024 そうさ、俺がブーバッハ
私達に近づいてきた一人の男は凄まじい姿をしていた。
両腕を添え木で固定し、顔面の至る所に内出血と思しき青あざ。
とても外をほっつき歩いていい状態には見えなかった。
「どうかしたんですか?」
私は男に尋ねた。
「あの、そちらの男性の方に……」
男の目がアーサーを捉える。
「俺が何か?」
「先程の馬術大会、お見事でした。そこでご相談なのですが、よろしければ僕の代わりに競馬レースへ出場していただけないでしょうか?」
「「え、競馬?」」
私とアーサーの言葉が被る。
「今日は国王生誕祭なので大きなレースがあり、それに優勝した騎手には1000万ゴールドが贈られます。2着・3着でも数百万。賞金の半分は差し上げますので、子供達の為に何卒、僕の代わりに……!」
「子供達?」
「は、はい。恥ずかしながら僕は孤児院の出で、今は同じような境遇の子供達を支援しています。今回の賞金も全てお世話になった孤児院に寄付しようとしていたのですが、先日、練習の際に落馬してしまいこの様でして……」
男が「うぅ」と呻き声を上げる。
「聞いたか、クリス」
アーサーは興奮したように私を見る。
私は大きく頷いた。
「アーサー、助けてあげましょ。この立派な人を!」
「もちろんだ!」
「ほ、ほんとですか!?」
アーサーは男に近づき、手を取った。
「俺に任せろ! そなたのような素晴らしい人間にこそ報われるべきなのだ!」
「ありがとうございます! 僕、トムといいます!」
「俺はアーサー、彼女はクリスだ」
「アーサーさんとクリスさんですね、よろしくお願いします!」
「おう! よろしくな!」
アーサーとトムが固い握手を交わす。
「ちょっとアーサー、そんなに強く握ったらトムさんに悪いわよ」
「おっと、これは失礼」
アーサーは慌てて手を離した。
トムはキラキラの笑顔で「いえ」と答える。
見た目に反してそれほど痛くないのか、顔が歪んでいなかった。
アーサーが申し訳なく思わないよう平静を装ったのかもしれない。
「それで、俺はどうすれば参加できる?」
「今すぐ競馬場へご案内いたします!」
「分かった!」
トムが先頭を歩き、私達はその後ろに続く。
「トムさん、下半身は問題なかったのですか?」
ふと気になったので尋ねる。
「下半身? 何がですか?」
振り返るトム。
「足取りがしっかりしているので、落馬の際に怪我をしなかったのかな……と」
「あっ」
トムは一瞬だけ固まった後、陽光を反射するピカピカの白い歯を見せた。
「頭から落ちたもので、打ったのは上半身だけだったんです。この腕もある程度は回復していまして、手綱を握ることはできませんが、今は痛みもそれほどないんですよ」
「なるほど」
「君のような立派な人間が落馬で死ななくてよかった!」
「私も同感です。孤児院に寄付だなんて素敵ですね」
「ありがとうございます。こういう酷い世の中でも、僕は自分に誠実な人間でありたい、自分の振る舞いを恥じたくない、いつもそう思って生きています」
ソネイセンの国民とは思えない立派な精神だ。
皆が彼のような聖人であれば……そう思わざるにはいられなかった。
◇
競馬場に到着した。
見た目は闘技場を彷彿させる円形のスタジアムだ。
中から観客の熱狂と馬の嘶きが聞こえてくる。
「ではトムと受付へ行ってくる! クリスは待っていてくれ!」
「はーい」
二人が場内の受付へ向かう間、私は周囲をウロウロ。
好き放題に歩いていると迷子になりかけた。
こりゃまずいと元の位置で大人しく過ごすことに。
ほどなくして二人が戻ってきた。
「クリス、俺は第10、11、13レースに参加するぞ!」
「3レースも出るの?」
「最初の2レースは練習用だ。賞金も出ない。馬術の自信はあるが、レースに出たことはないからな。慣れておこうと思った」
「そういうことね。いい考えだと思うわ」
「僕も同感です」とトム。
「レースが始まる20分前までは控え室に待機している。10レースと11レースの前は時間的に厳しいが、11レースの後から13レースが始まるまでの間は話せるはずだ。よければ後で来てくれ」
「分かった! 絶対に行くね!」
「俺は控え室に向かうよ。早くしなければ失格になってしまうからな!」
「了解! 頑張ってね、アーサー」
「おう!」
アーサーは自信に満ちた顔で競馬場に駆け込んでいった。
「僕達は観客席で待機ということでよろしいですか?」
トムが尋ねてきた。
「そうですね。でも、その前に――」
私は販売所へ視線を向ける。
「――アーサーに賭けていきましょ」
私は人生初の馬券を購入した。
◇
観客席に着いてまもなく、第10レースが始まった。
アーサーの乗る馬は見るからに気性の荒そうな顔をしており、実際、レースが始まるなり彼を振り落とそうとした。
しかし、アーサーは余裕の表情で乗りこなす。
ひとたび御すると馬は従順になり、圧倒的なスピードで1着を飾った。
続く第11レースの馬は先程よりも大人しかった。
こちらは最初からアーサーと馴染んでいて、脚もそれなりに速い。
終盤まで接戦だったが、騎手の腕の差でアーサーが勝利した。
「アーサー、やるじゃん!」
「やはり僕の目に狂いはなかった!」
第11レースが終わったので、私とトムはアーサーの控え室に行った。
「俺の実力というより馬のおかげだな。いい馬に巡り会えた」
「本番の馬はどう? 4番人気だからそこそこいい馬だと思うけど」
第13レースには18頭が出走する。
その中で4番人気なのだから、馬の評価はかなり高い。
「ここへ戻る前に確認したが良かったぞ。調子も良さそうだった」
「アーサーさんが乗るサンテロードは二年前まで最強と言われていました。ただ、近年は老いのせいかスピードに陰りが見えています。4番人気ではあるのですが、現状の実力的には6、7番といったところだと思います」
トムの解説を要約すると「1着は厳しいでしょう」だ。
「トムさんから見て、第13レースの有力馬はどれになりますか?」
「それはもう断然エンペラーターフです。戦績はデビューから負けなしの17戦全勝。今回の単勝オッズは1.1倍で勝利は確実視されています」
思わず「うひゃー」とおったまげる戦績だ。
「いくらアーサーさんが上手でも、馬の差があるので1着は難しいと思います。3着までなら賞金が出ますので、手堅く2着・3着を狙っていただけると……」
「何を言うか。やるからには1着を狙うぞ!」
「えらい! その意気よアーサー!」
「おう!」
アーサーが両手に拳を作って気合を高める。
――と、そこへ。
「アーサー選手、こちらをどうぞ」
係員がやってきて、アーサーに竹の水筒を渡した。
「おお、助かる。今回はもらえないのかと思っていた」
「遅くなってすみません。第13レースは参加者の数が多いもので……」
「気にするな!」
アーサーは水筒を開け、ラッパ飲みで中の液体を飲み干す。
係員は忙しいようで、彼が飲んでいる頃には控え室から消えていた。
「ふぅ、喉が潤った!」
「なんか慣れている様子だったけど、レース前には必ずあるの?」
「そのようだ。10レースと11レースの時もレース前に差し入れがあった。中は只の水なんだが、喉が潤うと力も湧いて――ウッ」
突然、アーサーの顔色が変わった。
「なんだ……腹の様子が……」
お腹を押さえてうずくまるアーサー。
竹の水筒がころころと地面に転がる。
「え、なに、どうしたの!?」
慌てる私。
トムは少し考え込んだ後、「まさか!」と水筒を拾った。
「この水に何か仕込まれていたのかも……」
確証はないが、その可能性は極めて高い。
アーサーは水筒の水を飲んだ瞬間に具合を悪くしたのだから。
「アーサー、吐きなさい!」
彼の背中をさすりながら言う。
アーサーは自分の指を口に突っ込んで吐くが、全ては吐ききれない。
「ダメだクリス、腹の調子が……」
アーサーの顔色は見る見るうちに悪くなっていく。
レースどころではなかった。
「おいおい、もしかして棄権かぁ?」
控え室の扉が開き、柄の悪い男が入ってきた。
「ブーバッハさん……!」
「トムさん、知っているのですか?」
「つ、次のレースでエンペラーターフに乗る人です!」
「そうさ、俺がブーバッハ!」
男は近づいてきて、うずくまるアーサーを足のつま先で小突いた。
「下剤をちょっと多めに仕込まれたくらいで情けねぇなぁおい」
私はすぐにハッとした。
「あなたの仕業ね」
「ああ、そうさ。俺が役人を買収して下剤を仕込ませた」
ブーバッハはあっさり認めた。
「次のレース、1着は大方の予想通りエンペラータイムだが、2着と3着は名前も知らねぇ不人気の駄馬になる。時代遅れのサンテロードなら問題ねぇとは思うが、念には念を入れておくのがブーバッハ流なのさ」
「八百長をするつもりなのね」
「そういうこった。お前らに恨みはないが、大金がかかってるんでな! 腹痛は1~2時間で勝手に治るし、賞金のいくらかは分けてやるから悪く思うなよ! ま、その調子じゃサンテロードは騎手不在で失格だろうから、俺様に協力するしか道はないがな! がっはっは!」
ブーバッハは「あばよ」と上機嫌で消えていった。
「クソッ! 卑怯な! でも、奴の考えは読めました! こうなったら僕達も奴の八百長に乗っかって馬券を買いましょう! レースには出られずとも多少なりともお金が手に入ります!」
トムは合理的な性格のようで、さらりと方針転換。
「僕、馬券を買ってきますね!」
「待ってください」
私はトムを止めた。
「アーサーの代わりに私が出場します」
「えっ」
「私も馬に乗れます。彼に代わって参加することはできませんか?」
「それは……」
固まるトム。
「可能だ……出てくれ……」
代わりにアーサーが答えた。
「受付の際に……緊急時の代理に……君の名前を……書いておいた……」
アーサーは汗でぐっしょりした騎手用の服を脱ぎ、ベンチに置く。
「情けないことになってすまない……孤児院の子らの為に……頼む……」
私は彼の頭を撫でて微笑んだ。
「任せなさい、私は負けないから」
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