11話(業者2)
「いつも思うんですけど……、これってどうにかならないんですか?」
道すがら後部座席のボウズが不満気に言う。
「これ、ってなんだよ」
「これはこれですよ。コレ、なんで車乗るのにスリッパに履き替えなきゃダメなんですか?オフィスかなんかですか?」
足に履いているスリッパを指さしてでもいるのだろうボウズに、オレは振り返ることなく答える
「そりゃあ、車が汚れるからに決まってるだろ」
オレの車に乗る際には、誰であろうとも靴をスリッパに履き替えさせている。どこを踏んできたかわからない靴で車内を汚したくないからな。
「ははは。いやいや、車なんて汚してなんぼでしょ?」
「テメェ、ふざけんなよ!」
ボウズのナメた態度に思わず振り返ろうとするが、すぐさま小郷が声を上げる。
「おい、運転中だぞ! 前を見ろ、前を」
「んふぇええ」
不意の蛇行運転にボウズが間抜けな音を立てる。どうやらシートベルトはしていないらしい。
「でも正直面倒くさいですよ。汚れるのが嫌なら汚れても良い車にしてくださいよ」
「なんだよ汚れても良い車って」
「あるでしょ。もっと小汚いというかチープと言うか、多少汚れたり傷がついても当たり前みたいなのが」
なかなかひどいことを言いやがる。
車にさして興味がないから出てくる発想なのだろうが。どんな車であってもその持ち主からしてみれば大切な愛車には違いない
「そもそも。こんな高そうな車にするから汚したくなくなるんじゃないですか? そのくせ靴を履き替えろなんて庶民じみたやり方するんですから」
「あのなあ、長く使うもんはちょっと無理してでも高い方が良いんだよ」
「なんですかその理論」
ボウズが呆れたように返す。
「服でも家電でもなあ、金がかかるからって安物ばかり買いがちだがな、安物なんてすぐに破れたり壊れたりしてすぐに買い替えることになるんだよ」
「んと、どういうことですか? 罹るかわからないけれど一応がん保険には入っといたほうが良いみたいな感じですか」
近いとも遠いとも言えない例えだ。
「安物なんてな、安いだけの理由があるってことだ。結局すぐに傷んで何度も修理に出したり買い直したりすることになるんだからな。多少値が張っても、最初から頑丈で長持ちする物を買ったほうが最終的には安上がりなんだよ」
「そんなもんですかねえ」
どうも納得がいかない風な返事だ。
まあ、ボウズの歳で高価で良いモノなんてほとんど縁がないだろうからな。
小遣い稼ぎにうちの仕事を手伝っているようだが、そのバイト代だって常識の範囲内だ。任せている仕事は常識的ではないがな。
「ああ、傘もそうだぞ」
オレはボウズでもわかるような身近な例を思い起こして言う。
「かさ?」
「お前が事務所に置いてる大量のビニール傘だよ」
事あるごとにボウズがビニール傘を買ってくるので、事務所の傘立ては安物の傘で満席状態だ。
来客があるような事務所ではないので、見栄えを気にすることはあまりないのだが。さすがのオレも傘の無駄遣いが気になってしまう。
「傘だってあんまり使わないだろうからって安物買ってもな、結局必要なときには傷んでて
新しく買い直すことになるんだから、立派なのを一本持っておくのが正解なんだよ」
「あはは、正解ってクイズじゃないんですから」
一応注意のつもりで話しているのだが、ボウズは意に介さずからからと笑う。
「というか、なら高い車なんだからわざわざこんなのに履き替える必要ないじゃないですか? 丈夫なんですよね?」
「あん? そりゃ長持ちはするがそれと汚れるかはべつ――」
言い返そうとして、ちらりと視線を向けたバックミラーに見覚えのあるスリッパをひらひらと仰ぐボウズの姿が映る。
「おい、テメエの手に持ってるのはなんだ?」
「これはこれですよ。履き替えるために置いてあるスリッパですよ」
「何で履き替えてないんだよ! いつも言ってるだろうが」
「いつも聞き流してるんで」
「聞き流すんじゃねえ!!」
悪びれもなく答えるボウズに思わず叫ぶ。さらに文句を続けようと口を開こうとしたところで――、
「すまん、俺も履き替えてはない」
今まで黙っていた小郷がばつが悪そうに言う。
「あ? なんでお前も履き替えてねえんだよ」
「なんでと言われても。誰が履いたかわからんスリッパなんぞ履けたもんじゃないだろ」
「なんでそのなりで潔癖症なんだよ!」
「俺の見た目は関係ないだろ。これは性分だ」
小郷が不服そうに返すが知ったことじゃねえ。
結局こいつらに説教してる間に陽は沈んでしまった。何はともあれようやくと目的地は周辺だ。