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やや高めのアンブレラ  作者: 東楽
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2話(会社員2)

 このビルはフロアごとに契約する形の賃貸オフィスになっているが、現在はこのビルには我が社しか入っていないはずだ。

 上の階から来たエレベーターに誰かが乗っていたことに少し驚きはしたが、廃ビル寸前の他の階を近所の悪ガキがたまに出入りしているらしいことは聞いたことがあるので、どうせその類だろう。


 少年は目深に帽子を被っているため正確には判断できないが、背格好からおよそ高校生くらいだろうか。

 本来なら注意の一つもするべきかもしれないが、この密閉空間で不良がつくかもしれない少年と下手にもめ事を起こしたくもないので黙って乗りこむことにした。


 異常が起きたのはエレベーターが下降し始めて少し経った頃だった。

 いつものキリキリ音が突如、ガタガタという振動と共に、車が急ブレーキをかけたかのような高音を響かせた。

 一瞬重力が軽減される感覚に心臓をつかまれたような悪寒が走ったが、1階まで落ちることはなく、非常停止装置とかそういうもので何とか落下を踏みとどまってくれたらしかった。


 すぐさま緊急連絡用のボタンを連打して助けを訴えてみるが、いくら待っても誰かの声が返ってくる気配はない。そもそもこの連絡ボタンは機能しているのだろうか。

 かなり大きな音がしたはずだが、会社の誰かが気付いてレスキューなり何なりを読んでくれることを願う。――が、すぐさま自分の会社が何をしているのかを思い出してその可能性が低いだろうことに嘆息する。


 ことが起こった後だからこそ、このエレベーターの不穏な駆動が思い起こされる。

 上がるにも下がるにも、ギィギィやらキリキリやら無理をしていそうな音をさせていたのだ。

 そんな有様なら乗るのを躊躇おうものなのだが、数年間無事に動き続けていたという事実が根拠のない安心感を植え付けていた。今まで大丈夫だったのだから今回も大丈夫だろうと。


 ふと、4年前ずいぶん世間を騒がせていた、とあるメーカーのエレベーターに致命的な欠陥が発覚した事件を思い出した。

 昇降を制御するシステムが誤作動を起こしたらしく、当初はハッキングによる犯罪だという噂も流れていたが、結局は同社が開発している新型のシステムに問題があることが発覚した。

 新型のシステムを搭載されたエレベーターはもちろん、そのメーカー製のエレベーターすべてに対してまで風評は広がり、エレベーター設置取り換えラッシュとなった。


 当時はこのビルのエレベーターも点検を行おうとしたのだが、メーカーが違うことやそれなりに費用が掛かることから現在に至るまで保留にされている。

 このビルに入っているテナントが4階フロアを借りている我が社だけで、当の我が社が何も言わないというのもあった。


 4年経てば記憶も薄れる、というよりは端から他人事として気にしていなかった気もする。

 ここが2階だと告げる電子パネルの横に目を向ければ、湿気でかなり茶ボケた点検表が張り付けてある。点検会社や点検日などが、まるで読まれないようにと工夫されているかのように小さな文字で表記されている。

 何気なく目を向けた次回の点検期間が、すでに年号を超越していることに今更ながら気づきぞっとする。


「いやあ、お互い災難ですね」


 突然背後から声をかけられて、同乗者がいたことを思い出す。同時に、この危機的状況に自分一人だけが陥っているわけでないことに安堵を覚える。


「まさか、エレベーターに閉じ込められる日が来るとはな」


 エレベーターに関する事故は、ニュースや衝撃映像を取り上げるテレビ番組で見たことはあるし、4年前の事故はそれなりに身近で世間を騒がせたが、それでも自分の利用しているエレベーターが自分の乗っているタイミングで事故を起こすとは考えもしなかった。


「人間っていうのは世間で何か事件が起きていても、きっと自分だけは大丈夫だと思うモノらしいですね」


 少年の言葉に、まさしくさっきまで他人事として気にも留めていなかったことを苦笑する。

 事が起きた瞬間にエレベーターにまつわる事故や事件の情報が一気に噴出したが、それもすべてまさか自分がという思いを踏まえている。

 点検期間に関しても、自分が被害者でなければ見向きもしなかったものも、当事者になれば憤懣甚だしい。


「銀行強盗とか感染病とか、本当は誰しもが被害者になりうることですけれど。根拠もなく自分は平凡な人生だから事件には巻き込まれないだとか、自分だけは感染しないとか思い込んでしまうんですよ」


 少年が軽く肩を竦めながら言う。

 自分だけは大丈夫だろうと思い込むというそれは、一種の自己防衛なのだろう。

触れるもの見るものすべてに事故の危険性を考えていたら、それこそ精神を崩すだろう。

 このエレベーターは故障するかもしれないと思って階段に向かえば、この階段で足を踏み外して転げ落ちるかもしれないと思い悩むことになる。生活のすべてに悲観的な「もしも」などつけていられない。


「そういえば、おじさんは此処で何をしているんですか?」


 此処で何をしているかといえば、この少年と共にエレベーターに閉じ込められて困っているのだが、続く言葉ですぐにそのことじゃないなと気づく。


「このビルって、ほとんど廃ビル同然のはずですよね」


 それは君にこそ言い返したい。その廃ビル同然の場所で何をしているのかと。

 そう思いはしたが、せっかく気を紛らわそうと話しかけてくれているのだと思い直した。

 故障により閉じ込められてしまったエレベーターの中では、不意な無言の時間がひどく不安を掻き立てるのだ。


 本当ならもう少し外の音に気を配るべきかもしれないが、論理的欲求と心理的欲求は異なる。曰く、危機的状況化において誰かと話しているという事実は、人の心の安定を保つための保護装置となるのだ。

 とは言っても、話の内容が全く別物の混乱を私にあたえているわけだから、この会話を続けることが正解なのかと問われれば、また私は返答に困るわけだが――。


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