声はまだ、そこにある
夜ご飯を食べながら、いつものラジオ番組が始まった。俺はSNSで番組ハッシュタグを検索し、一言つぶやいた。食器を流しに置き、風呂のスイッチを入れる。
「ふーっ」
湯船につかり、スマホからラジオを流す。画面には会社のメール。見ない、と決めたはずなのに、指はもう開いていた。
「今日は、特に急ぎの案件はなしっと」
お風呂から上がり、水分をとって、少し部屋の掃除をして就寝する。
先週末、実家の母の具合があまり良くないと姉から連絡があった。実家の両親とは穏やかな関係ではないので、ここ数日は憂鬱な気持ちのまま眠りにつく。
スマホの目覚ましの音が遠くから近づいてくる。
「んー、もう朝か……」
寝ぼけ眼でスマホをタップした。テーブルの上にあるノートパソコンのラジオアプリを開く。
「おはようございます。今朝の天気は曇りで……」
テレビはつけない代わりに、ラジオの声だけを部屋に流す。天井に手を伸ばす仕草をしてのびをした。足をキッチンへ運び、コーヒーを入れるためのお湯を沸かす。ドリップコーヒーをセットしたマグカップに少しずつ注ぐ。コーヒーの香りで頭がゆっくりと目覚めていく。
「さて、メールを一通。ラジオネーム甘酒さん。先日、カバンを座席の上の網に置いたまま、電車を降りてしまいました。すぐに駅員さんに伝えましたが、どの車両に乗っていたかもうろ覚え。結局、終点駅まで誰にも触られずに網棚の上にありました」
隣の部屋で着替えながら、俺の投稿したメールが読まれていた。
「見つかってよかったですね。ご時世的に他人のカバンを触ったりしなかったのかもしれませんね。みなさんも忘れ物にはお気をつけください。さて、ここで1曲、先週リリースした夏にぴったりの曲です……」
流行りのグループの明るい音楽が流れ始めた。リクエスト曲がかかるとそろそろ家をでる時間だ。パソコンを閉じて、仕事用のカバンと家の鍵を持って玄関で靴を履く。出勤時間までラジオをかけっぱなしにしている。時間があれば、番組にメールを送るときもある。昔は葉書だったが今はメールやSNSのタイムラインに流れた一言が、ふいに読まれたりする。形は変わっても誰かに届くかもしれないという感じだけは、あの頃のままだ。
学生の頃は、学校から帰ってきてから、自分の部屋でラジオを聞きながら勉強する生活をしていた。社会人になり家を出て一人暮らしをはじめてからは、自分の好きなペースでラジオを聞いていた。
そんな生活も今月までだ。来月からは7年付き合った前の職場の先輩と二人暮らしになる予定だ。
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きっかけは、ある女の子だった。当時中学生になったばかりの掃除の時間、同じクラスになったさとうさんという女の子が、廊下で雑巾を掛けながら俺に話しかけてきた。
「ねぇ、ラジオって聞いたりする?結構面白いんだよー」
これがきっかけで、俺のラジオ人生がはじまった。
さとうさんは小学校からとても優秀な生徒で有名だった。男子も女子も別け隔てなく話せる雰囲気をもっていた。だから、存在感のない俺に気さくに話しかけてくれたのも、たまたま同じクラスになり、たまたま同じ班になっただけのただの偶然でしかなかった。
掃除の時間に小声でラジオについて話しかけてくるさとうさん。返事もろくにできない俺のことなどお構いなしに、彼女はマシンガントークをしてくる。
「昨日のラジオ番組面白かったよー、ゲストが豪華でさ。お酒飲みながら、酔っ払ってトークしてて……」
俺が返せる言葉は一言。
「へー、そうなんだ」
別の日。
「聞いて!深夜ラジオを聞きすぎて寝不足で、やばいかなって思ってさ、逆に早朝のラジオ聞き始めたの。そしたら、体にもいいかなって。あ、でもこの前のラジオドラマがさ、いいところで終わって、続きが気になるんだよねー」
「そうなんだ。え?ラジオドラマって何……?」
さとうさんはよく喋る子だった。
俺は雑巾を動かしながら、「へえ」としか言えなかった。雑巾を絞る音だけが、やけに大きく聞こえた。
家にあったラジカセはカセットテープを聞くだけの機械だった。ラジオのスイッチがあるのは知っていたものの、一度もオンにしてラジオを聞いたことはなかった。
「ラジオって面白いよね」
さとうさんの言葉が頭をよぎり、ラジオのスイッチをオンにしてみたが、ザーザーと砂の音しか聞こえない。どうすればラジオが聴けるのか知らなかったのだ。
仕事から帰ってきた父親に聞いて、電源の横にあるつまみで声が聞こえるところに合わせるということを教えてもらった。父親は、酒を飲みながら、入院中はラジオばかり聴いていたと話した。
「ほら、入院中はテレビを見るのもお金がかかるだろ。その分ラジオはバレなければずっと聞いていられたから、片耳のイヤホンをしてベッドの中でずっと聞いていたもんだ」
酔っ払って得意気に話す父親にそこまで興味がなく、自分の部屋にこもった。ラジカセのボツボツ穴が空いているスピーカーに耳を押し当てると、何やら話し声や音楽が聞こえてきた。しかしすぐに砂の音になる。ラジカセのアンテナを伸ばしたりすると、話し声が長く聞こえるようになった。
アンテナを持ちながら、部屋中をうろうろして、音がクリアに聴こえる場所を探す日々がはじまった。
ラジオの向こう側の人は俺を知らない。けれど、励ましてくれたり、リスナーの悩み相談に答えてくれたり。それが俺の中でとても心地よく耳に残り、葉書を通じて俺という人間がいることを知ってほしいと思うようになった。そして、葉書が読まれたときは、飛び跳ねるほど嬉しくて、次の日さとうさんに報告したり、昨日のラジオは面白かったなどと話ができるようになっていった。掃除の時間だけでなく、休み時間だったり廊下で少しすれ違ったりした時、ほんの少しでも話せる時間が楽しかった。恋をするってこういう気持ちなのかなと勝手な恋心を抱いていた。
さとうさんに教えてもらったラジオ番組の一つで、音楽番組を聴き始めた。テレビでも見るミュージシャンたちがラジオDJの女性と新曲やプライベートについて話していた。机の上のラジカセの前で、音楽や話し声を聴いているだけなのにとても楽しかった。ラジオを流しながら勉強をする。音楽や家族以外の人の笑い声や歌声が聴こえる。テレビの中の人とはまた違う、姿なき声。
葉書を書いている時間はとても楽しかった。中学生の思春期時代をラジオとともに過ごせて良かったと思う。居心地の悪い家だったこともあり、ラジオを教えてくれたさとうさんの存在は大きかった。
さとうさんと会うことはなくなっても、俺のラジオリスナー生活は続いた。気づけばラジオリスナー歴は四半世紀となった。
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現在、俺は人生に追われている。職場で知り合った先輩に告白して、付き合って数年。先輩の妊娠がわかり、急いで両親の顔合わせや婚姻届を出し、来月から引っ越す予定だった。仕事とプライベートも充実していたが、睡眠時間が少なく、終電でついた最寄り駅前のコンビニに疲れ果てた顔で立ち寄っていた。努めていた派遣先の会社が急に民事再生手続きをすることになり、次の日から新しい職場に変わった。県をまたぐほど遠く、車の運転はせず、電車通勤となったのだ。そして毎日始発と終電に揺られる生活を繰り返していた。
「ありがとうございましたー」
コンビニの店員も深夜となればテンションが高いはずもなく。コンビニを出たすぐ目の前がタクシー乗り場だった。いつくるかもわからないタクシーを俺は一人待つことにした。今から帰ろうとしている実家は歩いて帰るには遠すぎた。
「あれ?たっくん?たっくんじゃない?」
背中から聞こえてきた声が耳に届いた瞬間、俺は思考回路が停止した。この声を俺は知っている。ゆっくり振り向いたその先にいたさとうさんの懐かしい顔とともに、別の意味で驚きを隠せなかった。なぜなら、彼女は、深夜のコンビニの外ベンチに座り、タバコを吸っていたからだ。
「久しぶりー。元気?こんな遅い時間まで仕事?」
変わっていない……明るくハキハキしたさとうさんの声。俺を何度も助けてくれたあのころのままの笑顔と声だった。
「……ひさしぶりだね」
疲れ果てた顔を見られた恥ずかしさよりも、彼女の変わらぬ笑顔と声への驚きが上回った。一体どうしてここにいるのか驚きしかなかったのだ。
「さとうさんこそ、どうしてこんな時間に……。それに、たばこまで……」
俺の素直な感想をさとうさんはどう思ったのだろうか。
「あー、まー、色々あってさ。ちょっと疲れちゃったんだよね」
さとうさんは、変わらぬあっけらかんとした声で話していたが、顔に影ができたことを俺は見逃さなかった。ずっと会いたかった俺の恩人。このままにして帰るわけにはいかないと頭の中で警鐘を鳴らしている。俺はさとうさんが座るボロボロのベンチに腰掛けた。駅前だが各駅停車の駅ということもあり、個人経営の店やスーパーもすでに閉まっている。歩いている人もなく、少し先に国道が走っているため、車は数台通ったりするが、背にしているコンビニの明かりだけが無駄に眩しい駅前だ。俺たちの話し声が響く。
「たっくんは今も実家?」
「いや、隣の駅のアパートに住んでる。でも、今月は実家にいる予定なんだ。母の具合があまりよくなくて。でもちょっと仕事も忙しくて今日もこんな時間に……」
久しぶりに会えたというのに、いい報告よりも疲れから弱音をはいてしまった。
「そうなんだ。親の病気って結構精神的にくるよね」
さとうさんはフォローしてくれると同時に、俺の左手の指輪をみて、察知してくれたようだった。
「あ、もしかして彼女いるんだ、それとももう結婚してる?奥さんはどんな人?」
「会社の先輩なんだ」
さとうさんは、ベンチの横においてある古びたたばこの吸い殻入れに短くなっていたタバコを捨てていた。
「別に大丈夫だよ。会社でもまわりはたばこ吸っている人多いし。俺は吸わないけど。彼女ともまだ一緒に住んでいないから。そういう、さとうさんは?」
失礼なことを聞いてしまったのかもしれない。でも、さとうさんはあの頃と変わらぬ雰囲気で話してくれた。
「私?私は……まだだけど、結婚しようって思っている人はいるんだ」
下を向きながら少し照れくさそうに、でも迷っているような、そんな感じで話し始めた。
「なんとなく一緒にいるっていうか……」
「そうなんだ」
あの頃よりも大人になって、それなりに話だって上手になったというのに、目の前にいるさとうさんを見たら、一瞬であの頃の自分に戻ってしまったみたいだ。
「私の話はいいんだ。それより、たっくんの話がききたい」
「そんな、別に、俺はあいかわらずだよ」
「そう?でも幸せそうな顔してる」
「幸せ…か。そうなのかもしれないな」
一呼吸置いて俺は、なけなしの勇気をだした。
「……中学時代、さとうさんとラジオの話をしているとき、すごく楽しかった」
「ラジオか……懐かしいね。そんなときもあったね。あの頃、お互いすごくラジオ聴いてたよね」
懐かしい、か。さとうさんは、今はラジオは聞いていないのかな。俺は今でも聴いているよって、なんとなく言いづらくて、少し胸がきゅっとなった。
「さとうさんは彼氏とは結婚とか考えてるの?」
「うーん、どうだろう。一緒にいて楽といえば楽なんだけど」
「けど?」
「なんだろう、うまく説明できないや。このままずるずる一緒にいる感じかもしれないし。先のことはわかんないな」
「そっか」
さとうさんは話を変えたかったのか、仕事の話になった。
「大学とか、行ったの?」
一瞬、言葉に詰まってから、俺は笑った。
「行ってないよ」
静かに聴いてくれるさとうさん、あの頃と変わっていないようなやっぱり少し違うような。
「なんか、いいね。高校でバイトして社会勉強とかになったんじゃない?」
「そうかもしれない。さとうさんは?頭も良かったし、進学高だったから、大学に行ったんじゃないの?今は?」
「私の進学した高校、バイト禁止だったから、勉強してたな。それで大学にも行ったけど、普通に勉強して卒業したよ。それだけ。それが就職や仕事に役立つかは別かな。専門的な何かを身につけていなかったからさ。就職活動とか難しかったな」「……今はね、バイトとかしてるよ」
「そうなのか…」
最近の話から、昔の懐かしい話まで、気づけば深夜の2時近くなっていた。タクシーは来る気配がまったくなかった。
「そろそろ、帰ろっか。ごめんね。こんな遅くまで話しちゃって。たっくんは実家まで近いの?」
「俺の実家、さとうさんの家から、もうちょっと先。歩くけど、大丈夫。道路整備もされて広がったし。まぁ、俺の家の近くはまだ田んぼ道ばっかりだけど。さとうさんの家の方向から帰るよ」
俺とさとうさんは、ベンチから立ち上がり、歩き始めた。あの頃より背も年も大きくなった俺。大人になって、俺はさとうさんと対等に話せただろうか。
「私こっちだから、じゃあね。ありがとうね。家まで気をつけるんだよ」
「そっちも」
さとうさんは笑顔で手を振って家の方向へ歩いていった。俺はさとうさんが見えなくなるまで手を振っていた。途中、さとうさんが振り返った。
「たっくん。今日、会えて良かったよ!ありがとうね!なんだか元気が出た。そうだ、ラジオ!たまにだけど聴いているよ!」
真夜中の住宅街なのに、大きな声で返事をした。
「俺も!ありがとう!」
あの頃のさとうさんがどこにもいなくなったわけではなかった。中学を卒業してから、さとうさんに何があったのかはわからない。その背中が見えなくなるまで、俺は立ち止まっていた。
なぜか先輩の声が聞きたくなった。あの頃とは、違う声が、今はそばにある。スマホをとりだしたが、すでに2時半をすぎていた。先輩にはまた明日メールしよう。そして明日の仕事帰りに先輩の家に寄ろう。正確に言うと、俺はあと2時間後には再び会社へ行くのだ。
「みなさん、おはようございます。現在時刻は6時8分、ラジオ局のスタジオから見える天気は、雲ひとつない青空です!今朝入ってきているニュースを……」
「たくー、おはよう」
「おはよう」
引っ越しをしてまだ数日。身の回りの物は、ダンボールから取り出したが、まだ引っ越しのダンボールが部屋の隅に積まれている。仕事から帰ってきたら少しずつ片付けるから、絶対無理はしないことと、臨月の先輩に言い聞かせ、数日が経過していた。
「それでは次のおたよりを。ラジオネーム、甘酒さんからいただきました。おはようございます。いつも楽しく拝聴しております。先日、引っ越ししました。ダンボールがまだ積まれたままですが、再来月、出産予定の奥さんと一緒に、今週末は部屋の片付けをする予定です。今、とっても幸せです」
「甘酒さん、おめでとうございます!」
「たく、今のラジオ聞いた?うちと同じだねぇ」
「うん、そうだね。ふふっ」
「何笑っているの?」
「別に」
そうして今日も俺はラジオに耳を傾ける。先輩からコーヒーを入れてもらい、朝ごはんを食べ始めたところで、一枚の葉書が目の前に差し出された。
「そういえば、たく宛に葉書が届いていたわよ。旧姓さとうさんって、中学の同級生?」
俺は、テーブルに置かれた葉書を見て箸を止めた。今度は驚きはなく、ほっとした気持ちだった。
「ありがとう。うん、俺の恩人なんだ。さとうさん、結婚したんだ……良かった」
今日のお昼休みに郵便局に葉書を買いに行こう。さとうさんに結婚祝いの返事を書こう。そして、リクエスト曲と一緒に、お祝いのメッセージをラジオ番組に送ろうと思ったのだった。
葉書を裏返し、ペンを握る。
曲名は、もう決まっていた。




