005 魚の骨が首に刺さった
大事な宝剣……じゃない、アーサーを川から回収した。
「これでよし!」
結局、竹の橋を架けることにした。
橋といっても複数の竹を紐で縛っただけの代物だ。
渡っている最中に動かないよう、土や石で固定してある。
「今度溺れたら助けないからね?」
「無論ばっちり問題ない!」
両腕を翼のように伸ばして慎重に箸を進む。
無事に渡りきったので、サーベルタイガーの追跡開始だ。
「こっちね」
私は弓を手に持ち、迷うことなく森に入る。
「どうして分かるんだ?」
「そりゃあ地面に足跡がくっきり残っているからね」
野生の動物は足跡を隠さない。
それほど時間が経っていないので、地面を見れば容易に分かった。
「足跡と言っても色々な種類があるぞ。どれがサーベルタイガーなんだ?」
「これよ」と指す。
「よく分かるな。あらゆる動物の足跡を覚えているのか?」
「あらゆる動物って程じゃないけど大まかにはね。あと、特徴があるの」
「特徴?」
「動物によって足の形って違うから。それに歩き方も違う」
「まるで狩人だな……」
「経費を節約するには狩りの一つや二つできないとね」
私の雑貨屋では、私が作った物だけを販売している。
それらを作る為の材料は、基本的に自分の手で調達したものだ。
田舎で雑貨屋を切り盛りするには、原価を極限まで抑える必要があった。
「店を経営する為に技術を身につけたわけか、すごいな」
私は「ありがと」と短く答え、真剣な眼差しをアーサーに向ける。
「褒めてくれるのはいいけど、気をつけなさい」
「どうした?」
「私達、少し前から狙われているわよ」
「えっ」
アーサーが周囲をキョロキョロする。
そして、自らを取り囲む動物の存在に気づいた。
「チーターだ!」
「違う、ハイエナよ」
数十頭に及ぶハイエナの群れが私達を完全に捉えていた。
こちらの移動に歩調を合わせて襲うタイミングを計っている。
「ハイエナは横取りのイメージが強いけど、実際はそんなことない。隙があると思われたら飛びかかってくるわ。そうなったら――私達は死ぬ」
「そんな……! どうすればいいんだ!?」
アーサーの首筋に汗が流れる。
「見たら分かるように連中は子連れ。だから確実だと思うまでは襲ってこない。落ち着いていれば大丈夫よ」
「本当か?」
「たぶんね」
「たぶん!?」
「確かなのはビビったら負けってことよ」
「うぐぐ……」
「いざとなったら男らしく私を守ってね?」
「もちろんだ!」
アーサーが剣を抜く。
それに合わせたかのように、前方に獲物が現れた。
サーベルタイガーだ。
「ガルルゥ!」
サーベルタイガーは正面から歩いてきて、私達に向かって吠えた。
この咆哮に反応したのは、私達ではなくハイエナだ。
攻撃態勢を解除して離れていく。
サーベルタイガーの獲物には手を出す気がないようだ。
とはいえ、完全に消えたわけではない。
肉眼で辛うじて見えるかどうかの距離から様子を窺っている。
隙があればサーベルタイガーすら喰らうつもりなのだろう。
「アーサー、あなたは下がっていなさい。私が仕留めるわ」
弓に矢をつがえる。
「いいや、お断りだ!」
アーサーが「うおおおお!」とトラに突っ込む。
「馬鹿! 何をしているの!」
「クリスは俺が守る! 守るんだ!」
アーサー対サーベルタイガーの戦いが始まった。
「ビスネル王国の剣術は世界最強なんだ。絶対に負けん!」
ふん、と豪快に剣を振るうアーサー。
剣術の腕は悪くないようで、思っていたよりも鋭い攻撃だった。
しかし、相手が悪い。
サーベルタイガーは横に跳んで攻撃を回避。
反撃のタックルをアーサーにお見舞いした。
「おわぁああああ」
仰向けに倒されるアーサー。
「ガルァアアアアア!」
サーベルタイガーがマウントポジションを取った。
「ガルァ! ガルァ!」
トラの前肢がアーサーの両肩を押さえる。
分厚い爪が服の中に食い込み、肩から血が滲み出ていた。
今にも喰われそうだ。
両者の顔の間にある宝剣が追撃を阻止している。
「アーサー!」
私は弓を構えた。
「逃げろクリス! 俺はもうダメだ! 君だけでも逃げてくれ!」
アーサーが決死の表情で叫ぶ。
イノシシ戦の時もそうだが、「助けて」と言わない男気にはグッと来る。
実力が伴っていれば惚れていたに違いない。
「逃げるわけないでしょ!」
サーベルタイガーに狙いを定める。
アーサーとトラの顔は10cm程しか離れていない。
下手するとアーサーを射抜いてしまう。
それでも、彼を救うにはこれしか手がなかった。
ハイエナがじわじわ近づいてきているが気にしない。
「クリス、まさか……」
「そのまま動くんじゃないわよ!」
呼吸を止めて、矢を放つ。
矢は高速回転しながら真っ直ぐに飛ぶ。
そして――。
「よし!」
――トラの額を貫いた。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
大きく仰け反り、のたうち回るサーベルタイガー。
放っておいても直に死ぬだろうけれど、それでも。
「アーサー、トドメよ! 決めてやりなさい!」
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
アーサーは起き上がり、宝剣を振るう。
完璧な一太刀によってトラの頭部を切り落とした。
「ふぅ」
安堵の息を吐く。
すかさず矢をつがえて周囲を警戒。
ハイエナは足を止めていた。
近づく気配はない。
私達に挑んでも勝てないと判断したのだろう。
サーベルタイガーを倒したことで格付けが済んだのだ。
「やった! 勝ったぞ! 勝ったぞクリスぅうう!」
アーサーが駆け寄ってきて、勢いをそのままに抱きついてきた。
「すごいよクリス! 本当にすごいよ!」
彼の熱い抱擁には、嬉しさよりも恥ずかしさを感じた。
「あはは、ありがとう。アーサーもよく頑張ったね」
「勝手に突っ込んでごめん! でも勝ててよかった! よかった!」
アーサーは大興奮。
私は「そうだね、そうだね」と彼の背中や頭を撫でた。
「戦いは終わったけど危険が去ったわけじゃないから、皮と牙を頂いたらさっさと撤退しましょ」
「そ、そうだな! そうしよう!」
息つく暇もなく新たな作業に取りかかる。
アーサーの宝剣を使ってサーベルタイガーの皮を剥いだ。
死後間もない為、簡単に剥ぐことができた。
「肉もいくつか持って帰って食べよう! 戦利品だ!」
「気持ちは分かるけど今回はやめておきましょ」
「どうしてだ?」
「サーベルタイガーの肉はそのままだと小便臭くて不味いからね。美味しく食べるには調味料や香草がたくさん必要になるけど、私達は持っていないでしょ?」
ということで、剥いだ皮と2本の牙だけ持って来た道を引き返す。
私達が残したトラの肉は、ハイエナの群れが大喜びで食べていた。
◇
「よし! ダシエに行って皮を売ろう!」
川に着いて橋を渡るなりアーサーが言った。
「その前にこの皮を鞣さないとね」
「鞣す?」
「そういう作業があるの」
「それをしないとどうなるんだ?」
「皮の価値がなくなる」
「なにぃ!」
皮は鞣すことによって革になる。
今回は革でなく毛皮として使うのだが、それでも鞣し作業は必要だ。
生皮のままだと製品には適していない。
「鞣すってのはどうすればいいんだ?」
「燻煙をかければいいの」
燻煙の為の焚き火をこしらえることにした。
「で、どうやって火を熾すんだ? 火打ち石なんかないぞ?」
「木があればできるわ」
私はきりもみ式の火熾しを披露した。
木の棒を木の板に押し当て、手で回転させる方法だ。
摩擦熱を利用した火熾しである。
「木で火熾しだと!? そんな方法、初めて見たぞ!」
「昔の人はこの方法を使っていたのよ」
「そんな馬鹿な! 聞いたことがないぞ!」
「失礼、これは前世の記憶だったわね」
「前世?」
「私には前世の記憶があるの」
「前世のクリスも魅力的だったのだろうなぁ」
「それは分からないけど、別の世界で生きていたのは確かね」
「ほう」
「その世界だと、この火熾し術は〈きりもみ式〉として知られているの」
「クリスの前世の世界はこの世界よりも技術的なんだなぁ」
「たぶんね。それよりあなた、前世の記憶ってところに疑問を抱かないのね?」
「愛するクリスの発言を疑う理由なんかないだろ?」
「あ、そう……」
そんなこんなで焚き火が完成。
ついでに専用の吊し台も作った。
「この台にトラの皮を吊したら、あとはひたすら燻煙をかけておしまい!」
「これが鞣しか」
「正確には〈燻煙鞣し〉ね」
「覚えておこう」
こうして燻煙鞣しが始まったものの、この作業はすぐに終わらない。
しばらくの間、この場に待機している必要があった。
「ただじっと座っているだけなのも暇だし、釣りでもしよっか」
「いい考えだ! 実は空腹で死にそうでな!」
「あはは、私もよ」
追加の真竹を伐採してきて、それで釣り竿を作る。
釣り糸や釣り針も同じ竹を加工して作った。
餌となるミミズを針に刺し、川に垂らす。
「竹って本当に優秀なんだな」
「でしょー」
アーサーと仲良く並んで川辺に座り、魚がかかるのを待つ。
「お、かかったぞ!」
「こっちも!」
二人同時にヒット。
この川の魚は食いつきがいい。
釣られるかも、という警戒心がないのだろう。
「見てくれクリス! イワナだ! イワナを釣ったぞ!」
「それはどう見てもアユだけど……とにかくおめでとう!」
その後も私達は川魚を釣りまくった。
まさに入れ食い状態で、エサを垂らせばすぐに釣れた。
終わってみればイワナ7匹にアユ13匹の大漁だ。
それらは串焼きスタイルで食べることにした。
アーサーに解説しながら下処理を済ませ、竹串に刺していく。
調理用にこしらえた焚き火でしっかり焼いたら実食だ。
「「いただきまーす!」」
まずはアユから。
「くぅ! 美味しいわねー!」
「今までの人生で最も美味いアユだ!」
塩すらないので超薄味だが、それでも美味しかった。
自分達で釣ったという喜びが味を良くしているのだろう。
「イワナも美味いぞ! クリス!」
「ねー!」
上機嫌で食べ進めていく。
「んぐっ、クリス! 助けてくれ! 魚の骨が首に刺さった!」
アーサーが何やら言い出した。
「首に刺さったって何よ。小骨が喉に引っかかっただけでしょ」
笑いながらアーサーのほうを見る。
そして愕然とした。
「だずげでぐれぇ、ぐりずぅ……」
涙目で訴えるアーサー。
驚いたことに、本当に魚の骨が首に刺さっていたのだ。
無数の小骨が刺さっている首は、まるでサボテンのようだった。
「どうしてそうなる!?」
思わず叫んだ。
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