001 アーサー、あなたは下がっていなさい
新聞が五日遅れで届くような片田舎の町で、私は今日も過ごしていた。
見知った町民しか訪れない小さな雑貨屋で手作りの土器を並べている。
そこへ、見知らぬ顔の客がやってきた。
「クリスの雑貨屋というのはここで合っているかな?」
そう言って私を見るのは、容姿端麗な金髪の男。
年齢は私と同じくらい……17歳前後だろうか。
腰に差している剣を除けば、一見すると地味な格好。
しかし、服の材質を見ればどこぞのお金持ちだと分かる。
「たしかにここは私の雑貨屋ですが、何かお探しですか?」
朱色の髪を掻き上げて答える。
「何名かの町民から土産を買うなら此処の〈からし〉が一番と伺ってな。是非とも売っていただきたい」
「かしこまり……って、申し訳ございません、からしはただいま切らしていました」
男は「なんと」と言い、分かりやすく悲しそうな顔をした。
「1時間程お待ちいただけるならご用意いたしますが、いかがなされますか?」
「待とう! 時間はたっぷりある!」
「分かりました。では私の代わりに店番……じゃないや、ちょっと近くの酒場かどこかで過ごしていただいて、1時間後にまた来てください」
「承知した。クリスは工房に行ってからしを作るわけだな」
「工房なんかありませんよ」
「えっ」
驚く男。
表情の変化が激しくて面白い人だ。
「今からカラシナを調達してからしを作ってきます」
「おー! カラシナの栽培をしているのか!」
「いえ」
「えっ」
「近くの森に自生しているカラシナを使います」
「森って……獣が出るんじゃないか?」
「出ますよ」
「それは危険だ! それはいけない!」
「大丈夫ですよ、慣れているので」
「いやいや、女性が一人で森なんて危険だ! 俺が代わりに採ってこよう!」
身なりから察しが付いたけれど、彼は都会の紳士なのだろう。
女は男が守るもの、という考えを持っているのだ。
生殖器以外に性別の差を感じないこの町では不思議な感覚だった。
(私がレディ扱いされるなんてね)
心の中でクスリと笑う。
悪い気はしなかったので、「それでは」と頼むことにした。
「ところで、カラシナについてはご存じですか?」
「知らん!」
「ダメじゃん!」
思わずツッコミを入れてしまう。
「それなら私が行きますよ」
「危険だからダメだ!」
「……では一緒に行きましょう。それでいかがですか?」
「それならいい! そうしよう! 名案だな!」
「いえいえ。では準備をするので少々お待ちください」
ということで、不思議なイケメンと森へ行くことになった。
◇
森の中を歩きながら、私達は雑談に耽った。
「お兄さん、結構な身分の人でしょ?」
いつの間にやらフレンドリーになる私。
相手は私より1歳上らしいが、そんなものは関係ない。
少し話せばもう友達、それが田舎の流儀なのだ。
「分かるのか?」
その男・アーサーは驚いたように私を見た。
「服を見れば分かるよ。そんな上等な物、庶民じゃ買えないし、買ったとしてもこんな森に着ていこうとは思わないもん」
「ふむふむ」
「で、どうしてこんな片田舎の町に来たの? 特産品があるわけでもないのに」
「たまには周囲の目を気にしない生活を送りたくてな」
「なるほどねぇ。都会じゃ相当な有名人なんだね」
「まぁな」
「当ててあげよう! 顔が良くて変わった雰囲気だから……劇団の人でしょ? 王都じゃ色々な催し物が開かれているって新聞で見たから知ってるよ!」
男は「ははは」と笑うだけで、正解かどうか言わなかった。
詳細は語りたくないのだろう。
だから私も執拗には訊かず、話題を変えることにした。
「もうそろそろカラシナの自生地――っと、その前にアイツを倒さないとね」
私達の進路に獣がいた。
体長2メートル級の巨大イノシシだ。
「グルルゥ!」
不運なことにイノシシは腹を空かせていた。
私達に気づくなり、涎を垂らしながら戦闘態勢に入る。
「アーサー、あなたは下がっていなさい。私が倒すわ」
右手で持っている棍棒に力を込めた。
イノシシとの戦闘はお手の物だ。
さて、都会のイケメンにカッコイイ姿を見せるわ。
と、思いきや。
「馬鹿なことを言うな!」
アーサーに怒鳴られた。
「あんな危険な獣を女性に押しつけるなどあり得ん! アイツは俺がやる! クリス、君こそ俺の後ろにいろ! 分かったな!?」
アーサーは煌びやかな鞘から剣を抜く。
「あ、はい、じゃあ、お願いします」
彼の迫力に気圧されて敬語になってしまう。
(あの程度のイノシシならどうってことないんだけど……こうやってお姫様扱いしてもらうのは素直に嬉しいわね)
腰に差している短刀を左手で確かめつつ、私は一人でニヤけた。
「行くぞ! 王国剣術の秘技を見よ!」
アーサーは両手で剣を持って突っ込んでいく。
人生で初めて見る王国剣術に私は興奮する――はずだった。
「ぐぁ!」
なんとアーサー、平坦な道で唐突に躓いて転んだ。
「ブォオオオオオオ!」
イノシシが突っ込んでくる。
そして、アーサーにタックルした。
「アヒィーン」
豪快に吹き飛ばされるアーサー。
聞いているだけで痛くなりそうな鈍い音を立てて背後の木に激突。
ただ受け身の心得はあるらしく、見た目に反してダメージは軽微だった。
「王国剣術の秘技はどこへ……」
愕然とする私。
「逃げろ……クリス……! コイツには敵わない……逃げろォ!」
これ以上無い絶望感を漂わせて叫ぶアーサー。
非常に申し訳ないことに、私は笑ってしまった。
「逃げないわよ」
「やられるぞクリスぅ!」
「大丈夫大丈夫」
イノシシの相手は私が引き受ける。
「ブォオオオオオオオオオ!」
一直線に突っ込んでくるイノシシと向き合い、そして――。
「えいやっ!」
ギリギリのところで躱しつつ、額に棍棒の一撃。
ピンポイントで急所を叩いたので、イノシシは失神した。
「ほらね?」
「おお……奇跡が起きた……!」
「いや、奇跡なんかじゃないから」
苦笑いしつつ、短刀でイノシシを仕留める。
いつもなら皮を剥いで肉を持ち帰るのだが、今日はアーサーが一緒なので何もしないでおいた。
「平気?」
未だ尻餅をついているアーサーを立たせた。
「俺なら問題ない」
「それは良かった。あんまり無理しないでね」
「すまない。こんな無様な姿を晒すことになろうとは……」
今にも泣きそうなアーサー。
「そんな顔しないで。誰にだってミスはあるわよ」
「しかしだな……」
「ええい、面倒くさい!」
アーサーの手首を掴み、「行くわよ」と引っ張る。
「くよくよするなら同じミスをしなければいいだけでしょ! 分かった?」
「そ、そうだな、分かったよ。同じミスはしない!」
「よろしい!」
そんなこんなで、私達はカラシナの自生地に到着。
「この黄色い花がカラシナっていうの」
「ほう、この花がからしの原料になるのか」
「本当はもう少し枯れてからのほうがいいんだけどね」
カラシナを収穫していく。
からしとは関係ないが、葉も食材として使えるので頂いた。
◇
店に戻ると、直ちにからしの製作に取りかかった。
作り方は簡単だ。
取り出したカラシナの種子を洗ってから焙煎し、すり鉢ですり潰すだけ。
「ちなみに、すり潰さずに酢やら何やらと足したらマスタードになるよ」
「おー! 知らなかった! マスタードにもカラシナの種子を使うのか!」
説明しながら作業を進めて、粉末状のからしが完成。
それを安物の麻袋に入れてアーサーに渡す。
「お待たせ」
「ありがとう! ところで、からしなのに粉なんだな? 俺が使っているのはもっとねっとりした物なんだが、あれは別のからしなのか?」
「ううん、同じだよ。私が作ったのは〈粉からし〉というのだけど、水を足して練り練りすればアーサーが思うようなからしになるわ」
「使用する際は水に混ぜるわけか」
「そそっ。粉末のほうが日持ちするの。だから慌てて使わなくても大丈夫よ」
アーサーは「おー」と感嘆する。
「それでクリス、からしの代金はいくらかな?」
「無料でいいよ」
「なんだと?」
「こんな片田舎までわざわざ来てくれたお客さんだしね、お金なんていらないわ」
「それはダメだ! 経済が破綻してしまう!」
「大袈裟だなぁ。なら350ゴールドでどう?」
「そんなに安くていいのか!?」
「田舎は物価が安いからね。それで十分よ」
「そういうことなら」
「まいどあり!」
一食分のお金によって、この国の経済は破綻を免れた。
「今日は楽しかったよ、クリス」
「こちらこそ。気が向いたらまた来てね」
「もちろん! 必ずまた来るよ!」
定番の社交辞令だ。
彼が本当にまた来るとは思っていない。
「またね、アーサー」
「おう!」
こうして、私とアーサーの物語は終わった。
……はずだった。
◇
数日後――。
昼食を済ませて森に行こうとした時のことだ。
「てぇへんだ! クリス! てぇへんだ!」
父が店に駆け込んできた。
「お父さんどうしたの? 何が大変なの?」
「いいから早く来い! てぇへんなんだ!」
父に引っ張られ、私は店の外へ。
外には全ての町民が集まっていた。
一定の距離を保ちながら遠巻きにこちらを見ている。
「何の騒ぎなの……って、あなたは!」
「数日ぶりだな、クリス!」
白馬に騎乗するアーサーの姿があった。
彼の後ろにはピカピカの甲冑に身を包む騎士やら何やらがずらり。
「先日は世話になったな」
「は、はい、あの、本日はどういった……」
流石の私でもかしこまる。
「それはだな――」
アーサーは指をパチンと鳴らす。
大勢の騎士が私とアーサーを囲み、私達の間にローブの男。
「王子殿下、準備が整いました」
ローブの男が言うと、アーサーは「うむ」と頷いて馬から下りた。
そして、私の正面に立つ。
「え、王子殿下?」
私だけでなく、町民の大半がどよめく。
この町の人間は、王子はおろか国王の顔すら知らないのだ。
数年に一回は政府に徴税を忘れられる程の田舎町だから。
「あなたってこの国の王子様なの?」
「実はそうなんだ」
アーサーは真顔で頷き、私の前で跪いた。
「クリス、俺と結婚してほしい」
面白いと思っていただけたのであれば、
下の★★★★★による評価やブックマーク等で
応援していただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。