八十二話 きみょうな宿屋
馬車をとめると、老人のあとを追う。
手をかけるのは、日焼けで白く変色した宿の扉だ。青くカビた真鍮の取っ手がやけに目を引いた。
ギイイ。
扉はきしみ音をたててひらく。
家のなかは静かだった。
正面にはイスとテーブルがいくつか。その奥には台所らしき部屋がある。
右手には宿泊者をうけつけるためのカウンター。羽ペンと金属製の呼び鈴がおかれている。
ひとかげはない。
さきほどの老人はどこへいったのだろうか……
「だれもいないね」
「ああ」
従業員はもとより、宿泊客のすがたもみえない。
なんともさびしいたたずまいだ。
「呼び鈴、押す?」
「――いや」
なにかイヤな予感がする。
部屋全体をおおう空気がどうもにおう。
それに――
呼び鈴をみる。こちらも扉の取っ手どうよう真鍮製のようだ。
ん~、なんか不釣り合いなんだよな。
真鍮はひじょうに高価だ。こんなさびれた村の宿に使われるものなのだろうか?
真鍮は魔力をたくわえる。
錠前としてつくれば、錠前破りをふせげるのだ。
事前に魔力をこめてやる。するとカギはより強固なものになり、盗賊の鍵開けはもとより魔法による開錠にも効果をはっきする。
一部の魔法使いは鍵開けの呪文を用いるからな。
だからこそ貴族は真鍮をこのむのだが……
「おやおや、おきゃくさんかえ?」
とつぜんの声におどろき、振りむいてみると老婆が立っていた。
……いつのまに。
足音もしなければ、気配も感じなかった。
白髪の老婆は、見上げるようなしぐさでこちらを見ている。
なんとも薄気味悪い。茶色に変色した歯は、ところどころ抜け落ち、老婆がしゃべるたびに息がもれる。
「イヒヒ。さぞ、お疲れでしょう。いま温かいものを用意しますゆえ」
そういって老婆は台所へ向かおうとする。
ちょっとまて。
ここでだされた飲み物とか、絶対くちにしたくないんやが。
「いえ、それには及びません。二、三、尋ねたいことがあるだけですので」
老婆をよびとめると、ひだりへすこし移動した。
なんとなく老婆の視線が、右へそれているように感じられたからだ。
「おや、そうですか。では、お泊りになられんのですか?」
「ええ、さきを急ぐので申し訳ないですが……」
「ざんねんですじゃ。いい湯がわいておりますのに」
「いい湯?」
「ここは温泉がわいておりましてな。むくみ、傷、美肌と疲労回復によくききます」
美肌ね。目の前の老婆をみるかぎり効果はなさそうだが。
ん~、どうすっかなあ。
このバアさん、せっかくみつけた村人だけど、このまま話を聞いても有力な情報が得られそうにないんだよなあ。
ここは宿泊するフリをして探ってみるのも手かもしれん。
う~ん……よし!
「フロか。どう思う?」とルディーにたずねた。
「え~、おふろは嬉しいけど……」
ちょっと口を濁すルディー。まあ、あたりまえだな。あきらかに怪しい宿ですし。
「美肌効果だってさ。お肌ツルツルになるみたいだぞ」
「う~ん、そりゃ美肌って聞いたら興味なくもないけど」
「お連れさまもそう言っておられるようじゃし、おふろだけでも入っていかれたらどうですかな」
ここでチャンスとばかりに割ってはいってくる老婆。
ふんふん、なるほどね。
「せっかくだからそうするか」と、老婆につげる。
すると彼女はニチャリとした笑顔をみせた。
「では、さっそく湯の準備を――」
「あ、そうだ。そのまえに一個聞いていい?」
奥にひっこもうとする老婆をよびとめた。
「はいはい、なんでございましょう」
「ババア、なんで妖精がみえるんだ?」
「……」
おしだまる老婆。こりゃアタリだな。
「おまえ、人間じゃねえな」
いうが早いか、手のひらに炎をともす。
なにものかは知らんが、村人がいないのと無関係ではあるまい。
こんがり焼かれながら、いろいろしゃべってもらおうか。
「なかなかアタマがいいな……オマエ」
老婆のからだがみるみる膨れ上がっていく。
まるで沸騰したヘドロだ。
肉はドロドロと沸きたち、固まりながら大きなひとのすがたをかたどっていく。
うお!
なんだコイツ。
魔物だろうが、いままでに見てきたやつらとぜんぜん違うぞ。
ボコリ。
老婆の顔のよこに大きなコブができた。それはやがて青年の顔になる。
ウゲ~。きもちわるい。
ボコリ、ボコリ。
コブはいくつもできていく。
それらは少女、少年、大人の男や女といったぐあいに、さまざまな顔にかわっていく。
――なんかヤバイ感じがする。
本能が危険を知らせているのがわかる。
そのとき、ギイと音がして宿の玄関扉がひらいた。
だれかが入ってきた?
だが、そのだれかをみておどろいた。
二本足でたつ馬だ。
炎のように赤い目に、くちからは灰色のケムリをはく。
全身の血管は浮き上がり、いまにも血がふきだしそうだ。
「ダンダリオン、しくじったな。もうすこしで俺が寝首をかけたものを」
馬がしゃべった!!
しかも、寝首をかくとかぶっそうなこと言ってる。
――あれ? でも、なんかコイツみたことある気がする。
毛のもようと、たてがみの感じが……
もしかして、砦から連れてきた馬か?
ゲゲ! まさか砦のなかに誰もいなかったのはコイツのしわざか?
おれはワザワザ、ここまで――
ルディーが叫んだ。
「マスターいけない! こいつら悪魔よ!!」