013 申請用紙がないから申請できないよ
寝室にはベッドが一つしかなかった。
とはいえ巨大なベッドなので、二人で使っても余裕がある。
「ベッドのことは考えていなかったわね……」
どうしたものかと頭を抱える。
アーサーと同じベッドで寝ること自体に嫌な気はしない。
嫌に感じる相手なら同じ部屋で過ごしていなかった。
しかし、何事にも順序というものがある。
アーサーとは手を繋いだことすらないのだ。
同じベッドで寝るのは些か早い気がした。
「ベッドはクリスが使うといい」
「え?」
「俺はソファで寝るよ」
アーサーが気を利かせてくれた。
数多の女性を虜にしたであろう素敵な笑顔で。
「いやぁ……それはそれで違うなぁ……」
心の声が漏れる。
我ながらワガママな女だ。
「何が違うんだ? 同じベッドで寝る段階ではないだろ?」
「そうなんだけど、だってほら、今日はお祝いでしょ?」
「うむ」
「なのに片方はベッド、片方はソファってのは違うなぁって」
「だったらどうする?」
「うーん」
しばらく悩んでから言った。
「同じベッドで寝ましょう!」
「いいのか!?」
アーサーの顔が喜びの色で染まっていく。
「いいよ。その代わり、変な気を起こしたらダメよ?」
「うん! 分かった!」
やけに素直だ。
私は「じゃ、じゃあ……」と恐る恐るベッドに入る。
アーサーは反対側のベッドサイドに移動し、サイドテーブルの燭台に目を向けた。
「灯りはどうする?」
「消していいよ」
「承知した」
彼がふっと息を吹きかけ、蜜蝋の蝋燭が本日の仕事を終えた。
「おやすみ、アーサー」
アーサーに背を向けて話す。
彼も「おやすみ」と返し、ベッドに入った。
――――……。
目をキュッと瞑ることしばらく。
案の定、私は心がざわついて眠れやしなかった。
すぐ後ろにアーサーがいると思ったら緊張してならない。
(変な気を起こすなとは言ったけど、やはり若い男女が同じベッドで寝ていて何もないはずはないわけで……)
アーサーもきっと同じことを考えているはずだ。
(少し触るくらいなら、いや、キス……そうね、軽いキスくらいならいいか。よし、そうだ、キスにしよう。キスまでならセーフってことで!)
覚悟を決める私。
アーサーが何か言ってきたら、「キスまでね」と爽やかに受け入れよう。
そのシーンを脳内でイメージして、完璧だなと自画自賛。
(さぁアーサー、いつでもおいで!)
体を少し後ろに進めて、背後のアーサーと距離を縮める。
しかし、アーサーは何の反応も示さない。
(あ、もしかして、王子は自分から手を出したらまずいのかな?)
一般人と違い、彼には立場というものがある。
だから手を出せないのかもしれない。
(すると、私から声を掛けないとだめなのかな?)
アレやコレやと考える。
頭は冴えていく一方で、眠くなる兆しがない。
もはやキスの一つでもしないと眠れなくなっていた。
(仕方ない、はっきりと認めてあげよう!)
私は大きく息を吐き、それから言った。
「アーサー、わ、私、その、ちょっとくらいなら、い、いい、よ?」
緊張のあまり声が震える。
それでも、「多少なら変な気を起こしても大丈夫」とは伝わったはずだ。
あとはアーサーが動いて――。
「グビビィ……! クリスぅ! もう食べられないぞぉ……Zzz……」
アーサーは普通に寝ていた。
私の気など知らずに。
「まさか本気で眠っちゃったの!?」
体を起こし、彼のほうに目を向ける。
目が慣れたようで暗がりの中でも薄らと見えた。
アーサーの顔は、実に心地よさそうだ。
半開きの口から涎を垂らし、幸せに満ちた笑みを浮かべていた。
「……ちょっとくらいドキドキして眠れないとかあってもいいのに」
本当に何もすることなく寝た彼は紳士だ。
なのに私は、そのことに理不尽な不満を抱くのだった。
◇
次の日。
朝食はホテルの部屋で行った。
ダイニングテーブルをアーサーと二人で囲む。
窓の外を眺めながら、小さく切ったバゲットにバターを塗って食べる。
優雅なひとときだ。
「クリス、商売について考えていたんだが、店を構えるのはどうだ?」
アーサーが切り出した。
「行商人じゃなくて?」
「そうだ」
「どうしてそう考えたの?」
否定も肯定もせずに尋ねる。
実は私も同じことを考えていた。
「君の店は必ず繁盛すると確信しているからだ」
「ほう」
店を構えるべき理由は私と違うようだ。
私はこの国の役人が腐っている点に注目していた。
「君と初めて会った時に譲ってもらった粉からしは最高だった。それに君は竹で色々と作ることができる。俺が森で材料を調達して、君がそれを作って販売する――この街で雑貨屋を開けば大成功は約束されているようなものだ!」
「なるほどね」
アーサーらしい理由だ。
「私も店を開くべきと思っていたの」
「奇遇だな! 運命的なものを感じ――」
「感じない」
「そんなぁ」
「運命を感じるなら昨日はすぐに寝なかったもん」
「ん? どういう意味だ?」
私は「なんでもない!」と耳を赤くして、話を戻した。
「私が店を開こうと考える理由としては、失敗したときに鞍替えしやすいからよ」
「鞍替え?」
「あなたは成功する前提で考えているけど、私は失敗する前提で考えているの。商売ってそう易々と成功するものじゃないからね」
「ふむ」
「ビスネル王国だとお店を開くには許可が必要でしょ?」
「それはこの国でも同じだ。ソネイセン王国憲法に明記されている」
「でも、ビスネルと違ってそんなものを守っている人はいないと思う。もちろん最初の許可は必要だろうけど、その後……別のお店を開く時は許可の再申請とか絶対にしていないよ」
「そんな馬鹿な」
「例えば一昨日に入った八百屋なんかがそう。壁に飾っている営業許可証には図書館と書いてあった。そんな感じでね、他にも許可証と内容の合っていないお店が多かったわ」
「気づかなかった……。そこまで見ていたのか」
「そんなわけで、この国なら色々な店に気兼ねなく挑戦できると思う。アーサーの言う通りまずは雑貨屋から始めて、失敗したら酒場に改装するとかね」
「酒場はまずいだろう。飲食店は衛生許可証も必要だ」
「アーサーは法律に詳しいようだから尋ねるけど、営業許可証と違い、衛生許可証は必ずお客さんから見える場所に掲示しないといけないよね?」
「無論だ」
「じゃあ、この街で衛生許可証を見たことある? 私達が贔屓にしている酒場だったり、生演奏で迷惑を掛けた酒場だったりでさ」
「それは……」
「ないでしょ? だから大丈夫よ」
「信じられん……なんという国なんだ!」
「嘆かわしいけど、役人が腐っていると店を開く側からすれば楽でいいのよね」
こうしてコンテストの賞金を元手にお店を開くことにした。
◇
店を開く為に最も必要なもの、それは――。
「商品だな!」
「違う、物件よ」
まずは商いをする為の物件を確保せねばならない。
「できれば土地の購入からしたいけど……」
「100万じゃ足りないだろう、それは」
「だから土地は借りることになる」
「肝心の店はどうする? 建築費もないが」
「そこは居抜きでカバーよ」
「居抜きって何だ?」
「閉店した店の内装やらをそのまま再利用するってこと。商品を補充すればすぐに商売を始められる。ルータウンにある私の雑貨屋も居抜きなのよ」
「おー! そうだったのか! じゃあ居抜きにしよう!」
「というか、居抜きしか選択肢がないからね」
そんな話をしながら不動産屋に向かった。
◇
景気がいいからといって全ての店が繁盛しているわけではない。
儲かる店もあれば損する店もあり、中には閉店する店もあるわけで。
ダシエでは年に500件の店が開業し、同じ数だけ廃業している。
――と、不動産屋が言っていた。
「というわけで、じゃじゃーん!」
不動産屋であの手この手の交渉術を駆使して物件を獲得した。
場所は日中でも何故か薄暗さの感じる不人気な通り。
店はこぢんまりとしており、内装はボロボロで居住スペースはない。
そんな場所ですら、最初の提示額は100万ゴールドだった。
値切りに値切って70万で話をつけた。
「これで営業許可が下りなかったら笑えるわね」
「いや笑えないだろ、最悪の事態だぞ」
営業許可を取るには店が必要だ。
だから許可を取る前に店を70万で買った。
これで役人が「許可はあげませーん」と言えば全ておしまいだ。
70万もするゴミのような箱だけが残ってしまう。
「ま、大丈夫でしょ。許可が下りないなんてことはないよ」
私達は緊張の面持ちで役所に行った。
「すごいぞクリス、この国の役所は自動化が進んでいるようだ!」
「そうじゃなくて、全員が労働を放棄しているだけね」
役所の受付には誰も人がいなかった。
全ての窓口に「何かあっても声をかけるな」と書いた紙が貼ってある。
窓口の奥では、役人共が競馬の話で盛り上がっていた。
ここまで腐れるのか、と感動する程に腐った国だ。
「すみませーん」
営業許可申請所と書かれた窓口で役人を呼ぶ。
役人共は私を一瞥した後――。
「いや、ここは3番が本命だろ! 3を頭に三連単で決まりだ!」
「分かってねぇなぁ、5のルビーバチオックがいいんだって! 馬主があのビッセルだぞ? 間違いねぇよ」
再び競馬の話を始めた。
「ええい、もう、面倒くさい!」
私は窓口のカウンターテーブルにドンドンと拳を打ち付けた。
彼らが話に集中できないよう「すみませーん」と連呼する。
「チッ、なんだよ、うっせぇなぁ」
役人の一人が怠そうに近づいてきた。
「貼り紙見えないの?」
「見えますけど、こちらも用事があるんで」
「何の用?」
「営業許可証の申請をしたいんです」
「わざわざ申請するの? 変わってるねー。じゃあこの申請用紙に……って、あれ? 申請用紙がないな」
役人は振り返り、「申請用紙どこか知らね?」と仲間に声をかける。
「知るわけねぇだろ。つかそんなもんまだ存在するの?」
「だよなー」
そう言って笑うと、役人は私に言った。
「申請用紙がないから申請できないよ」
「え、それじゃ困るんですけど」
「そう言われてもないものはないし。そもそも申請なんてする人いないよ、今時。あんたらも申請に来たってことは物件は確保してるんでしょ?」
「はい」
「だったら勝手に営業していいよ。俺のこの発言が営業許可証の代わりってことで」
「えぇ……」
「じゃ、頑張ってねー」
役人は仲間のもとへ戻り、「でさー」と競馬の話を再開させる。
私は振り向き、アーサーに言った。
「お店に戻って開店の準備でもしよっか」
「ああ、分かった」
二人で役所の外へ歩いていく。
アーサーはしきりに「信じられん」と呟いていた。
この国の腐敗ぶりがよほど衝撃的らしい。
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