13話(会社員8)
――お約束、と言うやつだろうか。
電車の中で余計なセリフを零した自分を呪ってやりたい。
最寄駅から十分ほど歩いて見慣れたアパートへとたどり着いた。
自宅のアパートを見ても、無事に帰ってきた安堵よりも解決方法のかの字も見えないこれからのことを考えると眩暈がする。
そして面倒ごとはさらに私に降りかかるようだ。
オートロックなどとは程遠い、古めかしい二階建ての木造アパート。
利点は家賃の安さだけという、都会に夢見て上京してきた貧乏な若者や定職に着けないような連中ばかりが住んでいる。
そんな場所とは縁のなさそうな、ピカピカに磨かれた白い高級車が一台止まっていた。
「面倒ごとの予感しかしないな」
通り過ぎざまに確認した限りは車内に人の気配はない。
ただの杞憂ならいいのだが、昼間からの出来事のせいであらゆることが自分に降りかかる厄介ごとに思えてならない。
手すりの劣化が激しい外付けの狭い階段を上る。
階段を上り切り、外廊下の角を曲がったところでその人物たちがいた。
一瞬自分の部屋の前で待ち構えているのかとドキリとしたが、どうやらひとつ隣の部屋の前にいるようだ。
ひとりは銀行マンのようなきりっとしたスーツ姿で、もう一人はアロハシャツにハーフパンツというラフな格好だ。
「おいあんた。ちょっといいか?」
関わり合いにならないように素早く自室に向かおうとしたが、アロハシャツに呼び止められてしまった。
「何か用ですか?」
「ああ、ちょっとアンタに聞きたいことがあってな。ここの住人がいつ帰ってくるか知ってるか? 小郷のやつが調べていた情報が間違っててな。オレ等はかれこれ30分もここで待ちぼうけだ」
「おい」
「なんだよ小郷。あん? 名前を呼んだのが気に入らないのか? いいじゃねえか、知れたところでどうもならないだろ。おいおい、アンタもなんて顔してんだ。別にオレ等は凶悪事件で暗躍する黒幕ってわけじゃないんだ。ちょっと、いやまあまあ。それなりに、あくどいかもしれないが、口封じで人殺しまではしない。――直接的にはな」
どうもアロハ男はおしゃべりのようだ。スーツ男は呆れたように首を振りながら手に持ったタブレットを操作している。
話を聞く限りは隣の部屋の住人に用があるらしい。どう考えても二人とも堅気ではないようだが、少なくとも名前を知られる程度はどうでもいいらしい。
「すまないが、隣の住人がいつ帰ってくるかは知らないんだ」
いつ帰ってくるかどころか、隣人がなんていう名前なのかも知らない。生活リズムが違うのか、外に出た時にたまたま顔を合わせる、ということもない。
「おいおいマジかよ。隣に住んでるんだろ? 近所付き合いのひとつもないのかよ」
「そう言われても……」
「アンタ、隣の部屋の住人がどんな奴かも知らずによく安心して暮らせるな。住んでるのが男か女か。一人暮らしなのか家族で暮らしているのか。犯罪歴はないか? 過去に火の不始末を起こしたことは? 毎晩遅くに洗濯機を回すような自分勝手な奴だったらどうするんだ」
「いくら隣人だからって、そこまで知らないだろ」
反論するが、アロハシャツは合点がいったという風に指を鳴らす。。
「ははん。アンタさては根っからの都会っ子だろ。田舎暮らしの安全がご近所付き合いで保たれてるって聞いたことないか? 田舎なら鍵をかけてないことも珍しくない。近所の住人がよその家のセキュリティ事情から調味料の減り具合まで把握しているからな。誰がいつどの家のそばをうろついていたかなんて、1時間もあれば村中のお年寄りから幼稚園児にまで知れ渡る。互いが互いを見張っているようなものだ」
「それはそれで暮らしにくくないか?」
「だからこそのご近所付き合いだ。多少あちこち見られていたからって、相手と仲良くなっていればそこそこ受け入れられるもんだ。多少プライバシーは侵害されるかもしれないが、お家セキュリティに毎月高い契約料払う必要はなくなる」
よくわからない話をしていると、我関せずでタブレットを操作していたスーツ男がいきなり声を掛ける。
「おい」
「なんだよ。今こいつに近所付き合いの大切さをだな――」
「どうやら窓から逃げようとしてるらしい」
「何っ?」
――ドサッ。と部屋の裏から鈍い音が聞こえた。
「着地に失敗したらしい」
「そうみたいだな。馬鹿なやつだ」
「まあな」
「よしっ、それじゃあ拾いに行くか。手間取らせたな、お隣さん」
言うが早いか二人組は、窓から逃走を試みて落っこちたらしい隣人を捕まえに行った。
隣人の今後がすこしばかり心配になったが、私も他人の心配をしている状況ではない。こちらもこちらで問題を解決しないと怖い人たちに追われることになるのだ。
私は深いため息を吐く。
問題は山積みだ。気を取り直して自室へと入る。