等身大の歩み
あの大失敗のあと、メルティは憑き物が落ちたようだった。これまで地に足がついていないような、どこか浮足立った落ち着かない雰囲気だったのが、あの大失敗を境に一変したのだ。
今の彼女は、あのアクシデントに対応するための“鎮静剤”や、副作用を抑えるための補助的な魔法薬を中心に、一から知識をさらい直している。
メルティは駄目になったノートの代わりに新調した調合ノートに、今度こそ慎重な筆致でペンを走らせるのだった。
***
大失敗の直後、メルティは密かに怯えていた。
被害が屋敷内で収まったとはいえ、あのような騒動を引き起こしたことで、薬師三級の資格や二級の受験資格を剥奪されるのではないかと不安だったのだ。
しかし、その不安を父に吐露したとき、返ってきたのは意外な言葉だった。
「ははっ、この程度で資格剥奪なんてそれほど厳しいことにはならないさ」
「……でもお父様。今回は運良くラウルや皆がいたから収まっただけです。あんなにやらかしたのに、本当にお咎めなしなんですか?」
「いやいや、あの失敗では後遺症が残るような被害は何も起きていないだろう?
資格剥奪やスキル封印といった重い処罰が下されるのは、分かりやすくいえば人が死んだり、取り返しのつかない後遺症を負わせたりした場合、あるいは悪意に満ちた意図的な犯罪が主だ。薬師なら重篤な悪影響のある魔法薬を偽って広めたりとかかな。今回はそのどれにも当たらない」
「そうなの、ですか……?」
「ああ。規模こそ派手だったがね、この程度はメルティの年頃によくある失敗さ」
父がさらりと言ってのけたことにメルティは目を丸くした。
「え……!」
メルティは呆然と父を見上げた。
自分は取り返しのつかない大罪を犯し、未来が閉ざされたのでは、ずっと不安だったのだ。それが「よくあること」の一言で片付けられたことに驚きと安堵が込み上げてきた。
「ミカエルだって昔はやらかしているんだ。
覚えているかな、ミカエルのスキルが判明して半年後あたり、彼がひどく寝込んだだろう?」
言われてみれば、そんなことがあった。いつも冷静な兄が何日も部屋から出てこず、子供ながらに心配した記憶がある。
「ミカエルのスキル《領域感知》は、意識したエリアの状況を把握する能力だ。彼は通常時の状態を確認し、またその有効範囲を広げようとして領内を歩き回り、意識を研ぎ澄ませ続けた。体力と魔力の限界までね」
「あ……もしかして……」
「そう。自分の限界が分からず、魔力欠乏で倒れたんだよ。体力も尽きていたから回復にも時間が掛かってしまった。
ミカエルの場合、周囲が異変に気付きにくいスキルな上に、あいつは一人で何でも背負い込む癖があるからね。私も気が付くのが遅れてしまった。幸い、後遺症もなく回復したが……新しく得た力というものは抗いがたい魅力だが、それに振り回されてはいけないということだ」
「はい……」
「なーに、よくあることと言っただろう? この程度の失敗なら誰もが通る道だ。せいぜい、大人になってもからかわれるくらいさ!」
「そ、それも嫌です~~!」
父のからかうような笑い声が響く。
勿論そんな父も当然の如く少年時代にやらかしている。本当によくあることなのだ。
メルティの心に居座っていた重い石が、少しだけ軽くなった気がした。
……それでも、時々父との会話を思い出してはありがちな失敗という事実と、父のからかうような笑い声を思い出し悶絶しそうになるが、以前よりはずっと落ち着いて調合ができるようになってきた。
―――ちなみに、拠点移動の片付けをしていたラウルにも、似たような話を聞いてみたのだが。
「ラウルもスキルで失敗ってしたの?」
「俺かぁ……」
ラウルは片付けの手を止め、なんとも言えない複雑な表情で遠くを見つめた。
「俺は、兄さんも似たスキルだったからなぁ……」
「?」
「……あくまで、どのくらい《倉庫》に入るのか確かめたかっただけなんだ。別に浮かれてスキルを使ってみたかった訳でも、遊んでた訳でもない。検証だよ、検証。それで、川の水をひたすら出し入れして試していたところを兄さんに見つかってね」
「川の水を?」
「『ただ入れているだけなら容量が分からないだろう。岩や魚はどうした。入れたものをどの程度認識しているんだ。魚が入ったなら生物も収納可能なのか』……と、細かく聞かれてね。そのまま検証と実験の繰り返しだよ。気付けば父さん主導でスキルの猛特訓さ。
《倉庫》スキルはウェルズ家の家系のスキルだからな、伸ばし方も家族が1番よく分かってるんだ」
「……」
「つまり、はっちゃける余裕なんて微塵もなかった」
「……うん。お疲れ様」
「……ありがとう。まぁ、商いで食ってる家族だからな。使えそうなスキルなら徹底的に叩き上げて商いの幅を広げる。しかもスキルの系統も伸ばし方も熟知しているんだ。効率的で至極まっとうな教育だったよ」
どこか煤けたように思いを馳せるラウルに良い掛ける言葉が思い浮かばない。
「ただまぁ、同級生が楽しそうでちょっとだけ、羨ましくなったかな…」
その後、少しの間にはなるがメルティは乾いた笑いのラウルの背中を黙って撫でていた。
失敗してあんな騒動になるのは恥ずかしかったが、親兄弟に徹底的に管理されて猛特訓され、失敗する前に芽を摘み取られ、効率的に叩き上げられるというのも逃げ場がなくて息が詰まりそうだ。
自分も、ラウルも、そして兄も。
誰もが自分の力に戸惑い、失敗しながら進んでいく。
(堅実に頑張ろう!
まずはこの前の失敗の挽回から手を付けなくちゃ!)
***
そうして励み、時には家族とゆったりと過ごして生来のメルティらしさを取り戻した頃には、アトリエの悪臭もすっかり消えていた。
あらゆる消臭剤や芳香剤を試し、失敗作が特殊だったがゆえに確実に効果が出るものが中々見つからなかったが色々楽しんで試すことが出来たのもまた良い経験になった。
そんな試行錯誤が功をなし、今では乾燥した薬草の清々しい香りがアトリエ内を漂っている。
失敗前の状態に戻ったアトリエでこの日メルティは、作業台に並んだ道具を一つずつ食い入るように見つめていた。
これらはすべて、亡き祖母から譲り受けた大切なものと、《調合》スキルを得て自分用に誂えたものたちだ。
これまでは「おばあちゃんが使っていたものだから」「新品だから」と、多少のメンテナンスはしつつもそのまま使い続けてきた。
勿論、失敗で使えなくなったものは新調し、またこびり着いた魔法薬は丁寧に除去したつもりだ。
(これまでレシピ通りに丁寧に調合してきたつもりだけど、ちゃんと道具の癖を把握していた訳じゃない…)
思えばスキルで強引に完成させてきたのではないか、スキルにばかり意識が向いていて肝心の道具のメンテナンスが不十分だったのが失敗の一因ではないかと考えたのだ。
思えば、魔法薬作りの名人だった祖母の道具を使えば、自分も魔法薬作りが上手くなったような錯覚に陥っていた。
その心の甘えを自覚した今、メルティは一度徹底的に道具と向き合い、その「癖」を細かく把握することにしたのだ。
(完璧な理論を身につけられても肝心の道具が不具合起こしたらまた失敗しちゃう!またパニックになってリカバリー出来ないかも…そうならない為に道具も大事にしなきゃ!)
例えば、長年使われたこの調合釜は、右側の熱伝導がわずかに早い。底を触ってみると少し歪みがあった。
これまで調合釜を始めとした道具は当然のように持ち主であるメルティの力を十全に発揮するものと思い込んでいた。だが、祖母が何十年も使い込んだ釜には彼女の癖が染みついていて、彼女に使いやすくなっているようだった。
失敗したあの日、魔力の暴走を抑えきれなかったのは、その「道具の個性」をメルティが無視して力任せにスキルを叩き込んだからではないか。
「よしっ!まずは調合釜の手入れから始めよ!」
メルティは専用の布と磨き粉で調合釜を磨き上げ、熱伝導が均一になるように手入れを始めた。
続いて計量器の水平を微調整し、濾過用の網に詰まりがないかをひとつひとつ丁寧に確認していく。
不器用な自覚があるからこそ、不確定要素を一つずつ潰していくことにしたのだ。
「………これで、今は大丈夫、かな?
定期的にメンテナンスしなきゃ…月初めとか決めたらいいのかなぁ?」
ひと通りメンテナンスを終え、忘れないようにスケジュールに記す。
(私は失敗を繰り返さない大人になるんだもの、道具の管理もちゃんとしなきゃね!)
道具を整え終えたメルティが次に取り組んだのは、最も基礎的な魔法薬の見直しだった。
「まずは、材料も工程も少ない“傷薬”から。
……当たり前だと思っていたことを、全部疑ってみよう」
彼女がまず目をつけたのは、調合に欠かせない“浄化水”だ。
これまではレシピ通りに常温で使っていたが、ふと疑問が湧いたのだ。温度を変えれば効果も変わるのだろうか?
沸騰させれば浄化作用が失われると記述があるが、沸騰直前ならどうなるのか。あるいは、逆に冷やしたら。一度凍らせた氷を溶かして使ったら。
アトリエには水の変化を精密に観測する装置はない。けれど、実際に調合して出来栄えを比較すれば、何かが掴めるはずだ。
メルティは、浄化水の温度だけを変えた傷薬をいくつか試作してみた。
その結果、驚いたことに「常温の浄化水」を使ったものが最も高い効果を示したのだ。
「……なるほど。これは“常温”が良いというより、他の素材との温度差がないことが重要なのかもしれないわ」
素材同士が反発せず、スムーズに魔力が混ざり合うための「温度」。
レシピに書かれた何気ない一行の裏側に隠された「理由」に気づいた瞬間、メルティの胸はときめいた。
実験はさらに続く。
光苔や快復草も、あえて成長度合いが異なるものを揃え、それぞれで調合を繰り返した。姉ミレーナの《植物成長促進》スキルで成長させたものと、野生のものとの比較…思いつくのは色々試した。
熟練の薬師なら見ただけ、触れるだけで最適な素材を選別できるという。しかし、今のメルティにその域は遠い。
(熟練の『勘』がないなら、実験による『裏付け』を作ればいいんだわ)
なぜその成長度合いが良いのか、なぜその温度なのか。
祖母の遺した文献には答えがなかった問いに、自らの手を動かして答えを出していく。その過程は派手な魔法の行使よりもずっとメルティの性に合っていた。
そうして導き出した「最適な状態」の素材を厳選し、今度は最高の傷薬を目指して、一工程ずつ、祈るように丁寧に調合を進めていく。
「《調合》……!」
完成した傷薬は、素材を無作為に選んでいた頃のものとは、明らかに違っていた。
魔法薬の透明感や色味、漂う魔力の安定感、そして鑑定結果が示す治癒効率。
全てにおいて間違いなく過去最高の出来だ。
これまでの自分の限界を頭ひとつ飛び越えたものとなったのだ。
「やったぁ……!」
一人、アトリエで小さくガッツポーズをする。
背伸びをして二級の難題に挑み、爆発させたあの日。
けれど今、目の前にあるのは、基礎を突き詰めたからこそ到達できた「自分史上最高」の成果物だった。
自分の力で失敗を乗り越えられたような気がして、その日、メルティは完成した“傷薬”をいつまでも見ていた。
***
数日後。
メルティは、続いて完成させたいくつかの傷薬の小瓶を携えてラウルの元を訪れた。
騒動の際、彼がいなければ被害はもっと拡大していただろう。これはその時のお詫びと、遅くなったが拠点開設のお祝いだ。
「これ、受け取ってくれる?
お詫びと歓迎の意味を込めて、今の私が作れる最高の傷薬なの」
ラウルに手渡すと、彼は少し驚いたように小瓶を透かして見た。
「……あの時のお詫びか?別に良かったのに。
まぁ有り難く受け取るが…」
「ただの傷薬じゃないわ。素材の選別から温度管理まで、一から全部確認して導き出した最高傑作なんだから!
ほら、これが鑑定書。これだけ効果あるんだよ!」
メルティの言葉に、ラウルは一人の商人として真剣な眼差しで渡された傷薬を観察した。
「不純物がほとんどないな。以前見た傷薬より込められた魔力が多そうだ……メルティ、お前、この短い間にまた腕を上げたか?」
「腕というか……歩き方を変えてみたの。不器用なりに、確実な歩きにね」
メルティは、誇らしげに胸を張った。
丁寧にメンテナンスした道具は期待に応えてくれる。
要領が悪いなら、その分時間をかければいい。
勘が働かないなら、その分知識と経験で補えばいい。
あの大失敗は、彼女に「等身大の歩き方」を教えてくれたのだ。
「なあ、メルティ。これ……一個の『商品』として取引させてくれないか?」
ラウルが小瓶を太陽に透かした瞬間、空気が変わった。
いつもメルティに向ける柔らかな眼差しが消え、底の知れない「商人の目」になる。初めて自分に向けられたその冷徹なまでの真剣さに、メルティは思わず背筋が伸びた。
「傷薬はどこにでもあるが、ここまで純度が高く、魔力の安定したものは希少だ。効き目が確実なら高くても命を預ける冒険者は必ず買う」
ラウルの言葉に偽りはなく、傷薬は自作して使う事が多い。市場には自作出来ない者が買うだけの、人気のない商品だ。腕がある薬師は当然、より高価で複雑な魔法薬を調合する為、結果単価の低い傷薬は効果の薄いものしか出回らない。
「!ほんと?ほんとに私の作った傷薬、商品になる!?」
「勿論!商売になると判断したから提案したんだ。
どこにでもある傷薬を、誰もが真似できない精度で仕上げる。これは立派な『ブランド』だ。
メルティの負担にならない量で構わない。正式に売買契約を結ばせてくれないか?
ああ、契約するなら当然、領主様に契約書をみてもらう」
「う、うん!契約する!!」
「こら!安請け合いするな!ちゃんと契約書を読まないと駄目だろ!!」
「え、でもラウルだし、」
浮かれるメルティの額をラウルが軽く小突く。
「『ラウルなら大丈夫』なんて顔で契約書にサインしようとするな!契約書を読まないなんて以ての外だ!
商売相手なら、たとえ俺が相手でも疑ってかかれ! いいか、契約の基本は――」
和やかな空気だったのが一変、ラウルによる契約の恐ろしさを叩き込むスパルタ講座が行われるという一幕もあったが、無事領主であるメルティの父の元、契約が結ばれる事となった。




