12話(会社員7)
仁良たちからなんとか解放された後、少しでも情報を得るために聞き込みを開始した。
本当なら周囲のほとぼりが冷めるまでは目立つ動きはしたくないのだが。時間が経てば経つほど人の記憶とは朧げになるものだ。
発信機を埋め込まれたという首筋に手を当てる。針が差し込まれたのであろう小さな傷口の感触――、微かに漏れ出た血液はとうに止まったようだ。
変な疑いを受けていることも、誰ともわからない少年を見つけなければならないことも、そして体内に得体のしれないモノが入っているという状況にも鬱々とした気分になる。
「首筋だから下手に抉りだすわけにもいかないよなあ……」
思わず独り言ちて項垂れる。
発信機が取り除けたからといってあの妙な二人組から逃げられるとは限らない。大体いつまで、どこまで逃げれば終わりかもわからないのだ。
それに警察だって私を探しだすだろう。幸い我が社の社員名簿はおおよそ出鱈目で、私の顔が割れていることはないだろうが。
結局のところ、真犯人だろう少年を見つけ出すことが私の安寧への唯一の道なのだろう。
とりあえずは事件現場である事務所の周辺、普段からこの辺を通っているだろう人物に話を聞いてみることにする。
事務所の火も完全に消えたのか、野次馬自体はすでに解散しているらしい。それでも日常に起きた非日常に興奮冷めやらぬ人間が、誰かに話したそうにうろついているものだ。
「あの辺で見慣れない少年を見なかったか、かい?」
事務所から昼に寄っていた駅前の喫茶店との中間くらいの道を歩いていた中年女性に話を聞く。
駅前商店街の買い物袋をぶら下げていながら、その駅の方向へ歩いているところを見るに、買い物後に事件に誘われて集まってきた野次馬の一人なのだろう。
井戸端会議のネタ集めでもしているのかご苦労なことだ。
最初は怪訝な目を向けてきた中年女性だったが、私が私立探偵で事件のことを調べているのだと出任せを言うと、簡単に警戒を解いてむしろ面白がるように話してくれた。
――とは言っても、有力な情報が出てくることはなかった。
この辺りで高校生くらいの少年を見た覚えはないらしく。あとは、どこそこの家のご主人が昼間っからフラフラ出歩いていて怪しいのだの、近所の娘さんが引きこもっているのだの、あの家の夫婦仲が悪いのだの、不毛な話ばかりだ。
その後も何人かに聞き込みをしてみたが、出てくるのはほとんどが根も葉もないうわさ話や妄想のたぐいだ。
事務所のビルに人相の悪い怪しい男が出入りしていたといった話も、よくよく聞いてみればうちの社員のことだった。
というか聞く端からうちの社員の話が多い。みんな人相も悪いし、なかなか一般的なファッションでもないからな。表向きな仕事をしていないのだからあまり悪目立ちしないでほしいものだ。まあ今ぼやいても詮無きことだ。
何も有益な情報を得られないまま日が少し傾きかけてきたころ、私は一度自分のアパートに戻ることにした。
最初は野次馬連中の事件に対する熱が冷めないうちにと優先して話を聞くことにしたが、事件から時間が経てば経つほど警察でもない一般人が話を聞きまわっているのは不自然に映るだろう。
これからも円滑に情報を聞き出すには、何か身分を示すものが必要だ。無論、『偽の』がつく物なわけだが。
仕事柄というか、そういった代物はいくつか用意はしてある。
振り込め詐欺も時代と共に刻々とやり方を変えている。電話を掛けるお手軽なものだけでなく、時には銀行員や役所の人間だと偽って自宅訪問することだってあった。
そういったものの為に様々な身分証を用意しているのだ。家に帰ればそれが隠してある。
身分証と言っても小説やドラマの中に登場するような、精巧なレプリカというわけでは無い。子供のおもちゃに毛が生えたようなものだ。
しかしながらいかに出鱈目な作りでも、そういったものに縁のない一般人にそれが本物か偽物かの区別などつかない。
本当なら事務所にも置いてあったのだが、あの火災状況では全て燃えてしまっているだろう。仮に燃え残っていたとしても、警察が張り込んでいるかもしれない事件現場に踏み入るわけにもいかない。
アパートまではここから二駅、私鉄に揺られてゆく。
事件現場から遠くへと離れることに若干の躊躇も感じたが、名前も知らない人探しを続けるのなら少しでも準備を整えた方が良いだろう。
電車に揺られながら外の景色を見る。
火事の黒煙はすでに跡形もなく、窓の外は事件などなかったかのようにいつも通りの景色が流れていく。
平和に見えていても、その日常の中で事故に遭う人もいれば詐欺に遭う人もいるのだ。
いつもは詐欺の加害者側で気にも留まらなかったが、自分が被害者になった途端に他人が変わらぬ日常を続けているという風景がなんとも妙に感じる。
エレベーター事故に巻き込まれたかと思ったら、事務所が火事になり、その上謎の連中に目を付けられた。そうかと思えば発信機だとか言うものを埋め込まれ、名前も知らない少年を探さなければならなくなった。
「これ以上面倒ごとは増えないでくれよ」
ため息を吐くように独り言ちる。
電車は数分ほどで駅に着いた。