六十一話 別視点――仲買人トレンド
トレンドの朝ははやい。日の出まえには身支度をすませ、市場へとむかう。
表通りにはまだ人影もなく、キヨキヨと鳴く夜鷹が頭上をとおりすぎるのみだ。
ビチャリ。ぬかるんだ地面がドロをはねあげた。
さくじつ雨がふったのだろう、あるくたびトレンドのズボンのすそに茶色いもようをつけていく。
「お~い、いそげ。いいの他人にとられちゃまうぞ」
男の声がした。みれば路地裏から駆けてくる二人組がいた。
くたびれたシャツにズボン、腰にはショートソードといかにも駆け出し冒険者といった姿だった。
「いくらなんでもはりきりすぎだよ。依頼書なんてまだ貼りだされてないよ」
うしろをはしる少年があわてて追いかける。
なんともほほえましい。
彼らはこれから冒険者ギルドへとむかうのだろう。
依頼書は早朝、クエストボードに貼りだされる。すこしでもいい依頼を受けようと急いでいるのだ。
それにしても、いささか早すぎる。
依頼を貼りだす職員だってまだ寝てるだろうに。
――しかし、冒険者か。いまごろアイツどうしてるだろうな。
トレンドは遠ざかっていく若き冒険者のうしろすがたを見て、みじかくため息をついた。
トレンドには子供がいた。ジャミルという名のひとり息子だ。
あたまのいい子だった。読み書きのおぼえもいい、計算もはやい。
なにより物の良し悪しがよくわかっていた。
トレンドはこの子に自分のしごとを継がせようとおもっていた。
じぶん以上の仲買人になるに違いない。ひそかに、そう期待をよせていたのだ。
だが十三才になった日のこと、ジャミルは冒険者になりたいと言ってきた。
冒険者だって! トレンドはもちろん反対した。
危険な職業だ。たいていは戦いのなか命をおとすか、からだを壊してやめていく。
英雄譚として歌われるなど、一見きらびやかな印象をもつかもしれないが、そんなものはごく一部だ。
ほとんどのものが食べるのに精一杯。
ほかに選択肢がないならいざしらず、あえてつく職業ではない。
トレンドが継がせたい仲買人は、たしかな目さえあればずっと稼げるのだから。
トレンドは説得した。だが、ジャミルはくびを横にふるばかりだ。
どうしてそこまで……
「見て、父さん」
納得のいかないトレンドに、ジャミルは手のひらをみせた。
するとそこには浮き上がる光の玉があった。
「それは!」
「明かりの魔法だよ」
なんと、どうやって!?
こんどはべつの疑問がわいた。
誰かに手ほどきを受けずに魔法など使えるものなのだろうかと。
そんなトレンドにジャミルは言う。
「行商にきている冒険者に習ったんだ」と。
そうか、冒険者か。
行商では冒険者を護衛に雇う。そのなかに魔法使いがいたのだろう。
魔法はだれにでも使えるというものではない。
ごくわずかな才能のあるものが技術を学んで初めて使いかたを知るのだと聞く。
トレンドは息子にその才能があった喜びと同時に、なぜ冒険者になりたがるのかを理解した。
「父さん。僕はじぶんを試したいんだ」
じぶんは特別な人間なのかもしれない。もしかしたら英雄になれるかもしれない。
そんな心のうちが、ジャミルの決意に満ちた目から感じられた気がした。
「わかった。だが、条件がある」
トレンドのだした条件とは本格的に魔法を習うというものだった。
たしかにこの子には魔法の才能がある。
だが、それがどこまでのものかは分からない。
ならば冒険者ではなく、魔術師ギルドでしっかりと学ぶべきだと考えたのだ。
才能があればそれでいい。その後、冒険者として名をはせればいい。
死んでしまったら元も子もない。
なにもいま、あわてて冒険者になる必要などないのだ。
「二年だ。二年学んでみろ。学費と旅費はなんとかしてやる」
魔術師ギルドがあるのは王都だ。
旅費と学費はおそらくそうとうのものだが、仲買人の自分なら頑張ればひねりだせるにちがいない。
「だめだよ。それじゃあ遅すぎるんだ」
しかし、ジャミルはくびを横にふる。
なぜだ? 譲歩どころかかなりの優遇だろう。断るりゆうがみつからない。
だいたい遅いってなんだ、ジャミルはまだ十三才。
二年たっても十五才じゃないか。どんな職業をえらぶししても遅いなんてことはない。
トレンドはジャミルにつめよった。
「……」
だが、答えはかえってこない。彼はただうつむくだけだった。
それから数日してジャミルが行方不明となった。
いちまいの紙切れをのこして。
リーファについていく。
それだけ書かれていた。
トレンドはあわてて探した。
するとジャミルは冒険者として行商の護衛に加わり、街をでたことがわかった。
リーファが誰なのかもわかった。
その行商の護衛のひとり、魔法使いの女性だということが。
そうだ、息子は恋をしていたのだ。
英雄も、魔法も、冒険者ですら方便でしかない。
ただ、リーファという女性といっしょにいたかったのだろう。
トレンドはそれいじょう探すのをやめた。
意味がないと思ったからだ。
恋は盲目、説得したところで聞きやしないだろう。
どうせフラれれば勝手に帰ってくる。
そのときは温かくむかえてやろうじゃないか。
トレンドに心残りがあるとすればひとつ。
伝えられなかった言葉があることだ。
「何になってもいい。どこへ行こうとかまわない。いつだって父さんはおまえの味方だから」と。
なあジャミルよ。
おまえはいま、元気でいるか。
病気などしていないか。
巡りあわせってあると思うか?
おまえの目そっくりのやつが商人としてやってきたんだ。
いっしゅんおまえが帰ってきたのかと思ったよ。
トレンドはジャミルがむかったであろう方角をみつめる。
山のいただきより覗かせる太陽が、まだらに散った雲をオレンジ色にそめはじめていた。