9話(会社員6)
「そ、そうだ。あの時、怪しい少年がビルにいたんだ」
私が何とか絞り出した言い訳に、仁良は怪訝に顔をしかめる。
よほど強く殴られたのか、まだじんじんとしびれる背中をかばいながら、私はゆっくりと体を起こす。
「あの時、だ?」
「ああ。実はビルから出る前にエレベーターの事故で閉じ込められたんだ。その時に一緒に閉じ込められた少年がいたんだ。あのビルにはうちの会社しかないはずだし、その少年があの火事にも何か関係があるはずだ」
その少年と本当に関わりがあるのかはわからないが、少なくとも私を疑うならあの少年だって十分に怪しいはずだ。
「おいおいおいおい。なあお前さん、そんな見え透いた嘘でけむに巻こうってのは、さすがに無理があるだろ。牛田ぁ、さっさとこいつを連れていくぞ」
仁良がさも呆れたという感じで言う。
「まっ、待ってくれ!」
「ああ、でも仁良さん。エレベーター事故があったのは本当らしいっすよ」
慌てて声を上げる私のことは気にせずに、変わらずマイペースに牛田がスマホを弄りながら言う。
さきほどニュースを確認したときには報道されていなかったと思うが、私がこうして殴られ連れていかれようとしている間に報道されていたようだ。
火事とエレベーター事故を関連付けて報じているのか、ネットニュースの見出しを読み上げながらスマホ画面を未だ怪訝そうにする仁良に見せている。
「あんたら仕事だと言っていただろ? なら、私を連れて行ったとしてそれで本当に犯人が私でなかったら、間違いだったら困るんじゃないのか?」
ネットニュースを確認する二人に畳みかけるように言う。
この機を逃さぬよう、疑いの目を私からあの少年へと向けさせなければならない。
二人の男が堅気とは思えない。同業者かその元締め側に雇われているような連中なのだろう。だとすれば、連れていかれた先でどんな目にあわされるか分かったものじゃない。
私のような下っ端のいる組織でさえ、ちょっかい掛けてきたやつにはそれを後悔するだけのお灸をすえることになる。後遺症の一つや二つは覚悟した方が良いくらいのな。
私が知る中で一番こっぴどくやられた者は、片方の聴力を失い健常な歯は指で数えるほどしか残らなかった。
「なら、お前さんがその怪しい少年とやらを捕まえて来ると良い」
私の言葉に少し考える素振りを見せたかと思うと、仁良がそんなことを言ってきた。
「どうして私が?」
「おいおいおいおい。お前さんが怪しい少年がいたって言い出したんだろ。俺たちも忙しいんだよ。その点お前さんは仕事場もなくなって暇だろう。だったら、お前さんがその怪しい少年を捕まえて来てくれや。それまではお前さんも執行猶予ってことにしといてやるからよう」
確かに事務所が燃えてなくなったことで、私も仕事を失ったようなものかもしれない。一応、親会社というか元締めは別にあるはずだが、そこが従業員全員を把握しているとも思えない。
しかし一度しか会ったことの無い、どこの誰とも知れない少年を見つけるなんて無理があるだろう。私は探偵でもなんでもないのだ。
「もし、その少年が見つからなかったら?」
「その時は、お前さんを犯人として連れていく。俺たちも手ぶらじゃ帰れねえからなあ」
仁良の向ける猛禽類のような眼が、決して私を逃がさないと告げている。
なんとしてでも少年を見つけなければ、男たちはどこまでも私を追いかけてくるだろう。海外ならとも考えるが、男たちの後ろにどれほどの組織があるのかもわからない以上、それでも完全には安心はできないだろう。
「そうと決まればだ。牛田ぁ、あれくっつけとけ」
「ほいっす」
「――痛っ!?」
仁良が牛田に何かを命じたかと思った瞬間、首の後ろの付け根辺りに針で差されたような鋭い痛みが走った。
見た目に反して軽やかに私の後ろに回り込んだ牛田が何かを刺したらしい。
慌てて痛みのあった箇所に手を当てると、触れた指に微かに血の跡が残った。
「何をしたんだ」
「ペットに埋め込まれるマイクロチップってあんだろ? あれと同じようなものをつけさせてもらっただけだ」
ペットにマイクロチップを装着させることが義務になったという話をニュースか何かで聞いた覚えがある。
肩甲骨あたりに埋め込むらしいがそれもペットを捨てる飼い主を特定するためとかで、なんとも複雑な気分になったものだ。
仁良は同じように私に何かを打ち込んだのだと言う。
だけだと言うが、それは私の首筋に得体のしれない異物を埋め込まれたということだ。
「こっちのは飼い主を特定するためのものじゃなくて、居場所を特定するための特別製だがなあ。ああ、自分で取り出そうとするのはあまりお勧めできない。ちゃんと頸動脈の近くに打ち込んだからなあ、素人が下手に弄ったら動脈を傷つけかねない」
仁良がさらりと恐ろしいことを付け加える。
その頸動脈近くに針を刺されたことに今更ながら背筋が冷える。
下手に取り出すことは出来なそうだが、病院なり何なりに行けば摘出不可能というわけではないだろう。まあ説明できるものでもないから一般の病院に行くことは出来ないが。
どちらにしろ、簡単には逃がしてくれないというわけだ。
「ああ、そういやお前さんの名前は?」
去り際に仁良が今更ながら聞いてくる。
そういえば彼らも私が怪しいという理由で捕まえようとしただけで、私の素性まで調べ上げて訪れたわけでは無かった。
「鈴木一郎、ですが……」
「鈴木一郎?」
せっかく名乗ったのに疑問符をつけて返された。
まあこの場で名乗るには嘘くさい名前かもしれない。というと全国の鈴木一郎さんに悪いだろうか。
仕事では有名人と同姓同名と言うのはなかなか都合が良いのだ。名前を話題にもできるし相手の印象に残るのも名前の部分が大きくなる。
「覚えやすい名前だろ?」
「偽名か?」
「本名ですよ」
「そうは思えないが、まあいい。お前さんの本名が何であれ、お前さんの未来は変わらないからな。せいぜい気張って少年を探すことだな」
特に偽名かどうかは重要じゃなさそうだ。まあ会社でもその名で通っていたし、もし調べられても問題はないだろう。
最後に念を押して、男たちは立ち去って行った。
私は首筋を撫でる。
マイクロチップを埋め込まれた後だと何かしこりのようなものがある気もするし、もともとそんなようなものだった気もする。
血はもう止まっているのか、また指に付着することはなかった。
「人探しか……」
あの少年の写真を持っているわけでもないし、警察でもないわたしがそこらの監視カメラを確認できるわけでもない。いや、裏の人間ならその辺は何とかなるかもしれないか。
とりあえず近くの人間に聞き込みしながら、近辺の監視カメラを確認できそうな人物に連絡を入れてみるか。
良くも悪くもエレベーター事故があったおかげで人の目は多かったはずだ。
私はもう一度首筋の傷口に手を当てる。
刺された痕の小さな凹みの感触に、私は気を重くしながらもなんとか行動を開始したのだった。