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民国エレジー  作者: 上村将幸
台湾の思い出編
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第10話 まるで天使のように

今日は、穏やかな春風がそよぎ、晴れ渡った陽射しが大地を照らし、さまざまな鳥が枝先でさえずり、春の女神の寵愛をめぐって競い合っていた。


元清川が起き上がれるようになったのを見て、周りの者たちは「もう世話をする必要はないだろう」と察し、次々と立ち去った。張婕桜と王桂嬌は自宅の薬屋に戻り、朝から晩まで続く診療・看護の仕事に追われていた。


林文は、ベッドに横たわり、李敏に果物を口元へ運ばせながら満足そうな顔をしている元清川を意味深に見つめ、「余計な人がいない隙をついて、つけ込んで小娘をいじめるなよ」と真顔で注意した。そして、元清川がイライラと嫌そうな目で追い払うのを受け、名残惜しそうに病院を後にした。家に帰ることもせず、すぐに学校へ向かい、クラスメートに「元清川は無事だ」と伝えた。


彼らが「放課後に病院へ見舞いに行こう」と騒ぎ始めると、林文はバケツ一杯の冷水を頭からかけて冷やした。

「清川の奴、病院に可愛い女の子が付き添ってるんだぞ。君たち、賢明にもその二人の世界を邪魔するな」


「え…そんなこと?」


クラス全体が沈黙に包まれた。元清川を慕う女子生徒たちは、心の中で『グリム童話』誕生以来最も暗い「役割逆転劇」を繰り広げていた。シンデレラの姉のように歯を食いしばり、王子と姫の永遠の愛を台無しにした張本人(林文)を千刀万剣にするかのような憎しみを込めて睨む者もいれば、眠れる森の姫のように涙は流れないのにハンカチで顔を拭き続け、入口でにっこり笑う林文を怨嗟の目で見つめる者もいた。さらには、表面上は「別に気にしてない」ふりをしながら、放課後に魔女に呪いを教えて元清川と李敏を引き離そうと企む者もいた――その邪悪さは、白雪姫の継母でさえ舌を巻くほどだった。


教室全体を覆う轟音とともに雷雲が垂れ込め、不気味な雰囲気で男子生徒たちは震えながら寄り添い、林文を無視している女子たちを手招き、震える声でジュラ紀の恐竜化した女子たちの群れを見上げた。


教室に入ってきた先生は、女子たちの氷冷たい視線が自分に集まるのを感じ、よろめいて転びそうになり、傍らの林文のズボンの裾をつかんだ。すると瞬く間に、女子たちの暗い影が結びついてできた、ネガティブな感情を養分に吸収する巨大な怪物に飲み込まれてしまった。


事情の事情を知らない元清川は車椅子に乗り、李敏に付き添われて病院の花壇へとやってきた。周りに満ちる花の香りを感じ、まるで天国にいるかのようだった。陽射しの暖かさが顔に当たり、才媛と美少年のような仲睦まじいカップルが看護師たちの羨ましそうな視線の中で戯れ騒ぎ、色とりどりの蝶を周りに集めて舞わせていた。空から差し込む光が、茂った大木の緑の葉に映り、翡翠のような涼しい影を落としていた。そよ風が芝生に止まっていたテントウムシを驚かせ、木陰で休んでいる老人の肩にまっすぐ飛び込んだ。老人はにっこりと互いに追いかけ合う若者たちを見つめ、愛情深い目でそばにいる老妻を振り返り、年月の跡が刻まれた手を取り優しく撫でた。まるで若い頃に戻ったかのようだった。

「ああ、本当に青春って素敵だわ」


その時、一隊の兵士が入ってくると、この穏やかな情景が乱暴に打ち砕かれた。元清川は車椅子のハンドルに両手をつき、無理やり体を立て直し、右手を伸ばして後ろに隠れて怖がる李敏を守るようにした。冷たい視線で隊列から出てきた将校と、そばに付き添う中学生風の青年を見つめた。その青年こそ、かつて李敏をいじめた日本の生徒だった。


頭を傾けて後ろに立ち、体を縮めている李敏をちらりと見て、元清川は優しい声で慰めた。

「安心して。私が必ず守るから」


この慰めの言葉を聞いた李敏は、春のそよ風のように心の恐怖を和らげ、細い手で元清川の服をしっかり握りしめ、小さくうなずいた。


そして元清川は流暢な日本語で、落ち着いた態度で向かってくる将校に向かい、力強い口調で質問を投げかけた。

「今回は何の用ですか?息子の仇討ちのためですか?もしそうなら、この病院の患者さんたちを驚かせないでください。そして、私の後ろにいる女性を解放してください。すべて私一人で責任を取ります。」


木村青原は竜のように堂々とした足取りで元清川の前に立ち止まり、賞賛の目で彼を見つめた。返事はせず、右手を空に上げると、緊張げな木村洋介が近づいてきた。


怒りを込めた元清川は、頭を下げて近づく木村洋介を見上げたが、動くことはできなかった。この病院には無実の人々がたくさんいる。衝動的に行動して彼らを巻き込むわけにはいかない。それに、李敏のためなら、この若者に何百回も斬られても抵抗できない。


元清川は死を覚悟で、目の前の木村洋介をじっと見つめた。彼の手がズボンのポケットに触れている様子を見て、何かを探しているようだと察した。意外にもためらいがちなその態度に、元清川は湖畔に立っているような錯覚を覚えた。湖面を撫でる冷たい風が衣の裾を揺らし、心身が不思議なほど軽やかになった。微動だにせず立ち尽くしていると、祖父が大勢を連れて急いで病院に駆けつけた。


自宅に戻ってちょっと座り込んだ張継忠は、近所の人から「大切な孫が路上で女の子を守って日本の学生に刺され、病院に入院した」と聞いた。遅ればせながら立ち上がり、英雄的な行いで怪我を負った孫を見舞おうと足を踏み出そうとしたところ、玄関から慌てた人が飛び込んできた。「元清川が殴った日本の学生は、在台湾軍官の息子だった。しかもその軍官は元清川の入院先を突き止め、息子を連れて日本兵一隊を率いて病院に押し寄せている」と。


その報を聞いた張継忠は太ももを力一杯叩き、「大変だ!」と悟り、若者たちを集めて軍勢のように病院へ向かった。しかし到着すると、既に敵が先を越していた。日本軍官は元清川の前に立ち、外周の兵士の防線を突破して来た。そして、元清川の後ろに隠れている女の子をちらりと見て、妻の王桂嬌と同じような考えを浮かべた。

「これが私の将来の孫嫁か。幸いにも間に合ったな。」


落ち着いた表情の元清川と、後ろで震える李敏を心配そうに見つめ、力強く慰めた。

「小川、孫嫁。もう恐れることはない。祖父が守ってやる。」


元清川は祖父に説明しようとしたが、背中に伝わる李敏の熱い頬がそれを遮った。彼女は恐怖を忘れて元清川の背中に顔を押し付けた。その温もりが胸に響くと、元清川は説明を諦め、祖父の誤解をそのままにした。


張継忠は堂々とした体つきで元清川の前に立ちはだかり、優しい笑みを浮かべ、輝く目で木村青原を真っ直ぐに見つめた。この会談で何度も力を貸してくれた軍官だった。

「木村君、久しぶりですね。」


「久しぶりです、張継忠さん。」

木村青原は目の前の老紳士を敬服の目で見つめた。台湾人民の権益を守るため、危険を恐れず何度も単独で会談に臨み、帝国派遣の統治官と面会した。劣勢に立った危機的な状況でも、退くどころか前進し、死を恐れぬ勇気を持ち続けた。薄暗い電灯が揺れる会議室で、対峙する両者の殺気が立ち込め、碁盤の上の黒石と白石のように熾烈な論戦を繰り広げていた。まるで一晩で荒野に屍が散乱する古戦場に戻ったかのように、破れた旗や砕けた鎧が地面に散らばり、天を覆う矢の雨が密集した盾の陣に降り注ぎ、太鼓や角笛、鉦の音が催促する中、火の海となる血みどろの殺戮が虚空に広がっていた。木村青原は彼の発する精気に深く感服し、徐々に両者は個人的に会い、戦略を協議する機会が増えていった。年齢差を超えた親交のように、互いに遅すぎると感じながらも、戦略同盟を結び、台湾人民の未来を守るために手を携えて前進した。


張継忠は一歩近づき、友人の手を握り、落ち着きながらも力強い目で表情を崩さない木村青原を見つめ、先ほどと同じトーンで笑いながら言った。

「木村君、子供同士のいたずらなら、なぜこんな大袈裟なことをする必要がある?今日は張某の薄面を頼みに、帰ってください。」


張継忠の圧迫的な態度の中で、木村青原は依然として落ち着いた表情で彼を見つめていた。

「申し訳ありません、張継忠さん。もし本当にあなたの言う通り、この出来事を水に流してしまうなら、木村家の代々伝わる家訓を大いに侮辱することになります。」


元清川と木村洋介は、互いに譲らない二人のやり取りをぼうっと見ていた。もはや前怨を捨てて肩を組んでそばでピーナッツを噛むくらいの雰囲気だった。李敏はさらに好奇心をそそられ、元清川の肩に顔を乗せて、異常な雰囲気のする現場を見上げ、思わず声を上げた。

「あの二人、知り合いなの?」


李敏が思わず口にしたその言葉は、まるで晴れ渡った空に稲妻が落ちたかのように、元清川と木村洋介の頭上に激しい嵐を巻き起こした!


膠着状態に陥ったのを見て、張継忠はあっさりと床に腰を下ろし、息を切らしながら胸を叩いた。

「孫に手を出すなら、この老いぼれの命を差し出そう。ただ、孫だけは許してくれ」


「祖父……」

孫の命を自分の命と引き換えにすると聞いた元清川は、急いで立ち上がって口を開こうとしたが、木村青原の圧倒的な威圧感に遮られた。

「張継忠さん、私の来意を誤解されていませんか? 私は息子の恨みを晴らしに来たわけではありません」


張継忠は手を伸ばし、元清川に支えられながら床から立ち上がり、疑問を投げかけた。

「報復じゃないなら、なぜこんな大袈裟な? 街中を轟かせ、誰もが知るところとなったのに」


この逆質問に、木村青原は一気に勢いを失った。息子の面目を守るためだと答えるわけにはいかないのだ。


木村青原の迷いぶりを見て、張継忠の疑念はさらに深まった。幸いにも間に合ったと胸を撫で下ろした――もし少しでも遅れていたら、孫は木村青原の刃にかかって命を落としていただろう。そうなれば、天国にいる亡友や子供の父親にどう顔向けすればいいのか。


木村洋介は初めて、父が困り顔をする姿を目にした。父にも弱みがあるのだ。そして、目の前の老人こそが、その弱みをしっかりと握りしめる天敵なのだ。しかも儒者らしい風格を損なわずに。


木村洋介は一歩進み出し、膝を床に重くつけて、父の代わりに張継忠へと純粋な温情を示そうとした。

「張おじいさん、本当にお父さんを誤解なさっています。お父さんは私を守るためにこうしているのです。」

「台湾に来てから、私はここで人倫に背くような悪事をたくさん働いました。今は反省し、人間に戻りたいと思っています。でもお父さんは、道ですれ違う人に私を恨みを晴らすような仕返しをされるかもしれないと心配なので、わざわざ兵隊を連れてきたのです。張おじいさん、ご理解いただけますように。父親としての切ない愛情なのですから。」


木村洋介の涙ながらの説明を聞いた張継忠は、目尻の濡れた涙をぬぎ、身をかがめて泣いている木村洋介を引き上げ、愛情に満ちた目で顔の涙をぬぐい去った。

「泣かずに。俗に言う『羊を失ってから檻を直すのも遅くない』。今から反省すれば、きっと皆が再び君を受け入れてくれる日が来る。いい子だから、もう泣かないでね。」


木村洋介をなだめ終えると、張継忠は横を向き、目尻が濡れたまま木村青原を見つめた。

「あなたには素晴らしい息子がいる。きっと本当に改心すると信じている。」


木村青原はポケットからハンカチを取り出し、剛毅な表情から優しい表情へと変わり、目の前の老人の涙を丁寧にぬぎ去った。


泣き止んだ木村洋介が再び元清川の前に立った時、目尻はまだ赤らみを残していたが、震えは止まっていた。李敏は、鉄壁のように固い元清川の背中からそっと離れ、秋の水のように静かな視線を、実は自分より二歳若い少年に向けた。彼の背中は張り詰めた弓のように硬く、指先はズボンのポケットに深く突っ込まれ、まるで何かと力を入れているかのようだった。


元清川と李敏の視線は、宙に浮かんだままの彼の手に釘付けになっていた。その手は布地のしわの間を何度もこすりながら、勇気を探しているようにも、取り出す瞬間を拒んでいるようにも見えた。木村青原は焦りを抑えきれず大股で近づこうとしたが、張継忠が腕を横に伸ばして遮った。張継忠は眉をひそめて小さく首を振り、目元には諭すような暗い流れがよぎった。


やがて、元清川の腹に残った傷が鈍い痛みを呼び起こした。李敏はそれを察して、黙って車椅子をゆっくりと押し寄せ、元清川がゆっくり腰を下ろすのを手伝った。車椅子の金属製のフレームが地面に触れるかすかな音が、まるで祖父の無言の制止のように、膠着した空気中に響き渡った。両者は互いににっこりと笑い、その笑みには風波を乗り越えた落ち着きが漂っていた。そして、彼らはその宙に浮かんだ手が落ちるのを、じっと待ち続けた。


木村青原はついに振り返り、従兵たちに「帰営途中は軍紀を厳守し、民を騒がせるな」と命じた。張継忠が連れてきた人々も次々と夕闇に消え、足音が遠ざかる中、風に舞う幾筋かの煙塵だけが残った。やがて、木村洋介のポケットの中で暴れていた手が、蛹から抜け出す蝶のように勇気を奮い起こし、ようやく外へと伸びた。掌を開くと、拇指大の二体の人形がそこに横たわっていた。布地は粗末だったが、縫い目は丁寧で、糸の跡には母親が指導する時の温もりが感じられた。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん……」


声は蚊の鳴き声のように小さく、頬は真っ赤に染まっていた。

「前に犯した罪……謝りたい。許してください。この人形、母と一緒に針と糸で一針一針縫ったんだ。縫い目は歪んでるけど、でも……心は全部ここに込めたんだ……」


言葉が終わらないうちに、彼は頭を垂れ、髪の毛が赤く染まった耳元を隠した。


元清川と李敏はゆっくりと手のひらを広げ、その二体の丸まるように手のひらに乗っている人形を受け止めた。布地の人形の縫い目は下手だが誠実で、指先が綿を触れると、ほんのりとした温もりが伝わる震えが走った。ふと、記憶の断片がよみがえってきた。幼い頃、彼らもこんな風にしゃがみ込み、泣いている子供の手のひらに飴を押し込んだことがあった。


元清川はそっと手のひらを木村洋介の頭に載せた。春風が若芽を撫でるように、髪の毛を撫でる感触が伝わった。

「君の謝罪はとても真摯だから、私は信じることにする。」


彼は顔を上げて李敏を見つめ、瞳には暖かい泉のような笑みが浮かんだ。まるで人を春の柔らかい水に溺れさせるかのようだった。李敏はその笑みを見て、不意に胸がドキッとした。見えない温もりに包まれているような気がした。そして彼女も笑顔を咲かせた。春に咲き誇る桃の花のように、声は渓流を流れる清らかな泉のようで、うぐいすの鳴き声よりもさらに甘かった。

「私も許すわ。」


この瞬間、そよ風が画家のように優しく木村洋介の髪をなぞり、一筋の陽光がまるで金の紗のように彼の肩に降り注いだ。彼が臆病そうに顔を上げると、まるで春霧が晴れた遠い山並みを見ているような錯覚に襲われた。


元清川の笑みは朝露に濡れた青磁のように潤いがあり、李敏の眉と目は三日月のように湾曲し、瞳にはダイヤモンドのような輝きが宿っていた。その光は彼の心の奥底に溜まった陰を突き抜け、胸の中で静かに桜の花を咲かせた。遠くで子供たちの騒ぎ声を運んでくる風が耳元をすり抜け、ふと彼は、かつて煙硝に染まったこの土地に、そっと若芽の香りが立ち上がっているような気がした。


彼は、まるで天使のようだった。



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