ブラックホールのかけら
「ブラックホールの、かけら?」
「そう、通販で昨日届いた」
酒を持ってくると、サトはまだケースをのぞき込んでいた。
「揺らすなよ。重力はそのままだから」
酒を置いて、缶詰を開ける。
サトが向き直って満面の笑みで、これ、何に使うんだ? と聞いた。
「いろいろ便利だよ。なんでも吸い込むし、なんでも捨てられる」
缶詰の蓋を放り込む。
上部の空いたでっかいケース。
中心に手の平サイズの真っ黒の塊が浮いていて、アルミのゴミを飲み込んだ。
「SMSで見つけて買ったんだ。今は何でも売ってるからな」
「売ってる売ってる。俺、こないだ俺の交際歴売られてたもん。浮気ばれてマジヤバい」
「それはお前がクズなだけだ」
「SNSで暴露されて、もう大変でー」
笑いながら酒を飲みだす友達を、後ろから眺める。
段ボールからビール瓶を取り出して、空いた箱をブラックホールに投げ入れる。
結構な大きさの段ボールが、軽々と飲み込まれていく。
「それでお前、暴露されてどうしたんだ?」
「そりゃもう平謝りよ」
「じゃなくて、本命じゃ無い方だよ」
「ん? そりゃ、捨てるだけだよ。全ブロック。出待ちとかされて、泣かれたけど。ストーカーってでっち上げて、警察に通報した。いやー大変だったんだよねー」
笑いながら、笑顔で。
今まで何人も落としてき、その完璧の顔で。
俺は黙って立ち上がる。
ケースを覗き込む友人は、ガキっぽくて無邪気。
きっと、良心なんてかけらも育ってなくて。
俺は背中に向かって呟く。
「お前が捨てた子、三日前に高架から飛び降りて、死んだよ」
サトは振り返って、こっちを見て小首をかしげた。
俺は、その綺麗な顔に、ビール瓶を振り下ろした。
「その子、俺の妹なんだ」
酒のカップがゆっくりと倒れる。
ドサリと倒れたサトから、血がにじみ出て、酒と混じっていく。
俺は生きてるか死んでるかわからない友人をしばらく見下ろして、
ブラックホールのケースに、投げ入れた。
サトの体は一瞬で消えた。
瓶も、こぼれた酒のカップも、
缶詰もテーブルも、すべてを押し込む。
サトの痕跡をすべて、
あいつの触った物を全部。
ブラックホールはすべてを飲み込んでいく。
「あははははははは、ははっ、あははははははははははっ」
なんにも無くなった部屋で、一人声を上げる。
死体が出なければ掴まらない。
「良い買い物だろう? なぁ、サト」
何もない空間に投げかけて、俺は再び笑い始めた。
逮捕されたのは三年が経ってからだった。
『サトル・イモトの殺人未遂容疑により、終身刑を言い渡す』
ほとんど弁解の機会は無く、拘束されたまま判決を聞いた。
「どうして」
俺は検事官を見上げて聞く。
「どうしてばれた?」
「ブラックホールは物を消し去るわけじゃないんだ。ホール、あれは穴だ。出口がある。時間の進み方は違うが、サトル・イモトは間違いなく生きていて、お前の犯罪を直訴した」
出口なんてどこに、と聞くと、嫌でも分かるさ、と返された。
「なお、サトル・イモトの希望によりお前の刑は彼の元で執行される事とする。では閉廷!」
数か月後、刑が執行されて、俺はブラックホールに放り込まれた。
目を開けた時、空は真っ白に塗りたくられていた。
「あ、新入り」
ガラクタが積み重なった地面。
ゴツゴツしたゴミの隙間から、数人がこっちを見ていた。
「被害者かな」
「違うだろ。腰紐ついてる」
「じゃあ、イモトのツレじゃない? 誰か呼んできてー」
俺が何か言う前に、イモトの名前が叫ばれて、
久しぶりに会う友人はひょっこりと顔をだした。
「やぁ、早かったね。半日くらい?」
「サト、お前……」
にっこり笑った額には、ガーゼが当てられていて、赤く血が滲んでいた。
あきらかに、俺が叩いた場所。
でも三年半近くたっているはずなのに。
「ま、まだ、治らねぇのかよ、その頭」
「一日や二日じゃ、そりゃ治らないよ。結構、痛かったんだ」
一日や二日?
サトは笑顔で近づいて、手錠と腰ひもを外してくれた。
「ここは?」
「ホワイトホールの真下。まぁ、いうなら、世界の果て」
空を見上げて、サトが呟く。
白く見える空、
真っ白に塗りたくられたそれは全面、
ホワイトホールだそうだ。
何かが降っていた。
真っ直ぐ落ちる物も、ヒラヒラ舞う物も。
大きさも様々で、いろんな物が振ってくる。
何かの資料、家庭ゴミ、壊れた重機や廃材までも。
何もかも落ちてくる。
世界はどこまでも広がっていた。
「地面、真っ直ぐ見えるけど、本当は丸いんだ。地球とは逆で、球の内側みたいに」
ぐるりとホールをかこむように。
木星よりもデカイ、とサトは言った。
ここがどこに位置するのか、分かる人は居ない。
分かっているのは、ブラックホールに落とされると、ここにたどり着く事、
元の世界と、時間の流れが違う事。
「通信機はあるんだ、連絡は取れる。食料も衣服も。欲しい物は大抵送ってくれる。だけど、戻れない。お前も、俺もね」
傷口に手を当てて、変わらぬ笑顔でそいつは言った。
そうして俺は、ホワイトホールの下で暮らし始めた。
人はある程度いるが、それ以上にスペース、物資もいくらでも在った。
取り合う必要もなく、誰もが欲しい物を手に入れられた。
空から降ってくるあらゆるゴミは気になったが、すぐに慣れた。
企業秘密の書類が落ちて来て、これを使えば数億の金が動くような情報だった。
「すごいんじゃないか?」
サトに言ったが、笑って首を振られた。
「向こうじゃ、もう何年か経ってるよ。数年前の秘密に意味は無いし、株も動かない」
重力の関係で、時間の流れに差が在った。こっちの1日が向こうでは数年にもなる。
「それに、向こうの人が得したって、なんも嬉しく無い」
たしかにそうだな。俺は紙切れを地面に落として、その上を歩いた。
向こうの時間はどんどん早くなるようで、落ちる物も増え、また大きくなっていった。
「ブラックホールが普及してるんだよ」
サトが隣で言った。
世界も充実してきて、人が落ちてくる頻度も増えた。
「なぁ、お前さぁ」
俺はサトの顔を見ながら、気になっていた事を聞く。
「俺の事、恨んで無いのかよ」
「そりゃね。でも無意味だ。ここで何やったってムダだ。殺しても、捨てる先は無い。戻るのは不可能だし、怒っても何も変わらない」
お前もそうだろう? 言われて、俺も頷く。
「恨んだり怒ったりするより、隣に居てくれる方が、何倍も良いよ。ここじゃあ、友人は何よりも大事だもん。お前が居ない最初の一日、死にそうに退屈だったんだぜ」
サトは特有の子供っぽい笑顔を見せて言った。
「それに、こないだ落ちてきた学者が言ってたんだけどさ」
「何て?」
「ブラックホールは成長するんだって。どの欠片も、少しずつ大きくなっていて、最終的に地球を吸い込むだろう。ってさ」
空を見上げながら、そうなったら結局一緒だ、と笑った。
「それって、どのくらい先なんだ?」
「んーと。向こうで数万年先って言ってたから……」
俺も空を見上げた。いつか星を落としてくる、真っ白のホワイトホール。
「あと三年くらいかな」
サトの声は、広い世界に広がって消えた。
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哀井田圭一@mmmm4476902325