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『百億の欠落者(ロスト)』  作者: 紅月ヨルカ


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1/8

神皇(しんのう)討伐戦

 空は、凝固した血のような鈍色に淀んでいた。

 自らを討伐せよと世界に嘯き、幾度となく開催されてきた「神皇討伐戦」。しかし、その玉座に指一本触れられた者はいない。挑戦者たちは、神皇――レオパルドヴァルヘルムに届く前に、物言わぬ肉塊へと変えられてきた。

「いよいよ、神皇と戦えるのか。……長かったな」

 ライム・レヴィアス(22歳)は、震える指先を隠すように拳を握りしめた。

「でも、一年前の僕とは違う。……そうでしょ、ココアさん!」

「えぇ~? その程度で吹っ飛んじゃうわけ?」

 突如、ライムの背中に衝撃が走った。隣に立つ賞金稼ぎ、そして自身も懸賞金20億をかけられてる賞金首ココア・フロートが指先で彼を突いたのだ。数メートル吹き飛び、地面を削って止まるライムを、彼女は涼しげな顔で見下ろす。

「勝てる気でいるなんて、すごい自信だね~」

「……おかしいな。能力が発動するはずだったんだけど」

 ライムは顔を引きつらせ、土埃を払いながら立ち上がる。

「敵じゃないって認識してたからかな」

「そんな不安定で大丈夫? まあいいけどさ」

 ココアは呆れたように肩をすくめ、彼に問いかけた。

「それより、武器の準備は?」

「あぁ、アカリさんが届けてくれるはずです。そろそろ――」

「ラ〜イ〜ムくん、あ〜そぼ♪」

 錆びついた扉を蹴破るような勢いで、明るい声が響いた。

 鍛冶屋のアカリだ。彼女は重厚な鉄の匂いを纏い、不敵に笑いながら歩み寄ってくる。

「装備を整えてあげたんだから、自分から取りに来るのが筋じゃない? いつからそんなに偉くなったんだい、君は」

「あはは……すみません、アカリさん。修行明けで余裕がなくて」

 ライムが頭を掻くと、アカリは担いでいた包みをドサリと下ろした。

「いいよ。……でも、本当にいいのかい? 異世界からの強者ですら、神皇の足元にすら辿り着けずに死んでるんだよ。なのに、この軽装備と……リヴォルダガーの強化だけで」

 アカリは、包みから取り出した二本の短剣を見つめた。

「ビームサーベル機能を削って、チャージショット特化の合体ギミック……。一度きりの大博打だね」

「ええ。……能力の特性上、近接よりも遠距離で道を切り開く必要がある。そのためには、これが最適なんです」

 ライムがリヴォルダガーを手に取ると、冷たい鉄の質感が覚悟を促す。

「ライムくんさ、回避とか防御ばっかり鍛えて、攻撃は武器任せなんて……本当に頑固だよね」

 ココアが横から口を挟む。その視線は、どこか遠くを向いていた。

「でも、その頑固さがなきゃ、あの絶望的な一年を生き残れなかったか」

「予備のダガーも仕込んであるけど、合体は一度きりだからね。……まあ、私もフィリアさんもサポートする。神皇の首までは、届かせてあげるよ」

 アカリが代わりに取り出したのは、場にそぐわないカラフルな「ピコピコハンマー」だった。しかし、そこから漏れ出る魔力は大気をピりつかせるほどに重い。

「うわあ……相変わらず頼りない見た目だね、アカリちゃんの武器」

 ココアが冷めた声を出すと、ライムが慌ててフォローを入れる。

「いやでも、破壊力は抜群ですから!」

「あはは、フォローはいいよ。……レンドさんを失って、みんなバラバラになった。あの時はライムくんを責めちゃったけどさ」

 アカリの目が、一瞬だけ鋭い憎悪に燃えた。

「元凶を討てると言うなら、私はなんだってやるよ。さあ、行こう。神皇をお待たせしちゃ失礼だ」

 アカリが先陣を切って外へ飛び出し、ライムもまた、マントを翻して続いた。

 だが、ココアだけが、なぜか反対方向へ悠然と歩き出す。

「ココアさん! 反対だよ!」

 ライムが慌てて彼女の腕を掴み、連れ戻す。

「あれ? そうだっけ。ごめんごめん、相変わらず方向音痴で苦労かけるね」

「いいですよ、もう……」

(……僕らが再会するのに一年かかったのも、この人の方向音痴のせいなんだよな)

 ライムはしみじみと思い出しながら、どんよりとした空の下、「死」が待つ玉座へと歩みを進めた。

神殿へと続く石畳の道は、すでに「戦場」の成れの果てだった。

 崩落した建物の瓦礫が道を塞ぎ、その隙間からは、絶望を顔に張り付かせた挑戦者たちの死体が転がっている。鼻を突くのは、重く湿った血の匂いと、何かが焦げたような不快な臭気だ。

「もう、始まってるみたいだね。……少し、遅れちゃったかな」

 アカリが、神妙な面持ちで血溜まりを避けた。

「ライムくん、さっさと行きなさい! こんな場所にいたら、合体ギミックを使うのを躊躇しちゃうでしょ?」

 隣を歩いていたココアが、予告もなくライムの襟首を掴んだ。

「うわぁっ!?」

 凄まじい遠心力と共に、ライムの体は宙を舞う。投げ飛ばされた先は、半壊した民家の屋根の上だった。ライムは不安定な瓦礫に爪先を立て、どうにか着地を決める。

「強引だけど、ありがとう!」

 地上に手を振ると、ライムはすぐさま愛銃『リヴォルダガー』を手に取った。特殊パーツを連結させ、カチリと小気味よい金属音と共に八個のカートリッジを装填する。

 キィィィィィィィン……と耳障りな充填音が響き始め、ライムは屋根を蹴って神殿を目指した。

 地上を行くアカリは、軽やかに隣を走るココアに苦言を呈した。

「ココアさん。……投げ飛ばす必要、本当になかったんじゃない?」

「う~ん? そうかな~? その方が早く着くと思ったんだけどね~」

 ココアは悪びれずに笑う。その直後、瓦礫の影から一人の兵士が槍を突き出し飛び出してきた。

 ココアは歩みを止めることすらなかった。流れるような動作で、人差し指を兵士の喉笛へと突き立てる。

「……カ、ハッ……」

 兵士が血を吹き出して倒れるのを一瞥もせず、彼女は歩き続ける。

「……のほほんとしてるのに、やってることがエグいよね」

 アカリが呆れたように、けれど引きつった表情で呟く。

「えっ? 戦闘になったら当然でしょ。命を懸けてるんだもん、わかるよね?」

 少女のような笑顔で言い切るココアに、アカリは背筋に冷たいものを感じながらも、愛用のピコハンを握り直した。

「……うん。私も『死事人』だ。そこは理解してるよ、もちろん」

 屋根の上を疾走するライムの鼓膜に、乾いた銃声が突き刺さった。

 ――ッ!

 反射的に体を捻ると、つい先ほどまで自分の頭があった場所を弾丸が通り過ぎ、石材を弾かせた。

「へぇ~。やるじゃん、強くなったなライム」

 声の主を探して振り返ると、そこには見覚えのあるモジャモジャ頭の男が、銃口を下げて立っていた。

「……スパークさん。久しぶりですね。もしかして、僕を仕留めに来たんですか?」

 ライムはダガーを構え、警戒を解かずに問う。

「釣れないこと言うなよ。まあ、俺は死事人の敵だったわけだし、仕方ないけどな?」

 スパーク・スコーピオン。懸賞金10億、対死事人対策隊の隊長。彼は懐から取り出した棒状の飴を無造作に口に放り込むと、ふぅ、と煙を吐き出すような動作をした。

「相変わらず好きなんですね、その飴」

「別に好きじゃねえよ。禁煙中なんだ。仕方ねえだろ……」

 スパークは面倒そうに飴を転がし、表情を和らげた。

「それよりさ。俺は敵じゃないぜ? 神皇には俺なりの恨みもあるしな」

「……じゃあ、なんで撃ったんですか?」

「お前があの程度も避けられないような奴なら、そもそも討伐なんて無理だろ? 試してやったんだよ、わざわざ言わせるな」

 スパークは頭を掻きながら、神殿の方角を睨んだ。

「まあ、それはそれとして。こんな目立つ場所を進んでいく意図は何だ? 『どうぞ的にしてください』って意味か? 面白いな」

「いや……投げられたんですよ。ただそれだけです」

 ライムの答えに、スパークは心底嫌そうな顔をした。

「あぁ……あの女と一緒なんだっけ。嫌だねぇ。じゃあ俺は行くわ」

「待ってくださいよ! 一緒に行きましょう、今は一人なんですから」

 去ろうとする背中を追いかけるライムに、スパークは露骨に顔をしかめる。

「嫌だよ、お前といたら面倒事に巻き込まれそうだし」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、彼はライムの数歩前を歩き始めた。

「スパークさんがいると心強いです。……敵じゃなければ、ですけど」

「今は、敵じゃないってだけだ。また死事人になるなら容赦はしねえ……わかったか?」

 釘を刺す声が鋭さを増した瞬間、スパークの空気が一変した。

「――おい。前方に四人。わかるか?」

 彼は飴をガリリと噛み砕いて飲み込むと、口笛を吹きながら軽やかな足取りで曲がり角へと向かった。

 後を追おうとするライムを「来るな」と手で制した次の瞬間――

 乾いた銃声と、肉を断つ鈍い音が重なった。

 数秒後、そこには四人の兵士が無残に転がっていた。

「この兜……。ふん、副団長クラスか。へぇ~、ここで副団長ね」

 スパークは死体を一瞥し、ニヤリと笑った。

「兵士たちも神皇から距離を置かされてるな。神殿の奥へ行けば行くほど、案外手薄になってるかもしれねえぜ」

 彼はライムの方を向き、その背中をドカンと叩いた。

「おい。ここを越えれば、意外にあっさり会えるかもよ。……『神皇』にな。さっさと行け。俺はこの辺で、少し残党と遊んでおく」

「さっきと言ってることが違いますよ。一緒に行きましょうよ!」

「遠慮するわ。俺、群れるの嫌いなんだ。じゃあな青年。せいぜい死ぬなよ。生きてたら神殿の中で会おう」

 スパークはひらひらと手を振り、血の匂いが漂う路地裏へと消えていった。

「……また、後で」

 ライムは彼が去った道を見つめ、再びリヴォルダガーの重みを確かめると、死体が転がる神殿への道を一気に駆け抜けた。

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