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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恩を仇で返された元聖女は呪詛を吐く

作者: 玖珠ゆら


「俺の大事な婚約者であるシャーリーを差し置いて、元聖女を名乗るなんて許せん。この女を捕らえろ」


 ずっと憧れだった王子様──フェリックスが冷たく言い捨て、私からさっと目を逸らした。彼に命令された騎士たちは、私の体を乱暴に掴み、引っ張り、引きずるようにどこかへ連れて行こうとする。


 

 やっと気づいた。

 フェリックスは、優しい王子様なんかじゃなかった。私を利用しただけだ。私は幼くて愚かで、彼の本当の姿をちゃんと見ていなかったんだ。なんて馬鹿だったんだろう!


 でももう遅い。


 …………遅い、のか?本当に?



「……っフェリックス!!」


 大声で呼びかければ、彼は驚いたように振り向いた。


「あんた、はじめから私を騙すつもりだったんだな!? 最低っ……!!」


 数人の騎士に押さえつけられながらも、込み上げる怒りをなんとかぶつけたくて、必死に睨みつけて浴びせた罵声。

 私の醜い抵抗をその瞳に映したフェリックスは、整った顔に笑みを浮かべた。


「俺を騙そうとしているのは、お前の方だろう? 聖女は、シャーリーだ。お前のような小汚い庶民であるはずがない。気安く俺の名を呼ぶな」


 そう言い捨てて、フェリックスは今度こそ背を向けた。

 騎士に髪を鷲掴みにされ、痛みと絶望で目の前が真っ暗になる。


 

 …………あいつ、本当にクソみたいな男だった……!!私の初恋返せ! 

 この恨みは忘れない。



  

 地獄に落ちろ、フェリックス!!


  


 ◇◇◇



 青山琉菜(るな)、高校二年生。

 それがこの世界に召喚された時の私。


 あっこれ、異世界転移ってやつだ。

 ──と、当時理解は早かった。



 いかにもな魔法陣の中央に立ち、ゲームキャラのような服装の大勢の人たちに囲まれ、「聖女様の召喚に成功した!!」と大歓迎されれば、悪い気はしなかった。

 その後すぐに、聖女の役割について説明された。



 異界からやって来た私の祈りには、魔物を寄せつけない特別な力がある。国内五ヶ所にある祠を巡り、祈りを捧げること。

 そうすれば、次の聖女召喚までの50年間、この国に魔物が現れることはない。そして役目を終えた私も、元の世界へ帰ることが出来る──と。


 退屈な毎日を送っていた私は、期間限定の大冒険を、二つ返事で引き受けた。

 だって最終的には、ちゃんと帰れるんだもん。こんな経験普通は出来ないし、楽しそうだなって思うよね?


 国王だというおじさんに「よろしく頼む」と挨拶され、第一王子のフェリックスを紹介された。護衛騎士と共に、フェリックスも聖女の旅に同行させる、と。


 初めて見たリアルな王子様に、私は完全に目を奪われた。

 金髪碧眼の美青年──フェリックスは、理想の王子様のイメージそのものの姿をしていたからだ。漫画やアニメキャラの実写化みたいだ、と思った。


 格好いい王子様と、これまた20代の若手騎士数人を連れての旅に、私は浮かれきっていた。


 ────が、そんな気持ちは一日ももたなかった。



 聖女の旅は過酷を極めた。

 現代日本人の私には、地獄でしかないことばかりで……。


 国内五ヶ所の祠、なんて簡単に言うが、どれも酷い場所に位置している。

 物凄い森の奥、とか。馬鹿みたいに高い山の上、とか。人里離れた荒地の向こう──といった具合だ。


 基本は馬車移動だが、座席のクッションは固く、すぐおしりが痛くなる。馬車が通れない道では馬に乗ることになる。騎士に後ろから支えられる形で乗るのだが、これが物凄く疲れる。更に馬も走れない場所になると、当然ながら徒歩移動だ。毎日体はバキバキだった。

 その上夜は、野営が中心。

 お風呂になんて、もちろん何日も入れない。食事は保存食。干したかっっったい肉と、ビスケットを数倍クソマズくして固くしたようなものばかり。

 そんな日々で粗末なテントの中、臭い布にくるまって眠る夜は、何度経験しても涙が零れた。

 


 それでも辛い旅を続けられたのは、フェリックスと騎士たちの存在があったからだ。皆気さくて、とても親切だった。


「敬語やめよう。みんなと仲良くしたいから!」

  

と私が提案してからは、特に。

 少しでも旅が快適になるよう、いつも気遣ってくれる騎士たちのことを、親戚のお兄ちゃんのように思うようになった。


 そして、誰よりもフェリックスは優しかった。


「今夜も野営か? ルナを宿でゆっくりと休ませてやれないのか」

「こんな保存食ばかりでは、ルナも飽きるだろう。聖女の祈りの力を存分に発揮するためにも、きちんとした食事をとらせろ」


と、いつも騎士たちにかけ合ってくれた。大抵叶わなかったけど。

 それでも私のために発言してくれることは、何より嬉しかった。大事にされてる気がして。


 大人の騎士たちと違って、フェリックスは私と同じ16歳。一番距離感も近く、あっという間に私にとって彼という人は特別になった。




 過酷な旅は、何ヶ月にも及んだ。

 三つの祠に祈りを捧げ、残る祠が二つとなったある日、フェリックスが妙に真剣な顔で言った。


「大事な話がある」


 その日は運良く宿に泊まることが出来た。

 騎士たちは相部屋だけど、私とフェリックスはいつも個室。

 フェリックスの部屋で二人きりになった私たちは、狭い部屋の中、ベッドに横並びで座っていた。

 騎士のお兄さんたちは、唯一の女である私が誰かと二人きりになることを避けるよう、常に気遣ってくれていたので、こういう状況にはなんだかドキドキした。


 そんな緊張を悟られないよう、努めて明るい声を出す。

 

「話って何?」 

「ルナは、聖女の役目を終えた後のことは聞いているだろうか」

「うん。元の世界に帰れるんだよね?」

「ああ。その後のことは?」

「あと……?」

 


 実は私、召喚直後の王様の説明、フェリックスの登場後はその顔に見とれていて、ろくに話を聞いていなかったんだよな。


「そうだ。元の世界で生涯を終えたルナは、再びこの地へ戻って来る。とは言っても、その記憶だけだが。役目を終えてからおおよそ三年以内に、この国内に暮らす同じ年頃の少女に、ルナの記憶は引き継がれることになるだろう」


「へ……? 思い出だけが、誰かの中に入っちゃうの? 元の世界では何十年も生きた後でも、ここでは三年以内? なんか不思議だね」

 

「そうだな。しかしそれが歴代聖女の慣例のようだ。聖女様は、異界へ呼びつけられたにも関わらず、この国のために尽力してくれたのだ。この国の行く末を見守って欲しいと、俺も思う」

「フェリックス……」


 私と同じ歳だとは思えない。大人びたフェリックスの言葉を聞いて、ますます彼に気持ちは傾いていく。



「それで……。ここからが本題なんだが、聖女の記憶を持つ者と俺は、結婚することが決められている」

「えっ!?」


 フェリックスと結婚……!!

 強制的に誰かと結婚させられるなんて、人権侵害だ。有り得ない!

 ──が。相手がフェリックスなら、嫌じゃない。むしろ。

 ……嬉しい、かも……?


 ──なんて、頬を赤く染めていたら、フェリックスがちっとも甘くない告白をした。


 

「だが、ルナとは結婚出来ない。……すまない。俺には、結婚を約束した相手がいるんだ」


「あ……。そう。そうなんだ……」

 

 ちょっとショックだった。

 なんで勝手に決められて、一方的にフラれなきゃいけないんだよ! 私、かわいそうじゃない?



「まぁ……そういう相手がいるなら、私と結婚出来ないのも当然だよね。いいんじゃない? 好きにしたら」

「ルナ……。俺を許してくれるのか?」

「私から結婚したいって言ったわけじゃないんだから! 許すも許さないもなくない? お互い、好きな相手と結婚するのが幸せだと思うよ。そうでしょ?」

「……ルナ……」


 フェリックスは暗い顔のままだ。

 やめてよ、私が別れるをごねるめんどくさい女みたいじゃないか。

 

「ねぇ、なんでまだ落ち込んでんの? 私とフェリックスがいいんだから、この話は終わりでしょ?」

「そうはいかない……。もし俺が聖女の記憶を持たない相手と結婚なんてしたら、王族としての資格も失うだろう。聖女と結婚するのは絶対なんだ」

「ええ……。なんでだよ……」


 フェリックスは好みのタイプだけど、無理矢理結婚することになって、こんな風に他の女を想って落ち込んでいるのを見続けるなんて拷問だ。

 

 大体冷静に考えてみたら、第一王子様と結婚したら、将来の王妃になっちゃう。

 すごい嫌。私は人前に出て注目されるより、その他大勢に紛れるような生き方がしたい。聖女として目立つのは、一時的で異世界だから楽しいのであって、一生人目に晒される人生なんて、ストレスで胃腸を壊しそう。



「……ね、じゃあさ、フェリックスの彼女に、聖女の記憶が戻ったってことにしたらいいんじゃない?」

「…………シャーリーに?」


 あ。彼女、シャーリーっていうんだ?可愛い名前だな。いや、嫉妬なんかしてないんだからね!


「うん。それがいいよ! 私はもしこの記憶がいつか別の誰かの中に蘇っても、聖女だったことは黙っておくから! そしたら誰にもバレずに、フェリックスはシャーリーさんと結婚出来るよ!」



 私の提案に、フェリックスは大きく目を見開いた。

 

「ルナ……! ありがとう」


 フェリックスが、私の手をぎゅっと握った。

 ただの感謝の気持ちの表れだとわかっていても、やたら整った顔が近付き、触れられて、心臓がうるさくなる。

 その上フェリックスは、熱っぽい瞳で私をじっと見つめてきた。


「ルナは本当に、心根も聖女そのものだ……。もしシャーリーより先に出逢えていたら……。いや、なんでもない」


 意味深!! 

 待って、それどうかと思う!


「フェリックス……」


 多分私の顔は、茹でダコぐらい真っ赤だったと思う。だって彼氏とか出来たことないから免疫ないし、ましてこんな綺麗な顔の男子、そもそも現実で見たこともなかった。


 狭い部屋で密着して見つめ合った私たちは、つい雰囲気に流された。


 

 …………キスしてしまった……。

 その夜一度きりだったけど、私にとってはファーストキスだった。




 その後、約一年かけて五つ全ての祠へ祈りを捧げ終えた。


 元の暮らしに戻れることは嬉しいけど、長い旅を共にした仲間と別れるのはとても寂しい。最後の日、魔法陣の真ん中で、私は泣きじゃくった。


「うううう辛いよおおお! みんな、私のこと忘れないでね!!」


「何言ってるんだ。三年以内にまた会えるだろ? ルナの方こそ元の世界で長年過ごして、俺たちのことを忘れるんじゃないぞ」


 何も知らない騎士たちは、すぐにまた会えると慰めてくれる。

 でも私は名乗り出ないと、フェリックスと約束してしまった。例えこの記憶が戻っても、二度と会えないかもしれないのだ。


 ちっとも泣き止まない私に、フェリックスが歩み寄る。そして私の手をしっかりと握った。


「ルナ。もし困ったことがあったら、いつでも俺を頼ってくれ。必ず力になる。この恩は忘れない」

「フェリックス……! ありがとう! お幸せにね!」


 帰ってしまえばなかなかお目にかかれない、美しい王子様のご尊顔を目に焼き付け、聖女の役目を果たした私は元の世界へと帰ったのだった。


 


 ◇◇◇




 子爵令嬢、シャーリー・ターナーに聖女の記憶が戻った。それに伴い、第一王子フェリックスとの婚約を発表する。

 そんな知らせが国中を駆け巡ったのは、聖女が元の世界へ帰ってから、ちょうど二年後のことだった。


 それを聞いて思い出した。全て。 



 青山琉菜は、元の世界へ戻った後、平凡な人生を送った。

 一年も異世界を旅していたのに、全く時間が進んでいなかった。白昼夢でもみたのかと思った。


 瞬く間に何事もなかったような生活を取り戻した。

 フェリックスほどの男に出会うことはなかったけれど、それなりに恋をして何人かと付き合って、でも結婚までには至らず、30歳を目前にして交通事故死した。

 予想よりかなり短い生涯だった。しかも不運だ。



 ──が、しかし。

 不運で言ったら、現在の私の方が上回っている。


 

 今の私の名はルーナ。15歳。

 フェリックスたちが暮らす王都からもほど近い、貧民街に住んでいる。


 両親は健在だけど、すっごく毒親だった。

 まず父はろくに働かない。しかも何か気に食わないと、すぐに暴力をふるう。ただのクズ。

 かわりに母が体を売ってお金を稼いでいる。でも歳のせいか、年々お客がつかなくなって、生活は苦しくなる一方だ。


 母も父を捨ててしまえばいいのに、情があるのか、それとも逃げたところで見つかって捕まれば、酷い暴力を受けるのがわかって行動にうつせないからか、別れようとしない。

 そればかりか父の機嫌が悪くなると、全部私のせいにして、私が父に殴られるよう仕向けてくる。母もクズだ。


 家事を一手に担い、両親から罵られサンドバッグにされ、この生活は控えめに言って生き地獄だ。


 貧民街から出たこともない、何の教育も受けていないルーナは、それでも諦めるしかない。だって、どうすればこんな生活から抜け出せるのかなんてわからないから。



 ────でも、今の私は違う。

 一年も国内をあちこち渡り歩いた記憶を取り戻した私には、ルーナよりよっぽど沢山の知識がある。

 

 

 真っ先に、教会に助けを求めることにした。


 聖女の旅では、各地の教会に何度もお世話になった。

 いつだって歓迎されたし、温かい食事をご馳走になった。教会は助けを求める民に手を差し伸べる場所だと、フェリックスが教えてくれた。


 貧民街にも教会はある。

 物凄くボロボロで汚いけど、一応ある。


 


「助けてくださーい! このままだと、私は両親に殺されます!」



 大袈裟に泣きついてみた。

 ちょっと盛った方が親身になってくれるんじゃないか、っていう思惑は、琉菜だった頃の記憶のせい。


 でも教会で迎えてくれた神父様は、とても歓迎なんて顔ではなかった。

 すっごく面倒くさそう。よく考えてみたら、ここは貧民街。私のように、困ったらとりあえず教会行っとけ、って考えで飛び込んで来る人間は、きっと掃いて捨てるほどいるんだ。


 それでも私は教会前で泣き続けた。ここで帰るわけにはいかない。

 しつこい私に神父様はとうとう折れて、保護してくれることになった。


 これでとりあえず、一安心。

 ……とは、いかなかった。



 すぐに両親が迎えに来たのだ。ヘラヘラして。


「いやぁ、ご迷惑をおかけしてすみません。ただの親子喧嘩なんです」

「神様の前で嘘をつくなんて、困った子だわ。すぐに連れて帰ります」


 一瞬で連れ戻された。

 そして父にボコボコに殴られた。あまりの酷い暴力に、一晩中うずくまって動けなくなるほど。更には翌日から熱が出て、一週間も寝込んだ。あちこちが痛くて仕方なくて、どこか骨が折れていたのかもしれない。

 辛くてベッドで唸り声をあげる私に、追い討ちをかけるような両親の会話が聞こえてきた。


「まさかあいつが逃げ出そうとするとは思わなかったな」

「そうね……。少し予定より早いけど、もう売っていいんじゃないかしら」

「そうだな。チッ……。それならあんなに殴るんじゃなかったな。体に傷跡でも残ったら、価値が下がる」

  


 それは私を売るための相談だった。

 知り合いのツテで私を人身売買の請負人に売り払って、一気にまとまった金を手に入れるか、それとも家で引き続き家事をやらせておいた上で、母同様、毎晩体を売って稼がせるか……さて、どちらがいいものか、という内容だ。

 私が教会に助けを求めたことにより、人身売買の線が濃厚のようだった。


 私にとっては更なる地獄が続くだけなので、もうどっちでもいい。はっきりしたのは、やっぱりこの家からは逃げ出さないといけない……ということだけ。



 本当に、なんて不幸な人生なんだろう。

 聖女の旅は地獄だと思っていたけど、今のこの状況に比べたら、全然そんなことなかった。

 あの頃は、なんだかんだ楽しかった。優しい人にばかり囲まれて、非日常を味わう日々。

 あんなに毎日笑って、ヘトヘトになるまで動いて、見るもの全てにドキドキして過ごしたのは、琉菜とルーナ、2人分の人生全部振り返っても、あの一年が一番だった。思い返せば、何よりもきらきらした思い出だ。



『ルナ。もし困ったことがあったら、いつでも俺を頼ってくれ。必ず力になる。この恩は忘れない』


 フェリックスの言葉が、脳裏に浮かぶ。


 フェリックスは、婚約を発表したばかりだ。

 もし私が彼の前に姿を現せば、そして万一私が元聖女だと知られれば、彼に迷惑がかかってしまう。


 でも……。

 もう私が頼れるのは、フェリックスしかいない。

 誰より優しくしてくれたフェリックス。彼ならば、私を助けてくれるに違いない。


 熱と痛みにうなされる夜、フェリックスの言葉が、私に残された唯一の希望の光に見えた。




 ようやくなんとか体を動かせるようになった頃。

 深夜、母が仕事に出かけ、父が酒に酔いつぶれて眠りこけた隙をついて、私は家を飛び出した。


 体はまだあちこち痛むけれど、回復を待っている暇なんてない。

 目に見える傷がほぼなくなれば、きっとすぐに売られてしまうだろうから。


 一晩中歩き続けて王都を目指した。

 馬車ならば大した距離ではないが、徒歩となるとなかなか大変だ。しかも私の体は傷だらけで、もうずっとまともな食事もしていない。

 ただでさえボロボロだった靴は、長時間歩いているうちに底抜けてしまい、使い物にならなくなった。仕方なしに、途中からは靴を捨てた。


 真っ暗な夜道をたった一人、月明かりだけを頼りに歩く。何度も意識が飛びそうになって、このままここで野垂れ死ぬんじゃないかと思った。


 そんな時に思い出すのは、フェリックスと騎士たちの笑顔。

 フェリックスに会えば、きっとなんとかしてくれる。

 そう信じて、歩みを止めることなく朝を迎えた。



 ようやく王都へ足を踏み入れたのは、もうすっかり太陽が昇りきった頃だ。

 琉菜だった頃に訪れた時と何も変わらない、賑やかで活気に溢れた王都。


 綺麗な服に身を包み、華やかに着飾る人ばかりの中、私はとっても浮いていた。人ごみの中にいても、皆が私を避けるように歩き、じろじろと不躾な視線を投げかける。


 骨と皮だけのような貧相な体に、粗末な服、足元は裸足。露出している顔や足には、青あざがいくつも残っている。

 ──そんな私の風貌は、確かにこの場所に不釣り合いだ。


 なんだか急に恥ずかしくなってきて、痛みをこらえ、急ぎ足で王都の中心部にある大きなお城を目指した。



 やっとの思いで辿り着いた城門。

 お城を囲む城壁を前にしたら、以前よりもずっと高く見えた。立場の違いというのは、目に映る景色さえも違って見せるらしい。

 城門前に立つ精悍な顔立ちの騎士相手に、どうやって声をかけようか、妙に緊張してしまう。


 ──大丈夫。私の知る騎士は、誰もが気さくで親切だった。

 意を決して、口を開く。


「……あの! フェリックス王子に会わせてください!」


 門の左右にそれぞれ立つ二人の騎士は、しかし冷めた目でみすぼらしい姿の私を見下ろした。


「入門許可証は?」

「……にゅ、入門許可証……?」

「許可証がなければ、城内には入れない。入れたところで、そう簡単に王子には会えないだろうがな」

「えっ……! じゃ……じゃあ、フェリックス王子に伝えてください! ルナが来たって」

「…………」


 騎士たちが、互いの顔を見合わせている。

 どうも困っている様子だ。でも、こっちだってここまで来て引き下がれない。

 

「お願いします! 伝えてもらえれば、わかるはずなんです」

「……。悪いが俺たちの立場では、王子と口をきくことも出来ない。伝言なんて頼まれても困る」

「だったら他のえらい人に頼んでください!」


 騎士たちは渋った。

 明らかに私を追い払いたいように見える。でも私は後がないので、何を言われてもしつこく食い下がる。

 騎士たちの方も、口で言ってもきかない私をなんとかしたいのだろうけど、既に傷だらけで触れたら折れそうなほどやせ細った私に、手を出せずにいた。


 

 長時間にわたって城門前で粘っていると、突然私の背後に視線を向けた騎士たちの顔色が変わった。

 振り返ると、何頭もの馬に先導され、やたら豪華な馬車がこちらへ向かって来ていた。


 

「王家の馬車だ……! おいお前、そこをどけ! 行く手を阻みでもしたら、首を跳ねられるぞ」


 ……王族が乗っている馬車!

 

 騎士たちは焦った様子だが、私は逆に城門の前で両手を広げて立ち塞がった。それを見て、騎士たちがますます真っ青になっている。


 私にとっては、これはチャンスだ。下っ端の騎士では話にならないんだから。


 そして、私はとってもラッキーだった。


 馬に乗っているのは、一際目立つ騎士服を着た男女だ。城門前の騎士たちと、明らかに違う。絶対にえらい騎士様だと思った。

 その中から、一人の騎士が声をかけてきた。


「何をしている?」


「あっ……!」


 真っ赤な髪をした体格のいい騎士。見知ったその顔に、思わず声をあげた。


「赤毛のジャック!!」

「……!? 何故、俺の名を……。それにその呼び名は……!!」


 ジャックが驚きに目を見開いた。


 懐かしい……。ジャック、ちっとも変わっていない。

 ジャックは、聖女の旅に同行した騎士の一人だ。快活な性格で、いつも大きな声で笑っていた印象が強い。


 赤毛のジャック、というのは、私がつけた二つ名だ。

 

 同行騎士の一人に、カイルという騎士がいた。

 騎士の中では最年少で、危険な場所に真っ先に飛び込んで安全確認をする役割だった。身のこなしが素早くて、しかも宿の空き状況の確認などの雑用も率先して行ってくれた。そんな彼を、私は冗談で「疾風のカイル」と呼んだ。

 そうしたらジャックが、かっこいい呼び名を俺にもつけてくれ、と言い出したのだ。

「じゃあ赤毛のジャックね」と適当に呼んだら、「見たまんまじゃねえか!」と大声で笑っていた。


 だからこの呼び名は、私たちしか知らないのだ。


「ねぇジャック。私、ルナだよ。フェリックスに会わせて!」

「……! ルナっ……」 


 てっきり喜んでくれると思ったのに、ジャックはその顔をはっきりと曇らせた。そのまま気まずげに顔を逸らしてしまう。私の知る明るい彼らしからぬ態度だ。


「ジャック? どうしたの?」


 首を傾げていると、凛とした声が響いた。


  

「おいジャック。いつまで俺を待たせる気だ」



 馬車から降り立ったのは、ずっと焦がれていた人だった。


 

 私が最後に会ったのは、この世界では二年前。

 18歳になったフェリックスは、たった二年の間に随分と大人びていた。あの頃は、まだ少年らしさが残っていたのに。

 整った顔立ちはそのままに、すっかり凛々しくなったフェリックスに、私は見惚れた。


 

 ────会いたかった。

 ずっとずっと想い続けて、心の支えになってくれたその人が、今、目の前にいる。


 その事実だけで、涙が溢れそうなほどに喜びが込み上げてきた。 



 ────けれど。


 フェリックスの私を見下ろす瞳は、酷く冷たいもので……。

 汚いものを見たかのように、その美しい顔を顰めた。



()()をさっさとどけろ」

「……殿下。この娘は……」


 冷ややかに言い放つフェリックスに、ジャックが言い淀む。

 このままじゃまずい。私の今の見た目では、下っ端騎士どころか、フェリックス本人にも相手にされない。


 そう気付いたから、慌てて声を上げた。


「……っ、フェリックス! 会いに来ちゃった。ごめんね、急に。私……! ルナだよ!」


「…………ルナ、だと?」


 フェリックスが、私をまじまじと見る。

 ルナだと名乗っても尚、フェリックスの表情は厳しい。

 なんだか急に不安になってきた。


「あっ、安心してね? もちろんフェリックスの邪魔をするつもりはないよ! ただ、私今、すっごく困ってるんだ。ちょっとだけ、助けてもらえないかな、って……」

「何を言ってるんだ、お前は?」

「えっと……。だからね、私が聖女だった時、約束してくれたでしょ? いつでも頼ってくれ、力になるって。覚えてない?」


 一生懸命説明しながら、背中に冷や汗が流れる。


 フェリックスは、やっぱりちっとも笑わない。

 久しぶりだなって、元気だったかって、そう言ってもらって笑い合う妄想は、何度もしてたのに。

 実際のフェリックスは、迷惑そうに私を見下ろしたまま。


 ……嫌な予感がする。


 そしてその予感通り、フェリックスが決定的な一言を発した。


 

「聖女、だと? 俺の大事な婚約者であるシャーリーを差し置いて、元聖女を名乗るなんて許せん。この女を捕らえろ」



 その言葉に反応して、ジャックが私の体を乱暴に掴んだ。

 信じられない思いでジャックを見上げる。けれど、私と目を合わせようとはしない。


 ジャックもフェリックスも、私が本物の元聖女だって、わかっているはずだ。

 それなのに、どうして……?


 

 フェリックスに再び視線を戻すと、彼はその美しい顔に、酷く醜い笑みを浮かべていた。それは一瞬で、さっと私から目を逸らせる。


 ──その瞬間、悟った。


 私は騙されたんだ。

 フェリックスははじめから、私に聖女としての仕事をさせて、捨てるつもりだった……!助ける気なんてなかったんだ!


 私はちゃんと役目を果たしたのに、今は辛い生活を強いられている。

 それなのにフェリックスは、魔物に襲われる心配のないこの国の未来と、好きな人との結婚。望むものをちゃっかり手にしている。

 私を踏み台にして……。


 こんな男を好きになった私は、なんてバカだったんだろう。

 激しい後悔とフェリックスへの強い怒りが込み上げる。

 長年の恋慕は、たちまち強烈な恨みへと変貌した。


 ……絶対に許さない……!!


 

「……っフェリックス!!」


 大声で呼びかければ、彼は驚いたように振り向いた。


「あんた、はじめから私を騙すつもりだったんだな!? 最低っ……!!」


 ジャックと、他の騎士にも押さえつけられながらも、込み上げる怒りをなんとかぶつけたくて、必死に睨みつけて浴びせた罵声。

 私の醜い抵抗をその瞳に映したフェリックスは、整った顔に余裕の笑みを浮かべた。


「俺を騙そうとしているのは、お前の方だろう? 聖女はシャーリーだ。お前のような小汚い庶民であるはずがない。気安く俺の名を呼ぶな。ジャック、()()を牢に入れておけ」


 そう言い捨てて、フェリックスは今度こそ背を向けて馬車に乗り込んだ。


 このままフェリックスの思い通りになって、たまるもんか!


 そう思うのに、まともに抵抗も出来ない。

 私の貧弱な体では、ジャックの強い力に逆らえず、引きずられるように乱暴に連れて行かれる。


 痛い痛い、と声を上げながら引っ張られる私と、それを無視して歩みを進めるジャック。

 そんな私たち二人の前に、人影が立った。



「そんな子ども相手に、随分乱暴ですね」


「……!!」


 

 ────疾風のカイル。

 聖女の旅に同行した、最も歳若い騎士。


 そんな彼の登場に、驚いて声を上げそうになり、やめた。

 今、状況は最悪だ。ジャックの時の二の舞になるかもしれない。ひとまず黙っておいて、ジャックの言葉を待った。

 


「……この娘は、元聖女をかたった重罪人だ」

「そうですか。それにしてもジャックさん、顔色が悪いですね。この娘は俺が預かりましょう。牢に入れておけばいいんでしょう?」

「ああ。……いや、しかし……殿下から直々に命じられている」

「それは責任重大だ。俺にお任せください。ジャックさんは、少し休んだ方が良さそうだ」

「…………そうだな。頼む」


 ジャックはよっぽど私と一緒にいたくなかったんだろう。フェリックスと違い、罪悪感を感じているのだろうと伝わってくる。それでも、王子様には逆らえなかったんだろうな……。

 ジャックは、一度も私を見ることなく去っていった。


 残されたカイルは、ジャックのように私を無理に拘束することはなかった。

 

「大人しくついてきてくれたら、痛いことはしないからな」


 そう言って笑う。

 ルーナである私に、はじめて向けられた優しい笑顔だった。たったそれだけのことで、ちょっとだけ涙が零れそうになる。


 カイルは私が聖女だった頃から、ずっと優しかった。たぶん、フェリックスの次くらいに。


 でも……。

 またジャックと同じように冷たくされたら、裏切られたら……。

 

 ぽっきりと折れた私の心は、もう誰も、カイルのことも信用し切れずにいる。



 そしてそれ以上に、このまま牢に入れられた自分の末路が頭をよぎり、じっとりとした恐怖が全身をはい回った。

 私にとってはこの世界、地獄の先は、どこまで行っても地獄。


 

 目の前には、人の良さそうな笑みを浮かべたカイルただ一人。

 それなのに、どう振る舞えばこの場をうまく切り抜けられるのか、琉菜とルーナ二人分の人生経験を積んだはずの私は、そんな頭も働かない。だから簡単に騙されて、裏切られたのだろう。


 愚かな私は、ただカイルに縋り付いた。

  

「騎士様……。どうか、見逃してください。お願いします」 


 みっともなくても惨めでも、このボロボロな自分の姿を武器に同情を誘うこと以外、逃げる方法は思いつかなかった。

 唯一の希望を失い、信じていた仲間にも裏切られた私は、もう何も持っていない。ただ胸の奥に宿った激しい怒りの炎だけが、絶望の暗闇の中で足元を照らしている。


 ──例えここから逃げた後にその辺で野垂れ死ぬ運命だとしても、フェリックスの思い通りになることだけは、我慢ならない……!! 



 膝をつき、頭を地面に擦り付けた私の頭上で、息を飲む気配がした。


「……やめてくれ。頭を上げて」


 言われた通りに顔を上げると、カイルはすぐに優しい手つきで体を支え、立ち上がらせてくれた。そのまま至近距離で顔を覗き込まれて、びっくりして息が止まりそうになる。貧しく汚れた今の私に、こんな風に構わず触れて、距離を詰める人なんて一人もいなかった。

 目の前のカイルは、困ったように笑っている。

 

「酷いな、ルナ。騎士様、だなんて。忘れないでと言ったのに、俺のことを覚えていないのか?」

「…………!」



 どうしてだろう。

 私はこんな見た目なのに。

 彼の先輩であるジャックは、私のことを罪人だとはっきり言ったのに。

 フェリックスの命令で、牢に入れなければいけないのに。


 ──それなのに、カイルは気づいてくれた。私が、ルナだと。そして躊躇うことなく、名を呼んでくれた。笑いかけてくれた。


「……カイル……。なんで、私がルナだってわかったの……?」

「わかるさ。シャーリー嬢が聖女じゃないのは、少し話せば旅の同行騎士はすぐに気付く。王子様が認めた聖女がいるのに、わざわざ聖女だと名乗り出るとしたら、本物であるルナしかいないだろう。それに見た目が変わっても、ルナはルナだ。仕草も雰囲気も、驚いた時の表情も、なんとなくルナっぽかった。俺たちが、命を懸けて守った聖女様だ。間違えるはずがないさ。もう一度会えて、とても嬉しいよ」



 カイルの言葉は、二度目のこの世界で、はじめて私を価値ある人間にしてくれた。私がここに戻ってきたことを認めて、喜んでくれた。

 

 私は泣いた。我慢していた涙が、とうとう零れてしまった。

 そんな私を、カイルは丁寧な手つきでエスコートして、場所を移動させようとする。どうにかして逃げるつもりだったけど、もう抵抗する気にはならなかった。

 行き先が牢屋だとしても、それでも良かったから。私の存在を認めてもらえた気がしたから。その先にあるのが地獄でも、連れて行ってくれるのはカイルがいい。

 


 ──ただ一つだけ。

 望むのは…………。



「……フェリックス……。地獄に落ちろ…………」



 大好きだった王子様を、私は呪った。

 今の私に、聖女は似合わない。見た目も中身も、すっかり汚れてしまった。

 ……だからこそ。

 

 あいつだけは、死んでも許さない──。

 そんな気持ちを込めて、カイルには聞こえないように、小さく呟いた。

 


 

 ◇◇◇




 人目を避けて城の裏手にまわり、馬舎から馬を一頭拝借し、難なくルナと二人、抜け出すことが出来た。

 二年前に聖女の同行騎士として使命を終えた俺は、十分な地位と名誉、報奨金を手に入れている。俺の行動を咎められる人間は多くない。

 馬に乗せるために抱え上げたルナの体は、驚く程に軽かった。後ろから体を支える形で馬を走らせる。王都から出るのも、呆気ないくらいに簡単だった。


 しばらく走ると、ようやくルナがこちらを振り返った。


「あの……カイル。どこへ行くの? 牢屋じゃないの?」

「まさか。ルナを牢になんか、入れさせるはずがないだろう。悪いようにはしない。俺を信じて、一緒に来てくれないか?」


 ルナが戸惑うように、少し怯えた視線を俺に向ける。どうやら簡単に信じてはくれないらしい。

  

 俺は卑怯だ。馬に乗った以上、ルナはもう逃げられない。そんな状況に追い込んでからしか、ルナの意志を確認してあげなかった。姑息な手を使ってでも、ルナをフェリックスから引き離したかったからだ。


「ルナ。これから、隣国のアスタール王国へ向かう。ルナを罪人になんてさせない。俺が守るよ」


 そう言えば、ルナは目を丸くして、くしゃりと顔を歪めて涙を零した。俯いて、何度も小さく頷いている。

 疑心暗鬼な様子を見せながらも、優しい言葉をかけられれば、あっさり心を開いてしまう。やっぱりルナは相変わらずだな、と思う。

 そういう素直さが、純粋さが、危なっかしくて、守ってあげなければいけないと思っていた。

 



 ずっと聖女という存在に憧れていた。

 異界から現れて、全く縁もゆかりもない国や人々のために力を尽くしてくれるというその方。そんな高潔さに、神聖さに、とても惹かれた。

 

 自分が騎士として最前線で活躍出来る年齢のタイミングで聖女召喚が行われると知り、絶対に聖女を守る騎士になりたいと思った。


 聖女の召喚は、大陸にある五つの国がそれぞれ試みる。どの国が聖女に選ばれるのかはわからない。

 俺は努力の末に騎士として名をあげたけれど、聖女が召喚されたのは母国であるアスタール王国ではなく、隣の国だった。

 それでも諦め切れなかった俺は、隣国出身の祖母のツテで、なんとか聖女の同行騎士に選ばれた。


 実際に会った聖女様は、想像よりもずっと幼くて。神聖で高潔というより、無邪気で愛らしい存在だった。

 はっきり言って、当時は少しだけ落胆していた自分がいた。

 

 しかし庇護欲をかき立てられるような彼女は、その見た目や振る舞いに反して、決して弱音を吐かなかった。

 ルナの異界での暮らしぶりを聞けば、この国の王族に相当するか──あるいは、それ以上のものだ。聖女の旅は、彼女にとってとてつもなく大変なものであることは明らかだった。

 それなのに文句も言わず、俺たち騎士に笑いかけ、何かするたびにありがとう、と礼を言う。辛くなかったわけではないだろう。ルナのテントの前で夜の見張りをしている時に、すすり泣く声を何度も耳にした。

 ルナのため、とかこつけて何かと無理な要求ばかりするフェリックス王子とは大違いだった。


 フェリックス王子のことは気に入らなかったが、ルナは彼に好意を寄せているように見えた。どちらにしろ二人は、結婚することがこの国の決まりだ。ルナが幸せなら、それでいいと思っていた。

 それなのに──。

 あいつは、ルナを裏切った。



 元聖女と王族との結婚。

 それがどんな意味を持つのか、フェリックスは一体どの程度理解しているだろうか。


 聖女は、神に愛された娘だ。例え役目を終えても、その寵愛は変わらない。聖女が救った国は、神に試され続けている。果たして聖なる力で守る価値があるものか──と。

 ルナが国を出れば、それは国を見限った、捨てたも同然なのだ。

 聖女の守護の力は消え、すぐに魔獣が再び現れるだろう。そうなれば、フェリックスの嘘も明らかとなり、立場を追われるのは間違いない。


 ──さて、果たしてそれだけで済むだろうか。


 国は向こう50年分、魔獣対策のための予算を、国の更なる発展にあてる算段であったはずだ。国民も、この先魔獣被害が出ることはないと安心し切っている。

 それをひっくり返したフェリックスには、どれ程の怒りが向けられるだろう。どうやったって、処刑は免れられないのではないか。


 自業自得だ、と思う。

 ルナを大切にしなかった罪は重い。


 アスタール王国に辿り着けば、きっと元聖女であるルナは歓迎され、保護してもらえるだろう。

 聖女によって守護された国には魔獣は出ないが、そこにいたものが消えてなくなるわけではない。周辺国へと溢れ出るのだ。

 それが元に戻れば、当然魔獣による被害も分散される。

 周辺国からすれば、聖女の守護を失ってくれれば願ったり叶ったり。みすみすルナを引き渡したりはしないはずだ。

 どの国も欲した聖女様を得ながらも、ぞんざいに扱ったのだから、尚のこと。



 ルナが幸せになるところを見届けるまで……と、母国に帰らず留まり続けて良かった。お陰で彼女を救い出し、更には自分の手で幸せにする機会を得た。


 馬上で、まだ不安げに周囲を見ているルナの耳元に、口を寄せる。


「ルナはまだ、この世界について知らないことが沢山あるだろう。俺が教えるよ。綺麗に着飾って踊ったり、美しい庭園のガゼボでお茶をしよう。美味しいごはんを食べて、ふかふかのベッドで当たり前に眠るんだ。これから色々楽しいことをして、美しいものばかりを見せてやる。この世界に戻って来て良かったと、ルナがそう言える日まで」


 俺の言葉に、ルナは困ったように眉を下げて振り返った。


「カイル……。あの、とても嬉しいんだけど……。ひとつだけいいかな?」

「もちろん、なんでも言ってくれ。ただし、やっぱり俺じゃなくてフェリックス王子のそばに戻りたいって話なら、お断りだ」

「違うよ! あんなやつ、大嫌いだよ。もうあいつの話はしないで。どんなに恨んだって、悔しいけど仕返しも出来ないから、忘れたいんだよ!」

「安心していい。フェリックス王子は放っておいても勝手に破滅する」

「……えっ?」

「いや、なんでもないさ。そうだな、あいつの話はもうやめよう。それで、ルナの話はなんだ?」


 ルナの気持ちは、もうフェリックスにはない。それがわかって心底ほっとした。わざわざルナにこれ以上フェリックスのことを考えさせる必要はない。

 緩く首を振る俺に、ルナが明るく言った。


 

「私、今、ルーナって名前なんだ。だからこれからは、そう呼んでね」

 


 

 いつか見た聖女のような顔で、ルーナが無邪気に笑みを湛えている。


 その笑顔に、心の中でそっと誓う。

 姿や名前が変わっても、変わらない心を持ったこの少女を、生涯をかけて守ろう、と。

 憧れて焦がれて、でも自分のものにはならないと諦めていた雲の上の聖女様が、この腕の中に堕ちてきてくれたのだから。



 

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― 新着の感想 ―
楽しく読ませていただきました! ぜひ王子のザマァをお願いします!
面白いお話をありがとうございます! 余韻ある終わり方、イロイロ想像妄想が膨らんで、好きです♪
あれ、半端に終わった……と思ったら。 確かにタイトルは復讐じゃなく、ただ文句を言ってるだけと書いて ありますね。可哀想、主人公。
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