009 頭のナデナデはもう終わり?
差し込む陽光に瞼をピンポイントで狙撃されて目を覚ました。
「クリスゥ……俺は、俺は……Zzz……」
アーサーはまだ夢の中を彷徨っているようだ。
彼が寝ている間に朝ご飯の準備でも済ませておくとしよう。
私は体を起こし、ハンモックから飛び降りた。
「この足跡は……」
地面を見て眉間に皺を寄せる。
そこにはオオカミの足跡が鮮明に残っていた。
私達のすぐ下を執拗に行ったり来たりしていたようだ。
「夜はオオカミが支配しているのね」
樹上に寝床をこしらえたのは正解だった。
ただ、今後も樹上で過ごすことが安全とは限らない。
多少の出費をしてでも宿屋で過ごすほうが良さそうだ。
周囲を警戒しつつ川に向かう。
綺麗な川の水で顔を洗い、ついでに喉も潤しておいた。
続いて設置している筌の確認。
「よし、いい感じ」
今日もたくさんのアユが入っていた。
朝食はこれらのアユで決まりだ。
筌を川辺に引き上げ、アユの下処理を始める。
「串焼きの一辺倒だと飽きるし……」
どう調理しようか考える。
残念ながら私はそれほど料理に精通していない。
なのでパッと閃くのはポワレとコンフィくらいだった。
「コンフィにしよう!」
コンフィとは、油に浸して弱火でじっくり煮る調理法のこと。
下味を付けて表面のみ油で焼くポワレに比べて油の使用量が多い。
魚といえばコンフィよりもポワレのほうが一般的だ。
なのにコンフィを選んだのは、私が食べたかったから。
食べたい物を作れるのが調理担当の特権だ。
さて作っていこう。
まずは材料となるアユとジャガイモを鍋に入れる。
ジャガイモは一口大にぶつ切りしたもの。
次にそこへ食用油をたっぷりと注ぐ。
使用する油はオリーブオイルが定番と言われている。
その定番に従い、私もオリーブオイルを使うことにした。
オイルがあると調理が捗るので、昨日買っておいたのだ。
あとは香り付けだ。
軽く炙ったローリエを1枚入れる。
ローリエとは乾燥させた月桂樹の葉のこと。
「最後に塩と胡椒をまぶしたら完成……って、塩ないじゃん!」
塩は昨日、アーサーが無駄遣いしたので切らしていた。
「今から街まで買いに行くわけにもいかないし……」
悩んだ結果、塩は入れないことにした。
味がしょぼくなるが仕方ない。
「これで準備できた」
焚き火の炎で煮ていくのだが、ここでも一工夫する。
薪の組み方を調整し、さらに鍋を高めの位置に吊した。
これで火力を最小限に抑えられるはずだ。
「完成まで2時間くらいかな」
ただのんびり待っているのも暇だ。
そこで、コンフィに添える野菜を調達することにした。
森の中を歩き回って食用の植物を採取していく。
昨日買ったナイフのおかげで作業が捗った。
「そろそろかな」
頃合いを見計らって川辺に戻る。
案の定、コンフィは完成の時を迎えようとしていた。
「さて、お寝坊王子を起こすとしましょうか!」
アーサーは未だに眠っている。
ハンモックの上で、両手を腹の上に置いてすやすや。
「アーサー、朝だよー、起きてー!」
余っている竹ひごで彼の背中を突く。
「ぬぅ、もう朝かぁ、すまない、朝の紅茶を頼むぅ」
寝ぼけているせいか私をメイドと誤解しているようだ。
私はニヤリと笑い、竹ひごに込める力を強めた。
先程よりも強烈な一撃を彼の背中に加える。
「紅茶はない! 起きろ! アーサー!」
「うげぇ! ク、クリス!?」
アーサーは飛び起き、私を見て目をぎょっとさせる。
「そうか、俺は愛するクリスとハネムーン中だったんだ」
「ハネムーンじゃないけど、とにかく朝だよ。ほら、下りてらっしゃい」
「うん!」
元気のいい返事と共に、アーサーが木から下りようとする。
しかし、アーサーなので簡単には成功しない。
ワケの分からないトラブルを起こすのがアーサー流だ。
「助けてくれぇ! クリスゥ!」
案の定、彼は問題を起こした。
ハンモックから木に移ろうとするも思うように動けず、悪戦苦闘の末、どういうわけかハンモックの素材である蔓に全身を絡ませたのだ。
「なーにやってるんだか」
私は呆れ笑いを浮かべ、くるりと彼に背を向けた。
そのまま川へ向かって歩き出す。
「クリス! 助けてくれ! クリスゥ!」
「自分でどうにかしなさーい」
などと言ったが、数十分経っても彼は絡まったままだった。
仕方ないので助けてあげた。
◇
「いやぁこんなに極上なコンフィは初めて食べたぞ!」
「塩をかけていないのだから味は微妙だと思うけど」
「塩の代わりにクリスの愛がたくさんかかっている! それだけで最高だ!」
「へぇ」
アユのコンフィを食べつつ、アーサーとの会話を楽しむ。
「とりあえず目標を決めましょ」
「目標?」
「何もなしに過ごすのってつまらないじゃない?」
「それはそうだが、どんな目標がいいのだ? こういう場合」
「とりあえず『着替えを買ってお風呂に入る』でいいんじゃない?」
「なるほど、今までは当たり前だったことが目標になるのか」
私は頷いた。
「目標が決まったら、次はどうやって目標を実現するかね」
「サーベルタイガーを狩ればいいんじゃないのか?」
「それはごめんよ」
「どうしてだ?」
「割に合わないもん。トラ肉は不味いから価値がないし、鞣した毛皮も10万程度にしかならない。今の私達にとって10万は大金だけど、死と背中合わせで稼ぐにしては安すぎる」
「だったらどうすればいい?」
「そうねぇ……」
顎を摘まんで考えるも名案が浮かばない。
何か閃くかと思ってアーサーの頭を撫でたが変わらなかった。
「ダシエで道行く人に話を聞いて考えよっか」
「え、頭のナデナデはもう終わり?」
「反応するのそっち!?」
「だって……嬉しかったから……」
「子供ねぇ」
私はため息をつき、アーサーの頭を再び撫でる。
と思わせてからのデコピンをお見舞いした。
「甘えるんじゃない! ほら、さっさと準備を済ませていくわよ!」
「うぅ、分かったよぉ」
駄々っ子のような返事をするアーサーだが、その顔は嬉しそうに笑っていた。
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