不穏な雨
お待たせ致しました!
「雨…止まないなぁ…」
しとしとと静かに降り続ける雨を窓越しに眺めながらメルティはぼんやりと呟く。
最近、ヘーゼルコート領を始めとしたこのあたりの地域では珍しく雨が長引いていた。この時期は雨が多い季節とはいえ、例年よりずっと長く雨雲が停滞しているのか、絶えず降り続けている。
ラウルへの納品分の傷薬の調合をこなし、最初の納品を無事終えたメルティは、開放感と達成感からか脱力していた。
まとまった数の傷薬の調合を直前までこなしていた為、机の上は少々散らかっている。
どうにか最低限片付け、気を取り直して他の魔法薬を作ろうとも思ったが、この続く雨の影響か、どうにも億劫で気が乗らない。
この前まで傷薬の試行錯誤でかなりの数の薬草を消費したこともある。
まだまだ在庫を残しているが、同じ調子で調合するのは憚られた。
勿論、それに見合う成果だと自負しているが、この長雨で新たに薬草採取へ行けないのだ。
(まだたくさん傷薬の材料はある、けど、流石に減ったなぁ〜…)
手持ち無沙汰でなんとなく本を開くも頭に入らない。空は相変わらず濃い灰色の雲に覆われて日中でも薄暗く、それに引きずられるように気分も晴れずにいた。
(最近忙しかったし疲れたのかなぁ…?なんかやる気起きない〜〜)
開き直って別のことをしようにも何も思いつかず、とうとう机に突っ伏した。行儀悪く片手でパラパラとページをめくるだけ。
すると、
コンコン…
ドアを叩く控えめなノックの音が響いたのは、そんな時だった。
だらしなく突っ伏していた体を起こし、入室の許可を出す。
(流石にお母様に知られたら怒られちゃう!)
「ど、どうぞ!」
「メルティお嬢様、旦那様がお呼びでございます」
「あ!うん。分かった!お父様は執務室?」
「いえ、小会議室へお向かいくださいませ」
執務室ではなく小会議室ということは、メルティ個人への話ではなさそうだ。何かやらかした小言ではなさそうだが、いつもは使われない小会議室への呼び出しに嫌な予感がした。
(もしかして、この雨で何かあったのかな…)
頬に机の跡が残っていないか確かめてからアトリエの扉を開く。
変わらず降り続ける雨を横目に、長雨の対策かもしれないと考えながら小会議室へ急いだ。
***
アトリエは屋敷の端にあり、小会議室と離れている。
その為、メルティが小会議室に着いた頃には既に全員集まっているようだった。
そこには父の他、家族全員と執事長、自警団や冒険者ギルド職員など、幾人も揃っていた。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「いや、急に集まってもらってすまないね。これで皆揃った。席についてくれ」
姉たちの席の空いていた隣に座り、改めて見渡すと皆どこか緊張感のある顔をしていた。
(ただ事じゃなさそう!)
「コホン…」
咳払いをひとつ、緊張した面持ちで父が話し始めた。いつもの穏やかな顔とは違う、領主の顔だ。
「会議を始める。
先程、冒険者ギルドからの報告で北方の山間部でネズミモグラの痕跡が多数見つかったらしい。
ネズミモグラはずっと北が生息地のモンスターだ。この雨で南下してきた可能性が高い」
確かネズミモグラは穴を掘って巣にしている小型のモンスター、だったはず。一匹だったら冒険者になりたてでも倒せるほど弱いが、集団で行動している為ソロでは討伐に向かないと聞く。数が多くなると地盤が緩くなりやすく、田畑への被害も大きい有害モンスターとして討伐対象だ。しかし、ヘーゼルコート領では目撃例が少ない為、メルティも話に聞いただけだ。
そんなモンスターが多数現れるなど、確かに異常事態だ。
「冒険者ギルドより追加報告です。
今朝方、C級冒険者よりネズミモグラの集落を発見したとの報告がありました。モンスターの数は未確認だが、場所が悪い。改めて討伐隊を編成し駆除したほうが良さそうです」
「自警団より報告です。この長雨で川が増水していますが、今のところ決壊の心配はなさそうです。
しかし、湿原からポイズンフロッグや湿原リザードが移動してくる可能性が高いとの見解です。こちらも念の為、確認願います」
続々と不穏な情報があがる。
兄ミカエルは眉間に皺を寄せながら地図の報告された箇所に印を付けていく。
ひと通りの報告が終わると、特に北方に危機が集まっているのが目に見えて分かった。
「ふむ…
まずは報告通り、冒険者ギルドでネズミモグラの討伐を頼む。この悪天候だ、斥候を多めに緊急依頼として事に当たってくれ。
自警団は引き続き川の氾濫に注意しながら見廻りを頼む。何か変化があればすぐ報告を」
「了解した」
「ミカエルは定期的にスキルで異常がないか確認してくれ。特に北方の山間部の方角だ。ネズミモグラが巣を作っているなら地盤が緩んでいる可能性が高い」
「分かりました。ですが、私のスキル範囲はそう広くない為、まだモンスターの痕跡が引っ掛からないのです…」
兄ミカエルのスキル《領域感知》は領域内の異常を察知出来るが、まだ領民の暮らす生活圏内が中心で、日々広げようと試行錯誤しているが、ヘーゼルコート領全域は難しいという。
「焦るな。お前のスキルは保険だ。領民に被害が出かねない一線を判断する為のな」
「わ、分かりました…!」
領内警報の発信機を握りしめ、頷くミカエル。
「マリエルは冒険者ギルドと連携し、いざという時の避難場所や治療薬の確保を頼む」
「ええ。お任せくださいな」
「ミレーナもマリエルを補助して、足りなければ薬草の用意を頼む」
「分かりましたわ。丁度先日、治療薬の薬草の整理をしておりましたからすぐにでも用意出来ますわ」
「頼もしいわね」
「メルティは、領民の確認を頼む。川の近くは自警団が見て廻るから、それ以外の、特にお年寄りに異常がないか直接声を掛けてくれ」
「わ、わかりました!」
「それでは皆、安全第一に。気を付けて行動して欲しい。何かあればすぐ報告してくれ!!」
それぞれが己の役割を胸に刻み、動き出した。
***
(ギルドの治療薬…私が作った傷薬もある、よね…)
自室で見廻りの準備をしながら脳裏を過ぎるのは過去に冒険者ギルドに納品してきた傷薬のこと。
冒険者ギルドでは一定の品質以上であれば買い取ってくれる。その為、スキルを得てからずっと調合した魔法薬を納品してきた。
流石に初期の傷薬は既に使われているだろう。
それでも、ごく最近までメルティの傷薬の品質は並か、少し上質程度。それに――――
コンコン…
「メルティ?準備出来たかしら?」
出発前に様子を見に来た姉ミレーナ。
室内にはメルティがひとり、雨具を握り締めて俯いていた。
「メルティ、大丈夫?どうかしたの? 」
姉の優しい声に、メルティの強がりがふっと解けた。
「……あのね、お姉様。私、気づいちゃったの。多分……ううん、絶対、今までギルドに納品した分でも、効果にムラがあったと思う」
「……ええ」
「だけど、あの頃の私は『まだ作り慣れてないから』って言い訳して、なんでムラがあるのか、ちゃんと考えてなかったなって……でも、もし今度の騒動で私の薬が必要になったとき、そのムラのせいでちゃんと治らなかったらって思ったら……」
メルティの声が少しだけ震える。ミレーナは静かに歩み寄り、妹の肩を抱き寄せた。
「大丈夫。ギルドでちゃんと納品出来ていたのでしょう?効果のない魔法薬は納品出来ないわ」
「でも…」
「気づけたのなら、ちゃんと今の貴女が作れる最高品質の物を作りなさいな。この魔法薬は試験の為のものじゃない。人様が痛い思いをしているときに使うものよ。貴女なら出来るわ」
「うん…」
「今の、貴女が出来ることは?」
「…領内のおじいちゃんやおばあちゃんたちが困ってないか確かめること……」
「ええ。それはとても大事な事よ」
「……うん! お姉様、ありがとうございます!頑張ります!」
「その調子よ。でも、頑張り過ぎて怪我しないこと。良いわね?」
「はい!」
姉の体温に背中を押され、メルティの瞳に再び光が宿る。今の自分は薬師ではなく領主の娘のひとりとして皆の安全を守らなければならないと動き出したのだった。
***
早速メルティは一軒一軒、お年寄りの暮らす家に声を掛けていった。
ヘーゼルコート領は広い領地とはいえ、山や森などの自然が大部分を占めている。また、お年寄りのみで暮らす家はそこまで多くない為、メルティだけでも十分廻りきれる。
それに、ヘーゼルコート領は領民との距離も近く、日頃から兄や姉も一緒に可愛がられてきた背景がある。だからこそメルティはそんなお年寄りたちが心配で、自然と足が速くなっていく。
漏れがないようにリストを照らし合わせながら、雨漏りなどがないか、体調の変化はないか、燃料や食料の不足はないか等、不備がないか丁寧に確認し、また何か変わったことがないかも尋ねていった。
幸い、軽い風邪や多少の雨漏りはあったが酷い被害はなく、皆不安そうではあったが概ね問題なさそうだった。
体調を崩した人には医者の手配を、雨漏りの被害には応急処置の手配を、と聞き取り結果と合わせてリストへ書いていく。
気になるのは、2、3日程前から時々変な匂いがすると話す人がいたことだ。聞かれるまで忘れていたが、北のほうから匂いが流れて来ているんじゃないか、と。他の人も何日か前から変な匂いがして、最初より匂いが強くなっている気がする、と。
複数人の似た証言に嫌な予感がしながら、最後のお年寄り宅へ向かう。
(今は、特に変な匂いしない…かも?報告にあったモンスターの匂いとかかな…雨の匂いに紛れて良く分かんない…)
これから向かうのは、領の外れに住むちょっと癖のあるお婆さんだ。メルティの祖母と同年代だからか領主の子であっても他の子どもたちと分け隔てなく接し、メルティたちもまた懐いてはいるが、領主である父もまた未熟な頃を知られているからか頭が上がらない、そんな矍鑠としたご老人である。
そんな彼女は住宅の中心地よりずっと北方の森に近い場所に居を構えている為、他の人より異変を察しているかもしれない。
体調を悪くするお婆さんの姿は想像できないが、まずは様子を見ようと駆け出す。心なしか朝より雨雲の色が濃くなり、雨脚も強くなってきたようだ……
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