025 馬鹿アーサー、感心している場合じゃないでしょ
「レース中に何かされるかもしれませんよ! 棄権したほうがいいです!」
というトムの意見を聞き入れず、私はレースの出場手続きを済ませた。
アーサーとは別の控え室を借り、新たに貸与された騎手服に着替える。
そして、時間になったら高齢馬のサンテロードと共にコースへ。
超満員の観客が今か今かと待ち侘びるコースに入る。
「絶対に勝とうね」
「ヒヒィン!」
サンテロードを優しくなでたら、係員の誘導に従ってゲートに入る。
幸か不幸か隣のゲートにはブーバッハがいた。
アーサーを嵌めたクソ野郎であり、現役最強馬エンペラーターフの騎手だ。
「おいおい、女に代理をさせたのかよ! 情けねぇなぁアイツ!」
ブーバッハが話しかけてくる。
私が無視していると、彼は続けて言った。
「なあ、あんた。一ついいか?」
「何よ」
「あんな情けない男は捨てて俺に乗り換えろよ。お前みたいな男の戦場に出しゃばってくる女は俺の好みだ。可愛がってやるよ」
私は嘲笑を返した。
「残念だけど、私はあなたのような情けない男は嫌いよ」
「このブーバッハ様が情けないだと!?」
「卑怯な手を使う男なんだから情けないに決まっているじゃない。あなたのような男に乗られてエンペラーターフも可哀想だわ」
「言わせておけば……! 調子に乗るんじゃねぇ!」
「それはこちらのセリフよ。どうせ腕も大したことないんでしょ?」
「女だからって容赦しねぇぞ。分からせてやるよ。男の世界って奴をなァ!」
「デカい口は勝ってから叩きなさい」
私はゴーグルの角度を調整し、右手でサンテロードを撫でる。
「一緒に勝ちましょ、サンテ」
「ヒヒィン!」
サンテロードの士気は高い。
負ける気はしなかった。
「行くわよ!」
ゲートが一斉に開いた。
全ての馬が勢いよく飛び出す。
「おせぇおせぇ! おせぇんだよ!」
エンペラーターフが凄まじい速度で馬群の先頭に立つ。
今まで見た馬の中でも屈指の加速力だ。
なるほど不敗の皇帝は伊達ではない。
(それでも――負けるわけにはいかない!)
私は最後尾から追いかけるスタイルを取った。
レースは2周あるので、1周目は様子見の予定だ。
余程のことがない限りはスタミナを温存したい。
それに、馬群に混じるのは危険だと思った。
実際、その予感は当たっていた。
(やっぱり他に仲間がいたわね)
複数の馬が進路を妨害している。
被害を受けているのは人気の高い馬ばかり。
「行けエンペラー! 皇帝の実力を見せつけろ!」
ブーバッハはさらに距離を広げようと手綱を締める。
エンペラーターフはその指示に応じてスピードを上げていく。
1周目とは思えない飛ばしようだ。
「うおおおおおお! エンペラー!」
「今日もお前で決まりだぜぇ!」
観客は大興奮。
誰もがエンペラーターフの勝利を確信していた。
(本当に速い馬ね)
このまま普通に走っていては負けるだろう。
何か手を打たねばならない。
しかし、何ができるというのだろうか。
「ん?」
1周目の最終コーナーを抜ける時だった。
前方の馬群がインコースを嫌って大きく外へ膨らんでいくのだ。
(そういえばエンペラーターフもインコースを嫌っていたわね)
他の馬に倣ってサンテロードも膨らませる。
皆が嫌った理由を探るべく、地面に目を向けた。
(なるほどね)
皆が避けた部分には水溜まりがあった。
そのせいで酷くぬかるんでおり危険だ。
馬が転倒したら元も子もないので避けたのだろう。
(皆が外に流れるところでインを突ければ……!)
エンペラーターフに勝てるとすれば最終コーナーしかない。
だが、これは危険な賭けだ。
馬は転倒すれば高確率で骨折し、場合によっては予後不良となり、その場で安楽死の措置が執られる。
これは前世でも今世でも同じことだった。
「サンテ、あなたは最終コーナーのぬかるみを全速力で突破する自信がある?」
最終コーナーを抜けた先の直線でサンテロードに話しかける。
「ヒヒィン!」
サンテロードは前を向いたまま頷いた。
「じゃあ、次はインコースを突くわよ?」
「ヒヒィン!」
サンテは「任せろ」と言っているようだった。
風になびくたてがみからは確かな勝利の意思を感じる。
「絶対に転ばないでよ!」
2周目に突入する。
「おせぇおせぇ! 遅すぎなんだよお前らァ!」
エンペラーターフが最初のコーナーを抜ける。
その時、サンテロードを含む他の馬はコーナーに入ったばかりだった。
(騎手の実力は分かった。そろそろ詰めていくわよ)
私は手綱を締め、サンテロードの速度を上げる。
するすると馬群の隙間を縫うように走り、18位から5位へ。
「この女、とんでもなく上手いぞ!」
「なんだあの手綱捌きは! 見たことねぇ!」
「馬を手足のように操ってやがる!」
他の騎手が驚く中、問答無用で抜き続ける。
あっという間に馬群から抜け出して2位に浮上。
「エンペラーターフを休ませるわけにはいかないわ、もっと詰めるわよ」
「ヒヒィン!」
サンテロードの速度をさらに上げていく。
一方、エンペラーターフは速度が落ちていた。
流石の最強馬も1周目で飛ばしすぎのか調整している。
そして、最終コーナーの手前で並んだ。
「ほう? その時代遅れの馬でここまできたか」
「この子は時代遅れなんかじゃない」
「いいや、時代遅れさ。分からせてやるよ!」
ブーバッハは鞭でエンペラーターフの尻を叩く。
「ヒィイイイイイイイイイ!」
エンペラーターフは目をカッと開いて急加速。
凄まじい速度でコーナーに飛び込み、再び差を開いていく。
「お前の馬は俺と並ぶ為に飛ばしたから疲れているだろう! しかし俺の馬は違う! エンペラーはラストに備えて脚を溜めていたのさ! 思い知れ! これが最強の馬、エンペラーターフだぁ!」
「ヒヒィン……」
萎縮するサンテロード。
「大丈夫。私達は負けないわ。私を信じて。私もあなたを信じるから」
手綱を調整し、サンテロードの視線を前に集中させる。
(エンペラーターフのあの速度だとインコースは避けるはず!)
しっかりインコースを確保しつつ、こちらも速度を上げていく。
「うおおおお! いっけぇ! 俺のエンペラー!」
ブーバッハが追加の鞭。
エンペラーターフはさらに加速する。
そして――。
(来た!)
案の定、最終コーナーの手前で大きく膨らんだ。
「サンテ、今よ!」
ここまで温存していた鞭を放つ。
「ヒヒィイイイイイイイイインン!」
サンテロードが覚醒する。
覚悟を決めた顔でぬかるみに飛び込んだ。
「馬鹿な!? ここでインコースだとぉ!?」
ブーバッハが振り返り、驚いたように私を見る。
「絶対に負けない! 勝つのは私達よ!」
「ふざけろ! そんな所をそのスピードで走ったら転ぶぞ!」
「サンテロードなら大丈夫! そうでしょ、サンテ!」
「ヒヒィイイイイイイイイイイイイン!」
インコースをとったことで一気に距離が詰まる。
最終コーナーを抜けた時、サンテロードとエンペラーターフは完全に並んでいた。
「うおおおおおおおおおおおお! ちぎれ! エンペラー!」
バチンッ! バチンッ!
ブーバッハが激しく鞭を打つ。
「古馬の意地を見せなさい! サンテ!」
私は上半身が揺れないよう固定し、手綱を握る。
鞭を打つ必要はなかった。
「ヒヒィン!」
ゴールへ向かってさらに加速していくサンテロード。
一方、エンペラーターフは。
「どうした!? エンペラー! おい! スピードを上げろ!」
徐々に減速している。
「馬鹿ね、当たり前じゃない」
「なんだと!?」
私はブーバッハに向かって言う。
「あなたは最初から飛ばしすぎたのよ」
エンペラーターフが青息吐息なのは明らかだった。
既にスタミナが底を突いていて加速する力は残っていない。
結果、私は大差でブーバッハに勝利した。
「エンペラーターフが負けただと!?」
「勝ったのはサンテロード!?」
「大番狂わせだあああああああああああああ!」
観客が悲鳴を上げ、馬券が紙吹雪のように宙を舞う。
「この俺が……最強のエンペラーターフが……」
失意のブーバッハ。
私は彼に近づき、笑顔で言った。
「男の戦場とやらで女に負けた気分はどう?」
「ぐっ……」
ブーバッハは俯いたまま何も答えなかった。
「これに懲りたら今度から八百長なんてしないことね」
◇
大会が終わり、私達は賞金の小切手を受け取った。
「あのエンペラーに勝つなんて凄すぎですよ!」
「相手の騎手が下手だった上にサンテが頑張ってくれたので。それよりトムさん、これどうぞ!」
私は500万ゴールドの小切手を2枚ともトムに渡した。
「半分はクリスさんとアーサーさんの分では?」
「私達の賞金も孤児院に寄付してください!」
「いいんですか!?」
「もちろんです!」
「孤児たちの笑顔が俺達の幸せであり勝利の報酬さ!」
アーサーはすっかり回復していた。
「では、遠慮なく……! ありがとうございます!」
トムは受け取ると、「それでは」とこちらに背を向けて歩く。
――が、その直後、無精髭のおじさんとぶつかった。
小切手が地面にひらひらと落ちる。
「気をつけろよ!」
「あ、すんません」
おじさんに頭を下げるトム。
(この展開は……!)
ダシエに来て間もない頃のスリを思い出した。
トムにぶつかったおじさんが何か盗まないか目を凝らす。
しかし、おじさんは何もせずに去っていった。
一方、トムは――。
「チッ、こんなもん付けていたら上手いこと手を動かせねぇよ」
舌打ちして両腕の添え木を外し、地面に落ちた小切手を拾う。
いくら怪我が治りかけとはいえ、添え木を外すのはまずいはず。
にもかかわらず、トムはまるで気にする様子がない。
「えっ、トムさん、添え木いらないの?」
トムは振り返り、「あっ」と口を開ける。
その顔には「やっちまった」と書いてあった。
「トムさん、あなた、もしかして……」
「したらばこれにて失礼! トンズラっとぉ!」
次の瞬間、トムは逃げるように走り出した。
マラソン選手のような綺麗なフォームで、腕をブンブン振っている。
「なかなか綺麗な走り方だなぁ」とアーサー。
「馬鹿アーサー、感心している場合じゃないでしょ! 追うわよ!」
「追うって、なんでだ?」
「分からないの? トムの奴、詐欺師だったのよ! 孤児院に寄付するなんて真っ赤なウソ! 顔の怪我だってメイクに違いないわ!」
「なに!? どういうことだ!?」
「お涙ちょうだいなストーリーをでっちあげたのは、馬術大会で活躍したあなたを競馬に参加させるためよ! アイツの目的は最初から賞金の半分を労せずにかすめ取ることだったの! にもかかわらず、私達はあろうことか全額渡しちゃったのよ!」
「おい! そんなの詐欺じゃないか!」
「だからそう言ってるでしょ! 急いで追うわよ!」
「おう!」
私達は慌ててトムの後を追う。
しかし、国王生誕祭で人が溢れかえっていることもあり、あっさり逃してしまった。
「「はぁはぁ……はぁ……はぁ……」」
広場の噴水前にあるベンチで並んで座り、呼吸を整える私達。
「ほんとこの国は上から下まで腐っているわね」
「だが、なんだかんだで楽しかったからよしとしよう」
「そうね。競馬のレースに出られたのはあの詐欺野郎のおかげだし。よーし、あんな奴のことは忘れてお祭りを楽しみましょー!」
どうしようもならないので気持ちを切り替え、国王生誕祭を満喫するのだった。
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