祖母のアトリエと謎の薬草
ラウルとの再会を果たし、自分のスキルを認められたメルティの胸には、新たな期待が満ちていた。
祖母の錬金部屋、通称アトリエへの扉が、ようやく開かれようとしていたのだ。
実のところ、メルティは鍵を手に入れたが、まだそのアトリエに足を踏み入れてはいなかった。
父親からアトリエの鍵を譲り受けたのは長期休暇に入る直前のこと。つまり、学年末試験もまもなくの時期だった。
ここ数ヶ月、メルティはスキルを試したり、傷薬作りに掛かりきりになっていた。薬草を調べ、薬草採取に時間を費やし、自室で調合を繰り返す日々。
特に祖母の手引書を見つけてからは益々のめり込んでいった。その熱中ぶりは学校の勉強を疎かにするほどだった。授業には出ていたものの、最低限しか復習していなかったため、学年末試験に臨むには不安が残っていた。
この地を治める領主の娘として、半端な成績では格好がつかない。ましてや、長姉マリエルや兄ミカエルは、常に優秀な成績を収めてきた。次女ミレーナだって低い点数を取ったのを見たことがない。メルティもまた、家族の期待に応えたいという思いがあった。
「アトリエは試験が終わってから!それまで我慢!」
メルティは、そう自分に言い聞かせ、アトリエの鍵を机の奥にしまい込んだ。祖母のアトリエを自分へのご褒美として来たる学年末試験への勉強に集中する。
そして、その努力が実り、試験を無事に乗り越えることができた。成績は飛び抜けて良いという事はなかったが、恥ずかしいと思うほどでもない、及第点だった。
長期休暇に入り、ラウルと再会し、長年の約束も果たした今、メルティの心は祖母のアトリエへの期待でいっぱいだった。
(さあ、お祖母様のアトリエへ行こう!)
メルティは、机の奥からしまい込んだアトリエの鍵を出して、足取り軽くアトリエへ向かう。
重厚な木の扉の前に立つと、かすかに薬草と古い紙の匂いがした。扉の向こうに広がる、祖母の、そして自身の魔法薬作りの世界に、彼女はゆっくりと手をかけた。
鍵穴に鍵を差し込むと、ほんの少し魔力を吸われたような、奇妙な感覚がした。そのまま鍵を回すと、小さく「カチリ」とどこか軽い音が響き、アトリエの封印が解けた。
木の扉をゆっくりと開くと、アトリエからは古い薬草と埃、そしてかすかに魔道具の香りがした。中央には大きな作業台、壁には年代物の書棚が所狭しと並び、見たこともない奇妙な形状の瓶や図鑑で見た魔道具──すべてが祖母の存在を色濃く残している。ここが、魔法薬作りの腕が振るわれた神聖な領域。メルティは胸の高鳴りを抑えきれずに、一歩足を踏み入れた。
早速、何から手をつけるべきか、メルティは目を輝かせた。傷薬は作れるようになった。ならば、次は少し難しいものに挑戦したい。
その時、ふと父親が前に話していたことを思い出した。
「お前の祖母の作る栄養剤は、効き目は抜群だったが、とにかく不味かったんだ。薬と分かっていても、飲み干すのに一苦労でな…」
父親がそんな風に気軽に飲まされていたのなら、材料もそこまで貴重なものではないかもしれない。メルティは、書棚に並んだ古びた書物の中から、祖母が残したと思われる一冊を手に取った。
『ヘーゼルコート家秘伝・日々の健やかさの妙薬』
ページをめくると、いくつかの魔法薬のレシピが記されていた。その中に、父親が話していた栄養剤らしきものを見つける。
レシピに記載された薬草と手順を読み進める。薬草の種類が増え、それに伴い下処理や工程も多いものの基本的な調合術で何とかなりそうな内容だった。ほとんどの薬草は馴染みのあるものか、聞き覚えのある薬草ばかり。時期が異なる薬草も次女ミレーナの手を借りれば手に入りそうだ。しかし、一つだけ聞き慣れない薬草の名前があった。
「月光の雫……?」
メルティは首を傾げた。薬草辞典を引っ張り出して調べても、その名はどこにも載っていない。おかしい。父親の話しぶりでは結構な頻度で飲んでいた。そんなに使われる魔法薬の薬草なら、必ず記載があるはずだ。冒険者ギルドに傷薬の納品のついでに足を運び、受付嬢に尋ねてみたが、「うーん、聞いたことあるような、ないような…ただ、この地域で採取可能な取扱い一覧には載ってませんね」と首を振られるばかりだった。
効能から推察するに、この栄養剤には必須の薬草だ。しかし、そう貴重なものとも思えない。メルティはアトリエに戻ってレシピの挿絵をじっと見つめ、頭を捻った。
その日は進展がないまま、アトリエを後にした。
***
翌日、ラウルをアトリエに招待した。
ラウルなら部屋の物も大事にしてくれると信頼している。勿論、家族は皆、小屋の中に入り、祖母の存在が色濃いアトリエを懐かしく思った。
メルティの中で、この大事な空間に招きたいと思えるのは家族以外ではラウルだけだった。
ラウルもその信頼を損なうような事はしない。それは商人としての誠実さというよりも、メルティを大切に思う心からくるものだった。だからこそ、彼はメルティの大切な場所を心から尊重する。
「招待ありがとう、メルティ」
「いらっしゃい、ラウル!」
アトリエの中の、珍しい魔道具に目を輝かせるラウルと、いつもとは役割が逆で色々説明するメルティ。
すると話は今悩んでいる新しい魔法薬の話題になった。
その栄養剤のレシピの箇所を広げると、ラウルも覗き込む。
「ん?これ、“灯火の露草”じゃないか?」
ラウルは、挿絵の描かれた薬草を指差して言った。メルティは驚いて顔を上げる。
「灯火の露草?でも、ここには“月光の雫”って書いてあるよ?」
ラウルは苦笑した。
「ああ、昔はそう呼ばれてたんだ。仄かに光るから月の光を集めてるって思われてたらしい。
だけど、研究が進んで周りの魔力を集めて放出してるって分かったんだ。だから、今はもう月とは関係ないってんで、紛らわしいってことで改名されたんだ」
ラウルの説明は続く。
「当時は発見されたばかりの薬草で注目されてたんだ。一大ブームが起きて、一時期は月に当てたら効力が増す、だとか、今では眉唾物の話が多かったらしい。で、一攫千金を夢見て、夜な夜なこの薬草を月光浴させては全く効能が変わらないのに落胆する人たちが続出したとか。そんな話、前に商人仲間から失敗談として聞いたことがあったな。それで大損した商会もあったらしいよ」
メルティは思わず吹き出した。そんな昔話があったなんて。
「そのやらかしのおかげで、皆が前の名前を避け、新しい名前を積極的に使うようになったんだ。一連の騒動で大損した商会が、イメージ払拭のために新しい名前の定着に一役買った、なんて話もあるくらいだしな。余程恥ずかしい話だったんだろうね。
とはいえ、この灯火の露草は応用が利く優秀な薬草だ。生態が判明してからは多くの地域で栽培され、今では割とどこでも見かけるよ」
ラウルの記憶力と、彼が日頃から集めている情報の幅広さにはいつも驚かされる。彼は道端の世間話や過去の失敗談に至るまで、商売に役立つ可能性のある情報を決して聞き流さない。彼の《直感》スキルが、そうした“なんとなく重要そうな情報”を選び取っているのかもしれない、とメルティは思った。
これで、材料の謎は解けた。
あとは、この”灯火の露草”を含めた薬草を集めるだけだ。
メルティの心は、新たな魔法薬作りへの期待、そしてすぐにも作業に取り掛かりたいという抑えきれない情熱で、熱く高鳴っていた。




