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民国エレジー  作者: 上村至幸
台湾の思い出編
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第4話 遥かな地で遠くを眺める

台湾で中学校に通っていた頃、大人の口から孫文先生の偉大な業績を聞いたことがある。当時の台湾は日本帝国の植民地支配下に置かれ、人々はおどおどとした、生計も立たないような卑屈な生活を強いられていた。


日本帝国の灰色の覇権支配の下で、人々は自由と尊厳を失い、この土地の活力は次第に枯渇し、心は様々な圧迫政策や陵辱、搾取に苛まれ続けた。


主権も人権も次々と失われていく台湾で、ある少年の顔には、依然として固い決意が輝き、希望を込めて海の向こう側をじっと見つめていた。


当時の中華大地も、台湾と同じく空を覆う蝿の大群のような災難に襲われていた。かつては諸国から朝拝を受けた「東洋の皇帝」のように、激しい砲撃で国門を開かされ、「恩恵」と称して野心家たちが押し付けた「贈り物」を受け入れざるを得なかった。古い中華の大地には阿片の毒が血管にまで蔓延し、冷酷な鉄蹄が勝手に踏み荒らされ、九五至尊の龍椅は戦火の中で哀惜の色を帯びていた。


人々は飢餓に悩まされ、貧困に陥り、さらに清朝政府の不作為と貪欲さに耐えかね、奴隷のようにひざまずき、枷鎖に縛られた者たちが、共通の信念のもと集まり、「清朝政府を倒せ」という旗を掲げ、中華の大地を救う崇高な使命を背負い、一時は塵埃が舞い上がり、蜂起の声が雲集した。


その中には、水深火热の同胞を救うために、自らの命を捧げる覚悟で臨む者たちがいた。当時、遠く台湾にいた元清川という少年は、そうした志士たちを心から崇拝する者の一人であった。そして、彼が最も尊敬していたのが、孫文先生であった。


1905年8月20日、孫文先生は黄興・宋教仁らと共に、天下の志士を呼びかけ、「韃虜を駆逐し、中華を回復し、民国を創立し、地権を平均する」という革命の理念を掲げ、日本東京で中国同盟会を設立した。そして毅然として国家救済に乗り出し、清朝という頑固な弊害を取り除く運動に身を投じた。


その年、元清川は13歳であった。


台湾の大地に住む元清川は、遠く離れた海外から帰ってきた人々の口から、孫文先生を筆頭として東京で同盟会が創設されたというニュースを耳にした。


その日、元清川はいつも通り学校の授業を終えると、一人で海岸へ走り、遠くを眺めた。血盆の口を開けるように、自分を育んできたこの土地を植民地支配し、悪魔のように不気味に存在する国——そこに孫文先生がいるのだ。

「ああ、早く大きくなりたいな。そうすれば孫文先生のそばに行けるのに。」


元清川はこの思いを胸に、学校で飢えるように知識を吸い込み、細い体を鍛え上げていった。挫折に直面するたび、いつもの場所へ行き、海風を浴びながら、まるで孫文先生の息吹を感じているかのようだった。


「お母さん、帰ったよ。」

元清川が目の前のチャイナドレスを着た中年女性をじっと見つめた。美しい顔立ちにはいつも優しい笑みが浮かび、年月の風化の跡はほとんど見られなかった。それが元清川の母・張婕桜だった。


この偉大な母親は、元清川に「強さ」と「挫折に屈しない」という貴重な品質を教えてくれた。


父・元皓が戦争で亡くなった後、張婕桜はまだ赤ちゃんだった元清川を連れ、悲しみの思い出が交じる台北を離れ、実家の新竹へ帰り、祖父母と共に薬屋を経営した。


祖父・張繼忠、祖母・王桂嬌。張家と王家は代々仲が良く、先祖はかつて新竹で名門として知られ、同じく海外に留学した医学生たちであった。父輩の縁で張繼忠と王桂嬌は結婚し、父の代からの台北での事業を引き継いだ。その後、戦禍を避けるため新竹へ戻り、互いに支え合いながら小規模な薬屋を開き、地元の患者たちに頼りになる存在となった。


父・元皓は張家に養子として迎えられた子だった。フランス留学中、張繼忠は同じく台湾出身の元皓の父・元靖と出会った。


ある夕暮れ、張繼忠は同級生と道端で別れた後、よく行く小さな酒場へ向かった。そこで、フランス人女性を助けるために勇敢に立ち上がった元靖に会った。その女性こそ、後に元皓の母となる人だった。


力が足りず、複数方向からの攻撃に応じきれない元靖を見かね、張繼忠は酒杯を置いて果敢に加勢した。二人が力を合わせて地元のゴロツキを追い払い、フランス人女性が無事に立ち去った後、意気投合した二人は酒場で徹夜まで語り合い、夜明けになってやっと名残惜しそうに別れた。


数日後、張継忠と元靖はいつも通り小さな酒場で待ち合わせをした。


「継忠、僕は彼女と恋に落ちたんだ。」

元靖は声を落としてそう呟き、頬を赤らめながらビールを一飲みにした。


「誰だ?」

張継忠はわざとふざけて、分からないふりをした。


元靖がためらいにためらい、なかなか名前を出さないのを見て、張継忠は彼の背中を力一杯叩き、思い切り笑い出した。

「お前、男なのに恥ずかしがるなよ。早く教えろよ、誰なんだ?」


元靖は仮にも怒った顔をして張継忠を睨み、勇気を奮い起こして口を開いた。

「あの日、ここで守った女性だ。ある日図書館で勉強していたら、偶然同じ学部の学生だと気づいたんだ。」


元靖の頬はますます赤くなり、真っ赤なリンゴのようになり、恥ずかしそうに頭を下げて後ろ髪をかきむしった。


「おめでとう、元靖。」

張継忠は興奮して立ち上がり、元靖を抱きしめた。心から喜んでいる様子だった。酒場の客たちの視線が一斉に集まった。


「その後、どうやって付き合うようになったの?」

そんなふたりの男が、酒場で冗談交じりに話し合ううちに、楽しげな雰囲気に包まれていった。


重い障害があったにも関わらず、ロミオがジュリエットに駆け寄るような情熱が勝り、ふたりは郊外に小さな別荘を借り、甘い日々を過ごすようになった。一年後、元靖とカミーユの愛の結晶が誕生した。


元靖はすぐに酒場に張継忠を呼び、この嬉しい知らせを伝えようとした。しかし運命は残酷だった。元靖一家三口の幸せな日々は長く続かなかった。


ある日、警察官が学校にやって来て、授業中の張継忠を呼び出した。元靖夫婦が事故に遭ったことを伝えられた張継忠は、直ちに病院へ向かった。そこで目にしたのは、衝撃的な光景だった。元靖夫婦の冷たい遺体が安置室の鉄のベッドに横たわり、赤ちゃん籠の中の小さな元皓が大声で泣いており、両親に抱き上げて欲しいと必死に訴えていた。


警察官は張継忠に事件の経緯を説明した。

「路上で労働者がデモ行進をしているという情報を受け、局長は緊急に鎮圧部隊を派遣しました。騒動が収まったところで、無実の夫婦が巻き込まれているのを発見しました。ただ、必死に赤ちゃんを胸に抱きしめていたおかげで、赤ちゃんだけが無事に眠っていました。」


「病院に急いで搬送しましたが、残念ながら救うことはできませんでした。夫は僕に『学部の張継忠に連絡してくれ』と頼み、その後妻に寄り添って息を引き取りました。今回の事件は当警察署の過失により、愛情深い夫婦が無実に命を落とし、幸せな家族が崩壊したことについて、深く遺憾と謝罪の意を表します。」


警察官はそう言い終えると、張継忠と鉄のベッドに横たわる元靖夫婦の遺体に向かって、深々と頭を下げた。


張継忠は涙が静かに頬を伝った。赤ちゃん籠から元皓を抱き上げ、優しくなでながら、元靖夫婦の遺体に向かって小さく泣き声を漏らした。

「安心しろ。元皓を必ず大切に育てる。君たちの頼みを裏切らない。」


最後の一目を惜しみながら、張継忠は表情を曇らせて病院を後にした。


翌朝、張継忠は学部に休学届を提出し、元皓を連れて故郷の台湾に帰った。幼馴染の王桂嬌と結婚し、娘の張婕桜を産み、故人である元靖の息子・元皓と一緒に育て上げた。


母の故郷である新竹に戻ってから2年後、歩き始めた元清川にとって、毎日最大の楽しみは薬屋に駆け寄り、張婕桜が仲間に脈を診るようなふりを真似することだった。そして、そっと薬棚の一番下の引き出しを開け、一本の薬草を取り出して仲間の手に渡し、わけの分からないことをベチャベチャと言いながら、小さな手を撫でて「大丈夫だよ」と囁いていた。


元清川は、自分の小さな行動が誰にも気づかれていないと思い込んでいたが、実はすべてが張婕桜の目に留まっていた。彼女は丹鳳眼を細め、薬屋に来る患者さんとにっこりと微笑みを交わしていた。


山で薬草を採るたび、元清川はまるで「ついてくる虫」のように張婕桜の後を追いかけた。山の道は自分の庭のようによく知っていた。山に着くと、張婕桜は遠くで薬草を探し、元清川は一人で空を舞う蝶を追いかけた。誰にも邪魔されなければ、一日中一人で遊んでいられた。疲れると元の場所に戻り、母が真剣に薬草を掘る背中を見つめながら、泣かずにじっとしていた。


こんなにおとなしい子供が、幼い頃から多くの辛さを経験したからこそ、強靭な心を養ったのかもしれない。大人になっても夢の足跡を辿り続けるのに、なぜこれほど切なく思われるのだろうか?


3歳の頃、元清川は一時の気まぐれで、一人で蝶を追いかけて見慣れない裏山の奥深くまで行ってしまった。正午に祖父母が昼食を呼びに来た時、子供は部屋でぐっすり眠っているはずなのに姿が見えなかった。


その日、元清川は少し体調が悪かったので、張婕桜はいつものように薬屋に連れて行かず、祖父母に預けていた。その隙をついて、体調不良なのにも関わらず、部屋に飛び込んできた蝶を追いかけて外へ出てしまったのだ。


祖父母は「薬屋に行くのかな」と思い、すぐに薬屋へ確認しに行くことなく、元清川の最近の面白い出来事を楽しそうに話しながら昼食をとっていた。心の広い祖父母がいるからこそ、陽気な孫が育つのだろう。


蝶を追って山奥へ行った元清川は、大きな岩を曲がったとたん、蝶の姿を見失った。お腹がペコペコになり、家に帰ろうとしたら、なんと帰り道が分からなくなってしまった。まるで迷子の子鹿のように、森の中をうろうろと彷徨っていた。


その時、母・張婕桜がかつて言っていた「お母さんが見つからない時は、じっとその場にいなさい。動き回るとお母さんに見えなくなるわ」という言葉を思い出した。子供は張婕桜との約束を厳守し、大きな木に寄りかかって座り込んだ。そして、家族全員がまだ山で迷子になったことを知らず、張婕桜が現れるのを心待ちにしながら、暖かい夢の中へと落ちていった。


夜が訪れる頃、張婕桜は今日最後の患者の診察を終え、薬を処方し、丁寧に注意事項を伝えた後、薬屋を閉めて自宅に戻った。いつも通り、愛する息子を呼び出して抱きしめ、一日の疲れを癒そうとしたところ、祖父の張継忠が顔を出した。

「小川って子、薬屋にお前を探しに行ったんじゃないか?」


張婕桜は父の言葉に驚き、「小川は薬屋に行ってないわよ。家で休んでるはずなの…まさか…」と言いながら、急いで部屋に駆け込み、家の中をあちこち探し回った。しかし、どこにも息子の姿はなかった。やがて家族全員が慌てふためき、元清川が普段よく遊びに行く近所の人々の家を回ったが、誰も彼を見たという人はいなかった。ついに導き出された結論は「元清川が行方不明になった」ということだった。


元清川は小さい頃から活発で利口な子供だった。市に出かけるようにあちこちをさまよい、喉が渇くとおばさんに水を頼み、お腹が空くと近所の人にご飯をもらい、お腹いっぱいになると仲間たちと一緒に遊び回り、夜になって初めて自宅に帰るのが常だった。しかしその陽気な外見の下には、人知れず思いやりのある一面があった。道ですれ違う人が愁眉苦臉にしているのを見ると、小鹿のように軽やかに駆け寄り、小さな体をかがめてその頭を撫でながら、優しい声で慰めたものだ。

「ベビー、泣かないでね。」


その言葉は下手くそで青々としていたが、聞いた人は瞬く間に笑顔になり、先ほどの悩みなど些細なことのように消えていった。そして、張婕桜に教わった子守唄を鼻にかけながら歌い、とても愛らしかった。だからこそ、元清川は新竹の人々の「幸せを運ぶ子」になり、どこにでも笑い声を届け、街から負のエネルギーを追い払っていたのだ。


元清川の行方不明が広まると、県長の指揮のもと、多くの人々がチームを組んで新竹の隅々を探し始めた。消防隊も全員緊急出動した。その夜、新竹県全体が情熱的な灯りを灯し、冷たい夜を照らし出した。


「小川…小川…どこにいるの?」

近所の林おばさんは小川の名を呼びながら小川沿いを探し回った。ある日、彼女が足を捻挫してベンチに座っていた時、遊んでいた元清川がその表情を見て駆け寄ってきたことを思い出した。途中で転んでしまったのに、林おばさんが助けようとすると「大丈夫です」と言って自分で立ち上がり、砂を払いながら心配そうに顔を上げたのだ。そして、林おばさんの足首を見て「林おばさん、足が痛いですね?」と訊ね、母の張婕桜に教わった通り、小さな手で優しく撫でてくれた。その後、母の薬屋まで連れて行き、治療を頼むように母に伝えた。今思えば、その姿が胸を打つ。


一方、消防隊の羅大佑隊長は隊員たちを率いて山に登り、特に険しい場所を重点的に捜索していた。額から玉のような汗が滴り落ちていた。


元清川が母と新竹に戻ってきた2年目、2歳の彼はもうしっかり走れるようになっていた。ある日の午後、消防隊の隊員が救助活動中に毒蛇に噛まれ、羅隊長は負傷者を薬屋まで担いできた。張婕桜はすぐに状況を確認し、薬棚から必要な薬草を取り出し、台所で煎じ薬を作り始めた。その間、薬屋にいた元清川も忙しく動き回っていた。祖父の張継忠が特注した小さな水筒を抱え、竹製のコップを探し出して水を注ぎ、肉付きの良い小さな手でコップを持ち、現場の消防隊員一人一人に水を配った。そして、竹のベッドに横になっている負傷者の元まで登り、直接水を飲ませながら「泣かないで、お腹すいたら飛んでいくよ」と囁いた。


隊員たちはその光景をじっと見守り、水晶のように透明な温かさに包まれているように感じ、誰もがその瞬間を邪魔したくなかった。


忙しい処置が終わると、張婕桜は額の汗を拭い、作り終わった薬膏を負傷者の傷口に塗り、立ち上がる際には元清川の頭を撫でて感謝した。

「今日は本当に助かったわね。みんなの心を癒してくれて。」


毒が抜け、炎症防止の薬膏を塗り、清潔な包帯で包んだ後、張婕桜はベッドのそばに座り、負傷者に煎じ薬を飲ませ、冷水で濡らしたタオルを額に載せて熱を下げさせた。羅隊長たちが帰る際、張婕桜が注意事項を伝えていると、突然荷台のそばから小さな顔が出てきた。

「おじさん、帰ったらおとなしく休んでね。そうしないと私、怒るよ!」


その言葉に周囲の人々は大笑いし、「元清川って本当に利口で厳しい小さな大人だわね」と称賛した。負傷者もにっこりと笑い、「分かったよ。小さな大人の言うことは聞くから」と応じた。


もし張婕桜医師と小さな元清川の懸命な協力がなければ、その隊員の怪我は回復せず、部隊に戻ることもできなかっただろう。羅大佑はそう心に決めた。

「小僧、頑張れ。今度はおじさんが助けてやる。」


張婕桜は両親に付き添われ、しわくちゃに握りしめたハンカチを手に、焦りに駆られて外を探し続けた。2時間にわたる捜索で、心身ともに疲弊し、足が鉛のように重く感じられるほどだったが、彼女は一刻も止まることなく、よろよろと進み続けた。しかし時間が経つにつれ、張婕桜が築き上げてきた精神的な防衛線はついに崩壊した。突然、その場にしゃがみ込み、自分を責めるように泣き出した。これは元清川の父が戦場で亡くなった悲報を受け、子供を支えて強く生き抜くことを決意して以来、久しぶりの涙だった。切ない思いが胸を締め付け、再び嫌なことが起こるのではないかと恐れていた。


張継忠は、崩壊の淵に立つ娘を見て深い罪悪感を覚えた。自分が娘に一人であまりにも多くを背負わせてしまったこと、唯一の孫を見失ったことを責め、天に向かって故友の元靖と息子の元皓に祈った。「元家に残された最後の血を守り、元清川を無事に帰してください」と。


王桂嬌は、涙にくれる娘を優しく抱きしめた。祈りが通じたのか、突然県長が彼らを見つけた。三人は絶望の目で県長を見上げ、元清川に何かあったのではないかと思い込んでいたところ、涙がこぼれそうになった瞬間、県長がにっこりと笑い声を上げた。

「見つけました!見つけました!」


何を見つけたのか……まさか元清川の遺体? そう思った張婕桜は声を上げて泣き崩れ、元清川の名前を繰り返し叫びながら涙に浸った。


傷ついた娘を見て、張継忠は切なさをこらえ、県長に振り向いて訊ねた。

「県長、一体何を……何を見つけたんです?まさか子供が……」


訊ねる途中で、張継忠はもう我慢できず、左手で目を覆い、声を殺して泣いた。王桂嬌も孫を抱きしめながら泣き出した。今日こそ、この一家にとって最も痛ましい日となった。


県長は、絶望に暮れる三人を見て、誤解されていることに気づき、もう隠すことはできなかった。

「実はね、小川の子は帰り道にいます。消防隊の羅大佑隊長が県庁に電話をかけてきたんです。最初は何か災いが起きたのかと思いましたが、隊長が詳しく説明してくれて……深山で探索していたら、枝に赤いハンカチが絡まっているのを発見しました。それが小川の目印だと気づき、周辺を調べたら、大木の下でぐっすり眠っている小川を見つけたんです。起こそうとすると、『おじさん、お腹すいた~』とにっこり笑いながらブツブツ言っていましたよ。」


県長は苦笑いを浮かべながら最後の一言を付け加えた。

「だから早速皆様を探し回っていたんです。安心してもらいたかったんです。」


「県長、ありがとうございます。本当に私たち一家の恩人です。」

張継忠は涙を流しながら感謝した。元清川が無事であることを知った張婕桜と王桂嬌は、頬の涙を拭い、早く子供に会いたいと切に願った。


県長と別れた三人は、急いで自宅に戻り、台所に駆け込んで元清川が平日一番好きな料理を何品も作り、期待に胸を膨らませながら玄関で待ち構えた。


どれくらいの時間が経っただろうか。あるいはたった数分だっただろうか。刃先のような焦燥に耐えていた張婕桜の指先には、深く爪跡が押し付けられ、唇を噛み締めるほど血が滲み出ていた。


心が複雑な思いでいっぱいの時、道の向こうに一人の影が現れた。近づいてみると、消防隊の羅大佑隊長が、ぐっすり眠る元清川を胸に抱え、ゆっくりと近づいてくる。


張婕桜はその姿を確認するや否や、駆け寄って羅隊長の腕から元清川をそっと受け取り、小さな顔を撫でながら、安堵の涙が頬を伝った。


眠っていた元清川は、頬に触れるぬくもりを感じて、うっすらと目を開けた。

「ん…この匂い、なんだか懐かしい。お母さんの匂い…お母さん、泣いてる?」


元清川は眠そうな目をこすりながら、母の張婕桜の目尻に溜まった涙をそっと拭った。

「お母さん、ごめんね。」

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