14話(会社員9)
凹凸の目立つ金属バットが、見知らぬ男の顔面に振り下ろされる。
流血のせいか水気を孕んだ鈍い打撃音と男の苦痛に歪む小さなうめき声が辺りに響く。
「歩きタバコはよぅ。良くないようなあ。鈴木くんもそう思うだろ?」
うつ伏せに倒れこんだ男の背中に金属バットを突き立てて、黒スーツの男――仁良が言う。
一度家に帰って聞き込みに使えそうなものを取ってきた後、夜のコンビニでたむろする若者に話を聞きまわっていた。
不登校の生徒はいないかとか、最近悪い連中と付き合ってそうな奴はいないかとか。あとはド直球に部屋で爆弾作ってそうな奴に心当たりはあるかなんて聞きまわってみた。
結局は噂どころか偏見や陰口程度の情報しか集まらない中、昼間に私を襲った男たちの1人――牛田に声を掛けられた。
そして、私に話し忘れたことがあったとかで仁良のところへと案内された。
連れてこられたのは人気のない高架下、日中は駐車場として使われている場所だが夜はチェーンで施錠された空き地と化している。
そんな場所に何の用かと不安を抱えながら連れてこられると、金属バットで叩きのめされる見知らぬ男と軽蔑の色さえにじませながら金属バットを振るう仁良が待っていた。
「俺は煙たかったんだぜ。においも臭いし肺がんにでもなったらどうするんだ?」
そういって更にもう一発金属バットが振り下ろされる。
容赦なく顔面に振り下ろされる狂気に、私は思わず目を逸らす。再び視線を向ければ、砕けた歯の欠片だろうか地面に小さな白いものが転がっていた。
「まったく、この世に喫煙者なんぞ、いらねえよなあ」
「そうっすねえ。ああ、夜はこことかどうっすか?」
仁良の話を聞いているのかいないのか、牛田がスマホの画面を仁良に向けて返す。
向けられたスマホを覗き込んで、仁良が目を細めて苦言を呈す。
「牛田ぁ。昼も定食屋だっただろ?」
「昼もって、ここはカレー屋っすよ」
牛田がスマホを見直して反論する。
「カレー屋つっても、メニューにカレーライスしかないチェーン店だろ。俺は一日に二度も三度も米を食いたくないんだよ」
「仁良さん。それでも日本人っすか」
「誰だぁ? 日本人なら米が好きとか決めつけたのは。フランス人はみんなフランスパンが大好きなのか? イタリア人は毎日パスタを茹でてるのか?」
「なんすかそれ? でもそういうイメージはあるっすよね」
「イメージだけで好みを押し付けるなって話だ。とにかく俺は米は一日一食でも多いくらいだから、夕食は米以外にしてくれ」
そう牛田に言い終えて、仁良が再び名も知らない男へと金属バットを打ち付ける。
「――っぐあ。……クソ、オレが何したって……」
うめき声と血反吐を垂らしながら、名も知らない男が恨み言を零す。
「何したってなあ。あんた、タバコ、吸ってただろ?」
「……それが、……なんだって……」
仁良の言葉に男がもっともな疑問を返す。
タバコくらい、街を歩けば喫煙者を見かけない方が難しいだろう。
近年になって非喫煙者も多くなったと聞くし、喫煙禁止区域が増えたり分煙が徹底されていたりするらしいが。そんなもの我知らずと平気で路上喫煙している者はなくならない。
「鈴木くん。こういう研究結果を聞いたことはあるか? 喫煙者と禁煙者のことを調べたものでな。禁煙者の犯罪率の方が高かったっていう話なんだが」
異常な光景に自分は風景と化していたつもりだったが、いきなりこちらに話を振られて少し狼狽える。
「き、禁煙したストレスで、犯罪を犯してしまうってことですか?」
しかし、仁良はやれやれと首を振る。
「違うな、違う違う。それは、間違いだ。鈴木くん」
仁良が金属バットを這いつくばる男の背に突き立てる。
その痛みに男が小さく呻く。
「そもそも比較する基準が違うんだよ。その研究でわかるのは、禁煙してようがしていまいが、タバコを吸う人間ってのは潜在的に犯罪を犯すような人間だということだ。なあ牛田ぁ、お前もそう思うだろ」
「ああ、そうっすね。大変っすよね」
食べ物屋の口コミサイトでも見ているのか、牛田は上の空で適当に返すが、仁良が気にした様子はない。
「だから喫煙者なんてものは、みんな殺したほうがいいだろ」
おいおい。
仁良が物騒なことを言う。
「そのほうが社会のためってもんだろ。大体よう、知らずしらずのうちにコイツラに病気にされてるかもしれないんだぜ。何て言ったか、あれだあれ――」
「受動喫煙っすか?」
仁良の言葉をつなぐように牛田が答える。
「仁良さんいつも言ってるっすよね、それ」
「発がん性物質なんだろ? 周りにそんな煙を吸わせるっていうのは、傷害罪っていうんじゃねえのか、それとも殺人未遂か――」
――と、そこで言葉を切り、一等強く金属バットを打ち付ける。
「まあ、そうでなくてもよう。俺が煙たかったっていうだけで、大重罪だよな」
静かな怒気を孕んで、何度も執拗に金属バットを振るう。
そして、とうとう男のうめき声すら聞こえなくなったところで――。
「仁良さん。もうその男、意識ないっすよ」
牛田がスマホを仕舞って告げる。
「それよりせっかく鈴木くんを連れ来たんすから、用を済ませましょう」
「ああ、そうだったな。それじゃあ、牛田。――頼む」
その言葉を聞き終えるかどうか、牛田の姿はいつの間にか消え、妙な無重力感とともに私の視界は逆転していた。