ肉塊へと変えられてきた。
「いよいよ、神皇と戦えるのか。……長かったな」
ライム・レヴィアス(22歳)は、震える指先を隠すように拳を握りしめた。
「でも、一年前の僕とは違う。……そうでしょ、ココアさん!」
「えぇ~? その程度で吹っ飛んじゃうわけ?」
突如、ライムの背中に衝撃が走った。隣に立つ賞金稼ぎ、そして自身も懸賞金20億をかけられてる賞金首ココア・フロートが指先で彼を突いたのだ。数メートル吹き飛び、地面を削って止まるライムを、彼女は涼しげな顔で見下ろす。
「勝てる気でいるなんて、すごい自信だね~」
「……おかしいな。能力が発動するはずだったんだけど」
ライムは顔を引きつらせ、土埃を払いながら立ち上がる。
「敵じゃないって認識してたからかな」
「そんな不安定で大丈夫? まあいいけどさ」
ココアは呆れたように肩をすくめ、彼に問いかけた。
「それより、武器の準備は?」
「あぁ、アカリさんが届けてくれるはずです。そろそろ――」
「ラ〜イ〜ムくん、あ〜そぼ♪」
錆びついた扉を蹴破るような勢いで、明るい声が響いた。
鍛冶屋のアカリだ。彼女は重厚な鉄の匂いを纏い、不敵に笑いながら歩み寄ってくる。
「装備を整えてあげたんだから、自分から取りに来るのが筋じゃない? いつからそんなに偉くなったんだい、君は」
「あはは……すみません、アカリさん。修行明けで余裕がなくて」
ライムが頭を掻くと、アカリは担いでいた包みをドサリと下ろした。
「いいよ。……でも、本当にいいのかい? 異世界からの強者ですら、神皇の足元にすら辿り着けずに死んでるんだよ。なのに、この軽装備と……リヴォルダガーの強化だけで」
アカリは、包みから取り出した二本の短剣を見つめた。
「ビームサーベル機能を削って、チャージショット特化の合体ギミック……。一度きりの大博打だね」
「ええ。……能力の特性上、近接よりも遠距離で道を切り開く必要がある。そのためには、これが最適なんです」
ライムがリヴォルダガーを手に取ると、冷たい鉄の質感が覚悟を促す。
「ライムくんさ、回避とか防御ばっかり鍛えて、攻撃は武器任せなんて……本当に頑固だよね」
ココアが横から口を挟む。その視線は、どこか遠くを向いていた。
「でも、その頑固さがなきゃ、あの絶望的な一年を生き残れなかったか」
「予備のダガーも仕込んであるけど、合体は一度きりだからね。……まあ、私もフィリアさんもサポートする。神皇の首までは、届かせてあげるよ」
アカリが代わりに取り出したのは、場にそぐわないカラフルな「ピコピコハンマー」だった。しかし、そこから漏れ出る魔力は大気をピりつかせるほどに重い。
「うわあ……相変わらず頼りない見た目だね、アカリちゃんの武器」
ココアが冷めた声を出すと、ライムが慌ててフォローを入れる。
「いやでも、破壊力は抜群ですから!」
「あはは、フォローはいいよ。……レンドさんを失って、みんなバラバラになった。あの時はライムくんを責めちゃったけどさ」
アカリの目が、一瞬だけ鋭い憎悪に燃えた。
「元凶を討てると言うなら、私はなんだってやるよ。さあ、行こう。神皇をお待たせしちゃ失礼だ」
アカリが先陣を切って外へ飛び出し、ライムもまた、マントを翻して続いた。
だが、ココアだけが、なぜか反対方向へ悠然と歩き出す。
「ココアさん! 反対だよ!」
ライムが慌てて彼女の腕を掴み、連れ戻す。
「あれ? そうだっけ。ごめんごめん、相変わらず方向音痴で苦労かけるね」
「いいですよ、もう……」
(……僕らが再会するのに一年かかったのも、この人の方向音痴のせいなんだよな)
ライムはしみじみと思い出しながら、どんよりとした空の下、「死」が待つ玉座へと歩みを進めた。
神殿へと続く石畳の道は、すでに「戦場」の成れの果てだった。
崩落した建物の瓦礫が道を塞ぎ、その隙間からは、絶望を顔に張り付かせた挑戦者たちの死体が転がっている。鼻を突くのは、重く湿った血の匂いと、何かが焦げたような不快な臭気だ。
「もう、始まってるみたいだね。……少し、遅れちゃったかな」
アカリが、神妙な面持ちで血溜まりを避けた。
「ライムくん、さっさと行きなさい! こんな場所にいたら、合体ギミックを使うのを躊躇しちゃうでしょ?」
隣を歩いていたココアが、予告もなくライムの襟首を掴んだ。
「うわぁっ!?」
凄まじい遠心力と共に、ライムの体は宙を舞う。投げ飛ばされた先は、半壊した民家の屋根の上だった。ライムは不安定な瓦礫に爪先を立て、どうにか着地を決める。
「強引だけど、ありがとう!」
地上に手を振ると、ライムはすぐさま愛銃『リヴォルダガー』を手に取った。特殊パーツを連結させ、カチリと小気味よい金属音と共に八個のカートリッジを装填する。
キィィィィィィィン……と耳障りな充填音が響き始め、ライムは屋根を蹴って神殿を目指した。
地上を行くアカリは、軽やかに隣を走るココアに苦言を呈した。
「ココアさん。……投げ飛ばす必要、本当になかったんじゃない?」
「う~ん? そうかな~? その方が早く着くと思ったんだけどね~」
ココアは悪びれずに笑う。その直後、瓦礫の影から一人の兵士が槍を突き出し飛び出してきた。
ココアは歩みを止めることすらなかった。流れるような動作で、人差し指を兵士の喉笛へと突き立てる。
「……カ、ハッ……」
兵士が血を吹き出して倒れるのを一瞥もせず、彼女は歩き続ける。
「……のほほんとしてるのに、やってることがエグいよね」
アカリが呆れたように、けれど引きつった表情で呟く。
「えっ? 戦闘になったら当然でしょ。命を懸けてるんだもん、わかるよね?」
少女のような笑顔で言い切るココアに、アカリは背筋に冷たいものを感じながらも、愛用のピコハンを握り直した。
「……うん。私も『死事人』だ。そこは理解してるよ、もちろん」
屋根の上を疾走するライムの鼓膜に、乾いた銃声が突き刺さった。
――ッ!
反射的に体を捻ると、つい先ほどまで自分の頭があった場所を弾丸が通り過ぎ、石材を弾かせた。
「へぇ~。やるじゃん、強くなったなライム」
声の主を探して振り返ると、そこには見覚えのあるモジャモジャ頭の男が、銃口を下げて立っていた。
「……スパークさん。久しぶりですね。もしかして、僕を仕留めに来たんですか?」
ライムはダガーを構え、警戒を解かずに問う。
「釣れないこと言うなよ。まあ、俺は死事人の敵だったわけだし、仕方ないけどな?」
スパーク・スコーピオン。懸賞金10億、対死事人対策隊の隊長。彼は懐から取り出した棒状の飴を無造作に口に放り込むと、ふぅ、と煙を吐き出すような動作をした。
「相変わらず好きなんですね、その飴」
「別に好きじゃねえよ。禁煙中なんだ。仕方ねえだろ……」
スパークは面倒そうに飴を転がし、表情を和らげた。
「それよりさ。俺は敵じゃないぜ? 神皇には俺なりの恨みもあるしな」
「……じゃあ、なんで撃ったんですか?」
「お前があの程度も避けられないような奴なら、そもそも討伐なんて無理だろ? 試してやったんだよ、わざわざ言わせるな」
スパークは頭を掻きながら、神殿の方角を睨んだ。
「まあ、それはそれとして。こんな目立つ場所を進んでいく意図は何だ? 『どうぞ的にしてください』って意味か? 面白いな」
「いや……投げられたんですよ。ただそれだけです」
ライムの答えに、スパークは心底嫌そうな顔をした。
「あぁ……あの女と一緒なんだっけ。嫌だねぇ。じゃあ俺は行くわ」
「待ってくださいよ! 一緒に行きましょう、今は一人なんですから」
去ろうとする背中を追いかけるライムに、スパークは露骨に顔をしかめる。
「嫌だよ、お前といたら面倒事に巻き込まれそうだし」
ぶつぶつと文句を言いながらも、彼はライムの数歩前を歩き始めた。
「スパークさんがいると心強いです。……敵じゃなければ、ですけど」
「今は、敵じゃないってだけだ。また死事人になるなら容赦はしねえ……わかったか?」
釘を刺す声が鋭さを増した瞬間、スパークの空気が一変した。
「――おい。前方に四人。わかるか?」
彼は飴をガリリと噛み砕いて飲み込むと、口笛を吹きながら軽やかな足取りで曲がり角へと向かった。
後を追おうとするライムを「来るな」と手で制した次の瞬間――
乾いた銃声と、肉を断つ鈍い音が重なった。
数秒後、そこには四人の兵士が無残に転がっていた。
「この兜……。ふん、副団長クラスか。へぇ~、ここで副団長ね」
スパークは死体を一瞥し、ニヤリと笑った。
「兵士たちも神皇から距離を置かされてるな。神殿の奥へ行けば行くほど、案外手薄になってるかもしれねえぜ」
彼はライムの方を向き、その背中をドカンと叩いた。
「おい。ここを越えれば、意外にあっさり会えるかもよ。……『神皇』にな。さっさと行け。俺はこの辺で、少し残党と遊んでおく」
「さっきと言ってることが違いますよ。一緒に行きましょうよ!」
「遠慮するわ。俺、群れるの嫌いなんだ。じゃあな青年。せいぜい死ぬなよ。生きてたら神殿の中で会おう」
スパークはひらひらと手を振り、血の匂いが漂う路地裏へと消えていった。
「……また、後で」
ライムは彼が去った道を見つめ、再びリヴォルダガーの重みを確かめると、死体が転がる神殿への道を一気に駆け抜けた。




